混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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学び舎騒動 その8

「おや、先生……」

 

 学舎の陰から姿を見せたのは、リル達に教えている教師だった。

 どこか申し訳なさそうな顔をしていて、実際にペコリとお辞儀する。

 

「あ、せんせーだ!」

 

「せんせー、どうしたの?」

 

 リルとミーナが口々に言う。

 やはり悪い教師ではないらしく、二人からの好意も高い。

 

 しかし、わざわざ顔を見せに来たのは何故だろう。

 教えている生徒が帰ってしまえば、教師も暇になるのだろうか。

 

 週に一度の教鞭で食べていけないとしたら、何処かで掛け持ちの仕事などをしているのかもしれない。

 

 というより、ケレイが学舎から離れたのならば、チトウッド家の寄付もなくなるのだろうし、本格的に収入について悩んでいても不思議ではなかった。

 

 私はその寄付金を奪った張本人とも言え、どう応対するべきか迷う。

 しかし、こちらが声を掛けるより早く、教師の方が口を開いた。

 

「……いや、この度は大変なご迷惑をお掛けしまして、真に申し訳なく……」

 

「謝罪は十分に、然るべき相手から受け取った。それ以上は不要だ」

 

「しかし、教育不十分だった、私の責任です。私は……、教えなければならなかった。先ほど、貴女が語ってくれた様な内容を、ケレイ君に……」

 

 教師から見え隠れするのは、紛うことなき後悔だ。

 

 教室の中でもリルを侮辱する発言があったそうだし、教師からも苦言は呈されただろう。

 

 そんな言葉は駄目だ、言ってはいけない――そうした注意は飛んだに違いない。

 

「貴女が語ってくれたお話は、伝えるべき教訓でした。かつては国を揺るがす動乱に発展し掛かったのも、人間が獣人を嘲り、組み敷いたからです。国がそれを翻したのに、個人でやって良い道理がない」

 

 教師は頭を振って、それから項垂れる様に頭を下げた。

 

「注意……、すべきでした。正面から向き合い、正さねばならなかった。それを決闘という形で収めていただいたこと、改めて……感謝いたします」

 

 そう言って、教師はまたも頭を下げた。

 先程とは違い、背筋を伸ばした正しい礼に則ったものだ。

 

「そこまで畏まられると、こちらも参ってしまうな。……ほら、子ども達も困惑している」

 

 私が両手を広げて指し示すと、言った通りに子ども達は困り顔だ。

 教師のそうした姿を見ることが、何か落ち着かない感じだった。

 

「いや、申し訳ない。あれから色々と考えてしまったんです。未だ獣人に対する、人の視線は複雑なものです。些細な事で、何が爆発するか分かりません。それを貴女が、わざと目に見える形で決着とした事で、周囲の鬱憤は晴れました……」

 

 初めは所詮子どもの、他愛ない悪口だったかもしれない。

 しかし、それを公の場で、公然と口に出したのは如何にも拙かった。

 

 未だ全てが是正された訳ではないし、見えない所では幾らでも差別がある。

 

 それでも、非難されるべきでない相手が、口汚く罵られているのを見たら、周囲の獣人はどう思うだろう。

 

 是正されていない以上、どうしても鬱憤はある。

 その鬱憤晴らしの、格好の的にされていたかもしれないのだ。

 

 私がやった解決法は実に過激で、ともすれば野蛮だったが、それで大事を防げたという目論見もあった。

 

 教師はこれを後に理解し、だから頭を下げずにはいられなかったのだろう。

 

「私はただ間違いを見逃しただけではなく、とんでもない問題を引き起こしてしまっていたかもしれません。後になって気付くなんて、まったく……教師失格ですよ」

 

 自嘲する様に笑い、それから私には羨望にも似た眼差しを向けた。

 

「貴女の様な人の方が、きっと教師に向いているのでしょう。正しく導き、そして間違いがあれば苛烈であろうと、しっかり正せる。私もそうあるべきと、心に刻みました」

 

 善良な男なのだ、とは分かっていた。

 しかし、少し真面目過ぎる様な気がした。

 

 私がどう返して良いか迷っていると、ミーナとモンティが囃し立てる。

 

「いいな、それってすごくいいよ。リルの母ちゃんがせんせーならさ、オレもやる気でるぜ」

 

「どうせ、ろくでもないコトかんがえてるんでしょ! あたしは、いまのせんせーでいいもんね!」

 

 ミーナは純粋に、そしてモンティは軽口を叩けるくらいには、教師も慕われているらしい。

 

 そしてリルも、もしかしたらを期待して、私に上目遣いの視線を向けている。

 

「お母さん、せんせーやるのっ?」

 

「やらないよ。そういうのはね、とっても大変で、責任ある仕事なんだ。お母さんには、とても務まらないよ」

 

 能力よりも、責任を問われる仕事だ。

 他人の子どもを預かるというのは、それだけ強い信念がなければ成し得ない。

 

 リルは残念そうに唇を尖らせ、鬱憤を払うかの様に、握っていた私の手をブンブンと振った。

 

「そうですか……。もしも、という期待はありましたが、その気がないのなら仕方ありません」

 

 教師まで残念そうに力ない笑みを浮かべ、それからミーナとモンティへと帰り道を促した。

 

「さぁ、もうとっくにお昼が過ぎていますよ。きっとご両親も心配しておいでだ。早く帰って、お昼を食べると良いでしょう」

 

「……リルちゃんとママは?」

 

「もう少し、お話させて下さい。……よろしいですか?」

 

 これは確認というより、念押しの様に聞こえた。

 

 既に赤裸々な告白と懺悔をしておいて、ミーナ達に聞かれて困る内容などあるのか、不躾な視線を送った。

 

 しかし、返って来る視線は真剣そのもので、余人には聞かせたくないのだと、すぐに悟る。

 

「……仕方ないな。今日の帰りは付き合えないが、寄り道せずに帰れるな?」

 

「へいきだよ。でもなんだ、せんせーとお話か。チェーッ」

 

 先週みたいに帰れると思い込んでいたモンティは、露骨に悔しがる態度を見せた。

 だが、ミーナの方はしっかりと弁えていて、先生に礼して頭を下げる。

 

「それじゃあせんせー、さようなら。リルちゃんとママも、またこんどね!」

 

「うんっ! ミーナちゃん、バイバイ! モンティもバイバイ!」

 

 リルが元気に手を振ると、二人も手を振って去って行く。

 その後ろ姿を見送ってから、教師は学舎の方へと手を向けた。

 

「立ち話も何ですので、どうぞ教室の方に」

 

 促されるまま中に入り、黒板と教卓、そして生徒の机と椅子しかない部屋へと入る。

 

 リルは一目散に駆け寄って、一番左端の席に手を置いた。

 

「ここね、ここがリルのせき! となりがミーナちゃん!」

 

「おや、良い席だね」

 

 気心の知れる相手だけが隣に居れば、授業の時も心強いだろう。

 教師は他の机と椅子の位置を調整し、リルと私、そして教師が対面する形を作る。

 

「どうぞ、お座り下さい」

 

「あぁ、どうも」

 

 促されるまま隣り合って座り、正面に教師も座ると、頭を掻いて苦笑いを浮かべた。

 

「お茶もお出し出来ずに、申し訳ありません」

 

「どうぞ、お構いなく。それで……、話というのは?」

 

「えぇ……、リルさんの事なのです」

 

 そうだろうな、と予想は付いていた。

 そもそも、親を子どもと一緒に連れ出して、話し合う事などそう多くない。

 

「リルが、何か問題でも……? ケレイとのいざこざは、もう決着が付いたと思ったが……」

 

「えぇ、勿論です。その事ではなく、リルさんの学習部分について、なのです」

 

「それこそ、問題になるとは思えないな。リルにはしっかり……」

 

「はい、そうです。そこなのです。リルさんは、大変勉強が出来る」

 

 内容はともかく、褒められていると分かって、リルは恥ずかしそうにもじもじと席の上で身悶えした。

 

 私も我が子を褒められて悪い気はしないが、話の雲行きはどうも怪しく思える。

 

「ですが、リルさんは勉強が出来すぎてしまいます。有り体に言って、教える事がない」

 

「あぁ……」

 

「ここで教える内容は、読み書きと計算です。日常生活で不足がないレベルの内容、そして実家が商家であるなら、それより少し込み入った内容を……。でも、リルさんは既に、それらを必要十分に出来ています」

 

「……そうだな」

 

「無論、更に込み入った内容を教える事は可能です。子ども達には習熟度別に教えているので、誰か一人が少し突出していても、そこまで手間ではないからです」

 

 言っている事は分かる。

 そして、教師が何を期待しているかも、その内容から分かった。

 

「その年齡で、必要十分を習熟しているというのは、驚くべき事です。……これは私の職業倫理から申し上げるのですが、もっときちんとした教育機関に通った方が良いです」

 

「……つまり、王都の学院とか?」

 

「それが最も好ましいでしょう」

 

 教師は真摯に頷いて続ける。

 

「リルさんは、この年齡にありがちな単なる丸暗記と違い、理解度が深い。それは恐らく、お母様のご指導の賜物だとは思いますが……。とにかく、ここで勉強を続けること、その時間が余りに惜しい……私はそう思ったのです」

 

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