「……良く分かる理屈だ」
私は一つ頷き、リルの目を見てその頭を撫でる。
「リルには教養を身に付けさせる一環で、多くの事を学ばせた。リルも私に応えてよく学んでくれたものだが……。しかし、学者になる訳でもないのに、そこまでさせるつもりもないんだ」
「いえ、学院に通おうとも、学者以外にも多くの道が……!」
――分かっている。
だが平民の行き着く先は、貴族に召し抱えられるか、あるいは国の官吏として汲み上げられるか、だった。
リルにそうした野心があるならば良い。
良い国造りがしたいとか、仕えたいと思える動機があるなら、むしろ積極的に勧めるだろう。
「リルには伸び伸びと学ばせ、共に喜びを分かち合える友人を得て欲しくて、学舎に通わせた。それ以上のことは、今のところ望んでいないんだ」
「しかし……」
「リルはどうだ? 将来、偉い学者さんになりたいか? もしくは、国の為に何かしたいとか……」
「わかんない。でも、おべんきょは、べつにすきじゃない」
そうだろうな、と改めて頷く。
教師からすると、垣間見えた才能を伸ばすべき、と心から思った助言だろうが、リルは単に言われるまま学んだだけだ。
その先を考えるには、今はまだ幼すぎるし、同じように大望もない。
学院は国が巨額の投資をしているだけあって、平民は将来、国の要職かそれに準ずる職へ付く事を望まれる。
もっと学びたい学者肌や、そうした将来のコネを構築したい者にとっては良い場所でも、リルの性格からして望ましい場所とは言えなかった。
「リル、このままでいい。いま、なんかたのしいもん!」
「何か楽しい、か……。そうだな、それが大事だ」
私が笑って頭を撫でると、嬉しそうに頷く。
反して教師は、勿体ないと言わんばかりの苦い表情だ。
「気を配ってくれて、ありがとう、と言うべきなんだろな。でも、将来を考えるには、リルは余りに幼すぎる」
「えぇ、勿論。しかし……」
何かを言おうとする前に、私は手を前に出して止めた。
言わんとする事は、聞かずとも分かる。
もし何か目標を見つけた時、今から目指すのでは遅い、という時が往々にしてあるものだ。
選択肢を増やす為にも早い内から、という考えだろうが、学院は学びの園として考えるには政治色が強すぎた。
それを飲み込んででも行く、強い信念が必要だ。
平民ともなれば尚更である。
教師からのアドバイスは、ありがたく受け取るとして、リルにはこのまま過ごして貰いたい。
リルもまた、決まり事や序列など、多岐に渡る窮屈な場所で、学びたいとは思わないだろう。
その場は礼を言って辞退して、そうして改めて私達は帰路に着いたのだった。
※※※
学舎から出て、リルと手を繋ぎながら馬車道の端を歩く。
人々の往来は昼を過ぎてなお盛んで、夏が近付くに連れ、より増えている様に感じる。
それもきっと、勘違いではないのだろう。
冬は停滞するからこそ、その逆の気候では活気が増えるのだ。
私は日差しを遮る様に、額に手を当て、鬱陶しそうに空を睨んだ。
「あっつ……」
「ねぇ~? あついねぇ〜?」
だが、リルは何故か嬉しそうだ。
私手製の麦わら帽子を被る機会が出来て、それで嬉しいのかもしれない。
帽子はしっかり耳を出せる形だから、窮屈さもなく、また風通しも良い。
最近、オシャレに目覚めつつあるリルは、いつもと違う格好をする事に楽しさを見出していた。
白のワンピースに麦わら帽子の姿は、夏に目を引く涼やかさだ。
次からは私も麦わら帽子を用意しよう、と決めながら市場の方へ向かった。
「リルは何を食べたい?」
「ん〜……、おいしいの!」
「それはまた、メニューに困る返答だな」
正直なのところ、単に美味しい物が食べたいなら、家に帰ってシルケの料理を選んだ方が良い。
食材の時点で、我が家の畑は大いに恵まれている。
しかし、畜産に秀でているこの街では、それを軸にした食が豊富だ。
牛肉、羊肉、豚肉を始め、乳製品も多く種類が多い。
それらを軸にすると、どうしても栄養が偏るのだが、肉と脂に塗れた料理は美味しい。
溶けたチーズに潜らせる串焼きだけでも、十分魅力的な品だった。
市場では、一種のショーとして販売している所もあり、市場の中には買う訳でもなく見物して行く者も珍しくない。
だが、こう暑い日では、そうした料理は少し重かった。
もっと口当たり爽やかな物がいいな、と思いながら市場の中を探す。
しかし、市場で出している料理は、衛生上の問題から、どれも火を通した物ばかりだ。
暑い日に暑い物を食べて汗を掻くのも、一つの醍醐味かもしれないが……。
私は今、そんな気分ではなかった。
とはいえ、それ以外となるとパン系の食べ物になり、具材はやはり肉になる。
腸詰めであったり、細かく砕いた肉を焼いたものを、一緒に野菜と挟むものだ。
教師との話し合いもあったから、昼も大分過ぎていて、これ以上、何か良さそうな物を探す余裕もない。
リルの方を見れば、良い香りにつられて、今にもよだれを垂らしそうな勢いだ。
私はパンの腸詰め包みを買うと、次に果汁絞り売りへと足を運ぶ。
冷たい物はないが、ないなら自分で作るしかない。
リルに手渡す分をしっかり冷やし、ついでに氷も入れてやる。
周囲からは分からない様に、しっかりと隠蔽しながらの魔術行使だ。
近くのベンチは満席なので、仕方なく道の端で立って食べる。
遅れてやって来たからには、席を確保できないのは、ある種仕方のないことだ。
「ごめんな、リル。立たせたままで……」
「んーん! こういうのも、たのしいよ!」
屈託なく笑って、リルはパンに齧り付いた。
強がりではなく、普段出来ない事をしているのが、楽しくて仕方ない、といった顔だ。
「そうだな……。偶には、こうして食べるのも、中々楽しい」
「ねっ!」
パンの次にマグを傾け、冷たい飲み物にくぅ~っ、と声を漏らす。
この時期、冷たい物はそれだけで美味しい。
飲み過ぎても腹を下すので、そこだけ注意する必要があり、多くは買い与えない。
リルが自分のお小遣いを使いたいと言っても、ここは諌めるつもりだった。
私は私で、食べる物はさっさと食べ終わり、手に付いたパンの欠片をパンパンと叩いて落とす。
リルもパンはすぐ食べ終わり、ちびちびと果汁を飲み始めたことで、食のペースも遅まった。
一つではどうも足りず、何か別に食べようか――などと考えている時、リルが市場の中を見渡しながら言ってきた。
「ねぇ、お母さん……。リル、いまのがっこう、たのしいよ」
「そうか、それなら良かった」
元々、勉学どうこうよりも、友達を与えてやりたい、という気持ちから勧めたものだ。
その上で集団生活を学び、周囲との協調や衝突を知って、街で暮らしていく常識を知って欲しかった。
「お母さん、“しょーらい”って、なに?」
「うん……? あぁ、あの教師の言ってた事か……」
リルの将来を考えたら、こんな小さな学舎ではなく、学院に進むべきだ――。
彼はそう熱弁した。
より良い将来というのが、より良い収入、より良い職業というのなら、その意見は間違っていないだろう。
それ以上に責任が伴う、という部分を除けば、栄達が開かれていると言って良い。
だが、それを得るには多くの犠牲が伴う。
リルにとっては耐え難い、遊ぶ時間を全て削り、全てを勉強時間に回すような……。
到底、向いている様には見えなかった。
「将来というのはね、リルが大きくなったら、何をしたいかという事さ」
「おっきくなったら……?」
「夢、と言い換えても良い。こういう事がしたい、あぁ出来たら良いな、そういう事が今あるかどうかさ」
「ん〜……」
リルはマグを口に運び、氷を口に含んでガリボリと噛み砕いた。
そうする為の氷ではないのだが、子どもが氷を食べるのは避けられないことだ。
仕方ないな、と思いながら見ていると、リルは虚空に向けていた目を私の方に変えた。
「お母さんは? お母さんの、しょーらいのユメは?」
「お母さんの? お母さんの夢かぁ……」
含み笑いに応えて、さてどう返答したものか、と迷った。
「お母さんは、おっきくなったら、なにしたいの?」
「お母さんの夢は……そうだな、リルが健康で大人になるのを見届けることかな」
「えぇ〜……、それってヘン! リル、ずっとゲンキだよ!」
「そうだな、リルはいつも元気だ」
私はスカートを太腿の裏に添わせ、リルの隣で膝を畳みんで屈む。
少し前までは、目線が同じになったのに、今では立っているリルの方が僅かに高かった。
背も少しずつ高くなっているんだな……。
当たり前の事を認識し、その成長が愛おしくなる。
「お母さんというものはね、子どもがいつも元気でいてくれる事が、一番嬉しいんだ。だから、私の夢を訊いても、リルの参考にならないよ」
「……がっこう。べつのトコのほうが、お母さん、うれしい?」
「いいや、お母さんは喜ばないかな。リルが本当にやりたい事を見つけてくれた方が、ずっと嬉しい。それにね――」
リルに腕を伸ばし、その体温を確かめる様に抱き締める。
「夢があるに越したことはないけれど、でも、焦って見つける必要もないんだよ」
「うん……」
「学校は変えなくて良い。でも、学校にいる間、夢を探す事を目標にしてごらん。お母さんは、リルの夢を応援するよ」
「ほかのみんなは、どうなのかなぁ?」
「どうだろうね。人それぞれだから……」
物心つく頃から、親の職業に憧れたり、何かを見て感じて憧れる事はある。
単に格好良いから、という見た目だけで選ぶ事もあるだろう。
だが、どちらにしろ、リルは何かを選ぶには物事を知らな過ぎた。
学校に通っている間、何かしらを見つけてくれたら良いと思っている。
「もりにいるのは? リル、ずっともりにいたい」
「それでも良いよ。でも、夢や目標っていうのは、ある日突然、見つかる事があるものだからね」
リルは分かった様な、分からない様な返事をして頷く。
そして、それから間もなく、リルは強引に身体を突き放してきた。
「お母さん、あつい……! じゃま……!」
「邪魔……!?」
恐ろしく鋭い一言に固まり、リルは気にした素振りもなく、美味しそうに果汁を飲み干す。
「お母さん、もっとほしい」
「あまり飲み過ぎちゃいけません。それでおしまい」
「えぇ〜……っ!?」
私は颯爽と立ち上がって、リルの手を引いた。
これは決して、邪険にあしらわれたから、その意趣返しではない。
我が子に対する教育なのだ。
そう言い聞かせて、