混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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楽しい海水浴 その3

「お母さん、きもちい〜ね!」

 

 波打ち際で波飛沫を受けるのにも慣れて来たリルは、その顔と態度両方に余裕が出て来た。

 

 波の間隔はほぼ一定で、リルに掛かる飛沫も腰を越える事がない。

 

 身体に当たる瞬間だけ、飛沫が顔に掛かりそうになるので、その時だけは顔こそ背けるが、小さい波の時は迎え入れる余裕すらある。

 

 波の引き際付近で、ウロウロしているアロガとはえらい違いだ。

 

「アロガもこっちおいで! たのしーよ!」

 

「グルルル……、ウゥゥゥ……!」

 

 しかし、アロガは唸るばかりで近付こうとしない。

 

 威嚇しても意味がないと、早々に理解した筈だが、それでも足元を濡らす程度までしか、近寄ろうとはしなかった。

 

「……どうも、最初の波飛沫で、苦手意識を植え付けられたらしいな」

 

 リルのすぐ傍、手を伸ばせば届く距離で、私も腰を下ろす。

 波が太腿を濡らし、飛沫が上半身に掛かる。

 

 ナナはというと、リルの頭より少し高い位置で浮いて、時折波を腕に受けて遊んでいた。

 

 本来、森から出れば姿を出せない筈だが、今だけは私が援助することで現界できている。

 

 周囲をマナの結界で覆った、副産物みたいなものだ。

 こうする事で、肉食の魔魚も近寄って来られなくなる。

 

 私がリルの傍を離れない限り、結界も都度移動するので、安全圏内は変わらないままだ。

 浅瀬であろうと、本来は危険な海なのだが、これならば心配する必要はない。

 

「ねぇ、お母さん! リル、もうちょっと、うみのほう、いきたい!」

 

「いいけど、お母さんの手を離さないこと。いいね?」

 

「うんっ!」

 

 立ち上がると、リルの手を引いて歩く。

 そうすると、ナナもリルに索かれる凧の様に、ゆったりと後を付いてきた。

 

 しかし、そうなると困ったのは、取り残されたアロガだ。

 ガウガウと叫んではいるものの、リルは手を振って、おいでおいでするだけだった。

 

 アロガとしては、単純に危険と判断する海へ、リルを連れて行かせたくない一心なのだろうが、リルはそんなのお構いなしだ。

 

 というより、私が手を繋いでいるから、危険なことは起こらないと思っている。

 それは事実だったが、アロガから見ると、何処か遠くに行ってしまう様に見えたらしい。

 

 意を決して走り、丁度やって来た波に正面からぶつかって切り進む。

 おぉ、とリルから感嘆の声が上がるのと、すぐ傍までやって来たのは同時だった。

 

「アロガ、えらいねぇ! そうよ、こわくないでしょ。きもちーでしょ?」

 

「ガウォ、グルルル……!」

 

 しかし、何もアロガは水遊びをしに来た訳ではなかった。

 リルの服の裾を噛んで、引き戻そうとする。

 

 予想以上に強い力と、足元が既に浸かっていた事もあって、体勢を崩し転んでしまった。

 

「わっぷ!」

 

 まだ膝に達する程度の高さだから、溺れる様な心配はない。

 しかし、僅かに浮かせた身体を、アロガは猛スピードで後ろへ引きずって行く。

 

「ちょっともぉ……! アロガ、めっ! めっよ、めっ!」

 

 リルの身体で綱引きする訳にもいかないので、私も引かれる力に逆らわず砂浜方向へ退いた。

 

 見事、海水から救出したと思っているアロガは、リルの顔を数度舐めて、そしてすぐにケヒケヒ、と咳をした。

 

 濡れた顔を舐め取ろうとしたのだが、それら全て海水だ。

 短い時間で塩水を摂り過ぎると問題になるから、私は掌の中に水球を生み出すと、アロガの鼻先へと突き出した。

 

「ほら、この中に突っ込んで、ちょっと洗え。飲んでしまってもいいから」

 

 私の考えを正確に読み取って、言う通りにする。

 

 水を飲みつつ、その動作で舌を洗えば、少しはマシになるだろうし、血中塩分濃度も改善されるだろう。

 

「アロガがリルを心配する気持ちは分かる……というか、自分が痛い目を見たから、過剰に心配したんだとは思うが……。私が付いているんだから、大丈夫だ。お前も少し、考えを改めて楽しめ」

 

 言葉については殆ど理解されていないだろうが、私の気持ちは伝わった筈だ。

 海水にしても、未知に出会ったショックみたいな、過剰反応だろう。

 

 アロガは当然、海など知らないし、森から出た事もない。

 

 しかし、近くの川で水浴び程度なら、した事がある。

 その要領だと分かれば、リルと一緒に遊ぶ事くらい出来るだろう。

 

「本能的に、犬かきくらい出来るだろう? リルを遠ざけるだけじゃなくて、見守ってやれ」

 

「いぬかき、ってなに?」

 

 リルの疑問に、私が手を動かしながら答える。

 

「こうやって、手で掻いて進む泳ぎ方だ。……あぁ、リルも泳ぎを覚えてみるか?」

 

「いぬかき?」

 

「いいや、そっちじゃなくて、ちゃんとした方」

 

 種族的には良く似合うが、あれは人間の骨格に合う泳法ではない。

 

 国によっても様々な泳法はあるし、海で泳ぐか、川で泳ぐかによっても、その違いが表れるものだ。

 

「リルがもし、水に落ちる事があっても、無事に岸まで上がれる様に、少し覚えておくといい」

 

「うんっ! どうやるの?」

 

 膝の高さの海面まで戻ると、ぱちゃぱちゃと跳ねて期待の眼差しを送ってくる。

 私はその手を引きながら、腰が浸かる高さまで誘導した。

 

「んぅ……、なんかこわい……」

 

 波は依然として押し寄せては引いているが、海面が砂地から離れたせいで、その勢いも緩やかになった。

 

 だが、緩やかになったぶん、腰に打ち付けられる波の飛沫が、胸元まで迫る様になる。

 

 そして、こういった場所では、ちょっとした事で足元を取られる事もあるから注意が必要だ。

 

「いいかい、リル。波の動きに注意するのは当然だが、足元を疎かにしてもいけないよ。そして、動きに余り逆らわないこと。余計に疲れてしまうからね」

 

「そんなこと、いわれても……。んぅ! かってにぶつかってくるんだもん!」

 

 リルは波が当たる瞬間、身体を背けて波飛沫から顔を守る。

 

 同時に飛び跳ねることで、少しは威力を受け流せる事を発見していた。

 だがその方法は、波が来る度にやっていると、気付かぬ内に相当な体力を消耗してしまうものでもあった。

 

「今のリルには確かに、少し負担かもね。まだ小さいんだから仕方ない。でもとりあえず、今は水面に顔を付ける所から始めてみようか」

 

「それぐらいできるよぉ」

 

「ん、そうだな。お風呂に入っている時、たまにするものな」

 

 湯船はリルが座るには少し高いので、どうしても半ば泳ぐ様な形になる。

 しかし、泳げる程のスペースはないので、その場で潜って遊ぶ光景を幾度も見てきた。

 

「泳ぐのと、潜るのとでは全く違う。息継ぎが要るからね。そして、正しい息継ぎと、それを続けることは、存外疲れるものなんだ」

 

「よくわかんないけど、わかった!」

 

 リルは手を挙げて、次にぺちゃり、と海面を叩く。

 その感触が気に入ったのか、その後も掌を叩きつけて遊んだ。

 

「ほら、パチャパチャするの止めて、顔を付けてごらん。目を開けてはいけないよ。染みるからね」

 

「うん!」

 

「息を吐きながら顔を付けて、五秒そのまま、そして上げる。息を吐く時は、必ず鼻から。……いいね?」

 

「うんっ!」

 

 返事と共に腰を曲げて顔を付ける。

 私も手を繋いだまま、一緒に膝を曲げて顔を沈め、海中から様子を窺った。

 

 見守っていると、ぎゅっと瞑った目と引き絞った口が見え、鼻から水泡が出ているのが見える。

 

 五秒より幾らか早く顔を上げ、それと同時に酷くえづいた。

 

「えへっ、んへっ! はな、いたいっ!」

 

「顔を上げる時、鼻から息を吸い込んだな。呼吸は気を付けないと、そうやって痛い目に遭うぞ」

 

「んいぃぃ……っ! いたぃぃぃ……っ!」

 

「大丈夫、大丈夫。すぐ収まるから……」

 

 しばらく悶えていたが、それも十秒程度のことだ。

 

 ナナは心配そうに見つめていたものの、出来ることもないから、覗き込むくらいしかすることがなかった。

 

「リル、本当に平気? 目もウルウルしちゃってるわよ。染みてるんじゃない?」

 

「海中で目も開けてしまったのかな。ちょっと洗っておこうか」

 

 水球を作り出して、リルの顔前に差し出すと、大きく息を吸うよう命じて顔の前半分――耳まで覆わず包みこんだ。

 

「息は止めたままで、パチパチして」

 

 するとリルは、目はギュッと閉じたまま、小さな掌を胸の前で叩き始めた。

 私は思わず忍び笑いを漏らし、それからリルの手を取って止めながら言った。

 

「お手々の方じゃなくて。お目々の方をパチパチして」

 

 リルは一度水球から顔を出し、息を整えて目を開け閉めする。

 今度はきちんと水に晒したが、これでは殆ど効果がない。

 

 仕方がないので、私の方で手助けする事にした。

 リルの瞳に傷を付けないよう、水流を操作して眼球をゆっくりなぞり、表面に付着した海水を流し落とす。

 

「まぁ、リルが何度も水中で目を開けたら、その度に洗わなきゃならないから、ちょっと手間だな……。リルもなるべく、注意するように」

 

「んぅ……。いたいのヤだから、きをつける」

 

 どうも違和感があるのか、目を指で擦りながらそう言った。

 

「まぁ、ともあれ練習しないと良くならない。そして、慣れが全てだ。……さぁ、もう一回やろうか」

 

 

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