混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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楽しい海水浴 その4

 元より身体を動かすことが大好きで、そして飲み込みも早いリルだから、息継ぎ事態はすぐに出来るようになった。

 

 今はもう、誤って鼻に海水を入れる事もないし、水中を恐れることもしていない。

 

 それはアロガも同様で、今では海面から顔だけ突き出した格好で、リルの周りを泳いでいた。

 

 元よりリルの身長と肩高が変わらない大きさだから、それが迫るとそれなりに迫力がある。

 

 また、リルに泳ぎを教えようといている節があり、それがリルの小さな自尊心に火を付けた。

 

「お母さん、リルもはやくおよぎたいっ!」

 

「何事にも、順序ってものがあるからね。基本からしっかり、ゆっくり出来る様になればいいさ」

 

「でも、アロガはもうできてるもん! あんなにうみ、いやがってたのに!」

 

「まぁ、獣は……本能的な部分が強いから……」

 

 手を取って教えずとも、出来て当然なのが本能だ。

 だからアロガには別なのだと諭しても、リルは納得しなかった。

 

 姉として、弟には素直に負けたと言えないのだ。

 ならば母として出来ることは、少しでも早く泳げる様にしてやるだけだった。

 

「それじゃあ、息継ぎの訓練だけじゃなくて、足を動かすこともしてみようか。お母さんが手を持つから、バシャバシャ動かしてみなさい」

 

「うんっ!」

 

 リルが波を背に出来るよう、立ち位置を変えてその手を持つ。

 こうすれば、息継ぎの瞬間、口の中に水が入ることもない。

 

 波に揺られてやり辛い部分はあるだろうが、それでも随分マシになる。

 私はリルの足の動きを見ながら指示を出した。

 

「動きが固いな。もう少し、リズム良く。膝は曲げすぎない。太腿を使って水を叩く気持ちで」

 

「ん、んぅ……! うぷ……っ! ぷふぅ……っ!」

 

 リルは顔に水を付けていない。

 顔を上げながら唇を上に向けて、少しでも口に水を含まないよう呼吸していた。

 

 しかし、バタ足で身体は左右に揺れるし、波で上下の動きも加わる。

 非常にやり難そうで、苦戦していた。

 

「それじゃあ、波の動きに逆らって泳げない。もっと力を込めて。水に負けず、押し退ける力が必要だ」

 

「んぅ……! んひっ……! ひぃん……!」

 

 私が声を掛ける度に、リルの動きは良くなっていく。

 しかし、普段しない動きは、余計に体力を消耗していった。

 

 いつもなら、何処までも縦横無尽に走り回れるリルだが、バタ足を止めて地面に降りた。

 

「はぁ、はぁ……っ。つかれたぁ〜……っ!」

 

「休み休みで行こう。それに、いい調子だぞ。どんどん、良くなってる」

 

「ほんと? んひひ……!」

 

 リルは髪も完全に濡れ傍っていて、耳の先端から水滴が落ちていた。

 肩で息をしていても、顔には疲れを感じさせない笑顔が浮かんでいる。

 

「少し休憩しようか」

 

「んーん! はやくおよげるようになりたい!」

 

 リルが見ている先には、円を描く様に泳ぐアロガと、その上で寝そべるナナの姿が見えた。

 

 その姿を見て、羨む気持ちは良く分かる。

 隣で一緒に泳げたら、さぞ楽しく、また気持ちいことだろう。

 

 だが、疲労が馬鹿にならないことも、同時に覚えておかなければならない。

 

「リルはね、自分の疲れが分かってないんだよ。水の中にいるからね」

 

「みずのなかだと……、わからないの?」

 

「胸の高さまで浸かっていると、まず自覚できないかな」

 

 そう言って、私はリルの手を引いて波打ち際へと向かった。

 その際も、泳ぐ続けていたのだが、流石に最後までは無理だ。

 

 リル自身、膝立ち出来るところまで泳いでいたのだが、いよいよ立ち上がる時になって、うっへりと声を落とした。

 

「んぃぃ……。からだ、おもぉ〜い……」

 

「そうだろう? それがね、水の中だと疲れが自覚出来ないってことさ。休憩がてら、お昼にしよう」

 

「わっ、なんかあるの!? おやつは!?」

 

「果物があったかな。チラっと見た感じだけど、リンゴを切ったのがあったと思う」

 

「やった! たべよ、たべよ!」

 

「はい、はい」

 

 それまで、ぐんにゃりとしていたのも何処へやら、私の手を引っ張る程の力強さだ。

 

 その頃にはアロガも上がって来ていて、リルの隣で身体を振って水滴を飛ばしていた。

 

「んもぉ〜、アロガ! やるなら、とおくでして!」

 

 私は事の予想をしていて回避できたので、くすりと笑いながら準備を始める。

 砂浜の上に敷き布を敷き、砂を棒状に魔力で固定すると、その上にも布を掛けた。

 

 風で飛んでいかないよう、しっかりと砂で噛ませて日除けとする。

 そこまで済むと、シルケに用意して貰ったバスケットを広げた。

 

 中には野菜とハムのサラダや茹で卵、そしてベーコンを始めとした燻製肉が詰めてある。

 

 そして、それらに押される様にして、端の方にリンゴの切り身が置いてあった。

 

「うわぁ〜っ……!」

 

 リルが手掴みで取ろうとした所で、私は待ったを掛けた。

 

「先に手を洗いなさい」

 

「えぇ〜、きれいだよっ。さっきまで、うみにいたんだもん」

 

「海は綺麗に見えるし、水にも良く似てる。でも全く別物で、実は色々と汚いんだ。手を洗わなくて良いってことにはならないよ」

 

 実際に、ここから見る海は青々として美しく、透き通った水質をしている。

 だが、それはあくまで目に見えない形でしかなく、どういう場合でも手洗いは必要なのだ。

 

 私は水球を生み出すと、リルの眼前へと突き出す。

 リルは渋々ながら手を突っ込み、自分の手を揉むようにして洗い始めた。

 

 水球内の水流を操作し、爪先など洗い難い部分も綺麗にする。

 私がもういいよ、の合図をして頷くと、リルは手を水球から抜き、次に私も手を洗った。

 

「さぁ、それじゃあ、頂こうか」

 

「うんっ、お腹もうペコペコ!」

 

 リルが最初に手を付けたのは、シルケ特性サンドイッチだ。

 美味しそうに齧り付く姿を見ながら、私はアロガ用の肉を用意する。

 

 カーペットの上に皿を置き、その上に肉を乗せると、アロガはすかさずむしゃぶり付いた。

 

 同様に皿を用意して、その中に水を注ぐ。

 そうしてリルにも、持って来た水筒からお茶を注いだ。

 

「疲労回復効果のあるお茶だから、そっちになさいね」

 

「んぁ〜い!」

 

「あらあら……。リル、口から溢れてるわよ」

 

 ふわりと飛んで来たナナが、リルの隣に座ると、膝の上に落ちたものを自分の口に入れた。

 それから控えめに、バスケット内の物を適当に摘む。

 

 残り物でもあれば食べよう、と思ってる感じだった。

 

 あくまで一緒にいて、一緒に食べる雰囲気さえ味わえれば良い、という表明でもあり、口に出さずともそれは私にも分かっている。

 

 私も私で、一つサンドイッチを手に取り、大きく齧り付いた。

 パリっとしたレタスの感触が嬉しく、またハムの塩っ気が丁度良い。

 

 卵から作られたソースも控えめながら、良いアクセントになっていた。

 

「んっ、美味しいな。たっぷりのソースが嬉しい」

 

 口の端から漏れてしまい、指で掬って舐める。

 リルも口の周りをベタベタにしながら、笑顔で頷いた。

 

「うんっ、これ、すごくおいし〜!」

 

「帰ったら、シルケに伝えてやろうな」

 

「んっ!」

 

 口いっぱいに頬張って返事をしつつ、その視線はサンドイッチに釘付けだ。

 

 私が拭ってやろうと思った矢先、それより早くナナが動いて、口の中の物を飲み込んだタイミングで拭いた。

 

「そんなにガッつかなくても、誰も取らないわよ」

 

「でも、おいし〜から!」

 

 んひひ、と笑って、礼も言わずにまた齧り付く。

 むぐむぐと噛む姿は、本当に幸せそうだ。

 

 波打ち際から十分、離れた場所に陣取ったとはいえ、風に運ばれた飛沫が、時たま頬を濡らす。

 

 しかし、暑い日にはその飛沫と緩やかな風が心地よく、実に贅沢な時間だと感じた。

 

 海の傍は必然、風が強いことも多い。

 そうなると、砂が舞い上がるので、何かを食べるどころではなくなる事もある。

 

 天候と風にも恵まれ、今日という日は良い記念日になった。

 リルの幸せそうな顔を見ると、自然に顔が綻ぶ。

 

「リル……、楽しいな」

 

「うん、たのしいっ!」

 

 屈託なく笑って、リルは言う。

 

「たべおわったらね、およぎのつづき、するんだからね! はやくたべなきゃ!」

 

「焦って食べて、喉を詰まらせない様に」

 

 一応念の為、量の減ったリルのお茶を注いでやる。

 リルが今感じている幸せは、食事が美味しいだけではないだろう。

 

 ここまで長い時間、こうして遊ぶことなど最近なかったし、森の外――しかもレジャー目的での外出などなかった。

 

 非日常が楽しくて仕方がなく、家族と遊べる時間が嬉しい、といった感じだ。

 それは私も心を同じくして思う。

 

 その時、ふわりと風が吹き、ゆるく髪を攫った。

 

 青い空に白い雲――、夏の風物詩とも言える、巨大な雲が遠くに見えた。

 風は優しく、日陰を遮る下で柔らかく肌を撫でる。

 

 いつの間にか肘に付着していた砂を、軽く叩いて落としてみれば、それも風が攫って行った。

 

 ――空がどこまでも青かった。

 

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