混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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楽しい海水浴 その5

 お昼を食べ終わると、リルは早速、また海に舞い戻ろうとした。

 デザートのリンゴを、押し込む様にして口に入れ、咀嚼しながら立ち上がる。

 

「お母さん、いこいこっ!」

 

「ちょっと待ちなさい。海は逃げないし、それに少し休憩も必要だ」

 

「もうじゅーぶん、したよぉ!」

 

「そうじゃなくて、食休み。食べてすぐ動くのは良くないし、それが水遊びともなれば、もっとよく気を付けなくちゃいけない」

 

「んぇ〜……?」

 

 リルはあからさまに嫌がる顔を見せたが、それを押して座らせる。

 

 風は相変わらず、頬を撫でる程度の緩やかさで、潮騒と相まって実に心地良い。

 

「遊びたいのは良く分かるけど、水遊びを走り回るのと同じ様に考えてはいけないよ。時に命の危険もあると、よくよく理解してないといけない」

 

「そうなの?」

 

「リルは最初、鼻に海水が入ったりしただろう? 場合によっては、もっと大量に飲み込むこともあったかもしれない。そういう時、身体は反射的に吐き出そうとする」

 

「そうなんだ……」

 

「その時、胃の中がパンパンだとね、逆流しようとするものと、口に入る海水とがぶつかって、大変なことになったりするんだよ」

 

「くるしそう……」

 

 そう、と私は大きく頷く。

 

「遊んで泳いでいると、身体を横に向けたり下に向けたり、あるいはその逆……ってことも沢山あるだろう。つまり、胃の中が引っくり返る。これが逆流を引き起こす原因になったりもするね」

 

「んぇぇ〜……、ヤダぁ……」

 

 眉を八の字にして嘆くリルに、私はその身体を引き寄せて横にしてやる。

 

「海の近くに住んでいて、慣れている人ほど、海を決して舐めたりしない。きっと大丈夫、という油断が命を攫うと、良く理解しているからだ。――海はね、楽しいだけの場所じゃないんだよ」

 

「こんなにキレーなのに……」

 

「綺麗なのと危険なことは、しっかり両立するからね。見た目に騙されちゃ駄目ってことさ」

 

「そっかぁ〜……」

 

 妙に納得した素振りで、リルは体勢を変えて腹這いになる。

 押し寄せては引く波を見つめながら、足をぱたぱたと動かした。

 

「キレーでも、たのしくても、キケンなんだ」

 

「沖の方まで行くと、流されて帰って来られない、なんてこともある。リルはまだそっちに行けないけど、沖は危険と、知っておくに越したことはない」

 

「おき? おきって、なに?」

 

「あぁ、波打ち際とは逆側、海の深い所のことさ。今はまだ、胸が浸かる所までしか行かせないけど、それよりもっと奥に行くと、いずれ足が付かなくなる。そういう所をね、沖って言うんだ」

 

 リルは足をぱたぱたとさせたまま、顔だけこちらに向けた。

 

「あしがつかないと、どんどん、その()()にいっちゃうの?」

 

「必ずしもそう、と言う訳じゃないけど、十分あり得ることだ。波は押すだけじゃなく、引く事もする。そして、引っ張る力の方が強いことなんかもあって、気付かぬ内に連れ去られていた、ってことまであるんだ」

 

「えぇ〜……、ヤだぁ……」

 

 私はリルの身体手を伸ばし、その背中を優しく撫でる。

 

「時に海は、人に牙を剥く。海は危険と言ったけどね、それは流されて連れ去られることでもあるんだ。泳いでも泳いでも、陸に近づけない……、そういう事がね」

 

「リルも? リルはだいじょぶ?」

 

 私は笑みを深めて、その背を撫でる。

 安心させるよう、しっかりと頷きながら太鼓判を押した。

 

「泳ぐ時は、常にお母さんと手を繋いでいるだろう? だから、リルを勝手に連れ去らせたりしないよ。……それに、アロガも泳ぎに慣れてきたみたいだし、もし何かあったら助けてくれるだろう」

 

「そうだった」

 

 リルがアロガの方に顔を向けると、すっかり満腹になってご満悦の彼は、呼ばれたと思ってリルの横で同じく腹這いになった。

 

 その頬や耳の付け根などを舐めて、不意に動きを止める。

 いつもの習慣みたいなもので舐めたのだろうが、リルの身体は現在、塩塗れなのだ。

 

「アロガ、もうおよげるの……なんか、ズルい」

 

「ズルくはないだろう。獣っていうのは、そういうものさ」

 

 そうは言っても、リルはズルいズルいと、アロガの腹を叩く。

 姿勢のせいもあって大した力も出ないし、それにアロガにとっては日常も同然だ。

 

 全く動じた様子を見せず、むしろリルの頬に鼻を押し付け、じゃれついた。

 

「さっきから、私のことを忘れられてるみたいだけど……。あのね、海の危険なんて、私の前では無いも同然なんだから」

 

「……んぅ? ナナ、そうなの?」

 

 食べる量も最初から少ないし、あくまで昼食の場を一緒に囲むだけ、という感じだったので、存在感が希薄だった。

 

 そうでなくとも、ナナは必要ないとあらば空気に徹する所があるので、会話に参加しないことも多い。

 

 だが、己の有用性をアピールする場で、全く無視されるとなれば、一言申したくもなるようだ。

 

「私ってば、精霊なのよ? 沖に流されるより速く、助け出すなんて簡単よ!」

 

「でも、ナナ……。お母さんのちかくじゃないと、チカラだせないんでしょ?」

 

「それは……!」

 

 一瞬、いきり立つ様に肩を上げ、数秒もせぬ内に力を抜く。

 

「まぁ、そう、だけど……。でも、魔女の結界内なら自由だし……。それにリル、あなただって悪いんだからね!?」

 

「リル? どうして?」

 

「リルがもっとマナの扱い上手くなれば、私だってもう少し自由になれるんだから。魔女から離れた場所でも、制約なく力を使うにはね、リルの成長が必要なの!」

 

「んぅ……、そうなんだ?」

 

「他人事みたいに言わないで頂戴! リルが上手く出来るようになったら、街でも一緒に遊べるわよ。それって凄いことでしょ?」

 

 リルは、ん〜、と視線を上に向け、考える姿勢を取る。

 しかし、即座の返答があると思っていたナナは、度肝を抜かれた。

 

「えぇ!? そこはすぐに喜ぶトコでしょ!? 何が不満なの……!?」

 

「なにが……って、なにもないけど……。でも、お母さんといっしょなだけで、リル、うれしいもん」

 

 ナナは天を仰いで両目を覆い、宙に浮かんで声なく嘆いた。

 放って置くと、そのまま何処かへ流されてしまいそうな、そんな悲壮感がある。

 

 しかし、ナナもめげないもので、しばらく制止していたものの、ガバリと身体を起こして言う。

 

「私と一緒だと、海でとっても楽しいわよ! すんごく速く移動出来るんだから!」

 

「なにそれ、すごい!」

 

 まんまと餌に食い付いたと見て、ナナはニンマリと笑う。

 

「風の力で押せば、そんなの簡単なことよ。何か木の板なんかあったら、なお良いかもね。その上に腹這いになってさ、それを風の力で押すのよ。きっと水面を滑る様に移動できるわ」

 

「おもしろそう! やりたい!」

 

 ナナに向けていた視線を、私に変えてリルが言う。

 その視線には多大な期待が寄せられていて、今すぐ木の板を用意して当然、と言わんばかりだった。

 

「……まぁ、どうして欲しいかは、言わないでも分かるけど……、まだ駄目だ」

 

「えぇ〜……っ?」

 

 リルはあからさまな不満顔で嘆いた。

 どうして却下されるのか、その理不尽に怒っている様でもある。

 

「どうしてダメなのぉ?」

 

「何が駄目って、ちゃんと休憩してないからだよ。食休みが終わるまでは、そういうのはいけません」

 

「じゃあ、あとでならいいの?」

 

 リルの唇を尖らせた問いに、大きく頷いて見せる。

 

「普通なら危険って止める所だろうけど、やるのがナナだし、私が見ていてやれるからね。そうして遊ぶのも良いけど、ちゃんと休むっていう、お母さんとの約束も守ってからだ」

 

「んっ! わかった、やすむ!」

 

 そう言って、腹這いの状態からゴロンと身体を倒し、アロガのお腹を枕にして横になった。

 

 アロガも甘えられるのが嬉しそうで、尻尾をリズミカルに振っている。

 私は空に浮かぶ雲を見て、風の流れを読んだ。

 

 そうして、薄着のまま横になるリルへと視線を移す。

 日差しを遮っているから、長時間風に吹かれていると身体を冷やしそうだった。

 

 私は身体を拭いたバスタオルを持って来て、リルのお腹と膝辺りまで隠れる様に敷く。

 

 そうして私もまたアロガの身体に背を預けて、リルのお腹を優しく撫でた。

 聞こえるのは潮騒と、時折砂を舐める風の音だけだ。

 

 慣れなければ、潮騒は耳にうるさいものだが、疲れた身体には良い子守唄代わりだろう。

 

 いつしかリルの瞼はとろん、と落ち、静かな寝息を立て始める。

 私はその寝顔を見つめながら、健やかに眠るリルを愛おしげに見つめていた。

 

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