混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

192 / 324
楽しい海水浴 その6

「――うみっ!」

 

 リルは唐突に上半身を起こし、慌てた様に顔を動かした。

 アロガも両前足を枕にして寝ていて、リルの激しい動きに顔を上げる。

 

 そして、当のリルは眠気眼で、どうやら寝ぼけているらしいと分かった。

 私はリルの頭を優しく撫で、起こした身体をゆったりと戻してやる。

 

「まだ横になってなさい。寝起きにすぐ、水に飛び込むのを許す訳にはいかないから」

 

「んぅ……」

 

 リルは抵抗することなくアロガの腹に頭を起き、そして私は跳ね除けられたタオルをまた掛けてやる。

 

 そうしてお腹の辺りをポンポン、と二度優しく撫でると、やり掛けていた自分の作業に戻った。

 

 リルはそれを横目で見て、不思議そうに声を上げる。

 

「お母さん、それなに……?」

 

「これかい? 浮き板だよ」

 

 リルが寝ている間、浜辺から少し離れた所に自生していた木を切り、そこから一枚板を作り出した。

 

 大きさはリルの胸の幅に合わせていて、縦幅も顎から股下辺りまでだ。

 腹這いになって乗っかれる事を想定していて、だから僅かに湾曲している。

 

 リルが寝ている間、魔力を用いて表面を削って均し、怪我しないように丸みも作った。

 

 我が家に帰れば、もっと綺麗に仕上げられるし、形も整えられるのだが、急拵えとしてはまぁまぁの出来だろう。

 

「これがあると、海の上でも少しは泳ぎ易いと思う。それに、上に乗ったまま波に揺られるのも楽しいだろうさ」

 

「ほんとっ!? それ、たのしそう!」

 

 またも身体を起こしたので、私は苦笑混じりに元の体勢へと戻してやる。

 しかし、今度は素直に横にならず、すぐに身体を起こしてしまった。

 

「リル、うみにはいりたいっ!」

 

「もうちょっと我慢なさい。それに、少し水分を取っておいた方がいい」

 

 そう言って、水筒からお茶を注ぎ、リルに手渡す。

 

 勢いよく飲もうとするリルを嗜め、ゆっくり飲むよう指示しながら、私は浮き板の仕上げに掛かった。

 

 樹から削り出した物だから、どれだけ磨いても粗がある。

 

 本来、その上からニスを塗布するとかして、表面をコーティングしなければ、リルの肌を傷付けてしまうだろう。

 

 私は念入りに目視し、表面の木肌をチェックして、更に掌の感触で問題ないか確認する。

 

 少しでも妙な感触があれば修正し、そうして満足する頃には、リルの我慢も限界そうだった。

 

「よし、それじゃあ海、行っていいぞ。――ただし!」

 

 早速立ち上がり、駆け出そうとするリルに待ったを掛ける。

 

「準備運動してからね」

 

「えぇ〜……? またぁ?」

 

「一度ゆっくり身体を休めたから、筋肉も弛緩してしまっている。だからまた、しっかり伸縮させて運動に備えなさい」

 

「んんんぅ……!」

 

 リルは非常に不満げで、納得してはいなかったが、私からの言い付けを破るほど向こう見ずでもなかった。

 

 当然、私も一緒になって準備体操をするので、それに倣って手足を伸ばす。

 

「リルはまだ分からないだろうけど、海中で足を攣るっていうのは、本当に命の危機なんだよ」

 

「でも、お母さん、たすけてくれるでしょ?」

 

「勿論だ。必ず助けるけど、だからって心構えや備えが必要ない、っていうのは間違いだ。事前に避けられる危険はね、出来るだけ排除するべきなんだよ」

 

「んぅ……」

 

 分かってはいても、眼の前の娯楽に飛び付けないのがもどかしい――。

 リルの表情は、そう物語っていた。

 

 しかし、準備運動は始めてしまえば、終わるのもすぐだ。

 きっかり十分の運動を終えると、私は浮き板を渡して海を指差す。

 

「さぁ、行っておいで」

 

「きゃっふぅ〜っ!」

 

 浮き板を頭の上で担ぎ、リルは颯爽と砂を蹴る。

 その後にアロガとナナも続き、少し遅れて私も後を追った。

 

 リルは腰の深さまで足を止めることなく進むと、そこから浮き板を水面に置いて、お腹をその上に乗せる。

 

 そうしてバシャバシャと足を動かすのだが、波があって上手く進まない。

 

 単に波のせいでもなく、上手く水面を蹴られていないことも理由の一つで、押し返されて私の元に来てしまった。

 

「あれ、お母さん! もう、おいついたの?」

 

「リルが戻って来たんだよ。もっと足の付根から、効率よく足を動かさないと波に負けてしまうよ」

 

「んぇぇ……? いっしょーけんめー、けったのに!」

 

「実際、蹴る力だけは大したものだったけど……」

 

 跳ねる水飛沫は大きく、普段の鍛練も相まって、同年代から見るとあり得ない規模だったろう。

 

 だが、ただ蹴れば良い訳ではないから、きちんと泳ぐのは難しい。

 リルは今日初めて、本格的に泳ぎを覚えた始めたばかりだ。

 

 詰め込み過ぎて良い、ということはないから、今日の所は私の魔力を浮き板に沿わせてやった。

 

「波に押されて移動するっていうのも、結構楽しいものだぞ。お母さんが沖の方に押してあげるから、流されて来てごらん」

 

「うん、やってやって!」

 

 リルの返事を聞いて、私は沿わせた魔力で浮き板を動かす。

 最初はゆっくりと、しかし徐々に速度を上げて行く。

 

 波を正面から受けるリルは、その度に盛大に波飛沫を上げた。

 振り落とされないよう、浮き板をしっかり握り、顔を下に向けている。

 

 殆ど反射的――ともすれば、本能的な動きだろうに、理に適った姿勢だった。

 

「わっふぅ〜……!」

 

 運ぶ勢いは速すぎはしない。

 しかし、後を追おうとするアロガでは、追い付けない速度ではあった。

 

 結界の内側ギリギリまで沖へと運ぶと、私は魔力の制御を手放す。

 すると今度はゆっくりと、だが確実に、波に押されてリルが帰って来ようとした。

 

 沖へ運ぶ時と比べ、速度は実に落ち着いたものだ。

 リルは物足りないのか、足を動かして速度を増やそうとする。

 

 その内にアロガが追い付いて、今度はアロガも並走するように泳ぎ出した。

 ナナもアロガの上で、リルと同じ様な体勢で真似している。

 

 それが楽しさを盛り上げたらしく、二人できゃっきゃと笑いながら帰って来た。

 

「おかえり、リル」

 

「ただいま! もっかい、もっかいやって!」

 

「そう言うと思った」

 

 私は笑って頷き、再び魔力を浮き板へ流す。

 だが、それを見たナナが声を上げて止めた。

 

「ねぇ、待って。どうせなら、こっちでやらせてくれない?」

 

「うん? 沖の方に運ぶのを?」

 

「そう。どうせなら、リルの訓練に使うっていうのも、面白いかなって思うけど?」

 

「んぇぇぇぇ……?」

 

 リルは今にも吐き出しそうな顔で難色を示したが、それは確かに良い案だった。

 

 本日は遊ぶ日だと割り切っていたが、遊びながら鍛練出来るなら、それはそれで有益だ。

 

 何もかも鍛練に結び付けるのは、リルにとって確かに酷だが、楽しい内はそれでも進んでやるだろう。

 

「よし、じゃあ沖に行くのは、リルが自分でやってごらん。ただし、地面を蹴るのと同じ様にやってはいけないよ」

 

「じゃあ、どうすればいいの?」

 

「ん〜……、そうねぇ……」

 

 ナナが首を傾げながら言う。

 

「そこはあたしが上手くやるから、リルはマナ練り込んでサポートして頂戴。リルが使うんじゃなくて、あたしに使わせる練習と行きましょうよ」

 

 周囲からマナを取り込み、自身の中に蓄積するのは、基本のことだ。

 その取り込んだマナを、どう使うかが肝となる。

 

 精霊魔法の使い手であるリルは、その先への使い途は二つあった。

 

 精霊の力を借りて、自ら魔法へと変換する魔力を作るか、もしくは精霊に譲渡するマナを錬成するかだ。

 

 どちらも重要で、そして両方を体内に作り出し、備えておくのが理想だ。

 そして、どういった比率で備えるのかも、ここは個性が出る所だった。

 

 ただし、今のリルはそこまで考えて何かをするには、まだ早い。

 とりあえず今は、ナナが魔法を行使する為に、マナを取り込む方が優先だ。

 

「さぁ、リル。いつもよりここはマナが希薄だから、ちょっと大変だ。でも、お母さんも助けてあげるから、やってご覧なさい」

 

「んぅ……、わかった」

 

 一度命じられると、リルは素直に開始する。

 程なくしてマナを取り込み始めると、私が舌を巻く程の結果を出して見せた。

 

「常日頃の努力が見えるな。リル、凄いぞ」

 

「んへへ〜!」

 

 リルは自慢気に笑い、海面をパシャパシャと叩く。

 しかし実際、大したものだった。

 

 普段と違う環境は、只でさえ感覚が狂う。

 だというのに、リルはあっさりとやってのけた。

 

 普段は濃すぎるマナから身を守るため、防護膜を張らねばならないから森でやるのは大変だが、逆に濃いからこそ集めるマナに苦労しない。

 

 防護がない代わりに、薄いマナを集めるのが得意なのは、そうした反動から生まれたものだとすると、リルは大きな財産を得たと言えるだろう。

 

「今後が楽しみだ」

 

「本当にそうね」

 

 ナナも同意して微笑む。

 

 十分なマナを受け取り、リルの代わりに魔法を使うと、風をスクリュー状に吐き出してリルを運んだ。

 

 今度は波に逆らうだけではなく、縦横無尽に海の上を走った。

 

「きゃっほーい!」

 

 リルも大満足でご満悦の様子だ。

 私は置いてけぼりのアロガを慰めつつ、海の上を跳ねる様にして移動するリルを目で追った。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。