混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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楽しい海水浴 その7

 リルは元から速度に対して物怖じしないし、空へ打ち上げられても、逆に喜ぶ子どもだった。

 

 だから、水上遊びも高速で滑って楽しむのは、むしろ必然だったろう。

 

 リルが頼んだのか、もしくはナナの興が乗ったのか、そこまでは分からなかったが、今では土の上を走るより速度が出ている。

 

「きゃっふぅ〜!」

 

 海面を切り裂き、左右に水飛沫を上げながら、私の近くを通り過ぎて行った。

 降り掛かろうとする海水を、手首の一振りで霧散させ、リルの後を目で追う。

 

 結界の範囲はナナが正確に把握しているので、間違って離れる心配もなく、そうして盛大なUターンをした、その時――。

 

 慣性を制御し切れず、浮き板から手を離してしまったリルは、盛大に吹き飛んでしまった。

 

「リル……ッ!」

 

 リルはまだ、足の付かない場所で泳いだ経験がない。

 何とか泳ごうと悪戦苦闘しているが、海面から顔を出すだけで精一杯だった。

 

 その姿を見て、一番動揺したのはナナだ。

 結界ギリギリでのターンだったのが災いし、ナナも咄嗟に助けの手を伸ばせない。

 

 ナナが現界しているのは、あくまで結界内に放出している私のマナによるアシストがあるからだった。

 

 結界から外に出れば、その姿を維持出来ないだけでなく、力の行使もままならない。

 

 そこはどうしても、リルの未熟さが原因の部分だった。

 私は魔力を放出し、海面から飛び上がる。

 

 そうして海面に足を付けると、沈むことなくその場に立った。

 泳ぐよりも速い移動方法は、私も幾つか持っている。

 

 結界はあくまで、私中心に張っているので、近付こうとすれば、それだけ結界も移動する。

 範囲内になればナナが救出すると思って、とにかく駆けた。

 

 そして実際、リルを結界内に収めると同時、ナナがリルに覆い被さる様にして持ち上げる。

 

「――ぷぁっ!」

 

 波に揺られ、顔面が海に沈む寸前でナナに救けられ、リルはようやく安全に呼吸できるようになった。

 

 その頃には私も駆け付けていて、両手を腰に当てて二人を睨む。

 

「海は危ないって、言っておいた筈だろう? 油断するとすぐ、こういう目に遭うから口酸っぱく言ってたんだ。反省しなさい」

 

「んぅ……、ごめんなさい」

 

「私も、ちょっと甘く考えてたわ。たとえ何があっても、すぐ助けられると思った。でも……」

 

「あぁ、私自身も考えが甘かった。だから、あまり強く言えないんだが……。せっかくの海水浴なんだ。楽しく遊ぶなら、きちんと危険も把握してなくちゃいけない」

 

 だが、何度口で言われても、自分の身に起きなければ理解が浅いものだ。

 そして今、実際に体験したから、私の言葉の重みも理解できたろう。

 

 ――海は危ない。

 そう言われても、リルにとっては楽しい遊び場でしかなかったのだ。

 

「あぁして遊ぶなとは言わないから、しっかり節度をもって遊びなさい」

 

「あら、優しい……。禁止とは言わないのね」

 

 ナナが意外そうな声を上げて、首を傾げる。

 その時丁度、アロガが傍にやって来て、口に加えていた浮き板をリルの前に吐き出した。

 

「アロガ、ありがと!」

 

 リルが嬉しそうに浮き板を掻き抱き、アロガの額をぐりぐりと撫でる。

 

「まぁ……、取り上げないのは、同じ危ない真似を繰り返さないだろうっていう、私なりの信頼からだ。リルは少し暴走しがちな所があるが、ナナまでそうはならないだろうし……。それに、水遊びは楽しいものだ。自由に遊ばせてやりたい」

 

「本当にごめんなさい……。私も少し調子に乗ったわ」

 

「リルの笑顔には、誰もが弱い。それは分かっていたことさ」

 

 互いに笑って、浮き板を海面に下ろしたリルを見やる。

 そして、いつまでも海面に立ったままの私を、面白そうな目つきで見返して来た。

 

「お母さん、それ……リルにもできる?」

 

「うん? ……いや、リルには無理だな。似た様なことを、ナナの力でもやれるとは思うが……。でも、それは多分、沈む力に対抗して風力で無理やり浮いている様に見せるだけだろうから」

 

 私がナナに目を向けると、その通り、と言わんばかりにナナも頷く。

 

「これと、どうちがうの?」

 

 そう言って、浮き板の上をぺしぺしと叩く。

 

 違いを上げると切りが無いし、それとはまったく別物だが、理解するには前提となる知識が余りに足りない。

 

 だから今は、無理やりな説明で胡魔化すことにした。

 

「お母さんは凄いから、こういうことが出来るんだ。お母さんのやる事だから、別に不思議じゃないだろう?」

 

「んぅ? んぅ〜……、そうかも」

 

 一瞬、不思議そうな顔をしたものの、説得力はあったらしい。

 あっけらかんと頷き、にこやかに笑った。

 

 私も術を解除して海中に落ちようとしたその時、遠方に大きな波が見えた。

 危険性はない、むしろ波乗りに適した波だ。

 

 私は一つ思い付き、リルに手を翳して浮かせた。

 そうして横抱きにして顔を近付けると、茶目っ気たっぷりに尋ねる。

 

「少しの間、お母さんにリルの浮き板、貸してくれるか?」

 

「うん、いいよ。お母さんもいっしょにあそぼっ!」

 

 ありがとう、と笑って、私はその上に立った。

 ただし、リルが遊ぶ様に作ったものだから、両足を置くとむしろバランスが悪かった。

 

 私は魔力を沿わして形を為し、今だけ即席の波乗り板を作成する。

 

 リルの浮き板を中心として前後に大きく魔力の固まりが伸び、形状も笹の葉に近い物になった。

 

 中心部分だけが木製で、それ以外が魔力の淡い光で形勢された、不思議な波乗り板の完成だ。

 

 リルは不思議そうにそれを見ていたが、出来栄えに目を輝かせる。

 

「すっごぉーい! カッコイイ〜!」

 

「喜ぶのはこれからだぞ」

 

 そう言ってから、ボードを沖の方へと転換する。

 

「アロガはここで待ってなさい。波の勢いはここまで来ないだろうけど、念の為、砂浜の方に行っていた方が良い」

 

「あたしは?」

 

 自分を指差して尋ねたナナには、好きにしろ、と返しておく。

 精霊が溺れるなど、それこそ笑い話にもならない。

 

 波に巻き込まれると思わないし、仮に巻き込まれても問題なく海中から浮き出てくるだろう。

 

 アロガに指先を砂浜に向けてから、私は水面を蹴ってボードを動かす。

 押し寄せる波の勢いは更に増し、更に大きく虎口を開けている様にも見えた。

 

「お、お母さん……! なんか、なんかきてるよ!」

 

「そうとも。今からそこに行くんだ」

 

「えぇ……っ!?」

 

 ただ水面を蹴るだけでなく、魔力を使って推進力を増やす。

 だから、今はナナが力を貸していた時以上に、速度が出ていた。

 

 波が迫り、今から牙を剥かんと、その鎌首を擡げようとしている。

 ゴゴゴゴ、と巻き上がる水音が、獣の唸りの様にも聞こえた。

 

 流石にリルも怯えてしまって、私にしっかりくっつき、痛いほど締め付けてきた。

 

 迫る大きな波は砂浜方面へ近付く程に、大きな山盛りへと育ち……。

 そうして、私は側面から波の上に乗ると、リルに声を掛けた。

 

「見てごらん、これが波乗りというものだよ」

 

「んぃぃ……! すごぃぃ……っ!」

 

 盛り上がった波の高さは、優に五メートル以上ある。

 その上から見下ろす光景と、不安定な足場は確かに恐怖だろう。

 

 だが、流石というべきか、リルは怖がるどころか、この状況を楽しんでいた。

 

「すごいすごい! お母さん、すごい!」

 

「そうだろう? でもね、リル。暴れると危ないから、大人しくしてなさい」

 

「うんっ!」

 

 波の速度は確かに速いが、速すぎるということもない。

 興奮に慣れたリルは、周囲の景色を楽しんでは、きゃらきゃらと笑う。

 

「でもね、リル。凄いのは、ここからだぞ」

 

 盛り上がった波は、重力に引かれて、いずれ落ち出す。

 そのタイミングを見極めて、私は波の頂点から下り、腹の部分を滑った。

 

「すごぉ〜い! すごい、すごい! どうして、おちないの?」

 

「さぁて、どうしてだろうね? それより本当に凄いのは、ここからだぞ」

 

「まだ、なにかあるの?」

 

 波の種類や条件にも寄るが、速度が十分についた波はパイプ状の隙間が出来ることがある。

 

 その青々とした水が織りなす、奇跡の造形は一見の価値ありだ。

 私が少し無理したのも、折角だからとこれを見せたかったからだ。

 

「ふぇやぁぁ〜……!」

 

 リルの口から、感激し過ぎて変な声が漏れた。

 

「こんなの、あたしでも見たことない……!」

 

 そして、すぐ傍に付いて浮いていたナナも、同様に感動の眼差しを、波の奇跡に向けていた。

 

「さぁ、感動してるのは良いが、ここからがちょっと厄介だ」

 

「え……、何かあるの?」

 

 ナナの顔には嫌な予感がありありと浮かんでいて、リルは側面で迫り上がる滝に手を触れて、きゃいきゃいと喜んでいた。

 

「波はいずれ落ちる。上がったものは、いずれ落ちるのが道理だろう? ここも波に呑まれるぞ」

 

「えぇ……!?」

 

「そら、始まった」

 

 私が目を向けた方――波の端から、折り畳むように水が落ち、徐々に飲み込もうとしている光景が見えていた。

 

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