混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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夏の終わりと不穏な気配 その1

 家に帰ってからも、リルの興奮は収まらなかった。

 

 リルの中では、既に明日の予定は海となっているらしく、今から何して遊ぶのか、その話題で持ち切りだった。

 

「ねぇ、お母さん! もっかい、もっかい、うきいた、つくって! うみのうえ、すべりたい!」

 

「お母さん、今日はもう疲れてしまったよ。明日には間に合わないし、それに……約束したろう? ちゃんと、お勉強もするんだ」

 

「わかってる!」

 

 口ではそう言いつつ気も(そぞ)ろ、どこまで理解しているか怪しいものだ。

 それより、帰って来たら早速お風呂に入らないといけない。

 

 海水の染み込んだ服も洗わないといけないし、それに敷布の洗濯もある。

 リルは遊んでいても良いが、私はそうもいかなかった。

 

「リル、今からお湯を張るから、先に身体を洗っておきなさい」

 

「いいよ、リルきれいだよっ!」

 

「綺麗なものか。海で泳いでいたんだから」

 

「なんで? うみでからだ、きれいきれいになったんじゃないの?」

 

 何を勘違いしたものか。

 リルの中では、海で泳ぐことはお風呂に入るのと同様のことに思えたらしい。

 

 からだ全体が水に浸された、という部分しか共通部分はないのだが、リルにとってはその共通だけで十分な様だ。

 

 子どもの浅知恵とはまた違う、自分の都合良く解釈してしまうものが出たのだろうか。

 

「海はしょっぱい。つまり、あの水には塩がいっぱい入っているんだ。今もね……」

 

 言いながら、リルの髪に手櫛で指を通そうとするが、髪同士がくっ付き合って、ギシギシと音を立てる。

 

「こんな感じで、海水が悪さをしてるよ。身体中がそんなだから、ちゃんと洗わないと痒くなったりする」

 

「んえぇ〜……」

 

 リルは眉を八の字に下げて、自分の頭を触る。

 そうして、やはりいつもち違う感触を知り、こくんと頷いた。

 

「リル、おふろはいる……」

 

「入るだけじゃなくて、きちんと洗おうな。――アロガもだぞ」

 

 その場を密かに離れようとしていたアロガを、私は魔力で拘束しながら告げる。

 

「今日ばかりは、洗うのが嫌だとか聞いてやれない。観念するんだな」

 

 アロガは足をバタつかせるが、既に身体は宙に浮いていた。

 逃げようにも逃げられず、アロガは素直に観念して頭を下げた。

 

「やれやれ……って、顔に書いてるわよ。子どもの前では、笑顔なんでしょ? え・が・お」

 

 ナナがふわりと浮いて出て、リルの近くに留まる。

 妖精達との間で言っていたことを、何処かで彼女も聞いていたらしい。

 

 なんとも小癪な笑みを浮かべていて、神経を逆撫でしてくれる。

 だが、疲れている時だからこそ、安易に乱されてはならなかった。

 

「努力するさ。でも、子どもの遊ぶ時の体力は、本当に無限だからな……」

 

 そうは言いつつ、あからさまな不機嫌顔や疲れた顔を晒すほど、母親を辞めてもいなかった。

 

 せめて困った笑顔程度に留め、まずは母屋に入ってバスケットをシルケに預ける。

 

「ごちそうさま、シルケ。今日のサンドイッチは、リルにも大好評だったぞ」

 

「うん、おいしかった! しぅけ、ありがとー!」

 

「変な呼び方しないで、ちゃんとしなさい」

 

「んひひ……!」

 

 だが、シルケ本人が悪い気をしてなくて、むしろ笑顔で応じる。

 

 家事に対するお礼に、コップ一杯のミルクで満足する彼女だが、リルの輝かんばかりの笑顔と共に言われる礼は、また別の感慨を生むらしい。

 

 今も受け取ったバスケットを小脇に抱えて、リルの頭を撫で回している。

 

「さ、それよりお風呂だ。さっさと済まそう。リルが疲れを自覚する前に」

 

「んぅ……!」

 

 まだまだ元気だと、リルは不服そうだ。

 だが、リルの主張よりもまず、一日の終わりを締め括るお風呂の方が大事だった。

 

 家の裏手から外に出て、お風呂場に向かう。

 

 リルの服を脱がしてやる時も、妙に布地が固まってしまっていて、パラパラと何かが地面に落ちた。

 

 乾いた海水から出た塩だろう。

 私も脱ぐと、リルの頭を洗ってやりつつ、アロガも同時に洗う。

 

 リルは私の手洗いだが、アロガは巨体だから魔力任せだ。

 流石にリルのと同じことをアロガにやっていたら、腕が疲れて洗うどころではない。

 

 リルの頭と身体を洗い終わる頃には、アロガの方もほぼ終わっていて、水で大雑把に流して乾かす。

 

 これはナナに任せて、その間に私は、自分の髪と身体を洗った。

 そうしてアロガの乾燥が終わる頃、あら、とナナは声を上げた。

 

「結構、良い毛の艶してるじゃない。触り心地も、結構良さそうよ」

 

「ほんと? リルもさわる! アロガ、こっちきて!」

 

 既に湯船に浸かり、身体半分出していたリルに、アロガは素直に近寄る。

 しかし、濡れた手ではよく分からず、指に引っ掛かるばかりで不満そうにした。

 

「ほんとに、いいの?」

 

「見たら分かるじゃない。普段よりふんわりしてるし、見た目も結構、綺麗よ」

 

「……うん、ホントだ。いつもとちがう」

 

 普段から一緒にいるリルだから、その見た目の変化は流石に気付く。

 毛艶の良さだけでなく、その一本一本まで外に広がるかの様で、全体的に丸く見えた。

 

「でも、なんかチガウなぁ……。アロガ、ふとった?」

 

「……ブシッ!」

 

 返事の代わりに、アロガはくしゃみをする。

 石鹸の匂いがそぐわず、しきりに鼻をムズ痒っている。

 

 アロガが風呂を嫌う理由の一つだ。

 私も髪と身体を洗い終わると、ようやく湯船に入る。

 

 これまで海水に浸かっていたからか、お風呂のじんわりとしたお湯は、また一つ違う。

 身体の奥深くから息を吐いて、肩まで浸かるように身体を低くした。

 

「はふぅ~……」

 

「お母さん、ホントにつかれたみたい」

 

「うん、楽しかったけどね」

 

「ねっ! たのしかった! なみのり、またゼッタイしたい!」

 

「リルは、ソリ遊びも好きだものなぁ……」

 

「ねっ! ソリも、またやりたい!」

 

「やりたいこと尽くしだなぁ」

 

 湯船の中ではしゃぐリルは、私と反対に元気満点だ。

 肩まで浸からせたいのに、すぐに泳ごうとして、少しもジッとしてくれない。

 

 湯船は私が足を伸ばしてなお余るくらいだが、泳ぐには全く距離が足りないから、リルがバタ足をすると私の顔面が濡れ鼠になった。

 

「こらこら、お風呂で泳ぐんじゃありません。ほら、座って」

 

 顔の水分を手で払い、リルの脇に手を入れると、自分の太腿に座らせる。

 そうして首筋などを良く見ると、既に日焼けの兆候が見えた。

 

「リル、お風呂から上がったら、少し肌の手入れをした方がいいな。後でお薬、塗ってあげよう」

 

「いーよ。リル、いらない」

 

「でも、やらないと明日、ヒリヒリして酷いことになる。悪いこと言わないから、言う通りになさい」

 

 強く言っても、リルはいやいやと首を振るばかりだ。

 口で言っても仕方ないのなら、やることは一つだ。

 

「こらから百を数えて、そうしたら上がろう。すぐに夕食だから、寝ないようにね」

 

 意識を数字と食事に向かわせ、素知らぬ顔で錬金小屋へと手を翳す。

 実際、母屋の方からは良い香りが漂っていて、リルの意識を向けさせるには十分な威力だった。

 

 案の定、リルは香りの方に顔を向けていて、こちらの様子には気付いていない。

 数を数えて三十を超えた辺りでは、既に薬の入った瓶が手元に置かれていた。

 

「……きゅうじゅうきゅう、ひゃ~くっ!」

 

 しっかり最後まで言い終わると、私は良く褒めてからお風呂から上げたやった。

 水気をしっかり拭ってから、今度は薬を掌に塗り、薄く伸ばしながらリルの首から手を添わせる。

 

「んひぃ! んひ、んひひ……! お母さん、なにこれ、くすぐったい……!」

 

「さっき言った、お薬だ。塗らないと痛いんだから、少しの間、我慢なさい」

 

 自信の塗り薬だから、肌の伸びも良い。

 しかしそれが、リルの鎖骨周りなどを塗る際には、くすぐったがって身を捩ってしまう原因になった。

 

「んひひ、んひひひ……!」

 

「こら、暴れるんじゃありません」

 

「だって……! くすぐったいんだもん!」

 

「もう少しだから」

 

「んひひ! んふふ、ひひひ……!」

 

 シャツを着ていたから、身体全体に及ばないのがせめてもの救いだ。

 しかし、少し赤くなり始めた手や足まで塗ると、結構長く掛かった。

 

 暴れるリルを宥めすかすのは大変で、風呂上がりに余計な汗を掻いてしまった。

 

「下手に触って、薬が取れないように気を付けなさい。そういう訳で、アロガにくっつくのも、アロガに舐められるのも、今日の間は無しだ」

 

「はぁ〜い」

 

 リルは全く不満そうではなく、嫌な声を上げたのはアロガだけだ。

 元より夏の間は、暑くて抱きつこうとはしない。

 

 でも今は、改めてアロガの毛艶を確かめて、愉快そうな顔付きをしていた。

 私は両手を腰に当て、大きく息を吐きながら母屋を指差す。

 

「後は大人しく座って待ってなさい。お母さんもすぐ行くから」

 

「はぁ~い!」

 

 ナナとアロガを引き連れて、リルは母屋に入って行く。

 私はというと、今日出した洗濯の準備だ。

 

 明日にすると、塩でバリバリになった服を洗わなければならなくなる。

 いつだって、子どもは遊ぶだけ遊び、親がその裏でしている苦労など知らないのだ。

 

「ま……、手早く終わらせよう」

 

 だが、その苦労を知らせたい訳ではない。

 まだ幼いならば、尚の事だ。

 

 私は魔力を操作して、残りを持ち上げると球体に形成し直し、そこに洗濯物を投げ入れ始めた。

 

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