それからというもの、夏の間は暇があれば、とにかく海に行くのが定番になった。
森と違い、開放感が段違いである事と、私との時間を独り占め出来るのが、楽しくて仕方なかった様だ。
勿論、私にも水薬の作成や、森への侵入者の対処があるから、常にとはいかない。
それでも、許す限り海に付き合ったし、リルの泳ぎは凄まじく上達した。
好きこそものの上手なれ、とは言うが、泳ぐだけではなく波乗りすらも乗りこなし、最初のたどたどしさはもうどこにもない。
波乗り専用の浮き板をせがまれてから、上達は目に見えて分かり、そして一人で大波を乗りこなすのに、そう時間は掛からなかった。
マナを操るのも上手くなって、今では二流の腕前を脱しようとする練度だ。
遠くに波を発見すればナナの力を借りて、颯爽と海を突っ切る光景は最早、私には見慣れてしまった。
それだけ出来る様になったリルだから、マナについては殊更指導する事もなくなった。
ただ日々の鍛練をサボる事なく実施する様、伝えるだけだ。
だがそれも、海での時は遊びと変わらないものになるので、このひと月の間は、本当にそれで何か指導した事はない。
伸び伸びと遊び、伸び伸びと鍛えられ……その結果、勝手に上達しただけだった。
普通は遊びたい事を理由にして、勝手に伸びたりしないから、これも一種の才能なのだろう。
――うちの子、天才かもしれん!
そして今、今日は海に出掛けられないと知って、リルは波乗り板の手入れをしていた。
自分の道具は自分で管理するもの。
そう教えてから、愛着も湧いて大事にする様になった。
表面に防腐と防水、そして滑り止めを兼ねたニスを塗っているのだが、これは当然少しずつ水に溶けてしまう。
海に行く前、そして帰って来たら手入れせねばならず、相当面倒な筈が……。
リルの日課に加わるだけで、苦ともしなった。
今も裏庭の木陰に顔を出すと、ナナとアロガを横に置いて、熱心に波乗り板を磨いている。
「今日も精が出るな、リル」
「うん、だいじだから!」
にっかりと笑い、自分の身長よりも大きな板を、大事そうに撫でる。
私もそれに頷いて、リルの頭を優しく撫でると、一歩引いて全体を見た。
「改めて見ると……、すっかり日に焼けたなぁ」
海に行くのは本当に頻繁で、二日以上、間を開けた事がない。
そんな訳だから、リルの肌はすっかり小麦色に焼けてしまっていた。
元々、褐色肌だったナナと並んでも、その肌色の濃さに違いが殆どない。
そうして二人でいると、本当に姉妹の様に見えてくる。
「リルもね、びっくりした! ミーナちゃんとかもね、びっくりしてた!」
そう言ってリルは笑う。
それはそうだろう。
農民は朝から番まで畑だから、日に焼けるんだ、という説明はしたものの、街暮らしでは中々、そうした変化は見られない。
まさか海に行っているなどと、正直には言えないので、そうした返答になっている。
「いっしょに、うみであそびたいなぁ……」
「それは出来ないって、前にも話したろう?」
「んぅ……」
私は一応、行商と言う事になっているし、商人が転移などという高度な魔術を使える説明は、どうあっても無理があった。
一緒に遊ばせてやりたい親心はあるものの……。
リスクを天秤に掛けた時、どうあっても許可する訳にはいかなかった。
「馬車なんかで行ける距離に、海なんて無いしなぁ……」
仮に行けたとしても、到着と同時に帰らなければならなくなる。
それに基本として、海を行楽に使う、という発想がない。
当たり前に魔魚が潜むものだし、整備された砂浜というのは漁業に使われるものだ。
整備されていない砂浜というのは、それだけ危険が孕んでいるという意味でもあり、そこに連れ出すなど、親としては到底看過できない事態だろう。
どうあっても、現状一緒に海で遊ぶのは難しかった。
「お母さんは、これからもりにいくの?」
「そうだよ、虫の駆除だ」
「んぅ……。さいしゅのほうだったら、リルもいけたのに……」
「夕方までには帰って来るから、それまで我慢しておくれ」
この時間は、今までならリルはマナの鍛練に充てられていた。
それも今や、しっかりと反復練習が終われば、後は自由時間となっていた。
煩く指導する必要もないので、私としても助かる。
リルの頭をひと撫ですると、傍から離れて転移陣へと足を向けた。
虫――侵入者の駆除と言っても、最早毎度の事で、特筆すべき事もない。
攻略情報を持ち帰れないという事実が、魔女の潜伏を印象付ける事になっている。
だが、だからこそ常に、一定以上から先に進めていなかった。
一度返り討ちにされた者は、二度と森に入ろうとしない。
だからいつかは、侵入者という矢も尽きるだろう。
――我慢比べの勝負という訳だ。
昔の私なら、すぐにでも居を移していただろうが……。
今はリルの成長が、何より大事だ。
そしてリルの成長に、この森と環境はこの上なく望ましいものだった。
――だが、奴らの矢が尽きなかった場合……。
その時を、考えない訳にはいかなかった。
封じた記憶を穿り出すのは不可能だろう。
無理にやれば廃人になる。
だが、記憶の封に対抗する為、恐怖心に手を加える事は出来る。
あるいは、恐怖に対して鈍感化……無頓着にするのは不可能ではない。
そうすると、殺さず返り討ちにする事は、折れていない矢を再利用させる事にもなるだろう。
反り、曲がり、真っ直ぐ飛ばなくとも――。
折れてさえいなければ、とりあえず矢は飛ぶ。
そこまで奴らが考えていたら、流石に今までのまま、という訳にはいかなくなる。
「対策が必要だ……。今のままでは、こちらが参ってしまう可能性がある……」
眉間をぐりぐりと指先で解しながら、畑の横を突っ切った。
「……そうだな。迎撃の手が足りない場合に備えて、ゴーレムを作っておくとか……」
「お、なになに? 何の話? 何か物騒な単語、聞こえたぞ」
畑から飛んで来た妖精が一人、腕組しながら後を付いてきた。
小癪そうな顔付きで、ソファーに座る様な格好で浮いている。
「あぁ、少しな……。森が騒がしいのは、知っているだろう?」
「まぁね。つっても、今更って感じだろ?」
「そうだな。そのうち勢いが減るかと思ってたが、どうやらそうでもない。それどころか、増して来るかもしれないから、その対策を考えてた」
「増して来る……も何も、実際に結構、増えてるじゃないか」
その指摘は正しいが、正確でもない。
私が警戒しているのは、常に“西側”の冒険者達だ。
「入口付近で、慎ましやかに採取する奴らは確かに増えた。……というより、わざと増やしたくらいだ。こいつらは脅威じゃないんだ。問題は、奥地へ踏み入ろうとする奴らだ」
「その奴らだって、全体の五分の一より先に進んだこと、あったっけ?」
「ない。……というより、私が狩っているから、そのぐらいまでしか進ませていない」
「……でも、そろそろ限界に感じてるのか? 相手もホンキ出すって?」
「限界とは違うな。向こうも手を変え品を変え、奥地へ進もうとするだろう。だからその内、少しずつ前進を許す事になるかもしれない」
そもそも、現状全く本腰を入れていない状態だ。
それは私も、そして“西側”に対しても同じ事が言える。
魔女の位置を確定していないから、小手先の手段を講じているだけであって、いつ本腰を入れるのかは、私にだって分からない。
「まぁ、ここを護れるのは魔女だけだものなぁ。オレ達はてんで、役に立たないしさ」
「大丈夫、それは最初から勘定に入れてない」
「じゃあ、今の内から精霊に力、借りておけば? ゴーレムと相性良いのがいるだろう?」
「そうだな……。そうしようか、と思っていた所さ」
中位精霊に頼むとなれば、大抵は契約が必要になる。
だが、低位精霊ならば、そこまでしっかりした契約がなくとも、協力を取り付ける事は可能だった。
無論それは、普段から互いを尊重する間柄あってのものだが、数を揃えるだけならば、その力だけでも十分と言える。
「すぐにどうこう、ではないから……。まぁ、少しずつだな」
「伝令ぐらいなら、いつでも手伝ってやるぜ。そん時は言ってくれよな」
「あぁ、頼みにするよ」
そう言うと、妖精は嬉しそうに笑って去って行く。
私も気持ちを切り替えて、転移陣の上に乗った。
その日もまた、蛮勇で魔女退治に来た西側の冒険者だった。
しかし結局、脅威にはならず、いつもの様に処理して森の外へと放り出す。
決まり切った勝敗、決まり切った結果だ。
相手の強さも、装備の出来も、これまでとそう変わりない。
だが、真綿で首を絞める様な、閉塞感に似た物が感じられた。
元を絶てば話は早い……そうも思うが、それが出来ない事情もある。
「まったく、面倒な……」
私は溜め息一つ零すと、姿を消して転移陣から帰宅した。