混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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夏の終わりと不穏な気配 その5

 子どもの体力は、時に無限だと感じることがある。

 特に遊びの時はそれが顕著で、振り回されることもしばしばだ。

 

 だがそれは、本当に底なしな訳ではなく、単に体力の配分が出来ず、後先考えず使い切ってしまうからに過ぎない。

 

 夕食の場で、食べている途中で寝るリルを見るのは、別に珍しいことではなかった。

 

 特にここ最近は、海水浴と波乗りを覚えたことで、更に頻度が増えた。

 

 ナナとの同調や、マナの吸収や制御も飛躍的に上昇したので、単なる遊びと下に見る訳ではないが、付き合わされる私にとってはとても疲れることだ。

 

 リルが喜ぶ姿や、楽しむ姿を見るのは、母としても喜ばしい。

 しかし、この夏はひたすら海の毎日だった。

 

 そして、海がなくとも畑の面倒や冬への準備があり、更に念の為にと用意したゴーレム作りもあって、息をつく暇もない。

 

 私はすっかり疲弊してしまって、朝、寝床から起きるのが辛くなった。

 いつもはリルより早く起きて、朝の準備を進めるのが常なのに……、今日は違った。

 

「お母さ〜んっ! あさだよっ!」

 

「……まだ……、待って……。お母さん、ねむい……」

 

 顔のすぐ隣で、リルが呼び掛けているのが聞こえる。

 しかし、目を開けるのさえ億劫で、顔を逸らして逃げた。

 

「お母さん、もうじゅんび、ぜんぶおわってるよ!」

 

「うん……」

 

「もう、たべれるよ!」

 

「うん……」

 

「おきよっ! シルケも、アロガも、みんなまってるよ!」

 

「……うん」

 

 返事をするというより、唸る様な声しか出せない。

 そして、またうとうとして来た所で、身体に大きな衝撃が加わった。

 

「お母さ〜ん、あ〜さ〜っ!」

 

 身体の上に、リルが乗ったのだと、その掛かる重さで分かった。

 それでも私は目を開けられない。

 

 身体が睡眠を欲していて、気怠げな声を出すのが精一杯だった。

 その間にも、リルは私の身体を揺すって来て、その度に身体がガクガクと揺れる。

 

「リル……、おねがいだから……やめて……。ねかせておくれ……」

 

「んん……ぃやっ! お母さんがいっしょじゃないと、たべれない!」

 

 嬉しい言葉だと思う反面、今だけは黙っていて欲しいと思う。

 

 私は目を閉じたまま、勘で手を伸ばしてリルの身体を掴むと、そのまま胸の間へ包む様に抱き締めた。

 

 リルの体温は暖かく、まだ朝の低い気温の中では心地よい。

 そのまま背中をとんとん、と叩くと、リルも暴れるのを止めた。

 

 私の眠気が移ったのか、もぞもぞと動いた後、その動きを止める。

 規則正しい呼吸も聞こえて来て、私の意識も遠くなろうとしたその時――。

 

 突然、けたたましい金属音が鳴って、リルと一緒に飛び起きた。

 

「うひゃいっ!?」

 

「な、何……何だ?」

 

 顔を上げると、そこにはフライパンとお玉を持ったシルケが立っていた。

 表情は笑顔のままだが、その二つを叩いて怒りを表現したのは明らかだ。

 

 リルも完全に目を覚ましてしまったし、シルケを無視して眠れる感じではない。

 私は素直に観念して、重たい身体を引き摺る様にして立ち上がった。

 

「わかった……、わるかった……。わかったから……。シルケ、リルには先に食べさせてやってくれ……。私は顔を洗ってから行く……」

 

 言葉を一つ声に出すのさえ重労働だったが、その甲斐あってか、次第に意識が明瞭になっていく。

 リルも私の上から立ち上がると、ぴょんと蹴って飛び降りた。

 

「おぐっ……! リ、リル……、起き上がる時は、お母さんを踏み台にするんじゃない……」

 

「はぁ~い!」

 

 返事だけは良く、リルはそのまま階下へ下りて行った。

 シルケもまた、一度だけこちらを窺う素振りを見せて、リルの後を追う。

 

 それを横目で見ながら、ゾンビの様な声を上げつつ顔を擦る。

 

「うぁぁああ……。んんん〜……っ! 起きるか……」

 

 身体は重く、頭はそれ以上に重かった。

 未だ鈍痛を残す腹を擦りながら、ベッドから降りる。

 

 そうして、また――。

 遅くなったものの、いつもと変わらぬ朝が始まろうとしていた。

 

 

  ※※※

 

 

 朝食が終わったお茶の席で、リルはご機嫌に足を揺らしていた。

 本日は学校もなく、そして各種鍛練もない、完全な自由休息日だ。

 

 そしてそういう日は、リルが何を提案して来るかなど、殆ど決まった様なものだった。

 

「ねぇ、お母さん、うみいこう、うみ!」

 

「お母さん、疲れているから休みたいな……。それにね、そろそろ海は行けなくなるよ」

 

「えぇ〜……! なんでぇ?」

 

「海は季節物の遊びだからさ。水温が下がって来ると、流石に遊ぶどころじゃないから。晴れた日でも当たる風が強くなっているし、体温があっという間に奪われてしまうよ」

 

「んんん〜……っ!」

 

 リルは頬を膨らませて、大変不満そうだ。

 しかし、遊びに行って体調を崩すのも面白くない。

 

 ここ最近の疲れは、間違いなく海が原因の疲れだし、それを助長させているのが、服の存在だった。

 

 まとまった時間が取れなかったので、結局今年は最後まで水着なしだ。

 

 誰が見ている訳でもないから、いっそ裸でも問題ないのだが、モラルの問題で却下とした。

 

 リルが海だけでなく、どこかで泳ぐ機会があった時、服を脱ぐようになって貰っては困る。

 

 だからせめて、泳ぐの邪魔にならない袖無しの服であったり、足の付け根までの、短い丈のズボンだったりを代用に使ったのだ。

 

 しかし、水を吸収したそれらは、やはり重い。

 

 一時間、二時間程度ならば苦にならない事も、それが半日で……しかも何日にも渡って繰り返されてしまえば、流石に私も疲労が蓄積する。

 

 リルは私より体力こそないが、溢れんばかりの元気と若さがあった。

 一晩寝れば全快復になるのはリルだけで、私にはとても無理だ。

 

「……それにね、最近は家のことばかりで、外の仕事はしていなかったし……。合間に作っていた水薬を、そろそろ卸して現金に換えないといけない」

 

「――まち!? まち、いくの!?」

 

 街と聞けば、もうすっかり自分も行くものだと思い込んでいる。

 

 確かに今日の様な休息日だと、敢えて連れて行かないことはないものの、そろそろ我慢も覚えさせるべきか、と思い直す。

 

 まぁ、それは今後の課題か……。

 私はリルの言葉に頷いて、外出の準備を促す。

 

「うん、いつもの様に、まずベントリーの所に行って、それからの事は……行ってから決めようか」

 

「あのね、リルね! ミーナちゃんとあそびたい!」

 

「それは良いけど、相手の都合も考えなくてはね。確か実家は……宿屋だったか、いや道具屋だったか。まぁ、どっちにしても、おうちの手伝いがあるだろう。遊べない様なら、ちゃんと諦めるんだよ」

 

「うんっ!」

 

 そう返事をしつつも、今から何して遊ぶか考える様な表情だった。

 ともかくも、リルには着替えさせて、私も準備しないといけない。

 

 話が上手く纏まりそうだったが、やはり不満を表明しているのはアロガだ。

 街に行く時は、絶対について行けないから、リルとは常にケンカする。

 

 今も行くなと行動で示していて、二階への通路を塞いでいた。

 リルはそんなアロガを容赦なく叩く。

 

「アロガ、いじわるしないで! これから、まちにいくんだから! めっ! めっよ、アロガ! めっ!」

 

 めっと言う度、アロガを叩くが、そんな事では動かない。

 

 ここ最近、一緒に海へは出掛けられていたので、今更置いていかれるのが面白くないと思っているのだろう。

 

 しかし、どうあっても魔獣は外へ連れて行けない。

 

 これがもっと人馴れしている魔犬の類いであったり、無害なものならば、大した騒ぎにはならないのだが……。

 

 しかし、アロガは冒険者を恐れさせる代名詞、剣虎狼(ウルガー)なのだ。

 全く別の地方ならばともかく、この地方では到底受け入れられない。

 

 街に近付こうものなら、それだけでパニックになる。

 だが、常に留守番なのが可哀想、というのも確かだった。

 

「もうっ、どいて! アロガ、おこるよ!」

 

 そう怒鳴っても、梃子でも動かない姿勢に、遂にリルの方が折れた。

 

「お母さんっ! お母さんからも、なんかいって!」

 

「そうだな……」

 

 私が視線を向けると、流石にアロガも気不味そうにする。

 逆らうべきでない相手、と理解しつつ、それでも今回は譲らなかった。

 

「何か嫌な予感でもするのか……? 単に自分が行けないから、とかじゃなく……。ただ、リルを行かせたくない、と……?」

 

「グルゥ……」

 

 そうだ、とアロガは頷いて見せる。

 

 それは何の根拠もない野生の勘に過ぎないが、それを無視できるほど、私はアロガを軽んじてもいなかった。

 

「危険なのは、外に出ることか?」

 

「ガォオウ!」

 

「アロガ、そうなの? もりのほうが、きけんなの?」

 

 まだ私の罠に、感知されているものはない。

 侵入者は今の所いない筈だ。

 

 ――だが、ふと思う。

 街の冒険者は、このところ引っ切り無しにやって来ていた。

 

 罠を避けて歩く(すべ)などないから、来た時はすぐに分かる。

 だというのに、この数日、その感知が全く動いてない事に、今さら気付いた。

 

「まさか……」

 

 いつもの朝、いつもの日常が、変わらず続くと信じていた――。

 

 しかし、最悪の想像が当たっていたら……。

 それが今、崩れようとしているかもしれなかった。

 

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