子どもの体力は、時に無限だと感じることがある。
特に遊びの時はそれが顕著で、振り回されることもしばしばだ。
だがそれは、本当に底なしな訳ではなく、単に体力の配分が出来ず、後先考えず使い切ってしまうからに過ぎない。
夕食の場で、食べている途中で寝るリルを見るのは、別に珍しいことではなかった。
特にここ最近は、海水浴と波乗りを覚えたことで、更に頻度が増えた。
ナナとの同調や、マナの吸収や制御も飛躍的に上昇したので、単なる遊びと下に見る訳ではないが、付き合わされる私にとってはとても疲れることだ。
リルが喜ぶ姿や、楽しむ姿を見るのは、母としても喜ばしい。
しかし、この夏はひたすら海の毎日だった。
そして、海がなくとも畑の面倒や冬への準備があり、更に念の為にと用意したゴーレム作りもあって、息をつく暇もない。
私はすっかり疲弊してしまって、朝、寝床から起きるのが辛くなった。
いつもはリルより早く起きて、朝の準備を進めるのが常なのに……、今日は違った。
「お母さ〜んっ! あさだよっ!」
「……まだ……、待って……。お母さん、ねむい……」
顔のすぐ隣で、リルが呼び掛けているのが聞こえる。
しかし、目を開けるのさえ億劫で、顔を逸らして逃げた。
「お母さん、もうじゅんび、ぜんぶおわってるよ!」
「うん……」
「もう、たべれるよ!」
「うん……」
「おきよっ! シルケも、アロガも、みんなまってるよ!」
「……うん」
返事をするというより、唸る様な声しか出せない。
そして、またうとうとして来た所で、身体に大きな衝撃が加わった。
「お母さ〜ん、あ〜さ〜っ!」
身体の上に、リルが乗ったのだと、その掛かる重さで分かった。
それでも私は目を開けられない。
身体が睡眠を欲していて、気怠げな声を出すのが精一杯だった。
その間にも、リルは私の身体を揺すって来て、その度に身体がガクガクと揺れる。
「リル……、おねがいだから……やめて……。ねかせておくれ……」
「んん……ぃやっ! お母さんがいっしょじゃないと、たべれない!」
嬉しい言葉だと思う反面、今だけは黙っていて欲しいと思う。
私は目を閉じたまま、勘で手を伸ばしてリルの身体を掴むと、そのまま胸の間へ包む様に抱き締めた。
リルの体温は暖かく、まだ朝の低い気温の中では心地よい。
そのまま背中をとんとん、と叩くと、リルも暴れるのを止めた。
私の眠気が移ったのか、もぞもぞと動いた後、その動きを止める。
規則正しい呼吸も聞こえて来て、私の意識も遠くなろうとしたその時――。
突然、けたたましい金属音が鳴って、リルと一緒に飛び起きた。
「うひゃいっ!?」
「な、何……何だ?」
顔を上げると、そこにはフライパンとお玉を持ったシルケが立っていた。
表情は笑顔のままだが、その二つを叩いて怒りを表現したのは明らかだ。
リルも完全に目を覚ましてしまったし、シルケを無視して眠れる感じではない。
私は素直に観念して、重たい身体を引き摺る様にして立ち上がった。
「わかった……、わるかった……。わかったから……。シルケ、リルには先に食べさせてやってくれ……。私は顔を洗ってから行く……」
言葉を一つ声に出すのさえ重労働だったが、その甲斐あってか、次第に意識が明瞭になっていく。
リルも私の上から立ち上がると、ぴょんと蹴って飛び降りた。
「おぐっ……! リ、リル……、起き上がる時は、お母さんを踏み台にするんじゃない……」
「はぁ~い!」
返事だけは良く、リルはそのまま階下へ下りて行った。
シルケもまた、一度だけこちらを窺う素振りを見せて、リルの後を追う。
それを横目で見ながら、ゾンビの様な声を上げつつ顔を擦る。
「うぁぁああ……。んんん〜……っ! 起きるか……」
身体は重く、頭はそれ以上に重かった。
未だ鈍痛を残す腹を擦りながら、ベッドから降りる。
そうして、また――。
遅くなったものの、いつもと変わらぬ朝が始まろうとしていた。
※※※
朝食が終わったお茶の席で、リルはご機嫌に足を揺らしていた。
本日は学校もなく、そして各種鍛練もない、完全な自由休息日だ。
そしてそういう日は、リルが何を提案して来るかなど、殆ど決まった様なものだった。
「ねぇ、お母さん、うみいこう、うみ!」
「お母さん、疲れているから休みたいな……。それにね、そろそろ海は行けなくなるよ」
「えぇ〜……! なんでぇ?」
「海は季節物の遊びだからさ。水温が下がって来ると、流石に遊ぶどころじゃないから。晴れた日でも当たる風が強くなっているし、体温があっという間に奪われてしまうよ」
「んんん〜……っ!」
リルは頬を膨らませて、大変不満そうだ。
しかし、遊びに行って体調を崩すのも面白くない。
ここ最近の疲れは、間違いなく海が原因の疲れだし、それを助長させているのが、服の存在だった。
まとまった時間が取れなかったので、結局今年は最後まで水着なしだ。
誰が見ている訳でもないから、いっそ裸でも問題ないのだが、モラルの問題で却下とした。
リルが海だけでなく、どこかで泳ぐ機会があった時、服を脱ぐようになって貰っては困る。
だからせめて、泳ぐの邪魔にならない袖無しの服であったり、足の付け根までの、短い丈のズボンだったりを代用に使ったのだ。
しかし、水を吸収したそれらは、やはり重い。
一時間、二時間程度ならば苦にならない事も、それが半日で……しかも何日にも渡って繰り返されてしまえば、流石に私も疲労が蓄積する。
リルは私より体力こそないが、溢れんばかりの元気と若さがあった。
一晩寝れば全快復になるのはリルだけで、私にはとても無理だ。
「……それにね、最近は家のことばかりで、外の仕事はしていなかったし……。合間に作っていた水薬を、そろそろ卸して現金に換えないといけない」
「――まち!? まち、いくの!?」
街と聞けば、もうすっかり自分も行くものだと思い込んでいる。
確かに今日の様な休息日だと、敢えて連れて行かないことはないものの、そろそろ我慢も覚えさせるべきか、と思い直す。
まぁ、それは今後の課題か……。
私はリルの言葉に頷いて、外出の準備を促す。
「うん、いつもの様に、まずベントリーの所に行って、それからの事は……行ってから決めようか」
「あのね、リルね! ミーナちゃんとあそびたい!」
「それは良いけど、相手の都合も考えなくてはね。確か実家は……宿屋だったか、いや道具屋だったか。まぁ、どっちにしても、おうちの手伝いがあるだろう。遊べない様なら、ちゃんと諦めるんだよ」
「うんっ!」
そう返事をしつつも、今から何して遊ぶか考える様な表情だった。
ともかくも、リルには着替えさせて、私も準備しないといけない。
話が上手く纏まりそうだったが、やはり不満を表明しているのはアロガだ。
街に行く時は、絶対について行けないから、リルとは常にケンカする。
今も行くなと行動で示していて、二階への通路を塞いでいた。
リルはそんなアロガを容赦なく叩く。
「アロガ、いじわるしないで! これから、まちにいくんだから! めっ! めっよ、アロガ! めっ!」
めっと言う度、アロガを叩くが、そんな事では動かない。
ここ最近、一緒に海へは出掛けられていたので、今更置いていかれるのが面白くないと思っているのだろう。
しかし、どうあっても魔獣は外へ連れて行けない。
これがもっと人馴れしている魔犬の類いであったり、無害なものならば、大した騒ぎにはならないのだが……。
しかし、アロガは冒険者を恐れさせる代名詞、
全く別の地方ならばともかく、この地方では到底受け入れられない。
街に近付こうものなら、それだけでパニックになる。
だが、常に留守番なのが可哀想、というのも確かだった。
「もうっ、どいて! アロガ、おこるよ!」
そう怒鳴っても、梃子でも動かない姿勢に、遂にリルの方が折れた。
「お母さんっ! お母さんからも、なんかいって!」
「そうだな……」
私が視線を向けると、流石にアロガも気不味そうにする。
逆らうべきでない相手、と理解しつつ、それでも今回は譲らなかった。
「何か嫌な予感でもするのか……? 単に自分が行けないから、とかじゃなく……。ただ、リルを行かせたくない、と……?」
「グルゥ……」
そうだ、とアロガは頷いて見せる。
それは何の根拠もない野生の勘に過ぎないが、それを無視できるほど、私はアロガを軽んじてもいなかった。
「危険なのは、外に出ることか?」
「ガォオウ!」
「アロガ、そうなの? もりのほうが、きけんなの?」
まだ私の罠に、感知されているものはない。
侵入者は今の所いない筈だ。
――だが、ふと思う。
街の冒険者は、このところ引っ切り無しにやって来ていた。
罠を避けて歩く
だというのに、この数日、その感知が全く動いてない事に、今さら気付いた。
「まさか……」
いつもの朝、いつもの日常が、変わらず続くと信じていた――。
しかし、最悪の想像が当たっていたら……。
それが今、崩れようとしているかもしれなかった。