私がリルを腕に抱いて到着した先は、焼却炉だった。
生活しているとゴミなど幾らでも出るもので、しかし、適したゴミ捨て場など、この森には存在しない。
生ゴミの類いは家畜の餌にするものの、そちらに回せないゴミは、こうして焼いて灰にする。
灰もまた何かと使える材料なので、一切無駄にしたりしないのだが、さりとてゴミを出す度に燃やすわけでもない。
一日でも放置すれば、すぐに虫が湧いてしまうし、この時の虫が作物被害の呼び水となる事もある。
「だから、こうした除虫剤が必要になるわけだ」
「それをまくと、むし、こないの?」
「あぁ、ゴミに
私がそう言って頷き小瓶の蓋を開けると、使用するより前にリルが声を上げた。
「あ、リルがまきたい!」
「いいとも。……でも、少しで良いからな」
「うん!」
返事だけは良いものの、力加減を知らないリルは、盛大に零すだろう。
そうして瓶の蓋を外して、大きく傾ける。
ある意味予想通りだが、中身を盛大にぶち撒けてしまい、リルは頭の耳をぺたん、と伏せた。
「うぅ……っ」
リルが涙目になって、こちらを見つめて来る。
私は指を動かし、魔力を操って上手く顆粒を拾い集めると、零れた中身を元に戻してやった。
「ほら、もう一度だ。今度はゆっくりやってごらん」
「うん!」
いま泣いた烏が何とやらで、リルはすぐに機嫌を直し、今度は慎重に瓶を傾ける。
今度は中々に上手くいって、多少多すぎるきらいはあるものの、まずまず満足の出来となった。
リルも大変そうに額の汗を腕で拭う仕草をして、両手で瓶を持った手を差し出して来た。
「できた! きちんとできた!」
「そうだな、よく出来ました」
私が中腰になって、リルの頭を優しく撫でた。
そうして瓶を預かると、宙に浮かして軽く放る。
放った瓶は途中で急に軌道を変えて、錬金小屋へと飛んで行った。
後は適当に、空いているテーブルの上に置かれるだろう。
「さて……!」
一仕事終わった所で、私は両手を腰に当てて口を引き絞った。
怒ってますよ、のポーズだ。
それを見たリルは、目をまん丸に見開いて、身体を翻すと一目散に逃げ出した。
「きゃあ〜っ!」
子供の足とはいえ、獣人の足だ。
到底、五歳の足の速さではない。
アロガもまた、どうする、という目で見上げて来ている。
私はその顔にフッ、とニヒルな笑みを向け……。
それから、両手を頭上に持ち上げた。
「……待ぁぁてぇぇ〜!」
殊更、大きな声を出し、恐ろしげな雰囲気で追い掛ける。
リルは、きゃあきゃあ、と喜びながら逃げ、家の周辺を駆け回った。
森の中に作られた空間は、多くの木々を切り倒し、大層広く開墾されている。
広い庭が欲しかっただけでなく、生活する為には必要だったからだ。
リルは衣服を作る機織り小屋を回って逃げ、更に鍛冶場を通り過ぎて、尚も逃げる。
食料を保存したり干し肉を作る貯蔵庫、そして冷蔵と冷凍も出来る地下氷室。
獲った獲物を解体する狩猟小屋と、鶏の飼育小屋の間を通過して、更に農地へと走っていく。
今の設備だけでも十分とは言えず、更に言うなら二人の食事を満たすには、それなりの農地が必要だった。
そしてその為に、森の奥地には広大な農作地があるのだ。
今はもう収穫に適した黄金色の麦畑を、リルは隠れ蓑にして走った。
アロガは匂いを追跡するから、こうした目眩ましめいたものは関係ないが、私には十分有効だ。
しかし、視界を遮られようとも、気配の探知はお手の物で、やはりそれで撒かれたりしない。
リルは次に、野菜農園へと逃げ込んだ。
各種、緑黄色野菜が育っており、青々しくも瑞々しい苗が並んでいる。
ここは先程の麦畑より、隠れるのに適さない。
それはリルも分かっていて、だからさっさと横切り、ブドウ畑へと逃げ込んだ。
梁を作って、そこに房を吊るす形だから、先程よりはマシとはいえ、見通しを隠すほどではない。
すると今度は果樹園へと入り込み、りんごの木の後ろに隠れる。
いよいよ観念したか、と木の後ろに回り込んだのだが――。
「おや、いない?」
てっきり、背中をぴったりくっ付けたリルがいたと思ったのに、これには虚を突かれた。
しかし、ここにいないとなれば、候補は自然、限られてくる。
咄嗟に上を見上げると、そこには木登りして枝の上に乗っかったリルがいた。
私はやれやれと笑って、両手を広げる。
「ほら、降りてきなさい」
「はぁーい!」
リルは頭上三メートルはありそうな枝から飛び跳ね、胸の中に飛び込んできた。
息を切らして、それでも楽しそうに笑っている。
私はリルの額に張り付いた髪をどかし、木の根の間に座り込んだ。
「降りてきなさいとは言ったけど、飛び降りなさいとは言ってないぞ?」
「でも、そっちのがはやいもん!」
「速いとかの話をしてるんじゃないの」
そう言って、リルの頬に噛み付く振りをする。
もちもちとした肌を、唇で上下に挟み込むと、リルは喜んできゃらきゃらと笑った。
「ほら、食べちゃうぞ。もう危ないことは、しないって約束しなさい」
「やー!」
「じゃあ、食べちゃうぞの刑だ!」
またもハムハムと頬を唇で挟み込む。
すると、アロガも真似して、リルの頬を甘噛したり、舌先で舐めたりした。
「やー! もぅー、やー!」
嫌だと口で言いつつも、リルの笑顔は輝き、はち切れんばかりだ。
私はリルを一度持ち上げ、食べちゃうぞの刑から解き放つと、胡座をかいた膝の中へすっぽりとしまい込んだ。
「お母さん、のどかわいた……!」
「あぁ、沢山走ったものな」
背中越しに見つめて来るリルの髪を梳き、その汗を拭う。
リルの髪はベリーショートの髪型で、項がハッキリ見えるほどだ。
今は髪の長さを煩わしいと思うリルだから、こういう髪型にしているが、もう少ししたら、伸ばしてやっても良いかもしれない。
「お母さんっ」
リルが期待する目で見て来るので、はいはい、と笑って頭上に指を翳す。
すると、リンゴの実が手の中に落ちてきた。
落ちたリンゴをそのまま宙に放ると、今度は何もない所から木のコップを取り出す。
次に浮いたコップへ、雑巾を絞るようにして果汁を取り出し、コップの中に注いだ。
子供用のコップだから、それほど大きくない。
そこへ魔術で用意した水を注ぎ、程々の濃度にしてやれば、リンゴジュースの出来上がりだ。
コップの中で波々と溜まった果汁に、リルは顔を綻ばせる。
「さぁ、おあがりなさい」
「ありがとう、お母さん!」
嬉しそうにコップに口付け、ごくごくと一気に飲み干す。
ぷはぁ、と息を吐いて、リルはコップを差し出した。
「もう一杯?」
「うん!」
元気よく返事するリルに、私はもう一度リンゴを手にして果汁を絞った。
隣で大人しく座るアロガもまた、物欲しそうな目で見つめてくる。
しかし、絞り果汁を与える訳にはいかない。
私は外へ手を振ると、それを合図としたかのように、またもどこからともなくアロガ用の飲み皿がやってくる。
私はそこにリルの時にやった時と同様、波々と水を注いでやった。
これは魔術を用いて作り出した、マナが豊富に含まれる水だ。
アロガは嬉しそうに水皿へ鼻面を突っ込む。
魔獣だけあって、こうしたマナを含むものは非常に喜ぶ。
リルは二杯目を今度は味わって飲んでいたが、それでも視線はコップの中だ。
私はその様子に微笑みながらリルの髪を漉き、そうして子供特有の高い体温を感じながら、優しく流れる風に身を委ねた。
※※※
遊び疲れたリルは、私の膝をベッド代わりにして眠ってしまった。
静かな寝息を立てて眠るリルを、起こさないようにそっと魔術で持ち上げる。
寝ている体勢そのままで、空中にふわりと浮かせると、そのままアロガの元へと降ろした。
二人は基本的にいつも一緒で、こうして昼寝する時は特にぴったりと身を寄せ合って眠る。
アロガはリルと一緒に寝るのが好きで、だからこうしたお守りを嫌がらない。
頭をそっと撫でて離れると、アロガは早速腹の中に抱いた。
「じゃあ、頼むぞ。小一時間……夕方前には戻って来る」
「……ウォゥ」
アロガも心得たもので、大きく声を出して返事しない。
それに頷いて、私はその場を静かに離れた。
誰に急かされる訳でもないが、生きて行くには働かねばならない。
畑の管理をし、時に獲物を狩って肉と毛皮を得、そして外貨を得る為の薬品作りに勤しまなければならなかった。
しかし、何れにしても酷という程ではない。
女手一つで町の中に住まないと言っても、私には頼りになる友人が沢山いた。
今日の食事の献立に、適当に熟れた野菜を見繕う。
成熟した様に見える野菜でも、中には食すには、まだ少し早い物もあった。
それを見抜くには目利きが必要だが、私には必要ない。
「……どれが良いかな?」
口に出すと、勝手に苗から切り取られて、赤い野菜が飛んできた。
それに頷き、どこからともなく取り出した籠の中へと仕舞う。
次は向かうのは、根菜の畑だ。
うろに沿って繁る葉が並んでいて、どれも瑞々しく、病気や虫が集ってもいない。
今度は声に出すより早く、勝手に抜けて籠の中へと入っていった。
うんうん、と頷き、満足げに畑から出て、最後に腕を一振りする。
その軌跡に沿う様にしてマナが溢れ、後方から微かな喜びの声が聞こえた。
背後を振り返っても、一見して誰の姿も見えない。
しかし、見えないままに薄く笑って、籠を小脇に抱え直した。
次に向かうのは鶏の飼育小屋で、飼料と水の確認を済ます。
足りないようなら補充しようとしたが、幸い今すぐ必要ではない。
チェックを済ませて自宅へと戻ると、そこでは既に夕食の準備が始まっていた。
炊事場各所の掃除は既に終わり、台所の竈には薪が焚べられている。
包丁を始めとした調理器具は磨き上げられ、いつでも準備万端という構えだ。
しかし、そこに誰がいる訳でもない。
ただ、サラサラという、衣擦れの音が聞こえるだけだ。
だというのに、私が籠を小さく掲げて見せると、勝手に飛んで台所へと持っていく。
それに薄く笑ってから、台所に向けて声を掛けた。
「何か、手伝って欲しいことは?」
しかし、これに対する返答はなく、野菜の皮むきが始まった。
私は薄く笑うと、炊事場から退室する。
「じゃあ、ここは頼もうか。手早く終わってしまったし、リルを迎えに行ってこよう」
まだ寝ている筈だが、寝る前は一緒にいたのに、寝起きにいなければ機嫌を悪くする。
そうなると、アロガでさえ宥めるのは大変だ。
だが時間的余裕はたっぷりあり、だからゆっくりと、もと来た道を戻って行った。