罠の感知は万能ではない。
当然の事ながら、それが魔術である以上、無力化する方法が存在する。
我ながら上手く隠蔽している自信はあるが、それは絶対に看破されない事を意味しない。
そしてエルフならば、回避することは可能だろう。
今の今まで、森にやって来るのは冒険者の類いばかりだった。
“塔”の息が掛かった――あるいは、それと知らぬまま意向を受けた者達。
これまで、それらの全ては人族の冒険者であり、エルフは含まれていなかった。
ギルドの方にも、姿を見せていなかった様だ。
だから、まだまだ様子見の段階だろう、と私は思い込んでいた。
「そうだな……、あり得ない話ではない。元から冒険者は捨て石のつもりだった訳だ。疑念の種から芽を出させ、それと特定する為だけの……」
「お母さん……?」
「リル、アロガにお礼を言わないといけないよ。よく褒めてあげなさい」
「そうなの?」
不思議そうな顔をしつつも、リルは叩く手を止めて、代わりに顔をアロガの毛皮に埋めて、抱き着いてはわしゃわしゃと撫で回した。
「えらいよ〜、アロガ。ありがと、アロガ」
「ウォウ、ウォウフ……!」
まんざらでもないアロガは、嬉しそうな声を上げて、リルの頭を舐める。
そのまま自分の身体で包もうとした所で、リルは流石にそこからは逃げた。
「それで……お母さん? どうするの? まち、いく?」
「いいや、それは取り止めになった。まず、確認はしないとね。アロガの野生の勘は馬鹿にならない」
「んぇぇぇ……!?」
話の中身を理解していなかったリルは、顔をくしゃりと歪めた。
まるで顔中の皺を中心に集めたかのような変わりようで、褒めたばかりのアロガを、今度は非難しながら叩いた。
「もぅっ! アロガがヘンなことするから! まち、いけなくなったでしょ!」
「こらこら、アロガを責めるんじゃない。それどころか、とっても褒められることをしたかもしれないんだから」
実は森が最近、脅かされていたなど知らないリルだから、そういう反応も無理はない。
私も害虫の駆除、と曖昧な言い方しかしなかったし、平和な側面しか知らないリルからすれば、理不尽にも感じるだろう。
だが、そうした危険を教えるには、リルはまだ余りに幼かった。
森の中が危険であることは知らねばならないことだが、悪意をもって押し寄せる存在がいるなど、知っても萎縮するだけで良いことなどない。
「良くやった、アロガ。これからも、何か感じたら教えてくれ」
そう言ってアロガの頭を撫でると、分かった、と言う様に一声鳴く。
そうして、未だにむくれているリルの頭も撫でた。
「ほらほら、機嫌を直して……。今日の所は、お家の中から出ない様に。誰が来ようとも、決して開けてはいけないよ」
「お母さんでも?」
「そう、お母さんでも。それにお母さんなら、開けてとお願いせずに、勝手に開けられるからね。だから、外からお願いする人がいたら、それは誰か知らない人だ」
魔術の中には、姿や声を変えるものがあるし、相手の願望に合わせて姿を変えさせるものさえある。
自分が対象を知らずとも誤解させられるのだ。
しかし、当然ながら本人の癖や記憶までは模倣できないので、簡単な質問で見抜けるものでもある。
「合言葉を決めておけば、もっと安心だ。リルの方から、秘密の何かを問い掛けるんだ。好きな物を尋ねるのでもいい」
「ん〜……、じゃあねぇ……」
リルは人差し指を顎に当て、天井を見上げる。
好きな物、という単語に反応し、アロガが自分をアピールするように周りを動いたが、出て来た言葉は無情だった。
「じゃあね、りんご! リルのすきなもの、ってきくから、お母さんはりんごってこたえなきゃダメよ」
「えぇ……? リルの好きな物、お母さんじゃないの?」
アロガと一緒に、がくりと肩を落とす。
しかしリルは、きゃらきゃらと笑って否定した。
「お母さんは、お母さんだもん。ものじゃないから、ダメなの!」
「そういう理屈か……。良かったな、アロガ。物じゃないから、数に含まれないだけだったらしいぞ」
「ウォウ……ッ!」
しかし、それでもアロガは不満だったらしい。
ウロウロとリルの周りを歩き、威嚇する様に見つめている。
「もぉ〜っ、アロガうるさいっ。あっち、いって!」
どうやら、リルのご不満は未だに解消されていないらしい。
すっかり外出する気だったのに、横から奪った張本人だと決め付けているので、アロガの方が可哀想だった。
「アロガには優しくしてやりなさい。リルを守ろうとしただけなんだからね」
「んぅ……、でも……」
「とにかく、お母さんは行くから。リルは大人しくしてること。……いいね?」
「ごほんは? ほん、よんでちゃダメ?」
「そうだな……」
母屋は当然、魔術的防護によって守られていて、外部からの攻撃には盤石の構えだ。
他の錬金小屋であったり、織物小屋、鍛冶場に対しては、簡単な腐食防止などしか掛けていなかった。
その中にあって、唯一例外なのが蔵書小屋だった。
他では入手できない本であったり、学術的価値のある絶版本などがあるので、母屋と同等の防護を掛けてある。
「……うん、行ってもいいよ。でも一応、本を予め数冊持ち出して、それを母屋で読みなさい」
「あのなかに、ずっといちゃダメなの?」
「ダメというか、一度入ったら出て欲しくないからね。あそこじゃ飲み物もないし、トイレだってない。出られなくて困るのは、リルの方だろう?」
「うん、トイレもいけないの、ヤっ!」
首をぷるぷると振るリルに、私は頷いて笑う。
「だから、読みたい本を持って来て、こちらで過ごしなさい。……そうだね、夜になってもまだ余るくらいの量を」
「そんなにぃ……?」
「足りなくなるとか、やっぱりアッチ読みたいとか、そういう事のないように、という意味さ。遅くなるかどうかより、行ったり来たりして欲しくないんだよ」
「んぅ……」
いつだって、最悪の場合を想定は必要だ。
そして私が思う最悪とは、侵入者が一人でもこの住処へ辿り着くことだ。
リルが母屋か蔵書小屋、どちらかに居るのならば守り切れる。
しかし、頻繁に行き来する様であれば、その守りを自ら捨て去ることと同義だ。
それでは、どれだけ強固な壁を用意しても意味がない。
私はリルの背後――そこに居るかどうかはともかく――を見て、ナナに向けて声を発する。
「そういう訳だから、きちんと監督してやってくれ。必要十分な本を揃えて、そして間違っても外に出さない様に」
「……えぇ、任せて頂戴。リルの守りは、私が持つ最大の存在意義だもの」
するり、とリルの背後から浮き出たナナが、空中で横這いになりつつ肩に手を置く。
そのすぐ隣では、アロガがやる気を溢れさせていて、守るのは自分だと主張するように寄り添った。
「……うん、アロガもその勘でリルを守ってやってくれ」
「お母さん……」
今更になって、不穏な空気を感じ取ったリルが、私の服の裾を掴む。
泣きそうな顔で、ペタンと耳を畳んで、尻尾も垂れる。
「お母さん、いっしょにいて……」
「大丈夫。今の全部、念の為だからね。もしも、そういうのがあったら嫌だな、っていう……そういう話だ。確認して、何もなければすぐ帰って来るよ」
「ホント? すぐかえってくる?」
「あぁ、すぐにね」
もう一度頭を撫でて、ナナとアロガへ目配せする。
それで全て納得して、ナナは殊更、明るい声を出した。
「ほらほらっ! じゃあ、どんな本が良いか、見てみましょうよ。精霊魔法を理解するには、精霊をもっと理解しなくっちゃ。そういう本を探しましょうよ」
「うん……」
リルの背を押して、裏口から外へ出て行こうとする。
しかし、後ろ髪引かれる思いがあるのは、こちらを窺う視線からもすぐ分かる。
私は努めて笑顔を作り、アロガを引き連れて去る姿を、手を振りながら見送った。
「さて……」
私にも準備が必要だ。
もしも。エルフが入り込んでいたら、そこで戦闘もあり得る。
今まで通り、私服で乗り込むのは危険だった。
私は二階に上がって、狩りの時にも使用したレザー装備を身に付ける。
武器は持たない。
精々、刃渡りの短いナイフぐらいだ。
隠密に背後から攻撃する時、サイレント・キリングする場合に限って欲しいだけで、どうせ大人数を相手には出来ない。
本格的な攻撃は、全て魔術になるだろう。
だが、この森は私の庭、私の領域だ――。
全てが私を援護する武器になる。
正面からぶつかる時に、どれほど数が減っているか疑問だ。
私は各種ベルトの位置を調節しながら、一階に降りる。
そこではリル以外にも、不安そうな顔をして見つめてくる存在があった。
「シルケ、大丈夫だ。リルにはきちんと、昼食を用意してやってくれ」
返事がないまま、こくりと彼女は頷く。
その触れられない頬に手を添えて、撫でる様に手を離すと、私じゃそのまま外に出た。