私は家を出るなり畑に向かって歩き出し、そこら中で飛び回る妖精達に、声を張り上げて命じた。
「お前達! 警戒準備! 万が一に備えて、防御に回れ!」
「え……、どういうことさ? 何かあったの?」
一人の妖精が傍にやって来ると、それを見ていた他の妖精も集まり、あっという間に集団が出来上がった。
私を中心として円を囲むようにして集まり、誰もが不安そうな顔を覗かせている。
「どうやら、ここに近付く何者かがいる。私は今から、それを迎え撃つつもりだ」
「なんだ、いつものことじゃん」
「焦って損した」
「大体、防御って……なぁ〜?」
妖精達は暢気なものだ。
常に楽観的な彼らだからこそ、そうなる態度は当然だが、中には思慮深い者もいた。
「おいおい、魔女がわざわざこっちに注意を促して来たんだよ? いつもとは違う証拠じゃないか」
「じゃあ、いつも通りじゃない奴らが来てるの?」
「なんだろ、魔獣かな?」
「エルフかも」
誰かがそう言った途端、妖精達は騒然となった。
互いに抱き合う者や、悲鳴を上げて逃げ出す者もいる。
逃げ出そうにも逃げ出せず、その辺りを闇雲に飛び回る者もいて、混乱の坩堝に陥った。
その中にあって、冷静な妖精など一人もいない。
――そう思った矢先、たった一人、腕を組んだまま微動だにしない者が一人だけいた。
「落ち着け、落ち着けって! 勝手に変な想像して、パニックになるんじゃないよ!」
その妖精は他と比べて身体が小さかったが、その声量は全員に届くほど大きなものだった。
そして、それが耳に届いた全員が、ピタリと動きを止める。
「まずは話を聞いてみよう。どうせ、すぐにどうこうって話じゃない」
「その通りだ」
冷静な妖精から助け舟があって助かった。
当然の事だが、森に――この場所に危機が迫っているかどうか、今はまだ確定していない。
アロガの勘と、ここ最近罠の感知を受けていない所から、それまでと違う勢力がやって来たかもしれない、と予想しているに過ぎなかった。
「何かが森を浸透して来ている。アロガの勘で……あるいは、鼻の方かな。とにかく、そう気付かされた。何者がやって来ているかはまだ不明だが、ここまで私に感知させなかった奴らだ。今まで通りの奴らではないだろう」
「……冒険者じゃないんだね?」
「恐らく、としか言えないが……。当然、とんでもない凄腕冒険者の可能性はある」
――とはいえ実際は、エルフの線が濃厚だろう。
これを言うとまたパニックになるから言えないが、私の感知を素通り出来る者など、他には考えられない。
ここに迫って来る全員がエルフであるとは思わないが、複数人で来ているのなら、その数に含まれているのはまず間違いないと思っていた。
「普段は入口付近の罠で、侵入を感知できていた。それがないだけでも、大した実力者が同行していると思っているよ」
「でも、侵入者の感知って、入口だけじゃないだろう?」
勿論、と私は頷く。
自然に出来た森だから、道という道は存在しない。
あるとすれば獣道程度のものだが、それさえこの森では歩き易い部類に入る。
森に心得がある者は、歩き易い道の選別も上手だ。
だから、そういった道には全て、感知罠の魔法陣を隠してあった。
森の入口に敷いた陣は、そういう意味では分かり易い。
だから、これを看破できても、他を回避するのは相当難しい筈だった。
本気で回避しようとすると、一歩進むごとに罠がないか調べないといけない不毛さがある。
――だが、もしかすると……。
その不毛さでもって、奥深くまで浸透したかもしれなかった。
「罠の全てを回避していたとしたら、相当根気と体力のあるヤツだな。まさに命懸けの所業だ」
「それだけ本気って意味だね?」
「そうでない事を祈ってるが……。全てが憶測のまま、終われば良いとも思う」
しかし、かつて全ての感知をすり抜けて、リルのすぐ傍まで接近した者がいる。
その事実を忘れてはならない。
前回は敵意がなかったからなのか、アロガはむしろ侵入者に甘えた様子だった。
その後はしっかり叱ったし、何者が来ても報せろ、と言っていたが……。
今回は私の言いつけを守っての事だったのだろうか。
だがもう二度と、何人たりとも我が屋の領域に踏み込ませない、と心に決めていた。
「ともあれ、準備だけはしておいてくれ。妖精に戦闘能力がないのは分かっているから、精霊達に呼び掛けて、それで対応するように」
「分かった」
こっくりと頷き、一人が代表して応じると、他の妖精達は蜘蛛の子を散らす様に去って行く。
我が家の周辺に、精霊は何処でも潜んでいる。
低位精霊だから、自分の意志を表明するほど強固な人格を持たないが、妖精の呼び掛けがあれば、その意思疎通は難しくない。
だが問題は、低位精霊はそのままだと大変、弱いという部分にあった。
先だってゴーレムの作成を着手し始めたが、これに精霊を込める事で戦力化できる。
ただし、それは強固な鎧を纏っただけに過ぎず、精霊の力を増幅させるものではないから、戦力としては片手落ちだ。
数があれば頼りになるのだが、まだ作り始めたばかりで、三体しか用意できなかった。
敵の規模次第ではあるが――。
防衛戦力としては、心許ないと言わざるを得なかった。
他の低位精霊にしても、嫌がらせ程度の攻撃しか出来ないだろうが、今はそれで十分と考えるしかない。
――そもそも、ここを戦場にさせない前提だ。
全ては森の中で決着を付ける。
今までがそうだった。
そしてこれからも、そうであり続ける。
「では皆、頼むぞ」
「何事もないことを祈っておくよ」
そう言葉を投げ掛けられ、私は薄っすらと笑って頷く。
「そうだな、いつも通りだ。手早く処理して、帰って来るさ」
※※※
転移陣を抜けて降り立ったのは、我が家のある最奥領域から一日ほど進んだ所だった。
私でも徒歩で踏破しようとすると三日も掛かる巨大な森林だが、アロガが察知したとなれば、ほど近くまで迫ったと考える方が自然だろう。
そして、こちらから接近するなら、背後からの方が望ましい。
探知の魔術も今は使わない方が良い、となれば尚のことだった。
向こうには手練れの魔術士がいる。
エルフかどうかはともかく、それは間違いなかった。
ならば、迂闊にこちらから魔術を使用する訳にはいかない。
魔術の使用を隠蔽するにも限界があり、そして腕の立つ魔術士ほど、そうした隠蔽は見抜けるものだ。
「だがそうなると、見付けるのが簡単じゃないのは困りものだ……」
相手が何処に居るのか、そして何人で来ているのか、それら全て、何一つ分からない。
だが歩けば、必ず痕跡が残る筈だ。
それを見つけ出すしかない。
私は注意深く周囲を見渡しながら、森の奥へと進んで行く。
「あまり我が家の近くで戦いたくない。すぐに見つかれば良いが……」
森はそもそも人間の領域ではない。魔獣の棲み処だ。
歩き、その領域を侵せば、必ず戦闘になる。
それはどれほど息を殺しても、逃れられない問題だ。
体臭は匂い消しを使うなり、獣の血や脂を塗り付ければ回避できる。
しかし、食べ物の匂いまではどうしたって消せない。
三日の間、一切ものを口にしないなど有り得ないし、そして食い物の匂いを感じ取れば、必ず魔獣は察知する。
それは奥地に行く程、顕著になると言えた。
例外と言えば、古くから住み着く私ぐらいだ。
彼らは私の体臭を覚えているし、そして手を出してはいけない、自分達の天敵だと理解している。
「それにしても、ないな……」
草を踏まずに歩くのは、基本的には無理だ。
森には常に鬱蒼と茂っていて、土だけを踏める場所など殆どなかった。
そして、草を踏めば必ずそれが痕跡として残る。
一つや二つの見落としはともかく、ここまで見落とすのも不自然だった。
「何か道具を使っているのか……?」
それは有り得る気がした。
何か魔術が掛かった靴を履いているとか……。
――例えば、地面から僅かに浮く靴など。
それならば、罠の感知をすり抜けることも不可能ではない。
基本的に魔法陣とは、それに接触して初めて効果を発揮する。
僅か爪の先ほどしか浮かべない代物でも、陣に対しては有効だろう。
「……いや、むしろその方が良いのか」
強い浮力を生み出そうとすると、その分だけ消費が激しい。
魔術秘具はその全てが魔力を充填しなければ使えないから、消費を抑えた作りにするなら、浮力は少ない方が効率的な筈だ。
咄嗟に空中へ逃げ出すことが出来ない分、継続力だけは目を見張る物になるだろう。
そして、それこそが森を踏破するのに必要な道具、とこれまで得た情報から見抜いたとなれば……。
「相手は術士でないかもしれない……? いや、あくまで温存と考えるべきか。魔女が相手だと思えばこそ、少しでも余力は残したいだろう」
浮いているなら草も踏まず、追跡も難しい。
侵入者が何処に居るか、探し出すのは困難になった。
「厄介なこと、この上ないが……。必ず、その足取り、掴んで見せるぞ……!」
私は足を速めて森を走る。
最悪、相手に見つかるのも覚悟しなくてはならない。
のんびりと追い掛けて、我が家の領域に踏み込まれる方が問題だ。
私は前方の気配を探りながら、ひたすら草と木を掻き分けて走り続けた。