一角獣と戯れ その1
九月に入り、半ばの頃にもなると日差しは大分、和らいで来た。
照り付ける様な日差しは影を潜め、夏の終わりを報せてくれる。
本日は常と変わらず、朝の稽古から始まり、朝食を食べた後は勉強を。
そして、昼食の後はマナ訓練と、一通りのメニューをこなすと、後の時間は自由となる。
「お母さんっ! うみいこっ、うみ!」
「海は夏の間だけだよ。この時期になるとね、危険な生き物とか出て来るからね。また来年にしなさい」
「んぅ……」
非常に不服そうな顔だが、私が言った事は早々覆らないと知っている。
だから、膨らませた頬をすぐに収め、私の手を引いて森の方を指差した。
「じゃあね、おそといこっ! まち、まちいきたい!」
「今日はもう遅い時間だからね、また今度になさい。今から行ったら、到着と同時に帰る様なものだ」
実際は、一時間か二時間、居られる計算ではある。
しかし、何をするにも時間が足りず、物足りなくなるのは間違いないだろう。
「んぅ〜……! じゃあ、もういいっ! いこ、アロガ!」
「ウォウッ!」
ぷりぷりと怒りながら、リルはアロガを引き連れて行ってしまった。
最近のリルは外での遊びを覚えてから、森の外へ出たがる。
それはある意味で予想通りだし、刺激の多い外に焦がれるのは当然でもあるだろう。
しかし、まだ自分の身も守れないリルを、余り外に出したくなかった。
――何しろ。
先の襲撃が終わってから、まだ十日程しか経っていない。
そして、彼らは斥候の役割を担っていて、一人にはまんまと逃げられたのかもしれなかった。
……いや、恐らく逃げ出しているだろう。
広い森の中だから、妖精と精霊を駆使しても、その全てをカバーすることは難しい。
何らかの備えを持っていて、それで隠伏できていた、と考える方が妥当だった。
そして、まんまと逃げ切った……。
この森の情報……ともすれば、魔女が潜伏していると、知られたも同然だ。
では、逃げる方が良いのか――。
そうした考えが頭を
だが、賢い選択ではないと、一瞬後に棄却した。
森は……、最奥にある我が領域は、防衛の備えが揃っている。
本当にやって来る事になれば、魔女の領域に手を出せばどうなるか、手痛い教訓を得ることだろう。
それこそ、攻めるのは無謀、諦める他ない、と思わせるだけの用意がある。
そして、今回の件で、更にその防備を強めると決めた。
「また逃げたとしても、延々とイタチごっこが続くだけ……。攻める方が不利、と分かれば手を出さなくなるかもしれない」
一度や二度では諦めないだろう。
エルフの魔女を思う恐怖と怒りは、それほど強く刻まれている。
必ず排除しなければ安心出来ず、そして世界に覇を唱える最大の障壁だと認識しているから、これを排除するのは最大の悲願だ。
そう簡単には諦めない。それは分かっている。
しかし、エルフに弱点があるとすれば、その個体数の少なさだ。
エルフでなければ、魔女には対抗できない。
それ程までに、人間とエルフの実力差は大きいし、そのエルフであろうと魔女と一対一では勝てないのだ。
そして、それは真実だと――改めて認識したと、彼らは報告を受けるだろう。
魔女を倒すにはエルフが要る。
しかし、そのエルフの数が揃わないから、討伐には二の足を踏む筈だ。
「人間を使うことも、当然視野に入れるだろうが……」
しかし、森という舞台は大人数を用いるには向かない地形だ。
それに加えて、侵入者を防ぐ罠、魔獣の襲撃という危険が付き纏う。
「それを今回の調査で、よくよく理解したろうな……」
ただし、隠遁・隠伏専用の魔術秘具を用いれば、多くを回避できるとも知った筈だ。
しかし、それで可能だとしても、数を揃えるには金と時間が掛かる。
魔女発見の報がエルフに届いたからと言って、だから即座に攻め入ろう、とはならないと思う。
「長い年月、煮え湯を飲まされたことを思えば、すぐにでも飛び掛かりたいだろうがな……」
しかし、エルフは理性の何たるかを知っている奴らだ。
あの隊長がエルフ社会で、どこまでの実力者なのか不明だが、流石に凡百の一人という事はないだろう。
エルフの外見年齡で中年……。
長い時間、研鑽を積んだという意味合いでもある。
その彼が討ち取られたことで、二の足を踏んでくれたら良いのだが……。
しかし、きっとそうはならないだろう。
「リルに教えたい事は沢山ある。もっと、急がせないとな……」
一人でも生きていける様に……。
自分の望みを、自分の力で勝ち取れる様に……。
私は綺麗に傷の消えた脇腹を撫でる。
――寿命を対価に蝕む呪い。
そんなもの、私が知る如何なる魔術にも存在していなかった。
エルフの魔術に対する進歩と研鑽、その一つがその呪いなのだろうか。
私が作った結界の壁を、易々と貫いた事と言い――。
「“魔女殺し”か……」
服を捲ると、脇腹にホクロの様な小さな点があった。
傷が癒えた直後にはなかったものだ。
気付いたのは二日前、身体を洗っている時に発見していて、最初は汚れか何かと勘違いした程だ。
何度も擦って落とそうとしたが、肌の奥から滲み出してしまって取れない。
傷は浅い内に済ませるべきだろう、と一度はその部分を切除してみた。
杭が刺さり、貫いた部分……内蔵も勿論のこと、杭と接触した箇所は物理的に分断した。
その後に、水薬と治癒術を駆使して、身体を綺麗に治して元に戻した。
だというのに、最初は綺麗に見えた肌も、昨日には点と見間違える染みが出来ていた。
「単純じゃない事は分かった。その程度では無意味なことは……。しかし、だとすれば解呪する方法が、唯一癒やす手段か」
恐らく――、という希望でしかないが、そう考えるしかないだろう。
良くある治癒薬では、何の意味も、効果もなく……だから、自分で新たに開発する必要すらある。
「とはいえ、呪い……呪いか。これまでの魔術概念には無かったものだな……」
無論、人を呪うとか、恨みある相手への捨て台詞として、呪ってやる、という言葉自体はある。
しかしそれは、力ない者がそれでもぶつける恨みの類いであって、本当に何かを相手に、損害を与えるものではなかった。
ましてや、己の寿命を代価にするなど、魔術の原理として有り得ない。
魔術ではない別の体系、呪術と呼ぶべき、異なる技術の法に違いなかった。
「それを理解せずして、癒やすのは難しい、とは思うが……」
そして、知るには西側に赴く必要があるだろう。
だが、敵の本陣に踏み入る愚を、犯す訳にはいかなかった。
無策で殴り込みを掛ける様なものだ。
そして呪術が――本当にそういう名なのかは別として――、一般的に知られている技法とも思えなかった。
“魔女を殺す為だけの技法”――。
そう言う内容であれば、中央で秘匿されているべき技法だろう。
盗み読む事すら可能かどうか……。
全てを書に
長い寿命を持つエルフのみが使う技法として、口伝でのみ伝えられていたとしても、決して不思議ではないのだ。
エルフは自分達の技術を、自分達の為にのみ使う事の方が多い。
高い文化と文明、そしてそれに付随する建築技術。
それらを作るのは人間だが、それらの設計図など見せられない事の方が多いのだ。
彼ら人間は、何がどうなってそうなるか知らず、エルフの知恵によって恩恵を受けている。
それを『導かれている』と称している様だが……。
私にとっては、やはり都合良く使わられている様にしか見えなかった。
「いずれにせよ、現地に行って探るのは現実的じゃないな……。どうせ盗み読める様な内容で置かれていないだろうし、尋問も……危険過ぎる」
探るとすれば、魔術の最高峰“
魔女だけ検知する結界などを、その“塔”に備えていても全く不思議ではない。
私は大きく溜め息をつくと、捲っていた服を戻してポンと叩いた。
「手探りで行くしかないか……。私を殺す呪い……。二年か、三年か……それとも五年、だったか。それまでに癒やす手段を見つけなくては……」
私はとりあえず蔵書室へと向かう。
全ての本は読破済みだし、内容を覚えているつもりだが、何か参考になるものがあるかもしれない。
今まで気付かなかったことも、今だから別の視点からの発見もあるかもしれなかった。
「だが同時に、最悪の事態も想定しておかないと……」
悔やむ思いの、重い息が口から漏れた。
リルだけは……。
たとえ何があろうと、リルだけは生き長らえさせる。
訓練内容の変更も必要だろう、と考えながら、私は脇腹を擦って歩を進めた。