図鑑を見つけた、その翌日――。
いつもの日課が終わり、家庭の雑事も終わらせた後、私はリルを伴い畑の方へと向かっていた。
そうして今も農作業に勤しみ……時にサボって、グータラする妖精たちが目に入る距離まで来ると、私は手を挙げて彼らに呼び掛ける。
「あぁ、お前たち、精が出るな」
「出るな……って、ちょっとさぁ。そろそろ刈り入れ時なんだから、そっちこそちゃんとやってよ!」
「そうだ、そうだ! おーぼーだ!」
「カネ返せ、サギ野郎めー!」
一人の騒ぎが二倍にも三倍にもなる、それが妖精だ。
一つの声に呼応して、ある事ない事を騒ぎ立てる。
しかし、聞き捨てならないセリフがあって、私は眉を顰めながら、意味不明な非難の声を上げた妖精を見やる。
「横暴については目を瞑るとして……、カネとか、サギ野郎ってのは何のことだ?」
「いや、それは勢いとノリで言ってみただけで、特に意味なんかないよ」
「あぁ、そう……」
「人間界では、こう言って文句つけるんだろ?」
私は思わず額に手を当て、重たい溜め息をつく。
「一体どこから、そんな言葉を覚えてくるのかね……。森から出ないで、どうやって知るんだか……」
「そりゃあ勿論、風が噂を運んで来るのさ。いたずら好きな精霊が、あっちへこっちへコソコソっとな!」
分かるような、分からないような……。
時に速すぎる噂の伝播を、精霊のいたずらと称することはあるものの、精霊もそこまで暇ではない。
しかし、妙に自信ありげな表情を見せられると、まさか本当に、という疑惑が首をもたげる。
「なぁ、ナナ……。お前、実はそういう事してるのか?」
分からなければ、訊いてみればいい。
こちらには都合よく、その風精霊が常にリルの傍にいる。
そうして、呼び掛けられたナナは、リルの後ろから滲む様にして姿を現した。
空中で腹ばいの格好になり、顎を腕の上に置くという、やる気の無さである。
足を何度か上下にパタつかせ、それから隠しようもない呆れ顔のまま言葉を吐いた。
「あのね……。私がそんな暇なことすると思う?」
「それもそうだが、奴らの顔を見ると、まさかと思ったりするだろ。ナナじゃなくても、他の小精霊が、とか……」
「妖精が嘘つきなのは、貴女もよく知るところでしょう? 真面目に付き合うと馬鹿を見るわよ」
実際、今も馬鹿を見せられたようなものだ。
例の発言をした妖精へ顔を向けると、してやったりとした顔で、その場から飛び去るところだった。
「まぁ、確かに……。でも、嘘か真か分からなかった事を、確認できる良い機会だった訳で……」
「私はしないけど、真実は闇の中ね。絶対に精霊はしないかと言われたら……、ちょっと自信ないもの」
「やっぱり、そうなのか?」
「さぁね? やるとは思えないけど、やる奴がいても不思議じゃないって思うだけよ」
それでは結局、私の知見と変わらないじゃないか――。
そう言おうとして、結局口の中だけで留めた。
これ以上は水掛け論にしかならないし、真実がどうかは、実際どうでも良いことだ。
「お母さん……。もり、いついくの?」
「あぁ、そうだった」
最初からそのつもりで、先に畑に寄ったのだ。
既に九月も半ばになろうと言う頃合いなので、少しずつ収穫作業を始めなければならない。
私も本日からその作業に加わる所だったのだが、思わぬ用事が出来て、どうやら参加出来そうもない。
そこで先に進めてくれるよう、妖精たちに頼む所だった。
「申し訳ないが、少し私抜きで作業を始めていてくれ。早く帰って来られたら、その時は勿論、作業に加わるから」
『えぇぇ〜……っ!?』
返ってきたのは、妖精たちによる非難の大合唱だった。
只でさえ収穫は重労働なので、出来れば楽をしたい、というのが本音だろう。
「そう言わないでくれ。私にとっても大事なことなんだ。苦労だとは分かるが、分かってくれ」
去年まで私が主導でやっていたのは、そもそもとして、妖精たちが姿を見せられなかった事が理由にある。
力を出すには姿を現す必要があり、そして去年まではリルの体調を考えて、そうした働きが出来なかった。
しかし、今年は全くそうした懸念が全くない。
それを考えれば、彼らだけでも十分に任を果たせるのだ。
「じゃあ、お菓子な! お菓子をくれるなら、少し頑張ってやる」
「あ、いいじゃ~ん! なに作ってもらおっかなぁ〜?」
「うんとね、あたしはね、焼き菓子じゃないのが良いなぁ」
「そんじゃさ、いっそさ……!」
まだ良いと言っていないのに、既に了承を得たつもりで、話に花が咲いている。
しかし、ここで嫌だとでも言えば、彼らはへそを曲げるに決まっているので、受けない訳にはいかないのだが……。
そこへリルが、妖精たちに対抗して、私に抱き着きながら言う。
「リルも! リルもたべたい! あまいの! おいしいやつ!」
「すごい漠然としていて、お菓子なら何でも当て嵌まりそうな感じだなぁ……」
「じゃあね、あれ! なつによくたべたアイス! あれたべたい!」
まだ残暑が厳しいこの季節、日中は汗を掻く日も珍しくない。
薄っすらと雲が張り、直接的に日光を浴びることも少なくなったが、それでも暑い日は暑い。
今日も丁度、そういう日ではあった。
森で動いて汗を掻いた後は、きっと美味しいに違いない。
「分かった、用意するよ。お母さんも帰ったら食べたい」
「いいね、いいじゃ~ん! それならオレたちも、そのアイスにしようぜ!」
「味はどうする? トッピングは?」
「イチゴは外せないだろ〜!」
「ベリーも好きよ、あたしは!」
好きに盛り上がり、今にも氷室へ突撃しそうな勢いだ。
しかし、私もそこまで甘くない。
両手を腰に当てて顔を突き出し、妖精たち一人ひとりに目を向ける。
そうして決然とした態度と、声音で言い放った。
「作ってやるけど、ちゃんと収穫の手伝いを済ませたら、だからな。働かない者には食わせてやらないぞ」
「こりゃ、いけない。みんな、畑がオレたちを呼んでるぞ!」
『おぉ〜っ!』
言うや否や、妖精たちは追い散らされる勢いで去っていく。
私はそれを苦笑と共に見送と、それからリルの手を取って、そのすぐ後ろに従うアロガの背へと乗せた。
「さぁ、これから森だ。転移するから前より歩きはしないけど、それでも森は危険が多い。リルはアロガから決して降りないこと」
「わかった!」
「――大丈夫、私も見張ってるから」
ナナからの返答を聞いて、私も安心して頷く。
目的地の近くに転移陣を張っているので、向かおうと思えば本当にすぐだ。
しかし、都合よく見つけられるか、という問題はあった。
昨日――。
リルと一緒に『幻獣図鑑』を発見した時、今日の森行きは決定した様なものだった。
リルは置いていく事も考えたが、私がそれを伝えると、付いていくの一点張りで、説き伏せるのは無理だと悟った。
そういう返答は予想できた筈なので、言わないまま行けば良かった、とすら思う。
しかし、リルには少しでも早く、私の知識を吸収して貰わなければならない。
先日、そうやって教育方針の変更を余儀なくされたばかりだ。
本当ならば十六歳、あるいは更に足して二、三年……。
それぐらいを目処に、基礎的な部分の修練を終える予定だった。
焦って詰め込む必要もなく、そして厳しく教える意味もない。
リルには自分の身を守る程度に、力を身に着けさせるつもりだったし、誰より優れた剣士にするつもりもなかった。
血反吐を吐くような厳しい修練を課すつもりもなく、程々に強く、馬鹿にされない力だけあれば良いとすら思った。
本当にその程度で済むかどうかは、私のこれからに掛かっている。
この森に棲む幻獣、そこから採取できる材料に用があるのだ。
「ねっ、ねっ! お母さん、ゆにこーんってホントにいる?」
「あぁ、いるとも。お母さん、前にもそういうの、話しただろう?」
「ホントに、あのほんみたいな見た目なの?」
「ああ、そうとも」
例の『幻獣図鑑』は半分が虚偽と妄想で膨らまされた、トンデモ本の一種だった。
それでも私が手元に置いていたのは、ひとえにその挿絵が美しかったからだ。
メジャーどころについて嘘はなかったし、実際に自分の目で確認した、と思える記述もある。
しかし、いるかどうか不明な幻獣については、妄想で補う方向だから、私からすると虚偽の塊に見えた。
「実際に見てみれば、リルにも本当だったか分かるよ」
「ねぇ〜? たのしみね、アロガ? ねっ?」
多分、アロガは興味などないだろう。
そうした神秘や美しさに、価値を見出すのはヒト種だけだ。
そして私にとって用があるのは、ユニコーンそのものではなく、頭に生える角の方だった。
その角には神聖な力が宿るとされ、解毒効果があるのは確認されている。
呪術にも有効なのか、それは分からないし記述にもない。
しかし、神聖なる力、という部分に一縷の望みを見た。
本当に効果があれば良し……。
なければ……、また別の何かを探すだけだ。
私は転移陣の前に立つと、リルの手を引いてアロガを陣の中へと導いてやる。
そうして入るのを確認してから、私も中に入り、陣を起動させた。
視界が黒く染まるのと、浮遊感が同時にやってきて身体が引っ張られる。
角にどれだけの効果があるか、今更ながらに期待を向けながら、一瞬で終わった転移で森の端に移動した。