作業を終えた後、ユニコーンに対し丁寧に礼を言って頭を下げた。
ユニコーンは依然、黙して何も語らないが、その瞳が気にするな、と伝えている気がした。
「では、余り長居しても悪い。そろそろお暇しようか」
「えぇ〜……っ!」
そう言って、リルは不満を顕にする。
来たばかりですぐにトンボ返りするのは些か味気ないとはいえ、ユニコーンという精霊は静謐を好む。
長居する方が迷惑になるのは間違いないので、私はリルを宥めすかしながら、その頭を撫でた。
「騒がしかったり賑やかなのを、好まないのもいるんだよ。そして精霊というのは、大抵はそうしたものなんだ」
「でも、ナナは違うよ?」
「そうだな。でも、ナナは変わり者だから……」
それを一番自覚しているのは、ナナ本人だろう。
普通は家族の団らんを見て、それに加わりたいと思う精霊はいない。
無論、私にとっては有り難いし、無条件にリルを庇護してくれる存在として、とても貴重な味方だ。
だがそれは、精霊基準で言うと、ひどく異端な考えでもあった。
そして、変わり者と評されたナナは、悪びれることなくリルの頭に頬を乗せて言う。
「確かに私は一般的とは違うわね。……でも、森の妖精は騒がしいし、何かとリルにちょっかい出すし……リルにとっては静謐を好む精霊の方が、異端に見えるかもしれないわね」
「それは……うん、そうかもしれないな」
ついつい、自分の基準で物事を考えてしまいがちだが、リルからすれば精霊は身近なもので、傍にあって当然のものだった。
自分が傍に居ることで、迷惑になるかも、という発想自体が浮かばない。
そしてそれは、環境が生んだ当然の発想でもあった。
「でも、人間にだって色んな好みがあるのと同じで、精霊にもある、と知っておかないとな」
リルの肩を撫でながら諭したが、それでもリルは未だに不満げだ。
だが表情を一転させるや否や、ユニコーンを指差しながら言った。
「リル、あのせなかに、のってみたい!」
「あら、まぁ……」
「うぅ〜ん……」
ナナからは呆れの声が、そして私の口から呻きが漏れたのは、仕方ない事と言えよう。
少しでもユニコーンのことを知っていれば、そもそも出てこない発想だ。
そしてこれは、私の教育不足から出た言葉でもあった。
ユニコーンは基本的に、誰であろうと乗せたがらない。
野生の馬とて、人馴れしていなければ乗せないものなのだし、無理に乗れば命の危険すらある。
神をも恐れぬ所業……と言えば大袈裟だが、それに近い発言ではあった。
「アロガの上に乗るのが普通だから、乗れそうな背中を見たら、そういう発想になるのかね……」
「ダメなの?」
リルが不思議そうに首を傾げ、私は苦笑を噛み殺しながら頷いた。
「ユニコーンはね、誰かを背に乗せて走ったりしないよ」
「そうなの? どうして?」
「どうして、と言われても……」
そういうものだから、としか言いようがない。
どう説明すれば納得するか考えていると、ユニコーンの方から嘶きが上がった。
「ブルルッ……!」
悪気のない言葉だったとはいえ、不快にさせたか――。
リルより前に、宥めなければならない存在がいると、今更ながらに思い至り、身体をそちらに向ける。
しかし、返ってきたのは意外な行動だった。
なんとユニコーンは、角から魔力を発したかと思うとリルを包み込み、そのまま運んで自らの背に乗せてしまった。
「なんと、まぁ……」
「驚いたな……」
ナナは驚きの余り、同じセリフをそのままに、口をポカンと開けている。
そして私も、恐らく似たような格好を晒しているだろう。
唯一、自分からリルを取り上げられたアロガだけは、不満そうな唸り声を上げていた。
しかし、相手をどういう存在か理解している彼は、みだりに奪い返そうとはしていない。
そういうところも、やはりアロガを賢いと思わせる要因だった。
「うわぁ~、すごぉ〜い! たか〜い! ねっ、お母さん、たかいよ!」
「よ、良かったな……」
リルはユニコーンの背で遠慮なく跳ねる。
アロガに乗る時と変わらぬ態度に、冷や汗が止まらない。
何しろ、ユニコーンを怒らせるとろくな事がないと、相場が決まっているからだ。
時として聖なる存在と崇められるのは、その怒りを買いたくない、という裏返しでもあった。
しかし、リルはそうした悪意など一切ない代わりに、遠慮もまた一切なかった。
てしてし、と背中を叩きながら、前方を指差して言う。
「ねっ、ねっ! はしって! みずうみを、ぐるぅ〜っと!」
私は驚きで声が出ず、喉からは引きつった音だけが漏れた。
今日ほど、リルにろくな説明をしなかった事に後悔した日はない、と断言できる。
隣にいたナナも似た様なもので、声が出ないどころか、窘めて当然の場面で固まっている。
私が謝罪と同時に、リルを叱ろうと思った矢先、ユニコーンは嘶きを一つ上げて駆け出してしまった。
「え、ホントに……? 冗談でしょ……」
ナナの口から驚きを通り越した、呆れの声が漏れる。
だが、そう言う彼女を責められない。私も似たような心境だ。
「リルは……」
我知らず漏れた声に、ナナが反応して顔を向ける。
「リルは、精霊に愛されているな……」
「それも当然……とは、言えないか。森での環境は、色々と自然なことではないもの……」
それを誰より認識しているのが、ナナ本人だろう。
リルが妖精や精霊に愛され、好まれて来たのは事実だが、あの特殊な環境が許していたことだとも思っていた。
そして、それはあの森だけの……限られた環境だけが、許した特権だとも思っていた。
――だが、違うのだ。
好まれるのは事実でも、環境だけが許したものではなかった。
「ユニコーンは、無垢なる者を好むという……。汚れなき者、清廉なる者を好むのだと。そこの所を言うと、リルは確かにそのいずれにも該当する」
「確かにね……。あそこまでスレてないのは、子どもと言えども珍しいんじゃないかしら。街に行って、それなりに汚い面とか、嫌な思いもしたでしょうに……」
それについては、確かにそうだった。
愛と平和、慈愛と抱擁によって生きてきたリルだ。
世界は何処までも、そういうものだと勘違いしていておかしくなかった。
だが、現実を知って落胆や悲観するでもなく、今も変わらずリルはリルのままだ。
「それこそが、リルの長所なのかもな……。現実を知っても、それだけで悲観する程じゃなく、世の中は良いものだと思っている」
「どうかしら、もっと単純なんじゃない? そうであっても、最高の
「うぅん……、あり得そうな気がしてきた。だとしたら、考えを改めさせないと……」
私は事実として、他人では不可能と思えることが多く出来る。
だが、それをもって万能と思われるのは、如何にも危険と思えた。
私にだって当然、出来ないことはある。
「きゃあ~っ、はは! お母さ~んっ!」
湖面をぐるりと半周し、湖を挟んで対面となった時、リルが眩しい笑顔で手を振って来た。
その速度は緩やかなもので、ユニコーンも馬上のリルを気遣った走りだと分かる。
「……にしても、良く乗ってられるな。鞍も鐙もなしで乗るのは、普通に難しい筈たぞ」
「アロガで慣れてるからじゃない?」
「……いや、あれとは全然、勝手が違うだろう」
そもそも、生まれてからというもの、リルにとってアロガの背中は、ずっと専用の乗り物みたいなものだった。
アロガ自身も乗せ慣れていて、今さら振り落とすことなど有り得ない。
互い信用があって、だからその背に乗ることを、不安に思ったりしなかった。
しかし今は、全く初めてかつ、未知のユニコーンに対して騎乗しているのだ。
勝手も大きく違うだろう。
それでも乗れているのは、リルの天然の才故だろうか。
――いや違う、と直後に悟る。
ユニコーンの角から出た魔力が、今もリルを包んでいる。
「あれが今も、落馬せずにいられる理由か」
「何とも過保護なものね。ちょっと呆れるくらいだわ」
「まぁ、私のリルだ。その愛らしさを思えば、過保護になりたい気持ちは分かるがな……」
「……親バカ」
ナナの辛辣な一言は、敢えて無視する。
そんな事はとうに承知で、そして自認している事でもあった。
湖面の向こう側から、アロガを追随させたユニコーンが帰って来る。
手を振るリルに、私も笑顔で手を振り返しながら、戻って来るのを待った。