時間にして、おおよそ一時間……。
実際にはそれより幾分少ない時間で、リルの限界がやって来た。
畑の上で土塗れになって寝転がり、激しい呼吸を繰り返している。
疲労困憊と言った様子だが、麦穂を刈れた範囲は、全体の半分程でしかなかった。
「まほー、つかうのって……! ぜぇ……タイヘンすぎるよ……っ! はぁ……っ!」
「正確に言うとね、魔法を使うより、マナを吸収して魔力に変換する方が辛いんだ。体内で別の力に変換する訳だからね。それが凄い負担になる」
「うん……っ、そんなっ、かんじ……! つかれるっ! すごく……! ぜぇ……っ!」
「でも、大したものだぞ。ここまでの範囲を一人で出来る六歳なんて、早々いないんだから」
「ホントだぜ、リル! 自慢できるぞ!」
「普通の子……の範囲は分からないけど、どっちにしても、初めてやってこれなら、将来スゴい有望なんじゃないかしら」
「そうそっ! リルが大人になったら、大精霊魔法使いになれたのは、妖精達のお陰ですってちゃあんと言えよぅ?」
「いわないよっ!」
そろそろ息遣いも正常に戻ったリルが、好き勝手言う妖精達を、睨み付けながら言った。
「ふつーに、お母さんのお陰だもんっ!」
「なンだよォ~……。チョコッとくらいは、俺達のお陰だろぉ?」
「な・い! よこで、さわいでただけっ!」
「つまり、応援のお陰ってワケだ」
どうにか自分たちのお陰と言わせたい妖精達と、それを否定したいリルとの間で不毛な争いが勃発しようとしている。
私は手を叩いて意識を向けさせ、その争いを未然に防いだ。
「妖精達もリルに絡むんじゃない。可愛がりたいのは分かるがな……」
「がられてないもんっ!」
即座に否定してくるリルを、苦笑しながら手を振る。
「うん、そうだったな……。ともあれ、リルに目立った失敗もなく、限界まで見事やり遂げた」
失敗しなかったのは、これもまたナナのサポートあってのものだろう。
リルを侮るつもりはないが、初めてにしては少しスムーズ過ぎた。
それが悪いとは言わない。
精霊と契約者との関係は、そうしたものだ。
互いに手を取り合い、難しいこと、足りない所を補い合うから、精霊魔法は侮れないのだ。
今は一方的なものだが、いずれは相棒として、互いになくてはならない存在になるだろう。
二人がその力を遺憾なく発揮出来る様になる日は、きっと遠い。
しかし、それを見るのが、今から楽しみだった。
私が遠い未来に思いを馳せていると、リルは寝転がった体勢から起き上がるなり、畑を指差して催促してきた。
「ねっ、つぎはお母さんのばん! やってやって!」
「そうだな……、いいとも。よく見ていなさい」
私は手を畑へと翳して、敢えてゆっくりと、リルにも分かり易い様にマナを吸収、循環させた。
即座に魔力へ変換させなかったのは、そういうやり方もあると教える為でもあり、速過ぎる変換速度でも分かり易くする為だ。
リルの場合、どうしてもその変換は拙さが表れる。
それは呼気に合わせているから生まれる弊害で、初心者ならば出て当然の癖でもあった。
呼吸同様、絶え間なく繰り返す前提だからこそ、吐いてから吸う切り替える段階で、吸収も止まってしまうのだ。
最初の取っ掛かりを覚えるには実に有効な方法だから、初心者の内はむしろ推奨されるやり方だから、その内矯正してあげれば良い。
「ほぇ~……、なんかスゴい……」
実際に自分もやり方を覚えた直後だからこそ、リルはその大きな差異に気付いた。
私は吸収と変換を、分けて行わない。
同時進行で終わらせ……そして、これがリルに見せたいものだった。
「スゴいねぇ~……。それにキレ~……」
「リルも自分で出来る様になったからこそ、今まで見てきたものとは、少し違って見えるだろう」
「うん、いっつもこうしてた? ……いまだけ?」
「いいや。勿論、前からこうしていたよ」
その気付きに、リルは自分で驚いていた。
そして唸る様な仕草と共に腕を外に向けると……、そこへスルリとアロガが頭を突っ込んでクッション代わりとなった。
互いに慣れたもので、そうする事がごく自然になっている。
ごく当たり前に身体を預け、寛ぐ体勢になった。
相棒と言うなら、この一人と一匹は既にバディだった。
何を言うでもなく、互いに必要とすること、したいことが分かる時がある。
少し羨ましく感じながら、私はいよいよ、畑に魔力を行使した。
力の奔流――より原始的な力が顕現し、畑に影響を与えていく。
「わぁ~……っ!」
リルの口から感嘆の声が漏れる。
初めて見る訳ではないのに……いや、何度見ようとも、飽きるものではないらしい。
稲穂は風も吹かないのに自然と根元から切断され、それが宙に巻き上がり、緩やかな回転と共に脱穀されていく。
そして、そのまま水の流れに乗るかの如く、畑の傍らに置かれた籠の中へと落ちていった。
「スゴいねぇ~っ! なんでリルのとゼンゼン、ちがうんだろ~?」
「それはね、リルの使うのが魔法で、お母さんが使うのは魔術だからさ」
「……どう、ちがうの?」
「それは一口で説明するのは、ちょっと難しいな」
困った様に笑いつつ、リルにどう説明するか迷いながら、それでも魔術を行使する手は止めない。
麦穂は踊るように上空へと舞い上がり、先程と同じ行程を経て、籠の中へと吸い込まれていった。
私が扱う魔術は、魔法と根本からして違う。
精霊魔法は物理世界に根差した力で、徹頭徹尾それに支配されている。
出来ない事は出来ない……それは当然なのだが、私の扱う魔術は、それと反する。
物理世界を支配している制限と制約から、回避し脱却する事がその真髄なので、私には理論上あらゆる現象を引き起こせた。
だが当然、起こり得ない現象ほど、より負担も大きくなる。
魔力の消費も加速度的に増すのだ。
不可逆的な現象を引き起こそうとした場合、負担の増加はより顕著だった。
だから実際は、何もかも――本当に何もかも、引き起こせる訳ではない。
「リルも、お母さんみたくできるかなぁ?」
「うん、この程度のことならば、よく似たことは出来そうだ。……どうだ、ナナ?」
私が話を振ると、ナナは悩ましげな顔付きで息を吐く。
「可能かと訊かれたら、そりゃあ可能とは答えるわよ」
「ホント……!?」
リルはアロガの首に抱き付きながら、跳ねる様に喜んだ。
しかし、その直後、ナナから制止の声が掛かる。
「ちょっと待って頂戴。あくまでも可能性の話で、今のリルには無理よ」
「んぅ……! なんで?」
リルは非常に不満そうだ。
ふくれ面で抗議しようとしていたが、その理屈が分かる私にとっては、苦笑するしかなかった。
「いいこと、リル? まず、切るだけじゃなくて、浮かせる必要もあるのよ? その上で、籾を傷付けることなく、綺麗に削ぎ落とさなくちゃいけなくて……。その上、綺麗に籠まで風の通り道を作るんでしょ……!? これらにどれだけ繊細な制御が必要なことか……!」
口にしながら次々にヒートアップし、遂には両手の指を鉤の様に曲げて、ワナワナと震えた。
その、一種異様な光景を目の当たりにし、リルは不安げに視線を向ける。
「リルには、ムリってこと……?」
「今はね、今は! 魔法を初めて実践的に使ったリルには、まだ早いってだけ。実際に可能かどうかは……、これから先、どれだけ努力できるか、だわ」
「いますぐ、できたらいいのになぁ……」
「何事も、小さな一歩からコツコツと……。そう教わったばかりでしょ?」
ナナがそう諭せば、リルは不承不承ながら頷く。
だが、一縷の望みを賭けてか、私に縋る様な目を向けて来た。
「そんな顔されても駄目だよ。基礎は大事だ。その学びを疎かにしてしまうと、応用がいつまで経っても出来ない。……これはね、あらゆる事に言えるものだよ。剣術とかもそう、お勉強なんかでもそう」
「なんかいろいろ……、しらなきゃいけないことばっかりで、リル……イヤになっちゃう」
「なぁに、何事も慣れだ。こういうのは、気付けばいつの間にか、出来るようになってるものだ」
成長の実感は難しい。
比較する相手がいなければ、尚のこと難しかった。
だが、得られた糧は決して無駄にはならないし、期待とは違うところで気付くこともあるかもしれない。
いずれにしろ――。
今のリルは、その実感とは限りなく遠い場所にいた。
「さ……、麦穂もまだまだ残ってる。今は私がやってる力の流れを見て、自分に活かしてみなさい。魔術と魔法は違うものだけど、その使い方は良く似ているものだからね」
そう言って、私はリルが分かり易い様、更に速度を抑えて、麦畑を処理していく。
掛かった時間はリルより短く、私は満足する息を吐いて、リルが遺したままの麦穂も処理していった。