それからというもの、リルの毎日の日課に農作物の刈り入れが加わった。
妖精達は元より、私もまた手伝うから、リル一人に投げっぱなしという訳でもない。
しかし、毎日限界まで魔力を使う為、リルはすっかり疲弊していた。
これは剣術であったり、走り回ったりで消耗する体力とは、また違った辛さがある。
それに慣れないリルは、七日も経たずに音を上げてしまった。
「もう、ヤっ! やりたくないぃぃ……!」
「リル、辛いのは最初だけだ。初めの内はね、どうやれば負担が少ないか、その感覚が掴めない。でも続けていけば、必ず楽に扱える様になるよ」
「どのくらい……?」
「さぁて……」
私は笑顔混じりに首を傾げる。
今はナスやピーマンと言った野菜を収穫中で、麦穂の時の様に、一斉に風の刃で横薙ぎに……といったことが出来ない。
ヘタの少し上部分だけ切り落とす必要があり、だからより一層、面倒に感じる筈だった。
何ならば、ハサミを持って手作業でやった方が速いくらいだ。
実際、妖精達は似たようなことをやっており、小枝と葉っぱで作られた、不思議なハサミを用いて刈り取っている。
その手際の良さと来たら、農家顔負けの腕前だ。
切る、取る、入れるの動作が、淀みなく流れ作業を完ぺきにこなしていた。
中には見られている事を意識して、明らかにドヤ顔で作業している者までいる。
実際、時々サボる以外は完璧なので、文句を付けられもしなかった。
「まぁ……、今日の所は随分頑張ったし、今は休んでおきなさい。収穫出来る作物は、まだまだ残されているからね」
「んェェあ〜い……」
嫌な時に出る声と、はいの返事が重なって変なことになっている。
私は苦笑混じりに畑へ手を差し伸べ、リルがやり掛けだった部分を終わらせた。
「ねぇ、お母さん」
まだ籠に詰めている途中だったので、顔は作業に向けたまま返事をする。
「どうした、リル?」
「……まほー、ちゃんとつかえるようになるかなぁ? リル、ぜんぜんダメだ……」
ションボリと耳を垂れさせたリルに、その後ろから現れたナナが肩を抱く。
「何でそういうこと言うの? リルは立派に使えてるじゃない。初心者なんて、そんなものよ。むしろ、上等の部類だわ」
「うん、お母さんもそう思う。リルはどうして、そう思ったんだ?」
「だって……」
リルは今も、籠の中へ収納されていく作物を見て、自信なさげに言う。
「お母さんとおなじこと……、ゼンゼンできないもん……」
「何だ、そんなこと気にしてたのか。剣術だって、お母さんには敵わないだろう? でも、リルは泣き言なんか言わなかった。でも、魔法だとそんなこと言っちゃうのか?」
私が指摘すると、あれ、とリルは首を傾げた。
「ホントだ……。そうかも」
「まぁ……、魔法は剣術と違って、体格や筋肉という分かり易い差が見えづらいものな……。簡単そうにやっているのを見て、自分もそれぐらい……と思ってしまう気持ちも分かるけど……」
そう言って、私はリルの頭を撫でた。
農作物の収納が終わったのを確認して、そのすぐ隣に腰を下ろす。
頭から手を離し、その代わりに身体に手を回すと、その代わりにナナはするりと逃げ出し、すぐ頭上を周遊し始めた。
私はリルを胸の内に抱いて、背を優しく撫でながら励ます。
「リルは良くやっているよ。前にも言ったろう? 一歩一歩、着実に。その一歩は小さいかもしれないけど、間違いなく前に進む一歩なんだ」
「んぅ……。ね、お母さん。お母さんはちいさいころ、どうだった?」
「お母さんの? リルと同じぐらい、小さい頃か?」
「うん、そう!」
リルは私の返答に、幾らか緊張を滲ませた期待の視線を送っている。
少しはマシだとか、比較しても遜色ないとか、そうした答えを待ち望んでいるのだと、その顔を見ればすぐに分かった。
しかし、どうやらその期待には応えられそうもない。
「昔のお母さんと今のリルは、ちょっと比べられないな」
「どうして?」
「お母さんが六歳か七歳の頃は、魔法なんて夢物語だと思ってたからさ。自分が使えるなんて、これっぽっちも思っていなかった。だから、比べようがないんだよ」
「えぇ〜……っ!? そうなの!?」
そうなの、と私は遠くを見つめて頷く。
これはリルの質問を躱す答えではなく、純然たる事実だった。
私の子供時代は、酷い寒村暮らしで、文字を読める者など村長くらいしかおらず、当然本もそこにしかない、貴重な代物だった。
貧しい農家に生まれた私に、文字など必要なかったし、物心ついた頃から、既に畑を手伝っていた。
貧しいと日々の生活に追われるだけで、娯楽や教養など身に付けようもない。
しかし、子どもの頃から知的好奇心が人一倍旺盛だった私は、いつしか村長の家へ、こっそり文字を教わる事になる。
ひとえに、本を読みたい一心から来るものだった。
だが当然、子どもだろうと家の手が足りなければ、家族からは怒られる。
だから、仕事が終わって夕食までの僅かな時間――。
それが私に許された、僅か過ぎる勉強の時間だった。
「お母さんは、物覚えが悪くてね……」
「そうなの……!?」
本日二度目の驚きに、リルは目を真ん丸にして顔を上げた。
私はまたも頷き、リルの頭と耳、そして背中を優しく撫でて、話を続ける。
「リルほど優秀じゃなかったな。覚えたくても覚えられない自分に、腹が立ったりもした。それにすぐ間違える。同じ間違いを二度も三度もして、自分が情けなく感じることもあった」
「ほんとうに……? お母さんにも、そんなことあったの?」
「そうとも。村長に文字を教えて貰う所までは良かったけど、そこからは独学みたいなものだったから……。家族に隠れて、月明かりで本を読んでた」
「どうして? だって、明かりは……」
我が家では私が作る魔力光だったり、鉱石ランタンを使ったりと、マナに不足しない環境だからこその贅沢な使い方をしている。
それ以前の問題として、鉱石ランタンも一般家庭からすると高価な物で、普通は蝋燭を使うのが普通だった。
「明かりはね、実は高価だったりするんだよ。それでも安い獣脂の蝋燭なんかを使ったりするんだけど、臭いし目に染みるし、食事が遅くなった時だけに使う、手元を照らす為だけのものだった」
「あかりって……、そんなにたかいんだ……?」
「高いよ。獣脂の蝋燭でも、銀貨一枚では買えなかった。しかも、一時間ほどで燃え尽きてしまうし、途中で消えてしまう事も多かった。黒化してしまった芯をすぐ切れる様に、芯切り鋏なんて物もあるぐらい、頻繁に消えるものなんだ。しかも、煤も酷くて……掃除も大変なんだぞ」
「ほぇ〜……」
見たこともなく、使ったこともないリルにとっては、そういう反応になるだろう。
何か大変そうだが、どのくらい大変かは分からない……と、その顔には書いてあった。
「仮に銀貨一枚でも、一日に三時間も使ったら三枚だ。これをひと月続けたら……さぁ、いくつになる?」
「えっとね……、うんとね……」
リルは少しのあいだ考え込んだが、それでも素早く計算を終えて口にする。
「きゅじゅうまい! ……ぇっ!? きゅうじゅうまいも、つかうの!?」
そのうえ、自分で言って自分で驚くオマケ付きだ。
リルは自分が貰えるお小遣いがあるので、その価値の大きさを正確に掴めたようだ。
「そんなにするの……!? これじゃ、おなかいっぱい、たべられないよ!」
「そう、そのとおり。だから、明かりは贅沢だって言うのさ。星明かり……月の光で読むしか、お母さんには方法がなかった」
その努力を自慢したい、というのではない。
そうせざるを得ない、そうするしかない環境に生きる者も、世の中にいるのだと知って貰いたかった。
そしてこれは、何も昔だけの話という訳ではなく、今でも世の中に溢れる、ありきたりな話でしかなかった。
「お母さんは本を読むのが好きになった。地理や歴史……勉強だけではなく、物語も時にはあって……。本とそこから得られる知識を、もっともっと知りたくなった」
「それで、まほーもおぼえたの?」
「いいや、それはもっと後の話だね。何しろ、狭く貧しい寒村には、そんな高価な本はなかったから。村長が持っていた本もね、そういう意味じゃ身の丈にあった、薄めの落丁本ばかりだったな……」
本は手書きで残すしかなかった時代だ。
だから当然、本も高価になる。
しかし、安く手に入る手段があり、それがページや文字の欠落がある落丁本だった。
更にそこから中古で出回った物を狙えば、更に安く買える。
おそらくは――。
当時の村長も、そうやって手に入れたのだろう。
当時のことを振り返って、思わず無言になった。
今までの生を後悔したことはないが、もし村長に気に入られなかったら――。
もし、文字を習おうとしなかったら――。
もし、本を読みたいと思わなかったら――。
今とは全く違う人生だったに違いない。
私が少しセンチメンタルな気持ちになっていると、リルは私の腕の中で体勢を変え、より座りやすい形に持って行く。
「ねっ、もっとおはなし、して!」
「まだ、これ以上? 別に面白いことはないぞ?」
「それでも、いーから! きかせて! ねっ、おねがい、お母さんっ!」
まだ農作業は残っているのに……。
だが仕方ない、と微苦笑を漏らす。
木漏れ日は優しく、吹く秋風は穏やかだ。
こんな日は風に撫でられながら、物語に耳を傾けたくもなるだろう。
私は一つ頷くと、遠い昔を振り返りながら口を開いた。