寒村での暮らしは厳しいものだったが、当時の私にとって、それは当然の暮らしでしかなかった。
他に比較対象はなく、周囲の誰もが似たようなものだったので、そういうものだと受け入れていたのだと思う。
生活の苦しさは生の一部で、ひもじいのもまた、当たり前の事に過ぎなかった。
日が昇る前に起きて、太陽が顔を出すと共に働き始めるのも当然なら、疑問も感じず親を手伝い、身を粉にするのも当然だった。
「空模様が、いつもどんよりと曇っていた気がするよ」
それは勿論、錯覚だろうが、思い返して浮かぶのは、そうした光景ばかりだ。
「だけど、その村が特別酷い、と言うことはなかったと思う。当時は何処も、そういうものだった……」
「……そうなの? おなかいっぱい、たべられないのも?」
「うん、税が重かったからね。沢山作っても、偉い人に持って行かれてしまうんだ」
「えぇ~っ……、それってヒドいよっ!」
「そうだな……」
私は可愛らしく憤慨する、リルの頭を撫でる。
だが、当時でさえ、七割の税はごく普通と言われていた。
私の村は西大陸の穀倉地帯、その一角にあったが、首都から離れている分、その取り立ては多かったのだろう。
どこの国も、中央から離れる程に、監視の目が緩まるものだ。
それはエルフの国たる『ノス=エンディリア』でも変わらない。
「お母さんは小さな頃、西大陸に住んでいたんだ」
「にし……、たいりく?」
「因みに、リルが住んでるココは、東大陸だ。海を挟んで遠くの所が、お母さんの故郷」
「そうなんだぁ~……」
実際には、場所を選べばそう遠い距離でもなかった。
隔てられているといっても、狭い海峡に寄ってであり、その気になれば泳いで行ける。
だが、東と西を繋ぐ、数キロに渡る斜張橋があるので、泳ごうなどと思うのは犯罪者ぐらいだ。
エルフの持つ技術力の為せる業で、東側の人間には、真似する事すら難しい代物だ。
それ一つ取っても、東と西の技術格差が分かる。
その差は縮まる事なく、常に一定の開きがあって、これに変動がないのは、秘密裏の工作があるからだった。
エルフはヒト種を同列の存在とは見なしていない。
五百年前の大敗があろうとも、そこは常に一線を引いていた。
冒険者ギルドを経由してやって来たジェイラー……。
あぁいうのが大陸中にいて、狡猾に――時に残忍な方法で、あらゆる台頭を阻止している。
――全ては、またいずれ世界に覇を唱えるために。
彼らは現在、不当に大陸を奪われている、という姿勢を崩していない。
表向きはごく自然な付き合いをしているように見えるが、それら全て、笑顔で野望を覆い、背中にナイフを隠しているに過ぎなかった。
「……フン」
思考がエルフ側に寄ったことで、不穏な気配を出してしまったのだろうか。
リルが不安そうに顔を向けた。
「お母さん、なんかこわい。むかしのこと、きいちゃいけなかった?」
「いや、そんな事はないよ。ただね、余り愉快な話にはならないから……」
子ども時代のことを、私自身は悲観していない。
あの時代、あの地域では、有り触れ過ぎていて、特に憤慨する理由もない程だった。
ただ、その中にあって、少し悲惨な目にもあったが……それすら、特別珍しいことではなかった。
「お母さんは九歳の頃……、売られそうになってね」
「うられる……? うられるって、どういうこと?」
「そのままの意味さ。物みたいに、人を売るってことだよ。食うに困るとね、そういうことをしないと生きていけない家もある」
リルは悲惨そうに眉尻を下げ、自分の事のように悲しんだ。
私はその優しさを慈しみながら、耳を畳む様に撫でて、そうして続ける。
当時は恨めしく思った。
実の親に――父と母に、不要だと突き付けられるのは、相当なショックだった。
ただし、直接言われた訳ではない。
両親が夜に、こうでもしないと生きていけない、という相談事を盗み聞いただけだ。
本を読むのに、夜更かししていたのが、妙な所で役に立った形だ。
「最初はね、どうして自分が、と思ったりもした。でも後になって、そうするしかなかったのだと分かるようになった。……誰が好き好んで、我が子を売りに出せるだろうか」
「そうなの? リルは……、リルなら……、スゴいかなしい……。そんなのヤ……」
「そうだね……。でも、安心なさい。お母さんは決して、リルを手放してたりしないよ」
「ずっと、いっしょ? ずぅ~っと?」
リルはぎゅうぎゅうに抱き締めて、縋る様に見上げてきた。
私もまた、その不安を吹き飛ばそうと、包み込む様に抱き締める。
「勿論、リルとずっと一緒だ」
――リルの方から、離れたいと思わない限り。
今はまだ幼く、私と一緒に暮らす以外に考えられないから、そう言ってくれる。
だが、将来のことは、誰にも分からないことだ。
広い世界に飛び出したい、とリルが言ったなら、私は快く送り出すつもりでいる。
――だが、いずれにしても……。
今はまだ、考えるには早過ぎる話だ。
私は抱き締める力を弱めて、揺り篭の様に身体を揺すりながら、話を続けた。
「まぁ、でもね……。お母さんは実際に、売られる事はなかった」
「そうなんだ!」
リルはやはり、我がことの様に喜んだが、ふと首を傾げる。
「……でも、どうして? なかなおりしたから?」
「いや、そういう事じゃないな。その前にお母さんの方から、家から逃げ出したのさ」
「えぇ~っ……!?」
私は驚くリルの、お腹に手を回して揺すり、きゃいきゃいと喜ぶ様を見ながら当時を思う。
――家を飛び出したのは、それから十日も経たない頃だった。
当時のことを振り返る度、何て無謀なことをしたのかと思う。
寒村から逃げ出す所まではともかく、そこから別の村へ……そして、また別の町へと移動できたのは、全くの奇跡でしかなかった。
その時の私は全くの無力で、農村で運良く文字を覚えた、同年代より少し賢い子どもに過ぎない。
それがどうして無事だったかというと、正にその読み書きによって、偶然通り掛かった隊商に助けられたからだ。
その年代の子どもは、普通読み書きなど出来ない。
仕込めば計算なども覚えて、良い雑用として使えると思ったのだろう。
そして、それは事実となった。
「お母さんは運良く隊商に拾われて、その下働きとして一緒に、色んな所に行ったよ」
「へぇ~……、どんなトコ?」
「どんな……、か」
遙か昔の記憶は風化して、正確には思い出せない。
だが同時に、忘れられない事もある。
「例えば、山間の町。谷を見下ろす断崖に、しがみつくように広がる町だ。赤褐色の石を積んだ家々が特徴的で、風雨に削られた侘しさを、今も覚えているよ」
「なんか……、スゴいねっ!」
「その町には、高くそびえる鐘楼があってね……。正午になると重々しい鐘の音が、谷に反響してこだまする」
「こだま、って……?」
「音が反射して、何重にも聞こえる事さ。森で暮らしてると、まず起きない事だから、リルには分かり難いかもね」
何しろ木や葉が、そうした音を吸収してしまう。
ピンと来ないのも不思議ではなかった。
「そこは旅人にとっての避難所になっていたし、商人たちにとっては山越えの中継地でもあった。だからね、その鐘の音が聞こえたら、彼らは一様に安堵していたよ」
「へぇ~……。ねぇねぇ、他には?」
「今日のリルは欲張りさんだな?」
横から覗き込む様に顔を近づけると、リルは満面の笑みで頷く。
「だって、お母さんのおはなしきくの、リルだいすき!」
そう言われたら、無下にも出来ない。
畑仕事はまだ残っているから、そろそろ妖精達にも恨まれそうだ。
けれど、リルの催促に抗えず、私はリルを一層抱き締め、話を続けた。
「そうだな、他……。他に特徴的なのと言えば……森に抱かれた村、かな」
「なにそれ、たのしそう!」
「楽しくはないかな……。そこは濃い緑に包まれた静かな森の奥にあった。外と切り離して暮らしてるのかと思ったけど、どうやらそれとも違ってね……」
「どう、ちがうの?」
私は再び空中に、記憶から浮かび上がったビジョンを投影した。
「家々は木と苔で覆われていた。まるで森そのものが、人々の暮らしを抱きしめているかのようだった」
むしろ、森に呑まれた、と表現した方が適切だったかもしれない。
木と家は一体化し、森なのか村なのか、分からない有様だった。
「実はこれ、錬金術の失敗なんだ」
「これが……!?」
木と一体化した家、文字通り森の一部となった村を指差して、リルは私とビジョンを交互に見つめた。
「そう、木材が欲しいんだったか、あるいは森の恵みが欲しいんだったか……。とにかく、木を……切り倒してばかりで減る一方の木を、どうにかしようと考えたんだな」
「それが、これ……?」
「効果が効き過ぎたのか、想定してなかった効果だったのか……。ともかくそうして、村は森に抱かれる事となったのさ」
「れんきんじゅちゅって、あぶないんだ……。お母さんがやってるから、そんなんじゃないとおもってた」
あっけらかんと言うリルに、私は頭を撫でながら言ってやる。
「何事でもね、使い方を誤れば危険なものなんだ。それは剣術や魔法だけじゃなく、勉強の方もそうだよ」
「べんきょーも? でも、べんきょーでヘンなつかいかた、するかなぁ?」
普段やっている書き取りであったり、数字の計算からは、危険などと結び付かないのは当然だ。
私は過去にあった、その一例を述べようと、畑を気にしつつ口を開いた。