「リルも普段のお勉強で、計算問題をやってるね?」
「んぅ……。でもあんまり、すきじゃない」
「足したり引いたり、あるいは掛けたり割ったり……。そういう基礎的な部分を、今はやってる」
うん、とリルは頷いた。
学校でも当然それらを習うが、リルは既にその過程を全て終えている。
私塾めいた外観の学舎に相応しく、相応の内容しか教える予定はないようで、そこから更に踏み込んだ内容は、王都の学院でしか学べないようだ。
そして実際、街で暮らす分では、それで十分と言える。
学舎に通う生徒の多くは、実家が商家だったりで、その基礎さえ分かれば、後は仕事内容に沿って応用するだけだ。
中には裕福な農家の出も居るらしいが、そうした所は地主に近いもので、やはり四則演算が出来れば十分だ。
畑の面積を調べ、そこから計算して割り出して税収を定める……と言った内容は、もっと上の領主がやる仕事だ。
農家として作物、収穫物の計算が出来れば十分なので、それ以上を求めない結果、学舎でも相応の内容になっているのだと思う。
「でもね、この計算というのは、距離や画角を測ったり、そこから算出される数値を元にして、ある事ができる」
「どういうの?」
「弾道の計算だよ。つまり、戦争で使えるのさ。弓矢……あるいは魔術の火炎弾、そうした攻撃が何処まで届くか、どうやって届かせるか、そうした事にも使えるのが計算というものだ。より多くの敵を殺す為にね」
「……なんか、こわい」
心細そうに縋り付くリルを、私は一層優しく抱き留める。
「計算に良いも、悪いもないんだよ。そこにはただ、摂理があるだけ。利用する側が、どういう心持ちでいるかが大事なんだ」
それに、一口に戦争と言っても、それら全てが悪い訳ではない。
大抵そこには複合的かつ、複雑な理由があるものだ。
しかし、今それをリルが知るには早過ぎるし、何より蛇足だった。
「ねぇ、お母さん。それより、おはなしのつづき! つづき、はなして!」
「うん……? 続きか……」
チラリと畑に目を向ければ、妖精達が無言の圧力でこちらを睨み付けていた。
流石に長話が過ぎたらしい。
「これ以上、ここでこうしていたら、妖精達が怒り出してしまうよ。今は農作業の続きをしような」
「えぇ~っ!?」
子どもらしく欲望に忠実で、リルは随分と渋った。
だが、最終的には妖精達が暴れ出す厄介さを天秤に掛けて、悩みに悩み納得した。
「ンもぉ~、しかたないんだから、よーせーたちはぁ~……っ!」
彼らと私の関係は、決して地主と小作人という訳ではないのだが、リルからすると、そう見えてしまうものなのだろうか。
妖精達の目当ては間違いなく、マナをたっぷりと吸った農作物だが、それを少しばかりの打算で手伝っている形だ。
より多く持ち帰りたいから、進んでやっている面はあるものの、だからと言って、彼らに丸投げして良い話にはならない。
そんな事をしたら、これ幸いと収穫出来た殆どを持って行こうとするだろう。
私達は私達で、自分の取り分を確保する為に、しっかり励まなければならないのだ。
「さぁ、今は仕事を終わらせてしまおう」
「じゃあ、じゃあね! おわったら、またはなして!」
「あぁ、夕食の時にでもね。また続きを話してあげよう」
「ぜったいね!」
そうしてようやく納得したリルを、私は手を引いて立ち上がらせる。
リルもたっぷり休んだことだし、また少し収穫の手伝いをさせよう。
魔法は使えば使うほど上達するのは間違いないのだし、機会があるなら積極的に使わせるべきなのだ。
そんなのきいてない、と喚きそうなリルを今から想像しながら、私達は手を繋いだまま畑へと向かった。
※※※
そして夕食時、お腹もいっはいに膨らみ、満足した息を吐いた時のことだ。
リルがシルケに美味しかったとお礼を言って、それを彼女が嬉しそうに頭を撫でる。
いつもの光景に頬を緩めていると、リルが身を乗り出す様にして言った。
「お母さん、つづき! やくそく!」
「うん、そうだった」
決してうやむやにしようというつもりはなかったが、何を話すか考える時間は必要だった。
「そうだな……。それじゃあ、隊商で過ごした後のことを話そうか」
「やめちゃったの? ずっといっしょじゃダメだったの?」
「駄目ではなかったさ。とても良くしてくれた人達だったし、お母さんもその人達が大好きだった。拾ってくれた恩を返さなければ、と思っていたよ」
「でも、やめちゃった?」
そう、と頷きながら、私は当時をなつかしみつつ振り返った。
町から街へ、そして街から都市へと、ある程度決まったルートを通りつつも、旅暮らしは楽しかった。
私の性に合っていたのだと思う。
狭い村しか知らなかった私にとって、目に映る全てのものが新鮮だった。
次に何処へ行けるのか楽しみだったし、一日の終わりに焚き火を囲んでの談笑は、間違いなく憩いの時だった。
「お母さんも、本当ならずっと一緒にいるつもりだった。でもね、お母さんは本が読みたくてね……」
「だから? だから、やめちゃったの?」
「まさか……!」
私は手を横に振って笑い、シルケが淹れてくれたティーカップを受け取る。
視線で礼を述べて、口を付けた時、リルの方にもカップが渡った。
リルは両手で包むように持つと、クピクピと飲み干し、すぐにまたお代わりを要求していた。
家事において、使われるのを好むシルケだから、これにも笑顔で応えて、新たな物を用意する。
私はそれらを、見るともなく見ながら話を続けた。
「本は高価だ。下働きの子ども程度が、おいそれと触れられる物じゃない。商品として取り扱う事もごく稀にあったけど、厳重に保管されていて、やっぱり触れられる機会はなかった」
「じゃあ、どうやってごほん、よむの? ウチみたいに、カンタンじゃないんだよね?」
「そうだね。基本的には何処へ行っても、子どもには触れさせない物――それが本というものだった。当時としては、それが普通だったけど、そうじゃない例外的な場所が一つだけあった」
「なに? どこ?」
意気込んで身を乗り出すリルに、私は抑える様にジェスチャーして、座り直したのを確認してから、二人の間にビジョンを投影した。
「その名前を、書都エルリューンという。その名が示すとおり、本を集めて蒐集している都市だった」
高き塔と丸屋根の建物が幾重にも連なり、広い石畳の通りには馬車と人々が行き交う。
そこに見える多くはエルフであり、ヒト種はその一割にも達しない。
「西大陸はエルフが支配する国だが、その中でも首都以外に顕著といえるのが、このエルリューンだろう。エルフは知を尊ぶ。知は力なり、というが、その知を支配する事もまた、力の誇示と考えていた」
「ちは、ちから……」
「その思想が強くて、無知は罪、という考えを持つ者たちでもある。知らぬこと、知ろうとしないこと、それが罪なのだと……。お母さんは、あまり好きな考えじゃないな」
そして、多くの貧しい人間は、学ぶ余力すら持てないものだ。
エルフの思想を受け入れると、そうした者たち全ては愚かで、罪人という話になってしまう。
だが、エルフはそれを当然と考えているから、より高貴で知識人である己らが、この世の全てを導くべき、と考えている。
「とても傲慢な考え方だと思う。だから知識を……本を、誰にでも読める環境があるのだと思った。だが、彼らがやっている事は、愚民政策そのものだった」
「それって、どういうイミ?」
「自分達が支配するのに都合が良いように、エルフ以外は知識を持たせず、奴隷同然の扱いにするってことさ」
「んぅ……。なんか、ヘン……。うまくいえないけど、なんかヤ……」
「そうだな、そう……実にヘンな話だ」
私が生まれた寒村も、つまりエルフの食料を生産する為に設けられた場所でしかなかった。
外のことなど知らず、ただ一生、麦を生産し続けることを強いられた村……。
そこにエルフはおらず、ただ人間だけがエルフの為に働かされていた。
それを不満に思われては困るから、そうした村々の人間には愚かなままでいて貰った方が、都合が良いのだ。
そのくせ、無知は罪だと、無教養は愚者の証、と蔑むのだ。
絶対的支配者として君臨したいが為の、それは醜い虚栄心の表れでしかなかった。
「なんか、お母さん……。そのエルフ……? のこと、キライみたい」
「そう、聞こえた?」
「うん、なんか……かおもコワかった」
「そうか……」
私は思わず苦笑して頬を撫でた。
隠そうと思い、平静でいようと心掛けていたつもりだが、どうやらリルにはお見通しだったらしい。
「エルフって、おみみのながいひとだよね? まちにもいたのに、お母さん、そんなかんじゼンゼンしなかった。どうして?」
「街……というか、東大陸にいるエルフに、純粋な血筋は残ってないからね。彼らは全員、混血エルフだ」
支配者層が、被支配者に何をするかど、大抵は決まっている。
強い立場、あるいは純粋な強者が相手を組み敷き、好きにする――。
そうして生まれた混血児は、エルフが西大陸へ逃げ出す時、その全てが置いていかれた。
連れ出された例もあるのかもしれないが、寡聞にして私は知らなかった。
だから、この国――この大陸にいるエルフは被害者の末裔と言えるし、その者たちに敵意を向けることなど有り得ない……それだけの話だった。