街の広場には、すでに人々のざわめきが満ちていた。
木組みの屋台には、色とりどりの果実や焼きたてのパン、葡萄酒の瓶が並べられ、鼻をくすぐる良い匂いが風に乗って漂ってくる。
だが、やはりまだ準備の最中で、本格的に始まるのはまだ先だ。
それでも、ただ参加するだけの者は、今や遅しとその光景を眺めていたり、あるいは請われて手伝ったりしている。
今年は例年並みの収穫だったようで、豊作と言うほどではない。
しかし、誰の顔にも冬を憂うものがなく、そしてその心配がないだけで、この祭りを笑顔で迎えるには十分だった。
——冬を迎える前、神々と土地に感謝を捧げる。
それを憂う事なく祝えるのは、多くの者にとって幸福なことだ。
「にぎやかだねぇ~!」
普段より多少おめかししたリルが、広場の喧騒を見ながら言った。
やはりイベント事だから、着飾ることは重要だ。
特に女性にはそういう傾向があって、自分を良く見せる機会は利用したいものだ。
だが、既婚女性は着飾らないか、ごく質素にするという風潮がある。
だから私も、今日は普段とそう変わらない。
「でもやっぱり、始まるのはまだ少し先みたいだ。どうする? 友達もきっと、まだ来てはいないと思うけど……」
「んぅ……。じゃあ、ひろばをぐるっとみてから、みんなのとこいく!」
そういう事になった。
はぐれないよう、リルの手をしっかり握って歩き始める。
普段はただ広けた場所、というイメージだが、今はその広場に沿うようにして、円形に屋台が作られていた。
基本的に隣接して設置されている屋台だが、人の出入りを考慮して、通行に十分な幅を設けられていたりと、色々考えられている様だ。
立ち並ぶ屋台には、何を売るのか分かり易いものから、そもそも何を扱っているのか不明なものまで多種多様だ。
リルはその内の一つを指差して、不思議そうに首を傾げた。
「アレ、なんなのかなぁ?」
「まるでテントみたいにも見えるけど、雰囲気作りの一環だと思う。ほら、占い師が来るって話をしてたろう?」
「あぁ……! じゃあ、あれがそうなの?」
「多分ね。客と自分が入れれば良いから、あんなにこぢんまりとして見えるんだろう」
だが、商品の在庫を置くスペースなどないので他の屋台より、幾分ゆったりしているようにも見える。
そうこうしている内に、リルの興味は他の屋台に移る。
あの屋台は何だ、この屋台は食べ物、と予想しながら練り歩き、時間を潰すには丁度良く、十分楽しんでから学舎へと向かった。
そうして近付いて見ても、学舎付近に子ども達の姿は見えない。
どうやら予想通り、家の手伝いなどでまだ来ていないのだろう。
元より、リルの勇み足で早く来すぎたようなものだ。
いないものは仕方がない。
あとは時間をどう潰すか、今はそれが問題だった。
「リル、広場に戻って時間潰そうか?」
「んーん、いい! まつ!」
「それでも別に良いけど……、暇じゃないか?」
「ダイジョーブ! すぐ、くるから!」
「その自信は、一体どこから来るんだろうね……」
リルの頭を、手の平でグリグリと撫でながら微笑する。
こういう時のリルは頑ななので、好きにさせるのが一番だ。
「最低でも、一時間くらいは待つんじゃないか……。学舎には入れないだろうし、座れないと疲れてしまうよ」
「じゃあ、だっこ!」
「そうきたか……」
手を伸ばすリルに苦笑して、いざ抱き上げ様としたその時、二つの足音が小走りに近付いて来るのに気付いた。
中腰の姿勢のまま顔だけ向けると、そこにはミーナとモンティの駆ける姿がある。
私が顔を向けたことでリルも気付くと、上げた手を戻し、その代わりに手を振った。
「あ、ミーナちゃん! モンティも!」
リルの方も駆け出して、合流すると手を取り合って喜んだ。
「リルちゃん、早いね! 待ってようと思ったのに……! それに、その服カワイイよ!」
「んひひ、ありがと! ミーナちゃんも、いつもとちがうね! すてき!」
「ありがとう、リルちゃん。……ほらね、ふつうはちゃあんと、気づくんですからね!」
そう言って、ミーナはモンティをじっとりとした視線で睨み付けた。
話の流れからして、どうやらモンティは社交辞令の一つすら、満足に出来なかったらしい。
彼らしいと言えばそれまでなのだが、こういう時の女性は強い。
どこまでも不満そうなモンティは置いておかれて、リルと二人で盛り上がる。
「少し早いけどね、出掛けて良いって言ってくれたの。それでね、リルちゃんのママに一度会っておきたいって……」
親からすれば、ごく当然の要求だろう。
今日の様な日でも、ご苦労なことにエルトークスの若衆が周囲を張っている。
恐らくは……、家族ぐるみの付き合いがあるボレホにも、それとなく伺ってはいるだろう。
だが、それはそれとして、顔合わせしておくのは必要な事だった。
「勿論、ご両親には挨拶させて貰うよ。大事なお子さんを預かるんだからね」
「お子さんだって!」
モンティがミーナを指差して、揶揄するように笑った。
笑われたミーナは、頬を膨らませて顔を背ける。
「もう知らないっ。フン!」
可愛らしく怒ってリルの手を取ると。一人で勝手に歩き出してしまった。
モンティはバツの悪い顔をしていたが、その背に掛ける言葉もなく、数歩遅れて後を付いていく。
この年頃にありがちな、女の子にちょっかい掛けずいられない、悪い癖が出た様だ。
あるいはもっと単純に、ただ素直になれないだけかもしれなかった。
私は努めて気付かない振りをしながら、モンティの手を取ってリル達の横に付く。
モンティは驚くやら照れるやらで、忙しく表情を変えたが、振り払う真似はしなかった。
こういう時、仲間外れになるのは可哀想と思っての事だったが、モンティは居心地の悪さも強いようだ。
しかし、こういう時は多少、強引なくらいが良い。
直接会話に混ざれなくとも、傍に居るだけでもちがうものだ。
私とモンティの間には、今日は晴れて良かった、などの他愛ない会話しかなかったが、それでも機嫌よく彼らの家へと向かって行けた。
※※※
先に辿り着いたのは、モンティの家の方だった。
単純に距離の問題でこちらを先にしたのだが、到着してみてなるほど、と頷く。
話の節々から感じていた通り、モンティの家は商家で、主に雑貨を取り扱っているようだ。
この時期は特に需要のある帽子が、店の軒先に並んでいる。
街の祭りには、麦わらで編んだ特徴的な帽子を着用するので、今の売れ筋はその帽子らしい。
店内は帽子を買い求める客席や、それ以外のも買う客が溢れていて、書き入れ時という言葉に偽りはない。
「リルにも帽子を買っておこうか」
「ぼうし?」
「祭りに参加するやつは、みんなコレを被るのさ!」
そう言って、モンティは商品の一つを手に取り、自分で被った。
ミーナもこれに頷いて、自分の家がある方へと指差す。
「あたしのも、おうちにあるよ。後でちゃんと被るつもり!」
「そうなんだ! お母さん、リルもほしい!」
「うん、記念にもなる。買っていこうね」
祭りの帽子には決まった形があるものの、種族ごとの特徴に合わせた物がある。
リルならば耳出し穴が付いているものでなければならない。
探して選び、また頭の形に合った物を何度か試して、良さそうなものに決めた。
そうして商品を持って列に並び、会計の段になってようやく店主へと対面し、頭を小さく下げた。
「どうも、店主。本日、お子さんを預かる事と、その安全のご報告に来た、リルの母です」
「おや、こいつぁ……!」
それまで忙しくしていて、こちらに気付いてもいなかったモンティの父親は、一瞬面食らった顔をした。
だが、事態を把握するなり頭の後ろに手をやって、ペコペコと何度もお辞儀する。
「いや、どうも……! 本日は忙しいこちら側に変わって、子どもの面倒を見て下さると……! いや、ありがたいことで……!」
「大切なお子さんを預かる訳ですから、怪我なくお返しすると、お約束します」
「なぁに、子どもの怪我なんざ、元気な証拠みたいなもんです。はしゃぎ回って転ぶくらい、むしろ健全ってなもんですわ」
「おや、随分と剛毅なお方だ」
気っ風が良い、とでも言うのだろうか。
父親は闊達に笑い、それにつられて私も微笑む。
すると、途端に相好を崩し、でれっと鼻の下を伸ばした。
「話半分に聞いてたが……、えらい別嬪さんじゃねぇか……! えぇ、モンティ?」
「だから言ったろ、父ちゃん!」
そう言うモンティは、どこか自慢げだ。
だがそこに、店の奥から縦にも横にも大きい、恰幅の良い女性がやって来た。
「なぁに、だらしないこと言ってんだい! アンタ、ここは良いから裏から在庫取ってきとくれ! 祭り帽子が足りないよ!」
「いや、でもおめぇ……。もっとちゃんと、ご挨拶を……」
「――いいから、行くんだよ!」
凄い形相で一括して黙らせると、こちらに顔を向けてニコリと笑う。
先程の態度から一転して愛想の良い笑顔で、実に肝っ玉母さんらしいと感じた。
「すみませんね、あんなのを相手にさせて! モンティの母です。どうぞよろしく、そして店の方もご贔屓に!」
「おや、ついでのアピールまで。商魂たくましいな」
「それが商売人ってものさね! それより話は伺ってますよ、うちの子をお願いしますね」
「えぇ、無事に帰すと約束します」
「そこはあんまり心配しちゃいないさ! 何しろついでに、エルトークスまで護衛に入っているようなもんだ! これで怪我するってんなら、そりゃあこの子がバカなのさ」
「母ちゃん、バカはないだろ! もっとシンパイしてくれよ!」
モンティは不満を表情に乗せて言ったが、そんなものは母の前では無意味に等しかった。
「怪我するったって、どうせ走り回って転ぶとかだろ! 祭りでそんな怪我したんならね、バカって言われたって、しょうがないってもんさね!」
母の気迫は凄まじい。
モンティはすっかり参ってしまって、反論する気も失せたのか、そのまま口を閉じてしまった。
「……まっ、なんですか! 祭りじゃ無礼講が普通じゃないですか。だからあまり構えず、馬鹿やったら叱るくらいして下さいな!」
「そう言って貰えると、こちらも気が休まります。……では、あまり長居するのも申し訳ないので……」
店内に客は他にも多数いて、このままでは精算も出来ない。
今はまだ文句の声は上がってないが、長話も過ぎると怒られてしまうだろう。
私は先ほど選んだリルの帽子と、手近にあった祭り帽子を手に取り、お代を払う。
「はい、毎度どうも! なんか追い出すみたいで申し訳ありませんね! また今度、ゆっくり話しましょうよ!」
「えぇ、是非」
豪快に笑う夫人に私も微笑を返し、リルと共に帽子を被ると、会釈をして店を去る。
そのすぐ後ろにモンティとミーナも続き、今度はミーナの家へ挨拶に向かう事にした。