次の日の朝早く、リルが飛び起きたのと同時、その動きが伝わって私も目を覚ました。
普段は私よりも寝ぼすけなのに、こういう時だけ早いのは、子どもならではだろうか。
「楽しみで眠れなかっただろうに……」
「いいの! ねてらんないもん!」
そう豪語したリルだが、今日のお昼寝はきっと、長めになる事だろう。
それに、鍛練や勉強については、いつもの通り行われるのだ。
これは夜に祭りが控えていようと関係ないので、途中で眠くならないか心配だった。
「後で眠くなるよ。今はまだ、少し寝ておきなさい」
「ダイジョーブ!」
言うなりベッドから降りて、ベッドの下で寝るアロガに跨がった。
「グォウ……!」
未だ寝ていたアロガは、その暴挙に大変迷惑そうだ。
しかし、リルが背中をてしてし、と叩けば、うっそりと立ち上がってそのまま一階へ降りていった。
「自分の足で行きなさい、まったく……」
アロガも何だかんだと嫌がらないから、それが原因の一つとなっている。
あまり、自分の都合で振り回して欲しくないし、そろそろ手足の一部ではない、と教え込まなければならないだろう。
それはともかく、今日も一日の始まりだ。
いつもより慌ただしいのは間違いなく、そしてリルを、夕方まで宥め続ける大変な一日となりそうだった。
「そして、夜からはもっと大変だ」
今から
私は一度大きく伸びをして、息を盛大に吐いてから下に降りた。
※※※
そして、やはりと言うべきか……。
朝の鍛練中は元気に溢れていたリルも、勉強時間になると、途端にやる気をなくした。
というより、眠気で集中出来なくなってしまったのだ。
予想通りの展開に、私は苦笑しつつリルの頭をひと撫でする。
「それが終わったら、ちょっと休憩しよう。全然、進んでないから」
「ホント!? きょうは、もうおわり!?」
「おっと。そんなに元気なら、休憩は必要ないかな」
「んぅ……、お母さんイジワルだ……」
一度は元気を取り戻したリルだが、途端に消沈して肩を落とした。
本日は書き取りの日で、余計に眠くなるのは理解出来る。
しかし、この時代において、文字が書けるというのは立派な技術だ。
綺麗な文字を書けるとなれば、それだけで職にも就くのも不可能ではない。
ギルドにも代筆屋がいるし、更に腕が良ければ、書士として領主に雇われる事もあるだろう。
今、リルにそこまで教えるつもりはないが、読み書きは決して無駄にならないと、役に立つものだと、いつか教えてあげたいと思う。
「意地悪とは心外だな。……でも、今のまま続けても意味はなさそうだし、休憩にしよう」
「やった……!」
リルは筆記具を放り出して、テーブルから飛び出そうとした。
しかしそれを、私が待ったを掛ける。
「リル、何処に行くんだ?」
「おそとだよ?」
「遊んで疲れたら、また勉強時間に眠くなるじゃないか。外に行かず、ちょっと寝てなさい」
「でも、まだおひるねのじかんじゃ、ないもん!」
いつもはお昼を食べて少ししてからだから、それから考えると大分早い。
しかし、望むままに遊ばせては、余りに本末転倒だった。
「不思議と、勉強する時だけは眠くなるのは、お母さんにもよく分かる。でもね、今日はろくに寝てないのが原因なんだから、寝て頭をスッキリさせなさい」
「じゃあ、いまねたら、おひるねなくなる?」
「ならないよ。むしろ、しっかり寝かせる」
「んぅ、もぉ……!」
リルはお昼寝が嫌いだ。
寝るくらいなら遊んでいたい、と思っている。
だが、そうすると夕食時にはもう、船を漕いで眠りそうになるので、リルにお昼寝は必須だった。
それに、今日は特別な夜だ。
日が沈む頃から始まるお祭りは、夜通し行われる。
いつもと同じ時間に眠っていると、その半分も味わえない事になってしまうのだ。
その事を説明してあげたのだが、何処から出て来る自信なのか、リルは憮然として言った。
「へーきだもん。リル、おきてられるから……!」
「いいから、お母さんの言うこと聞いておきなさい。絶対、悪いようにはしないから」
努めて優しく諭し、それでも納得しないので、根気よく説得する。
それでようやく、リルは言うことを聞いて眠ってくれた。
しかも、添い寝がないと寝ないという、条件付きである。
母も決して暇ではないのだが、これ以上グズられても面倒なので、その条件を飲んで寝かしつけた。
「やれやれ……」
※※※
その後は、滞りなく勉強を済ませた。
昼食を挟むと、またお昼寝をして――寝たくないとゴネるリルは大変苦労だった――、それからマナ訓練を経て、今に至る。
時刻は夕方、夏の夜が近付くにつれ、外の気温も落ちてきた。
普段ならば、既に夕食の準備をするところだが、今日は祭りに提供する料理を作るだけで終えている。
リルがお昼寝している間に下準備の手伝いをしていて、大部分はシルケが担当した。
そうして、リルのお腹が可愛らしい音を立てた頃、いよいよ妖精の一体が私達を誘いにやって来た。
「やぁやぁ、お待たせしたね。……おや、リル。どうしたの、不機嫌そうな顔して」
「おなかが、ペコペコなの!」
「なんだ、そんな事か! じゃあ、すぐ上機嫌になるよ。さあ、これを……」
そう言って差し出したのは、花の冠だった。
色とりどりの花弁が咲き乱れる、リルの頭をすっぽりと覆う冠だ。
リルの話に散々出ていた祭り帽子に対抗してか、少し豪華な作りになっていて、貰ったリルも大変満足げな顔をしている。
今はもう、夜が深まると肌寒さを感じるので、私は緑の外套を着た。
リルにも同じ物を着させると、花冠の事も相まって、まるで妖精にも似た姿になった。
「うん、よく似合うよ、リル。今日みたいな日には、特に素敵な装いだね」
「んひひっ! でもね、これちょっとアツい……」
「今はね。でも、日が完全に落ちると、あって良かったと思うよ」
最初こそ不満そうではあったが、説得されて納得した。
代わる代わる来る妖精達に、似合う似合うと褒めそやされたせいもあるだろう。
「さ、行こうか」
「うんっ!」
手を繋いで家から出た瞬間、風に運ばれて甘い香りが鼻腔をくすぐった。
どうやら、妖精達が自分で用意すると言っていた料理から香ってくるらしい。
リルは期待に胸を膨らませ、私を置いて駆け出しそうな勢いだ。
私はしっかりと手を繋ぎ直して、独りで勝手に行かない様に釘を刺す。
「祭りは逃げないよ。ゆっくり行こう」
「お母さんは、ゆっくりしすぎなの!」
逸る気持ちの前では、私の言葉など耳に入らないらしい。
グイグイと引っ張って、畑の方に行こうとする。
私は抵抗する事なく着いて行き、そして会場を目にして目を見開いた。
リルの方を見てみれば、同じように驚いて、身体を震わせている。
私達の到来に気付いた、入り口付近に居た妖精達は、音楽を奏でて歓迎の意を示した。
木の葉や枝を用いた弦楽器、木の実を使った打楽器、草の葉の笛など、他にも種類が多くあって本気度合いを窺わせる。
宙に浮いた妖精達が、リズムに合わせて揺れる度、金色の鱗粉が舞った。
また、待ち構えていたのは、妖精ばかりではない。
そこでは精霊もまた私達に手を振り、各々が司る属性の光で、道を作って迎えてくれた。
アーチ状になった光の輪を、一つ一つ潜って進む。
色の種類は虹ほど豊かではなかったが、輪の中を進むのはとても幻想的な体験だ。
「うわぁ~……!」
リルは手を広げて、くるくると回りながら進んで行く。
そうして幾つもの輪を潜り終わると、光の途切れた先には精霊が二体、待っていた。
どちらも中位精霊で、我が家では滅多に姿を見せない個体だ。
ただし、いつでも見守っている存在であると、私だけは知っている。
その精霊は不本意そうにしていたが、小さな透明の珠を差し出し、リルへと贈られた。
「くれるの? きれ~……、ありがとうっ!」
満面の笑みを浮かべて受け取るリルだったが、ぬか喜びさせ続けるのも忍びない。
私はリルの頭を撫でながら、水の宝珠について説明を始めた。
「リル、それはね、水瓶の中に入れておく為の物だ。綺麗だけどね、装飾品とかそういうのじゃない」
「そうなの? でも……、なんでいれるの?」
「そうすると、水がいつまでも清潔なままで、腐ったりしなくしてくれるのさ」
「みずって……、くさるの?」
不思議そうに首をかしげたリルに、私と水の精霊双方から頷きが返った。
私は言う。
「何もせずに放置すれば、案外十日ほどで腐ってしまう。我が家では私が魔術で作り出した水を使ったり、水の小精霊が注いでくれたりしてるから、汚れてるってことはないけど……。でも、ずっと清潔さを保ってくれるのは、大変ありがたい事だよ」
素直に賞賛すると、然もあらんと言わんばかりに水の精霊は頷き、そして結局何も喋らないまま、その場から消えてしまった。
「あっ、いっちゃった……」
「何か贈り物でも用意しろ、と言われて、その通り渡したし、役目は済んだと思ったんじゃないかな」
「おはなし、したかった……」
「そういうの、嫌がる精霊もいるからね。だったら何で来たんだ、と思うけど……妖精に説得されて断り切れなかったのかな」
「ほんとはやさしいんだ!」
リルは宝玉を大切そうに両手で握る。
何に使うか分かった後でも手放さないので、どうやら気に入ったらしい。
「綺麗だものな。持ってたいか?」
「うんっ」
ならばと、魔術で即席の首飾りを作った。
宝玉と金具同士が、きちんと接着されているのを確認すると、そのままリルの首に掛けてやる。
「わっ、ありがと、お母さん!」
「リルには前に、ちゃんとしたのを上げてたのに……」
「でも、こっちのほうが、おっきいもん!」
それはそうだが、そんな事を言われたら、ティアドロップ型のペンダントが泣いてしまう。
見た目は小振りで、ともすれば街の雑貨屋に埋もれていそうな品だが、とても貴重な物だ。
秘めたる力の意味を知れば、誰もがこぞって奪おうとしても不思議ではない程なのだ。
今、それをリルに教えても仕方がないので、単なる私とお揃いのペンダントと言うことになっているが……。
しかし、もっと大きくなったら、それを託した理由を教えなければならない。
でもとりあえず今は、楽しい祭りの時間だ。
水を差す事なく、リルにはこの瞬間を楽しんで欲しい。
そう思っていると、次に控える火の精霊が笑顔で両手を広げ、歓迎の意を表しつつ近付いて来た。