アロガで存分に遊んだリルは、次にナナの手を取った。
昨日の思い出を振り返るように、同じ踊りでステップを刻んでは笑っている。
ほんの少し前までは、母の影を離れることすらためらう程だったのに――。
今ではその母を置いて、誰に導かれずとも自分の足で踊り、笑い、手を伸ばせるようになっている。
――子どもの成長は早い。
今はまだ小さな身体も、一体いつまで、この腕の中で抱けるだろうか。
まだまだ母に甘える年頃だが、その内完全に親離れする日も来るのだろう。
それを思う寂しい気持ちと、その成長を歓迎する気持ちでせめぎ合う。
気持ちに折り合いが付かぬまま、ただリルを見つめていると……。
その胸元で光る燈火の宝珠が、陽光を受けてきらりと光った。
あの贈り物を受け取った時の、リルの誇らしげな表情を思い出す。
精霊たちの眼差しに応えるように、リルは一歩ずつ、その付き合い方と向き合い始めているのだ。
今はまだ、隣人としての側面が強いかもしれない。
ナナという、姉妹同然の存在もある。
しかし、そうした精霊ばかりではなく、敬意をもって接するべき存在だと、リルは知ったはずだ。
「……だがあの子は、もう精霊に好かれているのかもしれない」
私は小さくそう呟き、目を細めた。
最初の元となる好意は、私が理由となっているのは間違いない。
しかし、精霊は本来、一個人に忖度する事は滅多になかった。
宴で歓迎に現れた水の精霊が良い見本だ。
形ばかりの礼をして、後は義理を果たしたとばかりに去って行く。
それは精霊個人の気質も全く無関係ではなかったが、むしろあの対応の方が普通なのだ。
私への義理と言うなら、それで十分果たされている。
だが、多くの精霊はリルに好意的だった。
ユニコーンがその背に乗せたのも、また一つの好例だろう。
あれは忖度とは、完全に無縁の行動だった。
私はリル達の踊りを、見るともなく見る。
勝手気ままに踊るリルと、それに振り回されるナナ。
精霊の型を教えようと奮闘していたが、はしゃぐリルには殆ど届いていなかった。
見つめたままでいると、リルがこちらに手を振ってくる。
どうした、と思ってみると、リルは期待の眼差しで言って来た。
「きょうは、おべんきょとか、ないんでしょ……!?」
「あぁ、今日はね。遅く起きたし……、リルもその様子じゃ、全然集中出来そうにないし……」
「やった……!」
リルは飛び跳ねて全身で喜びを表現し、アロガの頭を叩くように撫でて走り出す。
「いこっ、アロガ! はたけのほう!」
既に昨日の雰囲気は、露と消えているだろう。
夜に見た光景は華やかだったが、今は整地すらされているかもしれない。
そもそも、元に戻すという約束で好きに弄らせたので、今では跡形もなくなっている可能性すらあった。
それを知らずに駆けて行ったリルが、少し不憫に感じる。
後を付けて行ってみると、案の定、既に整えられた後だった。
しかし、意外にも落胆はしていなかった。
屋台は消え去り、演舞にも使われた広場など跡形もない。
大方の撤去は終わっていて、後に残された物といったら、地面に散らばった花びらくらいだった。
まだ完全に元通りとは言えない畑を見ながら、私はリルの背中に話し掛ける。
「妖精がやる事にしては、仕事が早いな。いや、屋台は精霊の出し物だし、彼らがやったのか……。ガッカリしたろう?」
「うん、ちょっとだけ。ちょっとだけね! でも、いーの!」
リルは早速座り込んで、地面に落ちたままの花びらを拾い始める。
「おや、それをどうするんだい?」
「んひひっ、ヒミツ~!」
花びらなら何でも良いわけではないらしく、一枚一枚確かめて選り分けている。
私も一枚手に取って、しげしげと眺めた。
「それにしても……、これ本物の花びらか。昨日のやつは、全てマナで作った偽物だと思ってた……」
実際に、弾けて消えたり、光となった物はそうなのだろう。
だが、これを見る限り、本物も半分近く用意していたようだ。
「本当は全て本物にしたかったけど、無理だと思って諦めたかな。……うん、そっちの方がしっくり来る」
何しろ、妖精のやる事だ。
演出上有効だと考えるより、とりあえず集めてみて、無謀だと気付いたのではあるまいか。
「じゃ、お母さん、かえろっ!」
「おや、早いな……。もう?」
リルは両手で収まる量の花びらを見せ付け、大いに頷いた。
「うん、いーの! シルケにも、みせてあげるの!」
「優しい子だ……」
シルケも窓際から見ていたかもしれないが、実物を間近では見られない。
その気遣いに、心が温かくなるのを感じながら、愛おしさのまま頭を撫でた。
「それじゃあ、早速シルケのやつにもおすそ分けしよう」
「うんっ!」
※※※
家に帰って、リルから事情が説明されると、シルケは大いに喜んだ。
家事に関すること以外、一切触れられない彼女だから、花びらを受け取ったりはしない。
それでも、リルの思い遣りには感動して抱き着いた程だ。
それも当然すり抜けてしまうから、本当の抱擁ではなかったが、リルは照れ臭そうに笑った。
その後、リルは卓上に布を広げ“祭り帳”を作り始めた。
先程の花びらを薄い紙に挟み、屋台の順番を思い出して絵を描いては、シルケに見せた。
火の精霊の炎は赤い円だけでは足りず、リルは橙、金、そして点々の光を追加した。
「ここはね、かぜのわたがし。たべたらね、かみがたったの!」
私が思い出して笑うと、リルは得意げに頷き、絵の端に小さな矢印付きで“ふわっ”と書き添えた。
そうした説明とお絵描きは、その日の話題が終わるまで続けられ、その度にシルケは控え目に手を叩きながら喜んだ。
※※※
それがひと段落すると、洗い桶に水を張る手伝いのあと、リルは庭で“ひとり遊びの競技”を始めた。
花びら追いの代わりに、白い羽根を一枚家畜小屋から取ってきて、自分で投げては自分で追い、指先でそっと受け止める。
知ってか知らずか、自主的なマナ訓練となっていた。
今日はなしと言われ喜んでいたのに、宴の遊びをしている内に、どうやらそういう事になったらしい。
「――やっ!」
羽根が土に落ちる前に、風を作って両手で空気を払う。
「もう少し、包み込む様に優しくね」
ナナからのアドバイスを聞いて、動きが丁寧になった。
そうして今度は、ナナの方が羽根を飛ばし、不規則な動きで落として来る。
リルが自分で投げていた時より、大分難しく、途端にリルの動きが固くなった。
狙いが定められず、足を前後に動かした後、飛び掛かろうと足を屈める。
だが、いざその時になった時、不意に横合いから何かの影が動いた。
それはリルより早く羽根に飛び掛かると、前足を振り下ろし、粉々に裂いてしまった。
「んもぉ~、アロガ~!」
リルは憤慨したが、アロガはもっと遊べと言わんばかりに上機嫌だ。
尻尾もはち切れんばかりに振って、次の羽根を待ち構えている。
「もう、ダメっ! はね、なくなっちゃうから!」
そうは言ってもアロガはじゃれつくばかりで、リルは早々に諦めてしまい、次に光玉運びを始めた。
だが、本当の光玉は用意できないので、小石で代用だ。
匙の上に乗せ、屋外の壁際に置かれた樽の影まで、庭の“コース”を慎重に歩く。
途中で小石が傾いた時、やはりアロガが突進して来て、小石は匙から飛び跳ねてしまった。
「んもぉ~! アロガ、ジャマしないで! れんしゅーちゅーなの!」
「グルゥ……」
アロガは弱り切った顔で耳を伏せたが、そうは言っても、遊んでいる様にしか見えない。
自分も遊んで、と寄り添いたくなる気持ちはよく分かった。
「それにしても、リル……。練習って、何の……?」
「またらいねん、“きょーぎ”があったときも、かてるように!」
「今からするには、少し早過ぎるような……」
「ようせいとしょーぶなの! こんども、ゼッタイかつんだから!」
その熱意は素晴らしいが、来年も必ず開催するとは決まっていない。
それは妖精の口からも明言されていた筈だ。
しかし、リルの中では既に決定事項となっていて、昨日の熱が残っている今だからこそ、そういう結論になっていた。
リルは再び小石を拾い、最初からコースを歩き直す。
アロガはその周囲を心配そうにウロウロと歩き、そうしてゴールの樽に小石が触れた時、リルは自分で自分に拍手した。
※※※
普段は料理の殆どをシルケに任せているが、今日はリルの要望もあって、私も台所に立った。
シルケの料理に文句はなく、いつでも絶品には違いないが、それはそれとして、時には母の手料理が食べたいという可愛い我儘だ。
実際、少し前までは、姿を見せられなかった事もあり、むしろシルケはサポートとして働いて貰っていた。
それまで料理を作るのは私の方がメインだったし、その味が恋しいと思って貰えるのは、母としても嬉しい事だ。
しかし、少し違うのは、今日はリルも料理に参加していることだった。
どういう気紛れか、リルも手伝うと強く主張して来た。
「嬉しいけど、どういう心境の変化だろうね?」
「ミーナちゃんね、おうちでは、おしょくじのてつだい、してるんだって!」
「ほぉ、感心な子だ」
「ねっ! だからね、リルもやったほうが、いいのかなぁ?」
「そうだね、リルにはまだ早い事も多いから……。少しずつ、覚えていこうな」
「うんっ!」
まだ包丁や火の扱いは任せられない。
少し調味料を入れて貰うとか、皿の準備をして貰うとか、やってくれると嬉しい事はある。
今はスープを作っている所で、私はリルに塩の入った掌サイズの壺を指差し、鍋への投入を頼んだ。
「ひとつまみ、入れてくれる?」
「んっ!」
リルは椅子にのぼって塩をひとつまみ――のつもりが、ふたつまみ分も手に取ってしまい、慌てて戻す。
「お、ちゃんと気付けたな。偉いぞ」
「んひひっ!」
リルは得意顔になって胸を張った。
「ねぇ、お母さん。リル、きづいちゃった」
「うん、何に?」
「きのうもね、せーれーたちといっしょにおどるとき、“みんなで一つ”ってかんじがあったの」
「うん、そうかもしれないね」
あの宴――特に輪になって踊った時は、一体感というものがあった。
リルが言う、“みんなで一つ”という感覚は、確かにその通りだ。
「あのかんじがね、だいどころにもあるみたい」
「ふぅむ……」
鍋の泡が小さく弾ける音、まな板に包丁が触れる音、炉の火が静かに呼吸する音。
それらをあるいは、輪の中の一体感と呼べるかもしれない。
「リルは素敵な感性を持っているね。大事になさい」
「うんっ!」
リルはそのどれもが、自分の動作とぶつからないように――ゆっくりと、音と音のあいだに手を差し入れる。
そうして完成した料理は、いつもより美味しく感じられた。
特にリルは、自分が協力して作ったという自負が強く、とても満足気だ。
「おいしいね! いつもより、おいしい!」
「あぁ、リルのお陰だね」
「ねっ! だよね、アロガ!」
残念ながら、アロガには塩っ気が強すぎるので、同じスープはあげていない。
だが、それはそれとして、自分の自慢をしたいリルは、そのアピールを欠かさない。
その様子が愛しく、また可愛らしく、私とシルケは顔を見合わせて笑っていた。