混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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病の試練と悲しい別れ その6

 森を渡る風が日に日に冷たさを増し、いよいよ冬が近付いて来た。

 朝の早い時間ともなれば、吐いた息は白くなって舞い上がる。

 

 枝を落とした木々がすらりと空に伸び、どこか寂しげに冬の到来を告げていた。

 

「もうそろそろ、妖精達は精霊界に帰る頃合いだな……」

 

 朝食の席で、私は窓の外を見ながらそう言った。

 リルはスープを掬おうとしていたスプーンの手を止め、悲しげに眉をひそめる。

 

「よーせたち、いなくなるの?」

 

「去年もそうだったろう? 覚えてないのか?」

 

「だって、ずっといなかったもん」

 

 そういえば、リルが妖精達の姿を見られる様になったのは、今年の春になってからだった。

 

 実際に妖精達はいたのだが、見えないものは実感が薄い。

 きちんと見送りまでしたのに、その事をよく理解していないのは、ある意味仕方がないのかもしれなかった。

 

「まぁ、ともかく……。本格的な冬が来る前に、妖精達は帰るんだ。精霊の中には残るのもいるけど、妖精は全員いなくなる」

 

「そうなんだ……」

 

 リルはひっそりと、零すように息を吐きだす。

 そこへ異常なほど明るい声で、横合いから妖精が話し掛けて来た。

 

 いつの間にいたのか、テーブル上のパン篭の中から、にょっきりと顔だけ覗かせている。

 

「寂しくなるよな。リルも寂しいだろ、俺たちに会えなくて」

 

「べつに! さびしくないもん!」

 

 先程の態度から一変、リルはムスッとして妖精から顔を背けた。

 

「そんなこと言って……! ホントは寂しいんだろ!」

 

「そうだ、そうだ。寂しくなるはずだろ?」

 

「冬の間ずっとよ? 春になって、暖かくなるまで、ずっと会えないの。寂しくない?」

 

 パン篭から、更に二体の妖精が姿を覗かせた。

 パンの山をよじ登り、リルに向けて切なげな視線を送る。

 

 しかし、意固地になったリルは、にべもなかった。

 

「ならないっ! おかしとか、とられなくてすむもんっ! ゼ~ンゼン、さびしくない!」

 

「おやおや、それを言われちゃあなぁ……」

 

 妖精の一人が降参する様に手を挙げると、けらけらと笑って、そのまま飛び上がって去ってしまった。

 

 もう一人はリルの頭上を飛び回り、最後に頭頂部を撫でて去って行く。

 最後の一人は寂しそうな顔をさせつつ、リルの頬にキスして、そのまま去った。

 

 リルの小さな口はキュッと結ばれていて、口ほどに悪く思っていないのは明白だ。

 

「ちゃんと、お別れしなくて良いのかい? 本当にもうすぐ、居なくなってしまうよ」

 

「もうすぐって……、いつ?」

 

「気温の具合にも寄るから、決まった日にちというのはないけれど……。あぁして妖精達が姿を見せに来たってことは……、大体三日以内、くらいだと思う」

 

「……もう、それしかないの?」

 

 その言葉こそが、リルの本音だろう。

 だが、煮え湯とまでは言わないものの、妖精達にはそれなりに遊ばれて来た。

 

 だからだろう。

 それが理由で素直になれないのだろうが、あまり口煩く態度を改める様に言っても、逆効果になりそうだ。

 

 どうしたものかと考えていると、リルが不安そうな顔つきで尋ねて来る。

 

「……でも、またすぐ、かえってくるんでしょ?」

 

「そう、春頃になればね。その時になれば、また会えるさ」

 

「じゃあ、いいもん!」

 

 それが強がりであるのは、声音からも分かった。

 自分から言い出した手前、そう簡単に覆せないのも、また理解できる。

 

 今すぐ強く言い含めなくとも、まだ機会はあった。

 今年もまた精霊送りの儀は行われるのだ。その時に諭しても良い。

 

 私は篭からパンを手に取り、千切って口に入れながら、そんな事を考えていた。

 

 

  ※※※

 

 

 あっという間に三日が経ち、そして予定通りに妖精達が帰郷することになった。

 一度冷え込むと感じたら、そこから傾くのは本当にあっという間だ。

 

 そして、それを何より敏感に感じ取っているのが妖精達で、だから帰郷に踏み切るのも早かった。

 いつかの様に、畑には空間の歪みが発生している。

 

 私達がそこへ向かった時には、既に妖精と精霊たちが集まっていた。

 透き通る羽根を持つ妖精は、干した果実や木の実の袋、蜂蜜を封じた瓶を抱えている。

 

 そうして今も、備蓄小屋から持ち出した保存食を掲げて、こちらにやって来る列も見えた。

 その誰もが華やかなの表情で歓喜を表現していて、中には浮かれてはしゃぐ者の姿も珍しくない。

 

 小精霊たちの幾つかは、姿こそはっきり見えないが、冷たい空気に漂う光の粒子がその存在を知らせてくれている。

 

 私はリルの手を握りながら、その光景を見つめていた。

 幼い娘の手は少し冷たく、それでもしっかりと私の手を握り返してくる。

 

 リルは傍らで身体を擦り付けて来るアロガを撫でながら、呟く様に言った。

 

「お母さん……あの子たち、ほんとうにあんなにたくさん、はこべるの?」

 

 リルは大きな荷を抱えてよろめく妖精を指差し、少し心配そうに眉を寄せた。

 

「うん、大丈夫。見てごらん、仲間がすぐに手を貸しているだろう?」

 

 私もまた指差し、羽根をきらめかせながら二人がかりで、包みを抱える妖精たちを示す。

 

 この一年、このマナに満ちた食料を得る為に働いていた様なものだから、彼らの連帯感も相当なものだ。

 普段、自分の身体ほど大きな何かを持とうとする者がいたら、近くで囃し立てるのが精々だろう。

 

 しかし今は、備蓄小屋から空間の歪みまで、手に取って助け合う姿が散見され、またそれを応援する声で溢れていた。

 

 声を上げずにいる者は、代わりに楽器をかき鳴らし、これからの帰郷を盛り上げる。

 リルはしばらく考えるように黙り、やがてぽつりと尋ねた。

 

「でも……どうして精霊界(アッチ)に持っていくの? ここでたべればいいのに」

 

「それはね……」

 

 そういえば、詳しく説明した事がなかったと思い当たり、私は少し声を落とすと娘の目を見つめて言った。

 

「あの子たちの故郷はね、深刻なマナ不足なんだ」

 

「マナ……ぶそく?」

 

「食べ物が足りない、と言い換えても良いよ。精霊や妖精に取っては、同じようなものだから」

 

 マナさえあれば生存に困らない彼らだが、同時に大量のマナを必要とする。

 かつてはエルフに――そして今は人間にも、そのマナの発生地を占有されているから、現在は非常に心許ない事になっていた。

 

 この状況が続き、そして更に秘境すら開拓されていく事になれば、いよいよ精霊界は存続が危ぶまれる事になるだろう。

 

「でもとりあえず、物質にマナを込める事が、お母さんには出来るからね。それを保存食と一緒に持ち帰って貰うのさ」

 

「でも……、どうして食べ物? ほかの……なにかべつのモノでも……」

 

「単純に喜ぶからさ。美味しい物を食べると、リルも嬉しくなるだろう? それはね、精霊や妖精も一緒だ。だから、あぁした贈り物をするんだ」

 

 リルは頷きこそしたものの、まだ納得しきれぬ様子で唇を尖らせる。

 

「じゃあ……もしリルが()()()()だったら、お母さんもごはんをくれる?」

 

 私は笑って頷いた。

 

「もちろんだとも。リルがどこにいても、必ず食べ物を届けるよ」

 

 リルの頬がほころび、安心したように笑った。

 その笑みは、冷たい風の中でも春の陽だまりのように温かい。

 

 妖精たちはパレードさながらの動きで次々と飛び立ち、光の尾を残して歪みの中へと消えていく。

 リルはその一つ一つを、追いかけるように見送っていた。

 

「ねえ、お母さん。あの光、ぜんぶ精霊なの?」

 

「あぁ、人の目にははっきり見えない精霊は、ああして光になって姿を示してくれている。ちょっとしたお礼も兼ねているのかな」

 

「じゃあ……、よるにみえるホシも、せーれー?」

 

 その問いに、私は少し考えてから微笑んだ。

 

「それは少し違うけど、精霊と心を通わせるのに良いかもね。星を見上げれば、精霊たちのことも思い出せるのは素敵なことだ」

 

「じゃあ、ふゆのあいだもホシをみれば、よーせーたちのこと、おもいだせるね」

 

「そうだね。寂しくなったら、星に話しかけてごらん。きっと、あの子たちが耳を傾けてくれる」

 

 リルは嬉しそうに頷き、胸に両手を当てた。

 

「じゃあ、毎晩お話しする! 『早く春になってね』って」

 

 その言葉を直接、妖精達に言ってやったら、どれだけ喜ぶだろう。

 変に意地を張らず、素直になっていれば良いのに……と思うが、幼い心は複雑なものだ。

 

 やがて最後の妖精が飛び立ち、広場には深い静けさが訪れた。

 冷たい風だけが頬を撫で、残されたのは甘い果実の香りの名残だけだった。

 

 リルは小さな声で呟く。

 

「いってらっしゃい……」

 

 その横顔を見つめながら、私は心の中で強く思った。

 ――冬を共に越え、この子の心に光を絶やさぬように。

 

 春が来たとき、再びこの森で妖精たちを迎えられるように。

 私はリルの肩を抱き寄せて囁く。

 

「春になったら、きちんと『お帰りなさい』と言っておあげ。もっと妖精と仲良くなれるぞ」

 

「んぅ……、かんがえとく」

 

 普段は素直なリルだが、妖精相手だと、どうにも頑固だ。

 仕方ない、と気持ちを切り替え、肩をポンと叩く。

 

「さ、夕食の準備でも始めようか。リルが好きなスープに、デザートは今日見送りにも出した果実にしようか」

 

「ほんと? やった!」

 

 リルは目を輝かせ、両手を上に突き出して笑った。

 アロガは当然、意味など分かっていないが、喜ぶリルに合わせて喜んでいる。

 

 その笑顔は、どんな冬の夜よりも明るい灯火のように、私の胸を照らしていた。

 

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