森を渡る風が日に日に冷たさを増し、いよいよ冬が近付いて来た。
朝の早い時間ともなれば、吐いた息は白くなって舞い上がる。
枝を落とした木々がすらりと空に伸び、どこか寂しげに冬の到来を告げていた。
「もうそろそろ、妖精達は精霊界に帰る頃合いだな……」
朝食の席で、私は窓の外を見ながらそう言った。
リルはスープを掬おうとしていたスプーンの手を止め、悲しげに眉をひそめる。
「よーせたち、いなくなるの?」
「去年もそうだったろう? 覚えてないのか?」
「だって、ずっといなかったもん」
そういえば、リルが妖精達の姿を見られる様になったのは、今年の春になってからだった。
実際に妖精達はいたのだが、見えないものは実感が薄い。
きちんと見送りまでしたのに、その事をよく理解していないのは、ある意味仕方がないのかもしれなかった。
「まぁ、ともかく……。本格的な冬が来る前に、妖精達は帰るんだ。精霊の中には残るのもいるけど、妖精は全員いなくなる」
「そうなんだ……」
リルはひっそりと、零すように息を吐きだす。
そこへ異常なほど明るい声で、横合いから妖精が話し掛けて来た。
いつの間にいたのか、テーブル上のパン篭の中から、にょっきりと顔だけ覗かせている。
「寂しくなるよな。リルも寂しいだろ、俺たちに会えなくて」
「べつに! さびしくないもん!」
先程の態度から一変、リルはムスッとして妖精から顔を背けた。
「そんなこと言って……! ホントは寂しいんだろ!」
「そうだ、そうだ。寂しくなるはずだろ?」
「冬の間ずっとよ? 春になって、暖かくなるまで、ずっと会えないの。寂しくない?」
パン篭から、更に二体の妖精が姿を覗かせた。
パンの山をよじ登り、リルに向けて切なげな視線を送る。
しかし、意固地になったリルは、にべもなかった。
「ならないっ! おかしとか、とられなくてすむもんっ! ゼ~ンゼン、さびしくない!」
「おやおや、それを言われちゃあなぁ……」
妖精の一人が降参する様に手を挙げると、けらけらと笑って、そのまま飛び上がって去ってしまった。
もう一人はリルの頭上を飛び回り、最後に頭頂部を撫でて去って行く。
最後の一人は寂しそうな顔をさせつつ、リルの頬にキスして、そのまま去った。
リルの小さな口はキュッと結ばれていて、口ほどに悪く思っていないのは明白だ。
「ちゃんと、お別れしなくて良いのかい? 本当にもうすぐ、居なくなってしまうよ」
「もうすぐって……、いつ?」
「気温の具合にも寄るから、決まった日にちというのはないけれど……。あぁして妖精達が姿を見せに来たってことは……、大体三日以内、くらいだと思う」
「……もう、それしかないの?」
その言葉こそが、リルの本音だろう。
だが、煮え湯とまでは言わないものの、妖精達にはそれなりに遊ばれて来た。
だからだろう。
それが理由で素直になれないのだろうが、あまり口煩く態度を改める様に言っても、逆効果になりそうだ。
どうしたものかと考えていると、リルが不安そうな顔つきで尋ねて来る。
「……でも、またすぐ、かえってくるんでしょ?」
「そう、春頃になればね。その時になれば、また会えるさ」
「じゃあ、いいもん!」
それが強がりであるのは、声音からも分かった。
自分から言い出した手前、そう簡単に覆せないのも、また理解できる。
今すぐ強く言い含めなくとも、まだ機会はあった。
今年もまた精霊送りの儀は行われるのだ。その時に諭しても良い。
私は篭からパンを手に取り、千切って口に入れながら、そんな事を考えていた。
※※※
あっという間に三日が経ち、そして予定通りに妖精達が帰郷することになった。
一度冷え込むと感じたら、そこから傾くのは本当にあっという間だ。
そして、それを何より敏感に感じ取っているのが妖精達で、だから帰郷に踏み切るのも早かった。
いつかの様に、畑には空間の歪みが発生している。
私達がそこへ向かった時には、既に妖精と精霊たちが集まっていた。
透き通る羽根を持つ妖精は、干した果実や木の実の袋、蜂蜜を封じた瓶を抱えている。
そうして今も、備蓄小屋から持ち出した保存食を掲げて、こちらにやって来る列も見えた。
その誰もが華やかなの表情で歓喜を表現していて、中には浮かれてはしゃぐ者の姿も珍しくない。
小精霊たちの幾つかは、姿こそはっきり見えないが、冷たい空気に漂う光の粒子がその存在を知らせてくれている。
私はリルの手を握りながら、その光景を見つめていた。
幼い娘の手は少し冷たく、それでもしっかりと私の手を握り返してくる。
リルは傍らで身体を擦り付けて来るアロガを撫でながら、呟く様に言った。
「お母さん……あの子たち、ほんとうにあんなにたくさん、はこべるの?」
リルは大きな荷を抱えてよろめく妖精を指差し、少し心配そうに眉を寄せた。
「うん、大丈夫。見てごらん、仲間がすぐに手を貸しているだろう?」
私もまた指差し、羽根をきらめかせながら二人がかりで、包みを抱える妖精たちを示す。
この一年、このマナに満ちた食料を得る為に働いていた様なものだから、彼らの連帯感も相当なものだ。
普段、自分の身体ほど大きな何かを持とうとする者がいたら、近くで囃し立てるのが精々だろう。
しかし今は、備蓄小屋から空間の歪みまで、手に取って助け合う姿が散見され、またそれを応援する声で溢れていた。
声を上げずにいる者は、代わりに楽器をかき鳴らし、これからの帰郷を盛り上げる。
リルはしばらく考えるように黙り、やがてぽつりと尋ねた。
「でも……どうして
「それはね……」
そういえば、詳しく説明した事がなかったと思い当たり、私は少し声を落とすと娘の目を見つめて言った。
「あの子たちの故郷はね、深刻なマナ不足なんだ」
「マナ……ぶそく?」
「食べ物が足りない、と言い換えても良いよ。精霊や妖精に取っては、同じようなものだから」
マナさえあれば生存に困らない彼らだが、同時に大量のマナを必要とする。
かつてはエルフに――そして今は人間にも、そのマナの発生地を占有されているから、現在は非常に心許ない事になっていた。
この状況が続き、そして更に秘境すら開拓されていく事になれば、いよいよ精霊界は存続が危ぶまれる事になるだろう。
「でもとりあえず、物質にマナを込める事が、お母さんには出来るからね。それを保存食と一緒に持ち帰って貰うのさ」
「でも……、どうして食べ物? ほかの……なにかべつのモノでも……」
「単純に喜ぶからさ。美味しい物を食べると、リルも嬉しくなるだろう? それはね、精霊や妖精も一緒だ。だから、あぁした贈り物をするんだ」
リルは頷きこそしたものの、まだ納得しきれぬ様子で唇を尖らせる。
「じゃあ……もしリルが
私は笑って頷いた。
「もちろんだとも。リルがどこにいても、必ず食べ物を届けるよ」
リルの頬がほころび、安心したように笑った。
その笑みは、冷たい風の中でも春の陽だまりのように温かい。
妖精たちはパレードさながらの動きで次々と飛び立ち、光の尾を残して歪みの中へと消えていく。
リルはその一つ一つを、追いかけるように見送っていた。
「ねえ、お母さん。あの光、ぜんぶ精霊なの?」
「あぁ、人の目にははっきり見えない精霊は、ああして光になって姿を示してくれている。ちょっとしたお礼も兼ねているのかな」
「じゃあ……、よるにみえるホシも、せーれー?」
その問いに、私は少し考えてから微笑んだ。
「それは少し違うけど、精霊と心を通わせるのに良いかもね。星を見上げれば、精霊たちのことも思い出せるのは素敵なことだ」
「じゃあ、ふゆのあいだもホシをみれば、よーせーたちのこと、おもいだせるね」
「そうだね。寂しくなったら、星に話しかけてごらん。きっと、あの子たちが耳を傾けてくれる」
リルは嬉しそうに頷き、胸に両手を当てた。
「じゃあ、毎晩お話しする! 『早く春になってね』って」
その言葉を直接、妖精達に言ってやったら、どれだけ喜ぶだろう。
変に意地を張らず、素直になっていれば良いのに……と思うが、幼い心は複雑なものだ。
やがて最後の妖精が飛び立ち、広場には深い静けさが訪れた。
冷たい風だけが頬を撫で、残されたのは甘い果実の香りの名残だけだった。
リルは小さな声で呟く。
「いってらっしゃい……」
その横顔を見つめながら、私は心の中で強く思った。
――冬を共に越え、この子の心に光を絶やさぬように。
春が来たとき、再びこの森で妖精たちを迎えられるように。
私はリルの肩を抱き寄せて囁く。
「春になったら、きちんと『お帰りなさい』と言っておあげ。もっと妖精と仲良くなれるぞ」
「んぅ……、かんがえとく」
普段は素直なリルだが、妖精相手だと、どうにも頑固だ。
仕方ない、と気持ちを切り替え、肩をポンと叩く。
「さ、夕食の準備でも始めようか。リルが好きなスープに、デザートは今日見送りにも出した果実にしようか」
「ほんと? やった!」
リルは目を輝かせ、両手を上に突き出して笑った。
アロガは当然、意味など分かっていないが、喜ぶリルに合わせて喜んでいる。
その笑顔は、どんな冬の夜よりも明るい灯火のように、私の胸を照らしていた。