その日の夕暮れ、私とリルは歪みの消えた畑を後にして、ゆっくりと家路についた。
妖精たちを見送った余韻はまだ胸に残っており、リルは道すがら途切れ途切れに言葉を紡いでいた。
「ひかりがキラキラしてたね」
「あぁ、普段よりもね。多分、はしゃいでいたからだろう」
「あの子たち、おもそうだったね」
「あの歪みを越えればすぐ精霊界だから、ちょっとの我慢のつもりなんだろう。食い意地のほうも……、ちょっとはあるかな」
何しろ、持ち帰る事が目的だ。
作った分だけ持ち帰れる約束だから、重いという理由で諦めたら大損になる。
何かとだらける傾向のある妖精でも、この時ばかりは精力的だった。
「ふぅ~ん、スゴいね!」
褒めているとも、揶揄してもいるとも採れる発言権をしながら、リルは笑う。
そうした談笑をしながら家に戻ると、冷たい空気にさらされた頬が、じんわりと温まっていく。
暖炉には『燈火の宝玉』が淡く光を放っており、それから暖を取る様に、火の小精霊が複数群がっていた。
火を入れるまでもなく、室内に明かりとぬくもりが広がる。
私は台所に移動し、鍋を火にかけると、全て心得ているシルケが刻んでおいた野菜を入れる。
にんじん、かぶ、大粒の豆に塩漬けの干し肉。
冬に備えて食料は大事に使わなければならないが、今日だけは特別に、他にも野菜を刻んで加えることにした。
「お母さん、デザートはくだものだからね!」
椅子にちょこんと座ったリルが、目を輝かせて言ってくる。
「はい、はい。今日は精霊送りの日だからね、お祝いだ。あの子たちが持って行ったのと同じ物を、少しだけ食べよう」
「やった……! どれ? どのくらい?」
妖精達が持って帰ったものは多岐に渡る。
だから一口で言うのは大変難しいが、数種類、リルの好物を与えてやれば十分だろう。
「そうだね、ベリー系のドライフルーツや、同じく干した柑橘系とか……。リルの好きな、干しリンゴの蜂蜜漬けもどうかな」
「わぁ~っ……!」
リルは小さな両手を胸の前で合わせて、嬉しそうに笑った。
私はその笑顔を見つめながら、胸の奥にじんとした温かさを覚える。
――妖精や精霊と私たちの暮らしは、いつもどこかで騒がしく、ともすれば奪い合いさえ始まる。
その心配がないリルの表情は屈託なく、純粋に食後について早くも思いを馳せていた。
鍋から空腹を誘う香りが漂い始めると、リルは落ち着かない様子で椅子から立ち上がり、ぐるぐると台所を回り始めた。
「もうできた? もう食べられる?」
「もう少し待ちなさい。味がよく染みこまないと、美味しくならないから」
「んぅ……」
リルは小さく唇を尖らせたが、それでもまたすぐ、嬉しそうに鼻をひくつかせた。
私はそれに苦笑しながら料理を続け……やがて、しっかり煮込んで完成した。
鍋の蓋を開け、湯気と共に甘く香ばしい匂いが広がる。
シルケは器にスープをよそい、次々とテーブルに並べていった。
リルは待ちきれぬとばかりに椅子に飛びつき、スプーンを握りしめる。
「いただきます!」
一口すすったリルは、頬をほころばせて叫んだ。
「おいしい! あったかいし、それに……とにかく、おいしい!」
適当な褒め言葉が出て来ないのは、この際ご愛嬌だろう。
まだまだ語彙の少ないリルだが、私もシルケも、リルが喜んでくれたら、それが何よりのお礼だった。
リルの足元にはアロガ、そして隣の席にはナナが座る。
アロガには塩漬けしていない干し肉を骨ごと与え、ナナには私達と同じスープとパンだ。
スープをかき込んでは、パンを千切って食べるリルの姿に微笑みながら、私もスプーンを手に取る。
野菜の甘みが溶け込み、実に優しい味わいとなっていた。
冬の入口でいただくこの一杯は、胃だけではなく心まで温めてくれる。
しばらく夢中で食べたあと、リルはスプーンを止めて私を見上げた。
「ねぇ、お母さん。よーせーたちも、こんなふうに、たべてるのかな?」
「きっとね。精霊界でも、今ごろ贈り物を分け合っているだろう。あの子たちは小さな身体だけど、きっと私たちと同じように、火を囲んで夕食を食べているよ」
「じゃあ、せーれーのほうは?」
「精霊たちは……、それこそナナに訊けば良い。でも多分、今のナナとそう替わらないんじゃないか」
そう言って視線を移すと、ナナはスプーンの手を止めて、口元を手で抑えながら説明を始めた。
「いや、精霊は余り、こんな風には食べないわ。勿論、食べる個体もいるけど、ごく少数派ね」
「じゃあ、もちかえったの、どうしてるの?」
「マナだけ貰う感じかしら。舌ではなく、心で味わうというか……」
「ココロで、たべるの?」
リルは不思議そうに首を傾げた。
「そう。食べものって、身体だけじゃなく心も満たしてくれるでしょう? あなたが今、美味しいって笑っているみたいに。それを精霊は心の中で受け取るのよ」
リルはしばらく考えこみ、やがて難しい顔で首を振った。
「もったいないね。たべたほうが、ゼッタイいいのに……」
私は頷き、リルの髪を撫でた。
「そうだね。でも、精霊女王は甘味を特に気に入ったと聞いた。食べることも、これから少しずつ広まっていくかもしれないな」
「だったら、いいね! ココロだけじゃ、ゼッタイものたりないもん。ねっ、ナナもそうでしょ?」
「そうね……。精霊としては、非効率この上ないんだけど……。でも、こうやって皆と一緒に食べるのに慣れると、もう以前と同じには戻れないわ」
その言葉にリルは満足げに微笑み、再びスプーンを動かし始めた。
食卓を囲みながら、私の胸には静かな幸福が広がっていく。
日常の何気ない食事であっても、こうして娘と語り合えば、それは世界とつながる小さな儀式のように思えた。
やがてスープを飲み終えたリルは、頬杖をついて呟いた。
「ねえ、お母さん。ふゆのあいだ、よーせーたちにあえないの、さびしいね」
「そうだね。お母さんも少し寂しい……というか、そういう台詞は、彼らに直接言ってあげなさい」
「やっ! だって、すぐチョーシにのるもん! かおじゅう、ぐるぐる、よーせーまみれになるんだよ!」
確かに、その光景は私にも容易に想像できた。
彼らはリルを猫可愛がりしているから、喜ぶ台詞一つで大暴走しそうな危うさもある。
「でも、今はナナの力を随分引き出せるようになったろう? やられっぱなしには、ならないんじゃないかな」
「そういうモンダイじゃないの!」
リルは勢い良く鼻から息を吐き出し、憤然と両手を振った。
しかし、それも一瞬の事で、またすぐしおらしくなる。
「でも……はるになったら、またゼッタイにあえるんだよね?」
「そうとも。春の花が咲くころに、また帰ってくる。だから今は、この冬を元気に過ごそう」
リルは頷き、目を閉じて何かを思い描くように微笑んだ。
「はるになったらね、よーせーたちに今日のスープのこと、はなすんだ。それできくの。『どうやって、たべてたの?』って!」
その言葉に私は微笑む。
娘の中で、今日の出来事が確かに記憶となり、未来へつながろうとしている。
私は静かに頷き、声をかけた。
「それはきっと妖精たちも喜ぶだろうね。リルの思い出が、きっと春の贈り物になるよ」
リルは嬉しそうに笑い、テーブルの下で足をパタパタと振った。
暖炉の火がぱちぱちと音を立て、部屋の中をやわらかく照らしている。
私はスープの器を片付けながら、心の奥でそっと祈った。
――この冬を、この子と共に笑顔で過ごせますように。
そしてこれからも、春が過ぎ、夏が来て、また秋から冬に移り変わろうと、変わらずずっと過ごせるように……。
「さぁ、食後のデザートを食べようか。でも、あまりたべすぎてもダメだぞ」
「やったぁ~!」
私の祈りは、リルの喜びと、そして甘い果実の香りと共に、夜の静けさへ溶けていった。