ある日の夜、リルを寝かし付けた後の事だった。
その寝顔を見ながら椅子に座り、私は窓辺で物思いに耽る。
森の中は平和そのもので、エルフ達の侵攻も今のところない。
この三年――。
やろうと思えば、幾らでも攻撃の機会はあったはずだ。
斥候隊の一人、ミッコラは恐らく逃げ延びたろうし、その戦闘結果をつぶさに報告もしただろう。
それでも、全く動きがない。
だからこれ幸いと、私も迎撃の準備は進めてきた。
罠の設置は勿論、深く浸透されて戦場が我が家まで迫ることを考慮し、ゴーレムの量産も行った。
ゴーレム一つ一つに、何かしらの小精霊が入れる仕組みで、それぞれの特色が表に出ている。
その数、総勢三百――。
他属性による面攻撃が可能になるだけでなく、防御にも優れる優秀な戦士達だ。
ゴーレムは鉱石と木材を組み合わせて作ったものだが、この木材はボーダナンに多く植生する樹なので火にも強い。
鉱石は山で採れるミスリル銀を使用しているので、物理的な補強以外にも、魔術耐性が高いものになった。
防衛戦力としては過剰なくらいだし、上手く運用すれば一国くらいは簡単に落とせるだろう。
こんな準備をするくらいなら、素直に森から逃げた方が簡単だ、という思いもある。
――だが、それを簡単に出来ない理由があった。
そして、それこそエルフ達が安易に攻め込んで来ない理由だろう。
「この呪い……」
私は脇腹を服の上から、そっと撫でた。
この三年間、ただ止める術ばかりを求めてきた。
薬草、祈祷、浄化の儀式、精霊界への依頼――。
だが、いずれの手段も、進行を止めるには至らなかった。
エルフが幾ら魔術の研鑽をしてとしても、魔術の真髄は『魔女』の領分だ。
その優位性は言うまでもなく、だから時間を掛ければ打破できる、と甘く見ていたのも事実だ。
「……そして、魔術を元にしているならば、いずれ無効化されるとも、エルフは考えたはずだ」
そこまで楽観的になれるはずもない。
エルフは自らを優等民族だと自認しているが、こと魔術において、魔女より優位に立てるとまで傲慢にならない筈だ。
「だからきっと、これは魔術由来の呪いではないんだな……。気付くのが、あまりに遅れた……」
エルフは精霊魔法を捨て、より利便性の高い魔術に切り替えた過去がある。
それはエルフ達にとっても、容易い決断ではなかったろうし、苦渋の選択でもあったはずだ。
だからこそ、エルフは魔術に拘る節がある。
優等民族のエルフが選んだ、エルフにこそ相応しい魔法手段――。
そう決めたからこそ、拘る。
自分たちの過ちを認められないからだ。
そして、だからこそ私は、この呪いが魔術的起因から発生したものだと思った。
それならば突破口はある、と拘り……結果として、進退
――これだったのだ。
これこそがエルフの狙いで、戦わずに勝つ方法を選んだ。
放っておくだけで、魔女は勝手に死ぬ。
あるいは、最後の最後……。命の灯火が消える手前で、これ幸いと襲撃を掛けるつもりかもしれない。
ただ、魔女にすら阻止できない手段というのが、到底尋常なものではない事を示している。
あの隊長は、魔女を倒す銀の杭、などと言っていたが……。
あれは見栄え良く装飾された欺瞞でしかなく、本質はもっと別のものだろう。
「類推させない為に、敢えてミスリル銀なんぞで、それを隠した……」
何しろ、ミスリル銀は魔術と親和性が高い。
魔術伝導率の高さから、良い魔術秘具ほどミスリル銀を使用したがる上に、エルフは優美な見た目から、それを非常に好む。
――だからこそ、ではあるだろう。
それがまた、魔術起因の呪いだと、私に錯覚させる原因になった。
「だが、まだ終わりじゃない……」
気付くのに時間が掛かったのは事実だし、随分遠回りもしてしまった。
だが、諦めにはまだ、程遠い時間が残されている。
「恐らくは、二年未満だろうが……」
私は最近、癖になりつつある、脇腹を摩る動きで中空を睨む。
――候補は幾つもない。
それは、確かだ。
だが、いずれにしても正しく把握しなければ、真の対処は不可能だ。
「私の魔力を、糧にして肥大する呪い……」
呪いを継続させるには、やはりそこにもエネルギーが必要だ。
大抵の場合は被害者の生命力だが、私の人間とは思えない寿命を鑑み、効果は薄いと考えて魔力を対象に取ったのだろう。
――そして、その予想は正しい。
これが生命力を糧にしていたなら、話はもっと簡単だった。
「恐らく、呪いは発生しないか……あるいは、糧とするものを見失い、自然消滅したかだろう……」
もしも、を考えても仕方がないが、そうであったらどんなに楽だったかと思う。
……いずれにしろ、今はそんな夢想に意味はない。
この呪いをどう解くか、それが問題だった。
「精霊王も知らぬと言うし、であるならば、予想の第一候補となるのは……」
私は腕を組んで、天井を見上げながら大きく息を吐いた。
考えまい、あり得ない、と思っていた候補だが……。
魔術起因の候補が全て潰された今、むしろ逆に、第一候補へと挙がってしまった。
「悪魔か……」
奴らは基本的に秘密主義だ。
手の内は晒したがらないし、何よりその手段を講じた後、しっかり痕跡を消す念の入れようだった。
だから、悪魔がどういう手段でヒトを呪い殺し、どういう魔法を使うのか、基本的に知る術がなかった。
「精霊王が知らないのも、そもそも当然という気がするな……」
精霊界から基本的に出て来ない王と、基本的に召喚して初めて人界に姿を見せる悪魔では、知見を得るにも限界があるだろう。
――そして、悪魔は決して、召喚者の味方ではない。
余程理不尽な事でない限り、取りあえず言うことを聞いてくれる精霊とは、真逆の存在と言える。
彼らはいつでも、虎視眈々と召喚者の隙を窺い、願いをねじ曲げようとしてくるのだ。
比類なき力が欲しいと願えば化け物となり、溢れんばかりの黄金が欲しいと願えば、出したそれに本人だけが触れられない。
そうした意図的な曲解をすることもあれば、力量不足の召喚者に喚ばれた事に腹を立て、その魂を奪おうとしたり、直接的な手段に出る事もあった。
だから、悪魔召喚には供物が必要だ。
あるいは、悪魔さえ屈服させるだけの力がなければ、おいそれと召喚出来るものではない。
「危うきものには近寄らず……。それが最善で賢い手段だし、エルフは蛇蝎の如く、悪魔を嫌うものだと思っていたんだがな……」
だから、その可能性を見落としていた、とも言える。
困ったから、他に有用なものがないから、最終手段として……。
そう考えたとしても、普通ならどれも理由にはならない。
では――。
「普通ではない状態? そこまで形振り構わずに……? いや、あり得ないだろう」
それは最早、錯乱状態と言っても良いくらいだ。
一人か二人がそうした手段を提案しても、他が納得すまい。
彼ら議会制を採用している筈で、幾ら何でも過半数の承認を得て、決行したとは思えなかった。
「では、独断専行……? 反対意見が出るのを見越し、議題にも上げず、その身を切って決行したとか……?」
あり得ると言えば、その方が余程あり得る気がした。
具体的なことは当然、分かろう筈もないが、もしもこの呪いが悪魔由来なら、そう考えた方が自然だとは思った。
「いずれにしても……」
私は脇腹に添えた手を離し、唇を噛む。
自分に焼きついた紋様は、蔦の模様にも見えた。
よく見れば、それは枝分かれしながら何かを繋ごうとする形を取り、まるで見えざる何かと結びつこうとしているかのようだ。
「確信が必要だ……」
三年前、あの戦闘で……。
呪いの言葉と共に、叫ぶように敵はこう言ったのだ。
――我が生命と引き換えにする、死の呪いだ……!
――呪いは確実に身体を蝕む……! 二年か、三年か……あるいは五年か……。そ、それは知らぬが……!
生命と引き換え、と言った時点で気付くべきだったかもしれない。
魔術は使い過ぎたり、己の力量に見合わない術であったりすると、命の危険がある。
だがそれは、必要となる魔力が足りないだとか、魔力に変換するマナが乏しいだとか、そういった方面での話だ。
命を削る代わりに発動させる魔術など、
――だが、己の命を供物に、この呪いを実現させた。
であれば、魔術由来ではないものだと、もっと早くに気付けた筈だった。
返す返すも、己の浅慮が悔やまれる。
「驕りだな……。自分に解析、解決できないものなどないと、高を括っていた」
私は思わずリルの寝顔を見やった。
無垢な寝息、かすかに揺れる睫毛。
もしこの呪いが自分だけでなく、娘にまで及ぶものだったら……。
そう思うだけで、背筋に冷たい汗が流れた。
私は深く息を吸った。
幸いにして、この呪いは周囲にまで効果を及ぼす種類ではない。
それだけが、この呪いを解析して分かった、ただ一つの朗報だった。