混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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そして、月日は流れ その4

 翌日、春の陽射しの下で、リルはアロガと剣術勝負をしていた。

 成獣となったアロガの牙は長く、その鋭い剣牙を器用に扱い、リルの攻撃を受けている。

 

 普段から、打ち合っているだけあって、剣を受ける動きは、非常に手慣れていた。

 

 もしも剣士や冒険者がアロガと相対したら、その魔獣とは思えぬ器用さに、きっと驚愕する事だろう。

 

 ナナは相変わらずリルの後ろで浮遊しているが、一人と一匹の間に入ろうとはしない。

 

 あくまで動きの邪魔にならない距離で、遊び半分の剣術鍛練を見守っている。

 

 私もまた、その光景を見ながら、胸の奥で一つの予定を固めていた。

 呪いの原因を突き止めるため、あの竜(ヴェサール)に会う必要がある。

 

 その瞬間、脇腹から灼けるような熱を放った。

 顔が歪みそうになるのを意思の力で押さえ込み、平静を取り繕う。

 

 脇腹の紋様は日に日に広がり、時折、今のように熱したナイフを当てられた様な激痛を与えてきた。

 

 リルは妙なところで勘が良いので、私が苦痛に身体を捩れば、すぐに気付いてしまうだろう。

 

 ――リルには知らせたくない。

 少なくとも、今はまだ……。

 

 行動に移るのは、早い方が良いだろう。

 知られずに解決出来ればそれが最善で、終わった後で笑い話にしたら……。

 

 いや、それでも怒るだろうか。

 そんな大事なことを隠すなんて、と。

 

 だがいつだって、母は子に対し、自らの心配をさせたくないものだ。

 今はおくびにも出さないまま、少し離れた場所にいるリルに告げた。

 

「お母さん、ちょっと竜の所に行ってくる。山頂に棲む、あのヴェサールの所だ」

 

 そうすると、リルは剣の動きを止めて駆けてきて、不安そうに私の袖を掴んだ。

 

「……一緒に行っちゃだめ?」

 

「リルはヴェサールの事が怖いだろう? 一度きちんと向き合っただけでも偉かった。無理する事はないよ」

 

「でも……」

 

「危険な山道だし、リルを抱えて飛ぶのは大変だ。だから、森で待っていて。帰ったら、何を話したかを、たくさん話してあげるから」

 

「でも、でも……わたし、自分で飛べるよ! 長い時間はムリだけど……、お母さんの真似すれば、きっと……!」

 

「リル、お母さんを困らせないでおくれ。次に行くときは、きっと一緒に連れて行くから」

 

「きっと? ホント?」

 

「本当だとも」

 

 その言葉にリルは唇を結び、悩みつつも最後には小さく頷いた。

 その寂しげな様子に胸が痛んだが、相談する内容を聞かれるわけにはいかない。

 

 私はリルの頭をひと撫ですると、背後に寄り添うナナと、そのすぐ脇に控えるアロガへ目配せした。

 

「私が居ない間、リルを頼むぞ」

 

「はいはい、分かってるわ」

 

「ウォウ!」

 

 双方から返事があったものの、気合いの入ったアロガとは対照的に、気のないナナを睨めつける。

 

「もうちょっと本気になれ。私が傍にいられないんたから……」

 

「貴女ってば、三年前からそんな態度だけど、いい加減、そろそろ過剰じゃない? ゴーレムの防備もそうだけど、あれこれ用意したのにさ、結局あれから何の動きもないじゃない」

 

「そういう油断が良くないんだ。気持ちの緩んだ時に攻めるのは、むしろ常道だろう」

 

「そうは言ってもね……」

 

 ナナにとっては、私の態度が過剰な不安に思えるらしい。

 気のない返事をして手を振られると、今後よくよく、話し合いが必要だと思わされて来る。

 

「ともかく、行ってきます。――リル、すぐに帰ってくるから安心なさい」

 

「うん……。いってらっしゃい、お母さん」

 

 リルはやはり不安な顔で手を伸ばし、数秒間、抱き着いてから身体を離した。

 

 リルの体温を名残惜しく思いつつ、私は森の端にある転移陣へと向かった。

 いざという時があるかもしれない、と危惧しながら、それでも離れられるのは、この転移陣があればこそだ。

 

 私は山頂へ続く陣に乗り、魔力を流して転移する。

 一瞬の浮遊感と視界の暗転の後、露出した岩肌の景色が目に入った。

 

 山はまだ雪解けの名残を抱き、冷たい風が肌を打つ。

 岩の裂け目から霧が立ち昇り、森では煩い程だった鳥の声も、今や完全に途絶えていた。

 

 脇腹の紋様は魔力を使う度に疼く。

 魔力を糧にしているからだろうから、使わずにいれば、その分紋様拡大を防げるだろう。

 

 だが、現実問題として、全く魔力を使わずにいるのも、また難しかった。

 

 特に今回の転移陣など、使わずに徒歩で向かえば丸一日は掛かる距離だ。

 更にそこから洞窟を抜け、垂直に切り立った崖まである。

 

 私はその場へと到着するなり、岩肌を見上げる。

 

「これを素手で登攀するなど、正気の沙汰じゃないしな……」

 

 ここだけが行く着けるルートではないが、その場合、更に時間が掛かってしまう。

 この先、途中で一夜を明かす必要さえ出て来るし、旅程や行動ルートを吟味する必要も出て来る。

 

 ――命を削るのとどちらがマシか、非常に迷うところだが……。

 

「結局、呪いから解放されれば良いだけの話だ」

 

 必ずこの呪いをどうにかするつもりなのだから、紋様の拡大について、いま頭を悩ますのも馬鹿らしい。

 

 私は魔力を制御して、次々と足場となる陣を形成しつつ上空へ跳び上がった。

 

 雲を突き抜け、更に上昇を続けると、いずれ重苦しい気配を感じ始める。

 

 岩壁に作られた人工的な台座に鎮座しているヴェサールはこちらを見付けるなり、興味深そうに口元を歪めた。

 

 竜一体に対して、十分以上に広い台座に、私もまた着地すると、首をもたげてこちらを見るヴェサールに、私は声を張って尋ねた。

 

「ヴェサール! 古き友よ、今日は教えて欲しいことがあってやって来た!」

 

『……うむ、珍客だ。呼び掛けなければ、近寄ろうともしないそなたが、此度は一体どういう用件だ?』

 

 皮肉げな台詞でありつつ、ヴェサールの機嫌は悪くない。

 それどころか、何を訊かれるか楽しみにしている雰囲気があった。

 

「寛大なもてなしに感謝するよ。まずは、これを見て貰いたい」

 

 皮肉には皮肉で返し、私は衣をめくると、脇腹を示した。

 そこでは黒い紋様が、枝葉のように広がっている。

 

「三年前、戦場で受けた呪いだ。あらゆる手段を講じたと自負しているが、止める術は見つからなかった。……そこで、これがどいう呪いか確かめたい」

 

 ヴェサールの瞳が細くなり、鱗がざわめくように波立った。

 

『その紋……、見覚えがある。しかし……、うむ……。何だったか……』

 

「もうボケ始めたのか……。竜にも、そういうのがあるんだな」

 

『グッグッグ……。相変わらず、歯に衣を着せず言うものよな。ボケと言う訳ではないが、見たのは遙か昔故……、即座には思い付かぬ。悪いモノだとは、見た瞬間に分かったのだが……』

 

「当然、悪いものさ。呪いだと説明したばかりだろう?」

 

『そういう事ではなく……。いや、良い。それより、辛くはないのか。どうやら、そなたの魔力を糧にしている様だが……』

 

「勿論、辛いさ。今もってじくじくと痛んでる。一目でそこまで分かるなら、もっと具体的に思い出してくれよ……」

 

 半眼でにらみつけるようにするが、ヴェサールは長い首を器用に捻るだけで、明確な回答はしてくれなかった。

 

『うむ……、そうしたいのは山々だが……。さて、どうしたものか……』

 

「私は悪魔による呪いの印だと予想した。……どうだ、これで何か思い出さないか?」

 

『あぁ……、それで思い出した。戦場で汝が受けたという一撃、その刹那に悪魔は術を介して、血を媒介に名を刻んだのであろうな。名とは縁、縁とは力。悪魔どもはそれを通じて、生者の命に根を張る』

 

 私は思わず息を呑んだ。

 相当具体的な内容が返ってきて、やはり相談したのは正解だった、と確信した。

 

 それと同時に、虫唾が走る思いがする。

 私自身の血に、あの時刻まれた契約が残っているのだ。

 

「……では、どうすれば解呪できる? やはり、呪いを掛けた悪魔を、どうにかするしかないのか?」

 

 ヴェサールは大きな頭を大儀そうに上下させ、それから続ける。

 

『そうではあるが、目的の悪魔を見つけるのは難しかろう。契約者から訊き出すのが一番早いが、それも既に死亡しているのだろう?』

 

「そうだな……」

 

『悪魔の名を知るには、その紋様が鍵になるだろう。それは人間に例えると、家紋の様なものだ。そこからどの悪魔が刻んだ呪いか、推察可能となる』

 

 私は期待を込めて、ヴェサールを見上げた。

 

「……それが、お前には分かるのか?」

 

『いいや、分からぬ。しかし、それが分かる竜には心当たりがある』

 

 胸に熱が込み上げた。

 一瞬、徒労に終わるかと思った矢先に、希望の光が差し込んだ。

 

「……それは。その竜は……?」

 

『そなたも良く知る竜よ。いつだったか、竜と人の諍いを仲介したことがあったろう?』

 

「ウィンガート……。卵を産んでいた竜だな」

 

『そう、今はすっかり大人しくなったが、昔は世界中の空を周遊し、知識の吸収に貪欲なものだった。彼の竜ならば、最低でも何らかのヒントは得られるだろう』

 

「分かった、彼女を訪ねてみることにするよ。助言と協力に感謝する」

 

『なに……、そなたが損なわれる方が、我らにとっては益なきもの。無事に解呪されることを祈っていよう』

 

 鷹揚に頷いて、優し気な視線を向けて来た。

 私はそれに礼の姿勢を取り、一度頭を下げてから期待の目を向ける。

 

「それで、物は相談だが、また送り届けて貰う事は出来ないか? あの若い竜……えぇと、フンダウグルだったか。あれにもう一度、輸送を……」

 

『……あまり好ましい事ではないが、頼んでみよう。そなたに残された時間を思えば、あまり悠長にしていられまい』

 

「それは分かるのか……。いや、何にしても、とりあえず助かる……」

 

 竜の口から自分と同じ所感を言われれば、やはり寿命が残り少ないのだと確信できて、心が重たくなった。

 

 ――だが、全てはここからだ。

 

 呪いの正体と、その解決の糸口が一気に判明した。

 悪魔の名前が分かれば、そこから解呪まで一気に事が運ぶ。

 

 成功するかは賭けになるが、解呪とはそもそも、悪魔が仕掛けたものでなかったとしても、その解呪は困難を極めるのだ。

 

 深く息を吐くと、その度に脇腹の紋様が熱を帯びて脈打った。

 だが、心は不思議なほど澄んでいた。

 

 あの戦場で、私は愚かにも呪いの成就を自ら手助けしてしまった。

 その驕りが仇となったのは間違いない。

 

 その報いを受けたと言われたらその通りだが、むざむざとエルフの恩讐を受けてやる義理もなかった。

 

 私はヴェサールにもう一度礼を言い、森で待つリルの笑顔を思い浮かべながら山を下った。

 

 ――必ず、この呪いを断つ。

 その想いを、また一つ強くしながら。

 

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