混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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そして、月日は流れ その6

 森の外れ、古き巨木の根元に辿り着くと、そこに待っていたのは、銀灰色の翼を広げた巨竜フンダウグルだった。

 

 その瞳には苛烈な怒りが滲んでいて、この場に来たのは不本意だと、如実に告げている。

 そんな姿を見せられたら、勢い込んでいたリルの気勢もたちまち削がれ、尻尾を股の間に挟んで私の後ろに隠れてしまった。

 

『お前、俺を待ち馬車か何かと勘違いしてねぇか?』

 

「だが、来てくれた」

 

『来たくて来たんじゃねぇ。……だがよ、今回は少しばかり厄介な話らしいじゃねぇか。ヴェサールは、お前を損ないたくないから、どうしてもと頼んできた』

 

「あぁ、感謝するよ」

 

 私が素直に礼を言うと、フンダウグルは喉の奥を鳴らし、不気味なものを見た反応をする。

 

『馬鹿に素直だな、逆におっかねぇ。……お、いつだかの娘か。相変わらず小せぇなぁ』

 

 低い声がリルに向き、空気を震わせる。

 それに驚く素振りを見せ、私の背に隠れながらも、恐る恐る顔を出して見上げた。

 

「あなたは……、相変わらず、おっきいね……」

 

 その小さな呟きに、フンダウグルの口角がわずかに上がった。

 

『お、今度は怖がらずに声を出せたな。魔女の娘だけあって、なかなか良い胆力してるじゃねぇか』

 

「う、うん……! こわくなんかないもん……!」

 

 そう言うリルの身体は震えていたが、見つめる視線はどこまでも真っ直ぐなものだ。

 それに気を良くしたかは不明だが、フンダウグルは鼻息を掃き出して顎を上げる。

 

『まぁ、さっさと行こうぜ。世間話がしたくて呼んだんじゃないんだろう?』

 

 私は頷くと、卵型の籠が置かれている場所へと案内する。

 とはいえ、フンダウグルは歩いて移動する訳ではないので、到着と同時に籠の取っ手に降りてきた。

 

「さぁ、リルは先に中へ。……フンダウグル、後は任せて構わないか?」

 

『まぁ、一度は運んでやった訳だしな。前回でコツは掴んだし、少しは快適に運んでやるよ』

 

「おや、随分サービスが良いんだな」

 

『不機嫌にして、またぞろ、変な姿に変えられたくねぇだけだ』

 

 そんな事を言い合いしている間に、リルは逃げる様に中へと入った。

 私も少し間を置いて後に続き、蓋を閉じると席に座った。

 

 次の瞬間、巨体が颶風を巻き上げ飛び上がる。

 ――ごう、と空気が裂け、翼が大きく羽ばたく度に、森が凄い勢いで遠ざかっていく。

 

「わあ……!」

 

 それを窓から見ていた、リルの声が弾んだ。

 地上の木々が縮み、川は銀の糸となり、やがて雲が足元に広がった。

 

 風が横合いから殴り付けて来る時、籠は時折大きく揺れたが、フンダウグルの飛翔は力強く安定していた。

 

「お母さん、いま雲の上! 雲の上にいるよ!」

 

「あぁ、そんなに身を乗り出さなくとも……」

 

 リルは両手と額を壁面にベッタリと付け、興奮も冷めやらぬ状態で見つめていた。

 そこにいつの間にやらナナまで出て来て、彼女まで物珍しい様に見つめている。

 

 どうやら風の精霊といえど、こうした光景は余り目にするものではないらしい。

 

「ナナでも、こういう光景を物珍しく感じたりするんだな」

 

「そりゃあ……、こんな上空まで、飛び上がる機会なんてないもの」

 

「そういうものか? 好きに飛べるんだから、興味があれば行こうとするものだと思ってた」

 

「高い所から見下ろすのは、確かに気分が良いものだけど、それにも限度があるわよ。上がるのだけでも大変なのに、満足したら今度は下りなきゃいけないんだから……」

 

「それはそうだな……」

 

 ヒト族に置き換えると、登山みたいなものだろうか。

 素晴らしい景色を見るためには、相応の努力と苦労が要る。

 

 そして、その労力を惜しいと思わない者だけが、その特権を享受出来るのだ。

 しかし、職業が山師であるなど、その土地に根差しでもしていない限り、そんな事をするのは酔狂の部類だ。

 

 フンダウグルはこの高さで飛ぶのがごく普通なのだろうが、ナナが挑むには無意味に等しい。

 

 そう思えば、確かにこうした光景は、ナナにとっても物珍しいものになるのだろう。

 

 自分の中で納得感を得ていると、やがて風は冷たさを増し、室内にもそれは浸透して来た。

 ナナがそれに気付いて風の膜を作り、冷気を遮断する。

 

「ありがと、ナナ」

 

「どういたしまして」

 

 森の外では、少しの事でさえ魔力を使えなかったナナだが、今では息をする様に使用する。

 

 それもこれも、この三年で二人の魔力がより深く、より強く同調したからだった。

 外の世界はどうしてもマナが希薄だから、調子に乗って森と同じ感覚で使うと、すぐ息切れしてしまう。

 

 注意しようかと思ったが、肌感覚で掴むこともある。

 二人ならばそれに気付けるだろう。

 

 私は信頼を込めて敢えて沈黙を選び、外に視線を移した。

 

 遠くに白い峰々が姿を現し、山頂は雲を突き抜け、凍りついた稜線が陽光に輝いている。

 

 間違いない。

 かつて一度きた、あのウインガートが棲まう雪山だった。

 

『間もなく着く。しっかり掴まってろ、流石に揺れるぞ』

 

 上から低い声の忠告が聞こえると同時、翼が角度を変え、籠は斜めに滑り降りる。

 

 やがて轟音と共に雪を巻き上げ、籠は山頂の平らな岩場へと降り立った。

 蓋を開けてタラップを下ろし、私とリルは外へ出る。

 

 眼下には雲海が広がり、世界の全てを見下ろすような景観がそこにあった。

 

「すご~い……! まるで王様にでもなった気分!」

 

 リルは頬を赤らめ、両手を広げながら感動を全身で表現していた。

 ナナに背後から抱き留められているので、突然、横から強風に殴られても平気そうだ。

 

 私は冷たい風を受けながら、深く息を吸った。

 春になっても尚、山頂の空気は冷たく、肺に取り込むと、まるで刺すような痛みすら感じる。

 

 今はまだ余裕があって、リルもはしゃいでいるが、すぐに息切れしそうでもあった。

 私はリルに近付くと、しっかり帽子を被せてやる。

 

 耳用の穴も開いていて、リルにピッタリ合わせた、快適性を両立させたものだ。

 

「楽しいのは分かるけど、山は危険な所だ。寒さも甘く見てはいけないよ。ナナが空気の膜を作ってくれるといっても、冷気は足元から這い上がってくる。油断してはいけない」

 

「はぁ~い!」

 

 雄大な自然と、それを一望できる光景は、誰しもに興奮を呼び起こすものだ。

 すっかり気分が上がっているリルだったが、卵籠の上に立つ竜の巨影が、ゆっくりと振り返ったことで、再び萎縮した。

 

『さて、俺はここまでだ。ウインガートの居場所は知ってるんだろう? あとは勝手に行って、相談でも何でも好きにやってくれ』

 

 私は頷き、凍える空気の中で静かに口を開いた。

 

「帰りについても、期待して良いのか?」

 

『置き去りにしたなんて、ヴェサールに知られたら煩いだろうからな。待っててやるよ。長く掛かるってんなら、少し離れてるが……』

 

「いや、そうは掛からない。長く待たせたりはしないだろう」

 

『そうかよ。じゃあ、手早く頼む。本来、呼ばれてもいないのに他の竜が居座るのは、良い事とはされないんだからな』

 

「よく知ってるよ」

 

 竜には竜のルールがある。

 それは人の世と同様、安易に破ることを許さない不文律だった。

 

 ただし、今回は私を運ぶという、明確な依頼を受けてのものなので、長く居座ろうとも咎められる事はないだろう。

 

「さぁ、リル。行こうか」

 

 後ろに隠れていたリルの手を握り、目的地へと歩き出す。

 本日は快晴だが、風は緩やかでも途切れることなく吹き付けていた。

 

 こうした高所では、ただ立っているだけでも体力を消耗するので、早く洞窟内に入りたい。

 

 風の膜を形成していても、ここは氷点下の世界なのだ。

 どうしても足は雪と接地するし、そこから冷気は伝わる。

 

 前に来た時とは着地点が違うし、だから同じ山でも違う顔を見せていて、好奇心旺盛なリルにとっては、どこまでいっても興味が尽きないだろう。

 

 白い息を吐いては、周囲を興味深く見回すリルは愛らしいが、勝手に走り出さない様に、しっかりと手を握り直して更に歩を進めた。

 

 以前来た時とは違い、リルの歩みは確かで、普段から鍛えている成果がここでも垣間見えている。

 

「……あっ、ここ! ここ、知ってる!」

 

 しばらく歩いて、開けた場所に出た時、リルが前方を指差して言った。

 

 そこには剣山の様に突き出た岩が、幾つもそびえ立っており、この特徴的な光景はリルでなくとも印象に残るものだった。

 

 握った手を振ってアピールするリルに、私は笑って応えた。

 

「あぁ、この山ならではの光景だね」

 

「でも、どうして? 下から生えてくるの?」

 

「いいや、鱗を磨くとか、そういう事をしたせいさ。元々は、もっと大きな岩があったんだろうね。でも、長い年月の間に削られ続けて、あぁして歪な形になっていったんだ」

 

「そうなんだ……。どの位かかるのかなぁ……?」

 

「さぁて……?」

 

 何しろ剣山の数は本当に多くて、視界をいっぱいに広がる程の規模だ。

 実際に掛かった年月は、私からしても見当が付かない。

 

「数百年……、もしかしたら、もっとかもね」

 

「ふぇへ~……」

 

 溜め息とも、感嘆ともつかない息を吐き、リルは剣山の群れを眺めた。

 私はその手を引いて、更に奥へと進む。

 

 剣山の群れを抜け、岩山の間に出来た道を進み、更に奥へ。

 そうして、ようやく見つけた横穴を見つけた時、私は安堵の息を吐いた。

 

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