洞窟内に足を踏み入れると、光はすぐに届かなくなった。
奥へと道が続いているのは確かでも、その奥までが見えない。
「わっ、スゴい真っ暗……。前も暗かったよね。お母さん、明るくして」
「……そうだね、そうしよう」
以前も魔力を前方に放り、それを発光させて光源代わりにしたものだった。
今回も同じようにすると、ランプより僅かに明るい程度の光が洞窟内を照らす。
そうして見えるようになった道は、僅かに傾斜していて、奥へと誘うように伸びていた。
「さぁ、行こうか。……あぁ、ちょっと待っておくれ」
その前に、と温かなお茶の入った水筒を取り出す。
湯気の立つコップを渡して、リルの前に差し出した。
「雪山じゃ、小まめに飲んだ方が良いんだよね?」
「そう、全ての雪山じゃなくて、こういう標高の高い場所だと、特にね」
以前来た時のリルは、興奮と緊張で溢れていたが、言ったことをしっかり覚えていた事に、私は僅かな満足感を覚えた。
リルが中身を飲み切って、空になったカップを差し出して来るのを待ち、それから自分の分を継ぎ足して飲み干す。
水気を切って水筒をしまうと、手を繋ぎ直して慎重に歩き出した。
「足の裏に雪が付いてるからね。滑り易いから気を付けなさい」
「うんっ!」
元気よく返事して、一歩踏み出した瞬間、勢い良く足を滑らす。
「――あっ!」
私は咄嗟に握っていた手を強く掴んで引き上げようとしたが、そうするより早く、リルは風を使って浮き上がった。
「ふぃ~……っ、危ない危ない……」
「気を付けなさい、と言ったろう? それにしても……」
数秒間滞空して、元の体勢に戻ったリルを見つつ、感嘆とした気持ちを抑え切れずに言う。
今のはナナが使った力ではない。
助けに入るまでもなく、リルが精霊の力を引き出して、自分の手足の様に操ったのだ。
息を吐く様に精霊の力を使うには、互いの信頼は勿論のこと、自分の魔力を同調させ、血液の様に体中を循環させる必要がある。
それは言葉で説明するより、とても大変なことで、いつ何処でも使えるようにするのは、生半可な難しさではない。
自分の中に、魔力をわざわざ二種類に分けて用意する必要もあるので、非常に手間だ。
しかし、リルにとっては、そうではないらしい。
心の準備が既に出来ていた、と言う訳ではないだろう。
リルは常に、その大部分を同調魔力に置き換えている。
普通は多くても二割程度だから、それがどれだけ異常か分かろうと言うものだ。
姉妹同然に育ったから――、その影響もあるだろう。
同調魔力を増やすことは、精霊側にも自分の力を分け与えることになる。
だから、敬意を払って契約を結んだヒトは割合を増やすし、その逆で奴隷のように扱っていたエルフなら、自らの魔力を大きく分け与えるリスクを取らない。
リルはそうした損得勘定とは全く関係なく、思うがまま――やりたいようにやっている。
これがどういう結果を生むか、まだ私にも分からないが、きっと悪いことだけにはならないだろう。
また一つ、将来の楽しみが出来たところで、解呪の決意を改めると、転びそうになった事などおくびにも出さない顔で、リルも歩き出した。
自ら先を歩こうとするのは照れ隠しだろうか。
気付かない振りをしてあげつつ、私はリルの隣になって先を進む。
「あっ、ここ……!」
更に歩き続けると、途端に広い空間へと出た。
いつか見たように岩の柱が乱立し、それらが天井を支えている。
柱の間隔も広く、竜が通れるようになっているため、私達には少し広々とし過ぎる印象だ。
それまで感じられていた、緊張感にも似た空気が、それで霧散する。
そうした気配を出していたのはリルだけではなく、どうやらあちらも同様だったようだ。
私達の姿を認めて、ウインガートが翼を畳めば、その背後から小さな影がひょっこりと顔を出した。
それは竜と呼ぶにはあまりに幼く、頼りない。
しかし、それは確かに竜の姿をした存在だった。
まだ鱗も柔らかく、ところどころ乳白色に透き通っているのが、まだ生まれて間もない証拠だ。
翼は身体に比して小さく、飛ぶには未熟で、風に煽られる訳でもないのに、今もぎこちなく揺れている。
『……ああ、こら。隠れていなさい、と言っていたのに……』
ウインガートが小さく息を吐く。
その巨体の後ろから、幼竜が地面の上を、とことこと駆けてくる。
それを見たリルが、目を丸くしながら言った。
「……ちっちゃい竜さん!」
幼竜はリルの声に反応し、青白い瞳をぱちぱちと瞬かせた。
しばらく見つめたのち、ずいっと首を伸ばして匂いを嗅ぎ、足を踏み鳴らして近寄ってくる。
リルは少し驚きつつも、すぐに笑顔になって両手を差し出した。
「こんにちは!」
幼竜はその声に興奮したのか、くぅんと小さく鳴き、リルの手を鼻先でつついた。
温かな吐息が白い煙となって舞う。
私は思わず息をのんだ。
竜は本来、人間に易々と心を許すものではない。
だが、幼竜は臆することなく、むしろ嬉しそうにリルの周りをぐるぐると回っている。
尾を引きずりながら、時折小さな翼をばたつかせ、今にも飛び上がりそうだ。
「わあっ、くすぐったい!」
リルは笑いながら地面の中に腰を下ろし、幼竜に顔を近づけた。
幼竜はそれを待っていたかのように、ぺろりとリルの頬を舐める。
『まったく……、困ったもの……』
ウインガートが苦笑混じりに低く呟いた。
その巨体からすれば取るに足らぬ仕草だが、口許にはわずかに温かさが滲んでいる。
『この子はまだ二歳。好奇心だけで生きているようなものだ。見慣れぬ何かを見れば、近づかずにいられない』
「仲良くしたいんだもんね~?」
リルが笑顔で答える。
幼竜はその声に合わせて喉を鳴らし、身体を擦り寄せてきた。
『……まぁ、おぬしを嫌ってはいないらしい。いや……むしろ、気に入り過ぎているのやもしれぬ』
ウインガートは首を振ったが、その目は厳しさよりも、母としての柔らかさに満ちていた。
私はその光景を、胸の奥に温かさを覚えながら見つめる。
リルと幼竜――二人の子どもが無邪気に触れ合う姿は、どこか希望を象徴しているように思えた。
呪いに蝕まれる私の体とは裏腹に、ここには確かに新しい命の輝きがあった。
※※※
雪山の洞窟内に、しばし平和な
リルと幼竜は寒さを蹴散らし、互いに追いかけっこをしている。
小さな翼をばたつかせながらも、まだ飛べない幼竜は、だから、地面に足跡を残すことしか出来ていない。
だが、その仕草はどこかリルと似ていて、無邪気さに溢れていた。
私はその光景を胸に刻みながらも、胸の奥で疼く熱を思い出す。
脇腹に広がる呪いの紋様は、こうして静かに立っている間にも確かに進行していた。
……やがて、ウインガートが巨体を揺らしながら近づいて来た。
一歩踏み出す毎に、その質量で洞窟が揺れ、風が翼の間を抜ける。
『……あぁ、友よ。セリオスらの遊びは心を和ませるが、そなたには急がねばならぬ理由がある様だ』
「あぁ、既に見破られているとは、恐れ入ったよ……」
私は頷きつつ、幼竜――セリオスと、リルの方を盗み見る。
どうやって、リルに話の内容を理解させず、解呪について話そうかと思っていたが……。
どうやら、セリオスとの遊びに夢中で、こちらに注意を払う素振りなど、まるで見えなかった。
『よいのか? あの子にとっても、この場に立ち会うことは、大きな意味を持とう。真実を知るのに、早すぎるという事はない』
リルはセリオスの背に抱きついて、仔犬に対してあやすように身体をまさぐっている。
セリオスについても、そうして触れられるのが楽しいらしく、機嫌良い声で鳴いていた。
「あの子には、知られないままでいたい。解呪出来れば、全てはなかったことにも出来る。余計な心配をさせたくないんだ」
『そうまで言うのなら、そちらの意見を尊重しよう』
ウインガートは私の前に巨躯の身体を横たえた。
銀灰色の鱗が魔力の光で反射し、氷のように冷たく輝く。
『その紋様を、見せよ』
私は寒さを想像して、一瞬だけ躊躇いながら外套を脱ぎ、脇腹を晒け出した。
そこには白い肌に、黒々とした紋様が絡みついているのが見える。
それはまるで、棘の蔦が内から突き破るように広がっていた。
『……ふむ、やはりか』
ウインガートの目が細められる。
彼女は翼を広げ、洞窟内に低く唸る声を放った。
すると空気が変わり、冷たい風が渦を巻き、雪を舞い上げ、私の周囲に螺旋を描く。
ウインガートの吐息が氷の粒となって散り、風の中で光を放った。
『我は風と氷を束ねるもの。汝の血を映し出せ。さすれば、その根源を暴けよう』
その声が響くと同時に、冷気が私の体を貫いた。
凍える痛みと共に、脇腹の紋様が淡く光り始める。
「……っ」
思わず息が漏れた。
熱と冷気がせめぎ合い、体の内側から何かが引き出される感覚がある。
そうして僅かな時間の後、頭上に映し出されたのは黒き影だった。
それは炎のように揺らめきながらも形を持ち始め、やがて翼のない獣の姿を象った。
頭部は人のようでありながら歪み、眼窩は空洞のまま、赤黒く光を宿す。
『……やはり、悪魔の残滓』
ウインガートの声が低く響く。
「残滓……?」
『こ奴の魂の欠片が、おぬしの血に刻まれた。今の紋様は、その痕跡が肉と共に育っている証……』
胸の奥が冷たくなるのを感じた。
分かっていたはずだが、確かに言葉として告げられると、その重みは違う。
「……つまり、私は、悪魔と繋がっている?」
『あぁ……。このままでは、やがて完全に侵され、お前自身が、悪魔の眷属となろう。醜悪な姿に代わり、生きているだけで毒を撒き散らす、そうした異形になれ果てる』
その頃になると、リルはこちらの異変を感じ取って、不思議そうに顔を向けていた。
胸に幼竜を抱いて、こちらに近寄ろうとしたのを制しながら、服を元に戻す。
『……心配するな、魔女殿』
ウインガートがゆるやかに尾を打ち、雪を舞い上げた。
『我ら竜もまた、悪魔と敵対する者。奴らのことはよく知っているし、打つ手は必ずある。だが、その為には、まずやらねばならぬ事がある……』
彼女の言葉は、最後まで告げられなかった。
深刻そうな何かを感じ取り、リルが泣きそうな顔をして、私の胸に飛び込んで来たからだ。
私はその小さな背を撫でながら、心に誓った。
――何があろうとも、この子を守る。たとえ己が、どうなろうとも。