混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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そして、月日は流れ その8

 私は意志の力を強め、ウインガートの巨躯を見上げた。

 氷のような青い瞳が、深い思索の底から、何かを探るように光る。

 

 洞窟の奥から吹き抜ける風が竜の翼を震わせ、その度に雪煙が舞い上がった。

 セリオスはまだリルの足元にまとわりつき、鼻先で娘の手をつついて遊んでいる。

 

 リルは不安げにしながらも、笑みを浮かべて、その小さな鱗にそっと触れていた。

 

『……そなたの道は、一つだけ』

 

 ウインガートの声は、雪崩のように重く響いた。

 

『それは、呪いを生んだ悪魔自身に、呪縛を解かせることだ』

 

「悪魔に……解呪させる?」

 

 頭では十分に理解しつつ、私は思わず繰り返した。

 悪魔は与えるだけ与え、奪うだけ奪う存在だ。

 

 それを解かせるなど、まるで夢物語に思える。

 だが、私の内心を余所に、ウインガートは淡々と続けた。

 

『悪魔は契約に縛られる。与えた呪いもまた、契約に基づく力だ。契約を逆用すれば、奴自身にそれを解かせることができる』

 

 一息にそこまで言って、一度重苦しい息を吐いて、それから続けた。

 

『……ただし、条件がある。そなたにも分かっているはずだ。悪魔召喚の知識はあろう?』

 

「召喚陣を敷いて奴の真名を呼び、顕現させねばならない、か……」

 

 胸の奥が、ひやりと冷える。

 真名とは、悪魔の根源を縛る唯一の鍵だ。

 知らなければ喚ぶことも、縛ることもできない。

 

『そして、真名を知るのは契約者のみ……』

 

 単に喚び出すだけなら、力ある術者ならば可能だし、私にも可能だ。

 しかし、その悪魔が目的の悪魔となる可能性は著しく低いし、当たりを引くまで何度もする事ではない。

 

 悪魔に限った話ではなく、目的なく喚び出されるのは、誰だって嫌う。

 喚んで即座に帰還させる様な真似を続ければ、下手をすると、召喚そのものに応じなくなる可能性もあった。

 

 ウインガートは低く唸るように言う。

 

『そなたに、それをやった“契約者”は……、既に死んだのであろうな』

 

 私は神妙な顔付きで頷いた。

 

「……あぁ。あの戦闘で、確かに息絶えた」

 

 ウインガートの尾が雪を撫で、音もなく弧を描く。

 

『だが、その刻印から感じ取れる邪なる気配は、今も現世に漂っている』

 

「それは一体、どういう……? まさか、生きていた、何てことは……」

 

『そうではない。同じく契約した者が他にもいた、ということであろう。だが、話はもっと酷い』

 

「……つまり?」

 

 訝しげに問うと、ウインガートは更に重々しい口調で語る。

 

『契約自体は、こちらの大陸で行われたものではないな。そうであれば、私には感じ取れていた。その後、こちらの大陸にやって来て、あぁした事になったのであろう』

 

「悪いが、全く話が読めない。別口の契約者がいて……いや、まて。あの隊長と、同じ悪魔と契約した誰かが、偶然こちらの大陸にいるなんて……。そんなこと、ある得るのか?」

 

『皆無であろうな。だから、目的があって行われたことになる。しかし、そなたにぶつけるつもりであったなら、もっと上手く活用するであろう。あれは捨て置かれた、という方が正しいのだと思う。手に余ったか、あるいは別の理由か……』

 

「だが、いずれにせよ、私にとっては好都合だ。そいつを捕らえて……」

 

『いいや、それは不可能だ』

 

 一縷の望みが見えて気持ちが上がった所で、即座に水を差された。

 私は思わず顔を顰め、問い質す様に訊く。

 

「そこまで断言する理由は?」

 

『悪魔の奸計に嵌まり、姿を変えられている。理性も失い、もはや人の形を保ってはおらぬ』

 

 ――だとすれば。

 その言葉に、胸の奥が凍りついた。

 

「……契約内容を正しく履行するかは、術者の力量と心構え、そして供物に掛かっている。どれかを怠ったのか? ……あるいは、その全てか?」

 

『そういう事かもしれぬ。そして、悪魔の勘気に触れたから、今や“異形”の姿となっている。人としての記憶も、声も、名も、ほとんどが失われているだろう。おそらく本人ですら、自分が誰であったか分からぬ筈だ』

 

 私は息を呑んで眉根を寄せた。

 ――それでは、真名など聞き出せるはずがない。

 

「その異形……どこにいる?」

 

 声が震える。希望にすがるような響きになっていた。

 ウインガートはしばし目を閉じ、雪の匂いを嗅ぐように鼻を動かした。

 

『ここより東、獣人国の森の奥。今は人里離れた場におる様だが、被害を受けるのは時間の問題だろう。何故、そんな所を彷徨っているのやら……』

 

 ウインガートは緩く首を振ったが、私にはその理由が分かる気がした。

 こちらの大陸で召喚していないのなら、西の大陸で行われた事は、ほぼ間違いないだろう。

 

 そして、悪魔との契約などという博打を――私に対しての切り札を生み出すのに、ぶっつけ本番でしたとは思えなかった。

 事前に試して、有用かどうか……そのくらいの確認はしただろう。

 

 そして、実験の結果、上手くやれば分の良い賭けだと判断した……のだと、思う。

 そうでなければ、悪魔との契約など、普通は選択肢に上がるはずもない。

 

「恐らく……、実験に使われたんだ。何をすれば願いを叶えられるか、どう接するべきか、そうした観察を兼ねた召喚を、誰かにさせたんじゃないか……」

 

『あり得る話ではある。目的の為ならば、そしてエルフならば……そういった手段も取り兼ねない』

 

「事実だろう。捨て置かれた、という表現は非常に正しいと思う。獣人国は、未だにエルフにとっては奴隷が一カ所に集まっている、と言う認識でしかないからだ。国とさえ思っていない」

 

『だから、危険と分かっている異形も、簡単に捨てられるか……』

 

「あるいは、異形となる前に何かしら理由を付けて派遣したとか……。いずれにせよ、エルフにとっては良心の痛まない廃棄方法だったろう」

 

『その結果、多大な被害が出ると分かっていても?』

 

「むしろ、望む所じゃないのか。東の大陸は文明レベルの低い蛮族の地で、多大な被害など望むところだ。浄化作戦のつもりでさえ、あるかもしれない」

 

『それが事実であれば許せぬし、違っていても……やはり、放置は出来ぬ』

 

「そうだな……」

 

『行ってくれるか?』

 

 リルが小さく息を呑み、私の外套を握りしめた。

 話の大部分は理解出来なかったろうが、それでも危険な何かの所へ赴とは理解できたと見える。

 

「お母さん……、どっか行くの?」

 

 私は娘の髪を撫で、必死に微笑んだ。

 

「……行くしかない。たとえ異形でも、それが鍵を握っている様だから」

 

 ウインガートは私の返答に、静かに頷いた。

 

『ただし、覚えておけ。異形となった契約者は、もはや理性なき獣として襲い掛かって来るだろう。だが、もし心のどこかに、人としての断片が残っていれば……真名を口にする瞬間があるかもしれない』

 

 その言葉に胸が詰まり、思わず拳を握りしめた。

 ――どんなに危険でも、行かねばならない。

 

 呪いを解く唯一の道は、今はそこにしかなかった。

 セリオスがリルの肩に鼻先を寄せ、心配そうに鳴いた。

 

 リルはそっとセリオスを撫で、私の方を見上げる。

 その目には、幼いながらも決意が宿っているように見えた。

 

「お母さん……。私も一緒に行く」

 

 その声に胸が締めつけられる。

 ――この子を危険に晒すわけにはいかない。

 だが、彼女の傍に私がいない未来も、また想像できなかった。

 

 雪が一陣の風に舞い上がり、雲間から淡い光が差し込んだ。

 私はその光を仰ぎ見て、静かに息をついた。

 

「……行こう。リルには経験が必要だ。保険の意味も含めて……」

 

 一縷の望みとなる糸は、未だにか細い。

 もしもを考えれば、リルに教えられる機会は多い方が良かった。

 

 だが、危険には違いない。

 交戦の可能性が高い以上、リルは遠ざけるべきでもある。

 

 それでも敢えて、私は連れて行く方を選んだ。

 私は今も抱き着いている、リルの頭を撫でる。

 

「一緒に行こうか。付いておいで」

 

「――いいのっ!?」

 

 リルは喜色満面の顔を上げたが、直後に首を傾げた。

 

「でも、どうして? いつもならお留守番なのに……」

 

 そう言われて、言葉に詰まる。

 普段の私なら、間違いなくリルの言うとおり、留守番を強いただろう。

 

 ついて行く、と駄々をこねるリルを宥め、説得し、そうして一人で出発したに違いない。

 

 返す言葉を探していく内、時間だけが過ぎる。

 私は上手い言い訳を思い付かないまま、曖昧に言葉を濁して答えた。

 

「まぁ、何となくさ。リルは竜にも立ち向かえたんだ。怖いものなんてないだろう?」

 

「うんっ!」

 

 我ながら無理のある台詞だと思ったが、リルは気を良くして、元気よく頷く。

 

 セリオスもリルが嬉しがっているのを見て、翼をバタつかせながら、同じようにキュイキュイと鳴いていた。

 

 その時、ウインガートの巨躯がゆっくりと動き、翼が雪煙を巻き上げる。

 

『では、場所について、詳しく説明しよう。またフンダウグルに、近くまで運んで貰うと良い。ただし、竜の翼は目立ちすぎる故、目的地からは多少、離れた場所に降りるのが良かろうな』

 

 私は頷き、心の奥底に微かな火が灯す。

 今はまだ絶望には程遠い。まだ、光は見えている――そう思えたからだった。

 

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