混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

267 / 325
異形からの救出 その5

 戦いの後、しばらく森は静まり返っていた。

 遠くで小川のせせらぎが聞こえ、枝先では、まだ開ききらぬ若葉がわずかに揺れている。

 

 雪解けの水を含んだ土が、靴の裏に柔らかく沈み込み、焦げた匂いと湿った土の匂いが入り混じって漂う。

 

 私は痛む脇腹を押さえながら息を整え、周囲を油断なく見渡した。

 霧のように薄く立ちのぼる魔力の残滓が、まだ空気の中に残っている。

 

 つい先程まで、この森を覆っていた異形は、今はもう黒い痕を残して霧散していた。

 そして、その背後に潜んでいた悪魔の痕跡も、やはり跡形もいない。

 

 予想していた事ではあるが、こちらを感知出来るのは、異形を通してのみの様だ。

 安堵の息を吐くのと同時、猫獣人の少女が怖ず怖ず歩み寄ってくる。

 

「あの……、魔女様。助けてくれて、ありがとう」

 

「うん……?」

 

 聞き捨てならない言葉に、私は眉をひそめる。

 この少女は、ただがむしゃらに逃げて来たのだと思っていた。

 

 異形に襲われ、母が時間を稼ぎ――しかし、逃げた先で追い付かれ、その場に偶然、私が居合わせただけだと。

 

 絶体絶命の危機に、誰かを見つければ助けを求めずにはいられない。

 ――それは分かる。

 

 ごく自然な発想だ。

 しかし、この私を見て、魔女と判断する根拠はない筈だった。

 

 使った魔術も初級クラス。

 獣人は魔術に疎いものだから、凄い術に見えたのかも知れないが、だから私を魔女と見るには、発想が飛躍し過ぎだった。

 

「……何故、私が魔女だと?」

 

「えっ、あの……」

 

 少々の敵意を滲ませて言うと、少女は激しく動揺して首を横に振った。

 

「勘違いなら、ごめんなさい! でも、この子が助けを求めろって……! 魔女がいるからって……!」

 

 そう釈明するのと同時、足元から水が湧き出て、丸い水球が浮かんだ。

 小さく明滅を繰り返し、謝罪の意を送って来る。

 

「なるほど……。獣人は精霊信仰が盛んだったな。それでも精霊と契約が出来るなんて、相当気に入られないと無理な筈だが……。何にしても、私の事を教えるのは横紙破りに等しいぞ……」

 

 ただし、状況が状況だ。

 精霊にしても、自らが好む相手を助けたかっただけ。

 

 そして、助かる見込みの最も大きい方法を選んだだけだろう。

 近くに偶然、私がいるという幸運が舞い込んで来たのだ。頼らない理由がない。

 

 精霊は今も水球の中に灯る光を明滅させて、陳謝する姿勢を崩していなかった。

 それだけでも、苦情の決断だったと伝わって来る。

 

「謝罪は受け取った。……これも何かの縁だろう。うちの娘も精霊持ちだしな」

 

「そうなの?」

 

 少女が問うと、リルは抱き着いていた私から顔を上げて頷く。

 

「うんっ! ナナ、出て来て」

 

 リルが肩越しに顔を向けると、ふわりと浮いて、中空から溶けるように姿を現した。

 

「……自己紹介とか、いるのかしら? 精霊魔法使いの作法としても、別に良い事とはされてなかったと思うけど。……ま、素直に出て来た以上、今更かしらね」

 

「話せるんだ……」

 

 少女感動した面持ちで言葉を零す。

 そうして、はたと気付くと、今更ながらに盛大に頭を下げた。

 

「あ、あのっ! あたしはフェリカです! 自己紹介が遅れて、ごめんなさい!」

 

「別に構わないさ」

 

「わたしは、リルだよ!」

 

「あの、それで……」

 

 フェリカと名乗った少女は、再び頭を下げ、それから言い難そうに上目遣いで嘆願する。

 

「あの……! お母さんが……! お母さんが、あたしを逃がしてくれたんです! でも、助けを呼んで来るって……お母さんを助けて欲しくって……!」 

 

 フェリカは必死で、話す内容に取り留めがなかった。

 しかしだからこそ、逆にその熱意は伝わって来る。

 

「お母さん……」

 

 リルもまた、彼女の様子に強い憐憫を覚えた様だ。

 しかし、私は逡巡する。

 

 フェリカの母は、身を挺して逃がしてくれた言う。

 あの異形が、その母など歯牙にも掛けず、フェリカの方を追っただろうか。

 

 勿論、それならそれで良い。

 しかし、母が我が子を逃がすのだ。

 

 素通りされたとして、果たしてそのままにするだろうか。

 

 ――仮に。

 もしも仮に、私に戦う力と度胸がなかったとしても。

 

 リルを逃がす為なら、その足に組み付いて、少しでも時間を稼ぐくらいのことはする。

 

 まして、あの異形は周囲の生命を無差別に吸収するのだ。

 むしろ、最悪の事態を想定すべきだった。

 

 ……フェリカの母親を探すのは別に良い。

 

 しかし、見つけた結果、最悪の事態を目のあたりする覚悟が、果たして彼女にあるのだろうか。

 

 無論、私も生きていて欲しいと思う。

 だが、辛い現実を突き付けられた時、フェリカはどうするのだろう。

 

 だから、私はどうするべか、ふと考えてしまう。

 このまま、母の生存と再会を支えにして、何処か安全な所で暮らした方が――。

 

 私が考えに没頭していると、フェリカは勝手に走り出す。

 異形の来た道を辿るのは非常に簡単だ。

 

 腐った草花で、黒い道が出来ているから、それを追えば良いだけだ。

 フェリカは迷うことなく、母親と再会出来る事だろう。

 

 それがどういう形か、は別にして……。

 リルが私の裾を掴んで見上げて言う。

 

「お母さん、フェリカちゃんのお母さんも助けてあげて」

 

「そうだな……」

 

 流石は猫獣人と言うべきか。

 黒い道は避けつつ、俊敏な体捌きで駆けて行く。

 

 いざという時、背中をさするくらいはしてやろうと、私もまた、リルの手を取り走り出した。

 

 

  ※※※

 

 

 黒い道を戻って行くと、より広範囲に出来た腐食の痕を発見した。

 戦闘の心得があったのか、それともただ逃げ回っていただけなのか、そこまでは分からない。

 

 しかし、抵抗をしばらく続けていたのは確かで、広範囲の腐食がそれを証明していた。

 

 そして、そのすぐ傍に、一人の女性が倒れている。

 ――恐らく、フェリカの母親だ。

 

 最終的に岩の上から垂れ下がった木の根の中へと逃げ込んだらしく、まるで絡め取られて捕らわれてる様にも見え。

 

 たが、その根が代わりとなって瘴気を防ぎ、絶命から逃れる原因になった――。

 

 膝をついて脈を確かめて見る限り、そうとしか思えない。

 ――生きている。

 

 その微かな鼓動を指先で感じ取った瞬間、胸の奥で冷たいものが溶けるような感覚が広がった。

 

「……もう、安心して良い。終わった……、フェリカは無事だ」

 

 私はそう言って、彼女の手を握る。

 その手はひどく冷たく、冬の名残を纏っているかのようだった。

 

 そこへ、フェリカとリルが駆け寄って来て、フェリカは泥に足を取られながら、それでも叫ぶように母の名を呼ぶ。

 

「お母さんっ! 大丈夫、お母さん!?」

 

 瞼が微かに動き、焦点の合わない瞳が娘を見た。

 

「……フェリカ……、無事……?」

 

「うん、助けて貰ったの。お母さんも、もう平気だよ!」

 

 フェリカの声に、母親の唇が震えた。

 その胸の奥から、微かに安堵の息が漏れる。

 

 私は掌に魔力を込め、彼女の身体に光を流し込んだ。

 淡い春の陽だまりのような光が包み、黒く染まっていた皮膚の痕が少しずつ和らいでいく。

 

「……あなた方が……、助けてくれたのですか」

 

 彼女が掠れた声で言った。

 

「お礼を、申し上げます……。娘を……逃がして……、助かって……良かった……」

 

「礼はいいから。喋るんじゃない。今は身体を休めるんだ」

 

 私はそう告げて、風の匂いを確かめた。

 まだ遠くに、腐臭のような異形の残り香がある。

 ここに長く留まるのは危険だ。

 

「フェリカ、村はこの先なのか?」

 

「うん……少し歩くけど、近いよ。……いえ、近いです。小さな丘の向こうに……でも」

 

 フェリカは言いかけて、唇を噛んだ。

 

「でも、あの魔物が……みんなを……」

 

 私は静かに頷いた。

 ――確かめなければならない。

 

 助けを求める声は、まだ残っているかもしれなかった。

 フェリカの母は、ある種の偶然も重なって命を拾ったが、村の者達までその幸運を持っていたとは思えない。

 

 だがそれでも、生存者という希望を、フェリカはその瞳に強く映していた。

 

 

  ※※※

 

 

 森を抜ける道はぬかるんでいて、足を取られる度に水の音がした。

 枝々には、霜を溶かした水滴が光り、落ちる度に小さな音を立てている。

 

 頬を撫でる風は冷たいが、それでもどこか柔らかい。

 春のはじまり――それは、命の再生を告げる風のはずだった。

 

 だが、辿り着いた村に、生命の気配はまるでない。

 丘を越えた先――。

 

 フェリカの故郷は、完全に焼け落ちていた。

 家々は黒く崩れ、畑には腐った泥が積もり、柵の影も形もない。

 

 木の枝に引っかかった布切れが、風に揺れてはばたいている。

 遠くから見れば、まるで春霞の中に沈んだ亡霊のようだった。

 

「……こんな……」

 

 フェリカの声が震えた。

 母親を支えていた腕を離し、彼女はふらりと前へ進む。

 

 まだ焦げの匂いが残る地面に膝をつき、あたりを見回した。

 

「みんな……、どこなの……。おばあちゃん……アリン……」

 

 私は言葉を失った。

 足元には、焦げた木片の下に、砕けた陶器や焼けた穀物が混じっている。

 

 春の風がそれらを撫でていくが、もはや再び芽吹くことはない。

 地に手を当てて魔力を流すと、微かに死の残響が返ってきた。

 

 生命の気配は、やはりない。

 この村は、あの異形によって喰われたのだ。

 

「お母さん……」

 

 リルが私の袖を引いて、不安げな表情を貼り付けて訊いてきた。

 

「みんな……どうなっちゃったの……?」

 

「……もう、誰も帰って来ない。そう言う事さ……」

 

 私は低く答えて、言葉を探しながら続ける。

 

「でも、忘れないでいよう。ここで何が起きたかを」

 

 フェリカは地に伏して泣き崩れた。

 母親はその背を抱きしめ、肩を震わせながら、同じく嗚咽を漏らす。

 

 その姿は、とても痛ましい。

 けれど同時に――。

 

 失われたものを嘆きながらも、二人は確かに生きていた。

 

 私は足音を立てて爪先を地に突き立て、両手を広げて魔力を集約させる。

 脇腹から痛みが走るも、今は気にしない。

 

 そうすると、魔力は別の力に変換され、青白い光が大地を走り、風が柔らかく流れ始める。

 

 ――浄化の魔術。

 この地に残る瘴気を祓い、穢れを取り除き正常な状態に戻す術だ。

 

 やがて、村を包む空気が少しだけ澄んでいった。

 焦げた匂いが薄れ、代わりに土の匂いが戻ってくる。

 

 その匂いは、確かに春のものだった。

 

「……もう、苦しまなくていい」

 

 私は空へ向け、何処へともなく呟いた。

 それは死者への祈りであり、生者への約束でもあった。

 

 

  ※※※

 

 

 夜、草の上に焚き火を囲んで腰を下ろした。

 虫の声はまだ少ないが、遠くで蛙が鳴いている。

 

 フェリカと母は寄り添い、火の光に照らされながら沈痛な面持ちでいた。

 リルは毛布にくるまり、眠たげな目で火の粉を追っている。

 

 誰も何も口にしない中、私は炎の向こうへ、心の中で静かに呟いた。

 “ルグ・ヴァレン=サルド”――。

 

 脇腹の呪紋が熱を持つ。

 悪魔の断片、災厄の名。

 

 春風が吹き抜け、焚き火の火が一瞬揺れた。

 私は脇腹に手を添え、遠くの夜空を見上げた。

 

 星々は凍てついた銀のように光り、沈黙の中で瞬いている。

 ――私にとって、この一年は試練の年だ。

 

 乗り切れるなら生き延び、そうでなければ……。

 ある種の覚悟を決めながら、隣で寝息を立て始めたリルの熱を感じつつ、私も静かに目を閉じた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。