混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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異形からの救出 その6

 春の朝は、淡い霧と光の中にあった。

 焼け跡となった村を覆う白い霞が、どこか夢の残滓のように揺れている。

 

 鳥の声が遠くで響き、折れた木々の間を風が抜けると、雪解けの流れが微かに光を返した。

 

 私は焚き火の灰を払い、深く息をつく。

 疲弊の激しいフェリカ親子を連れ出すのは、心苦しい。

 

 しかし、今日の出立を主張したのは、フェリカの母の方だった。

 どうしたものかと考えていた時、弱々しい声で言ったのは、昨夜のことだ。

 

「……西の丘を越えた先に、“タロナ村”という小さな集落があります。そこに……兄が暮らしているのです」

 

 フェリカの叔父。彼の所に辿り着ければ、助けを借りられるかもしれない。

 壊滅した村に留まれば、瘴気は消えていようとも、飢えでいずれ命を奪われるだけだ。

 

 それはよく分かる。

 しかし、体力のない身体で移動するのも、やはり危険であるのは変わらない。

 

「大丈夫です。体力には自信があります。それに通い慣れた道ですし、迷う事もありません。道中に危険な魔獣なども出ません」

 

「比較的、安全そうな道のりなのは分かった。それに……、そうだな。ここに留まるのは辛いか……」

 

 彼女は無言で頷く。

 自分が生まれ育った村だ。

 

 その壊滅した状態が、何処を見ても目に入るとなれば、気が滅入って養生どころではないだろう。

 

「……では、移動しよう。でも、何か体調に違和感があったり、疲労が酷い様なら、すぐに言うように」

 

「はい、ありがとうございます……」

 

 そう言って、フェリカたち親子共々、丁寧に頭を下げた。

 行きずりの魔術士だと思っている母親の方と違って、私の正体を知るフェリカは、実際にとても丁寧なものだ。

 

 リルが私の手を握る。

 その小さな掌のぬくもりが、胸の奥の冷えを和らげた。

 

 私は一つ頷くと、焼け残った物の中から掻き集めた、僅かな荷を締め直す。

 

 そこへ、一陣の春風が吹いた。

 焼け焦げた大地の匂いをさらい、代わりに草と湿った土の匂いを運ぶ風だった。

 

 過去の痛みと新しい季節の狭間に立って、私たちは重い足取りで歩き出した。

 

 

  ※※※

 

 

 午前の森は、まだ冷たかった。

 雪解け水が根元に溜まり、靴の底がぬかるむ度、ぴちゃりと小さな音を立てる。

 

 霜を帯びた若草が足を濡らし、空気の中には泥と芽吹きの匂いが混じっている。

 フェリカは母の腕を支えながら、後ろを歩いていて、その顔には既に疲れらしきものが浮かんでいた。

 

 たがそこには、諦めではなく確かな意志がある。

 母を助けたい――その思いが、彼女の小さな背中を支えていた。

 

「フェリカ、無理はしない様に」

 

 私が声を掛けると、やはり気丈に振る舞い首を振る。

 

「だいじょうぶです。……お母さんを守ってくれたんですもの。今度は、私の番です」

 

 その言葉に、私は微かに笑みをこぼした。

 リルが並び、拾った木の枝を杖代わりにしながら言う。

 

「ねえ、フェリカちゃん。タロナ村って、どんなところ?」

 

「う~ん……、別に何処とも大して変わらないと思うけど……。でも畑が広くて、春になると黄色い花がいっぱい咲くんだ」

 

「そうなんだ……、良いね。じゃあ、着いたら一緒に見よっ!」

 

「それは勿論、良いけど……」

 

 笑顔で応じていたところから反転、フェリカは視線を少々鋭くさせて言った。

 

「その、ちゃん付けするのは止めてくれる?」

 

「どうして? 街のお友達は、そうして呼ぶよ?」

 

「どうしても何も、あたしは戦士を目指しているから。ちゃん付けされる戦士なんて、迫力ないでしょ?」

 

「そうかも……。でも……、戦士?」

 

 リルが首を傾げると、フェリカは自信満々に頷き……それから、すぐにしゅんと耳を垂れさせた。

 

「今回は……、逃げるしかなかったけど……。でもいつか、誰にも恥じない戦士になるんだ。お父さんみたいに!」

 

「なれるよ、きっと! わたしもいつか、お母さんみたいになるんだ!」

 

「それは……、凄い目標ね」

 

 森に二人の笑い声が響く。

 その明るさが春の光を呼び込むようで、私は思わず頬を緩めた。

 

 

 

 昼を過ぎる頃、森の奥に陽が差し込み始めた。

 細い木々の間に光の筋が落ち、そこを渡るたびにリルの栗色の髪がきらりと光る。

 

 その様子を眺めながら、フェリカの母が、ふと小さな声で言った。

 

「……あなた方には、なんとお礼を申し上げればいいか……」

 

 私が振り返ると、彼女は俯く姿勢のまま、手を胸に当てていた。

 

「見ず知らずの私たちを、ここまでの事をしてくれて……。どれほどの恩を受けているか、そして、どう返して良いものか分かりません」

 

「礼など不要だ。単に運が良かったんだ」

 

 私は微笑んで、声音を柔らかくして続ける。

 

「助けを求める幼い声は、早々無視できるものではないし、私の目的もその異形だった。……むしろ、もっと早く行動を起こしていれば、村の惨劇を阻止できたかも知れない」

 

 フェリカの母は目を伏せたが、その態度はどこまでも敬意を含んでいた。

 

「……それでも、感謝せずにはいられません」

 

 彼女の言葉には、戦で多くを失った者特有の、慎ましい真心があった。

 私はその心根を素直に受け取りながら、更に前へと歩を進めた。

 

 

  ※※※

 

 

 午後も大きく過ぎると、風が森の間を抜ける度、雪解けの匂いが濃くなった。

 しばらくの沈黙のあと、フェリカがリルの傍へと近づいていく。

 

 二人は私たちから少し離れ、並んで歩いていたが、フェリカが不意に小声で言った。

 

「ねえ、リル」

 

「んぅ?」

 

「……その、さっき街の友達って言ってたけど……。街で暮らしてるの? つまり、人間達の街に?」

 

「うぅん、違うよ。暮らしてるのは森の中。でも時々、街の方に遊びに行くんだ。学校にも行ってるんだから!」

 

「そうなの? それは、その……いじめられたり、してない?」

 

 リルが目を瞬かせて問い返す。

 

「いじめ? どうして?」

 

「だって、人間って野蛮でしょ? ウチの村は奥地にあったから、余りそういうのなかったけど……。でも、しょっちゅう公国が、攻め込んで来るって聞くよ」

 

「……なんで?」

 

「耳が違うとか、尻尾が生えてるとか、それぐらいの事で嫌う理由になるみたい。だから……リルが向こうで、そういう目にあってないか、って……」

 

 彼女は真剣な眼差しで言った。

 その声には警戒ではなく、純粋な思いやりがこもっている。

 

 しかしリルは、小さく首を振って笑顔で応えた。

 

「そんなこと、ぜんぜんないよ!」

 

「ほんとう?」

 

「うん! みんな優しいし、お母さんが一緒だと、何でも楽しくなるの!」

 

 屈託のない本心からの言葉に、フェリカはふっと笑った。

 

「そっか……、よかった。リルのお母さん、見てたら分かるけど、すごく強くて……素敵な人だね」

 

「うん! でも、強いだけじゃなくて、ちゃんと優しいよ」

 

「ふふっ……。なんか、ちょっと羨ましいな」

 

 二人の声が春の森に溶けていく。

 枝の間で光がまたたき、リスが木を駆け上がった。

 

 背中越しに聞こえる会話は、実に子供らしいやり取りで、思わず胸の奥が温かくなる。

 

 ――この子たちは、どうやら相性が良いらしい。

 種族も過去も関係なく、純粋に相手を大切に思える……そういう性格だからだろう。

 

 新たな友人を得ることは、子どもの時ほど簡単だ。

 付き合う時間など関係なく、既に二人はすっかり仲良くなっていた。

 

 

  ※※※

 

 

 夕刻――。

 

 風がやや冷たくなり、遠くの山々が金の縁取りを帯びる。

 そうして丘を越えた向こうには、うっすらと煙が立ち上っていた。

 

「……あの辺りが、タロナ村のはず」

 

 フェリカの母が震えた声で言った。

 それを聞いて、私たちは足を速める。

 

 けれど近づく程に、焦げた匂いが濃くなっていった。

 私は右手を構え、周囲を見渡す。

 

 瘴気の気配が僅かに残っていたが、ごく微弱なものだ。

 恐らくは襲撃があったのだろうが、それも数日前だと分かる痕がある。

 

 フェリカの母は口を押え、涙を堪えながら前へ出る。

 フェリカが駆け寄り、私はその背を見守った。

 

 村の外れに残った一軒の家。扉は壊れ、屋根の一部が崩れている。

 しかし、死の気配は見られなかった。

 

 様子を窺っていると、中から微かな声がする。

 

「……フェリカ?」

 

 扉の影から現れたのは、獣人らしく逞しい体つきをした、間違いなく生きた男性だった。

 フェリカの母が駆け寄り、二人は無言で抱き合う。

 

 その光景を見て、リルが私の袖をそっと掴んだ。

 

「お母さん、よかったね」

 

「うん……。()()異形が相手にしては、恐ろしく被害が少ない。きっと、通り過ぎただけだろう。そのせいかもね……」

 

 私は空を見上げた。

 春の夕陽が沈みかけ、雲が金色に縁取られている。

 

 その光は、焦げた大地にも、失われた者達にも、今は等しく降り注いでいた。

 

 

 

 夜、焚き火が揺らめき、焦げた木の香りが周囲に漂っていた。

 フェリカの母は兄と肩を寄せ、泣き笑いの声を上げている。

 

 その脇でフェリカとリルは、毛布を分け合って眠っていた。

 

 私は少し離れたところで炎を見つめながら、脇腹の疼きを押さえつつ、声を出さないように耐えていた。

 悪魔の呪いはまだ消えていない。

 

 けれど、この春の風の中で――ほんの少しだけ、希望の種が芽吹いた気がした。

 不幸の中にも、幸運はある。

 

 その事実を改めて見せられ、それを自分にも重ねてみた。

 今が不幸の中にあるのなら、私が残せる幸運も、きっとあるはす……。

 

 私はリルの寝顔を見つめながら、静かな決意を固めていた。

 

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