「私にどうして欲しい? どうすれば……何をすれば、信用出来ることになる? それとも、ただ遠ざかれば満足か? ならば、夜明けと共に出立するよ」
「そんな……!」
そう言って、大袈裟に声を出したのはフェリカの母親だった。
フェリカもまた、声にこそ出していないものの、不満そうな表情をありありと示している。
「何のお礼もせず、追い立てる様に追い出すなんて……! 恩を仇で返す様なものです。そんなの獣人としての誇りが許しません……!」
「しかしな、妹よ。そうしてくれた方が、双方にとって一番だろう。疑念というのは、松脂と同じだ。一度ついたら、早々簡単には落ちてくれん。そしてもし、火が付くなんてことになってみろ。追い出すよりも、よほど酷い事にもなるだろう」
「そんなの、もはや脅しではないですか……!」
叔父は表情を消したまま、ただ首を横に振る。
「皆、ただ怖いだけだ。人間を信じるのが怖いんだ。恐れが暴発する危険を考えたら、早々に出て行った方が良い。俺が宥めるのにも限度がある」
「だからって……!」
フェリカの母親は必死に抗議しようとしたが、叔父は難しく眉根に皺を寄せるだけで、取り合おうとしない。
「気持ちだけで十分だ。復興の手伝いが出来ないのは、心苦しく思うが……」
しつこく残り続ける事を主張した方が、彼らを刺激することがになるだろう。
今ならば穏便に立ち去れる。
それは叔父にとっても、ある種の気遣いに違いなかった。
――人間は怖い。
それは決して武力的な意味合いだけでない、長年の獣人狩りを根底としたトラウマもある。
だから彼らは、人間を信用できない。
そういう土壌が出来上がってしまっている。
私は改めて、周囲の気配を探った。
すると、先程よりも多くの人数が、息を殺して窺っているのだと分かる。
この話し合いの内容次第で、彼らがどう動くのか――。
想像もつかないが、剣呑な雰囲気だけは伝わってきた。
――長居しない方が良いのは確からしい。
私は日の出と共に、村を出ようと決意する。
その事を口にしようとした瞬間、フェリカが、立ち上がって言った。
その顔は焚き火の光に照らされて、より強く意思を反映していた。
「黙っている様に言われたけど、このまま言われっ放しなのもどうかと思うから、やっぱり言わせて貰うわ。この人が誰か分かれば、きっと考えが変わるもの……!」
「良いんだ、止せ」
「――待て、何の話だ」
叔父がフェリカと私、交互に視線を向けながら言う。
フェリカはの視線は真っ直ぐに、痛いほど真剣な眼差しをしていて、思い付きだけで言った訳でないと分かる。
しかし、それでも、フェリカの案に乗り、周囲に私を認めさせたくなかった。
私は虫を払う動きで手首を振り、否定の言葉を吐く。
「私が誰かなんて些細な話だ。私も獣人に対して、その心情を考慮せず、十分な配慮をしなかった。フェリカ母娘の様子から、邪険にはされないと勘違いしてしまったのはすまなく思う」
――だから、早々に立ち去る。
そう続けようとしたのだが、それより前にフェリカが身体を乗り出して言う。
「すまなく思う必要はありません! ――叔父さん、この方は魔女様です。かつて、獣人達を救ってくれたという、あの魔女様なんですよ……!」
「馬鹿な……。それは何百年も前の、おとぎ話みたいな眉唾物だろう。救ってくれたと言うが、獣人族を思ってやったかも疑問な話だ。大体、この女が魔女だと、どうして分かる?」
「髪の色よ。見れば分かるでしょ?」
「確かに魔女の髪色は、紫銀とされているが……」
叔父はチラリと私の頭に目を向けて、それから詰まらなそうに息を吐いた。
「髪色くらい、好きに変えられる。魔術士ならば尚更、簡単な事なんじゃないか? お前ぐらいの子供だと、そうした伝説を信じたくなるのも分かるが……」
「違うわ! 本当よ! だって……だったらどうして、誇りある戦士の誰もが為す術もなかった、あの異形を倒せたって言うの!?」
位置的に言って、異形がフェリカの村にやって来たのは、叔父の村より後だろう。
誇りある、とフェリカが言ったのは純粋な賛辞で、私から見ても彼らは誇りを大事にする。
勝てないまでも一戦交えただろうし、仲間を逃がす為に、自ら盾になる者までいただろう。
フェリカの村は、ほぼ全滅だったから、もしかしたら、それが行き過ぎて被害がより大きくなったのかもしれない。
誇りや名誉とは、時にヒトを蛮勇に傾け過ぎる。
危ないと思ったら、即座に逃げる方が正解な場合も、彼らにとっては武勇を示す機会となるのだ。
それが今回は最悪な事態まで発展させてしまった……の、だろうか。
彼ら自身の手で異形を討伐していれば、彼らは誇りをもってその死を悼めたのだろう。
だが、その機会さえ、人間の――人間と思しき私に奪われた。
叔父が頑なになる理由も、その辺が原因にとなっていそうだ。
それはともかく、彼の言うことにも一つの筋が通っていて、フェリカは反論らしきものを返せない。
押し黙ったのを見計らって、私はフェリカに向かって口を開いた。
「礼を言うよ。追い出す形になるのを憂いてくれたんだろうが、そこまでして引き留めようとしなくて良い」
「貴女まで、そんな事を言うの!? 今回も獣人族の危機を魔女様に助けて貰ったのに、お礼も言えないなんて……!」
フェリカのヒートアップは止まらない。
叔父もまた、そんなフェリカを見て落ち着く様に言った。
「確かに我らは危うい目に遭った。それを助けられたかもしれない。しかし、それで種族全体に、拡大させる様な云い方は止せ」
「いいえ、叔父さんでさえ退けさせるのが限界だったと言うなら、もう殆どの村に対処は無理だわ。野放しになった異形が、いったい何処まで暴れ回ったか……」
「それは……」
「しかも、ただ暴れるんじゃない。物を腐らせ、畑を腐らせ、何でも腐らせる様な奴だったのよ……。そんな土地じゃ、もう生きていけない! 捨てて何処かに逃げるしかなかった筈よ」
「う、む……」
フェリカの意見は、正鵠を得ていただろう。
獣人族は土地を耕し、そこからの実りも食べるが、むしろ狩猟によって得る肉を食べる方が主流だ。
彼らがまとまって暮らさないのもその狩猟が原因で、つまり少人数でも、それだけ多くの土地がなければ生きられないのだ。
逃げ伸びた彼らが一つ所に集まると、それは必ず諍いの原因になる。
狩猟の制限が掛かり、食料不足の不満はいつか必ず爆発しただろう。
フェリカが本当にそこまで考えていたなら大したものだが、ともかく叔父はそうした所まで正確に読み取ったらしい。
「……確かにな……。公国がまた煩いところに、獣人族が二分するかもしれなかった。早期の解決は、確かに……未来の不安さえ摘み取ってくれたかもしれない」
「……で、でしょ?」
これは、そこまで考えてなかったな……。
呆れる気持ち半分、微笑ましい気持ち半分でいると、叔父の方から反論が始まる。
「確かにそうだ。しかし、
全ては人間族への嫌悪から来るものだ。
そして、隣の公国は、そう恨まれるだけの悪逆を行っている。
村民達からすると、私が視界に入らずとも、近くに居るというだけで気が気じゃないのは確かだろう。
それじゃあ、と改めて出立を約束しようとした時、またもそれを遮る様にフェリカが声を張る。
今度は叔父でも私へでもなく、リルの方に向けてだった。
「ねぇ、ナナ様! 貴女からも言って下さい! 貴女の言葉なら、きっと信じるわ!」
「誰だ? 誰に言ってる?」
叔父は訝しげな表情で、フェリカの視線を追った。
フェリカは、リルから若干逸れている部分――何もない中空に向かっているから、不審な顔付きになるのも当然だった。
何処の誰に向けての言葉か不審がり、首を傾げた辺りで、フェリカは叔父の言葉を無視して続ける。
「お願いします! もう、貴女の言葉だけが頼りなの!」
私はナナに、出て来るな、と念を飛ばす。
しかし、結局は単なる願掛けみたいなものに過ぎず、そしてやはりというべきか……。
私の願いも虚しく、リルの背後から透けるようにしてナナが現れた。
叔父の目が僅かに見張り、一瞬ポカンとすると、それに遅れて驚愕した。
「精霊……!? それも、中位……いや、もしかすると、上位精霊か」
「申し訳ないけど、中位の方よ。最近は
ナナは自慢げにリルの背後から抱き着き、頬を合せるようにくっ付いた。
「というか、ナナ……。何で出て来た。話がややこしくなるだろ」
「そうは言いますけれどね、リルは心の中で沢山悲しい思いをしてたのよ。正しい事をしたのに、どうして悪者みたいに扱われないといけないのか、とかね」
「それは……、分かるが……」
リルからは縋る様な視線が送られている。
恐らく、これまでずっと静かだったのも、ナナと多く話し合いをしていたからに違いない。
そして、迂闊な発言が、私を窮地に追いやる、とでも言われたのだろうか。
下手をすると、今にも泣き出しそうなくらい、悲しそうな顔付きだった。
「精霊様と、そこまで親しく……。そして、その娘が契約者なのか……。精霊に愛された……精霊の愛し子、か?」
「そういう認識で構わないわ」
ナナがリルと頬をくっ付け合う姿勢のまま返した。
「あまり粗雑に扱って欲しくないの。私が表に出て来たのも、それが理由。被害に遭ったばかりだから、持て成せとは言わないけれど、温かい食事と寝床くらい用意して欲しいものね」
「は……、それは……勿論。では、先程フェリカが言っていた事は……」
「本当に魔女かどうか? それを私の口からは言う訳にはいかないの。でも、私をして敬意を払う人物でもあるし、精霊王様に認められて、覚え目出たい人間でもある。そこの所を、よく考えておくことね」
今度こそ、叔父は息を呑んで硬直した。
精霊信仰の中で生きる彼らだから、精霊は神の如く敬う存在だ。
その精霊自身が、私を敬うべき存在、と口にしたのだ。
最早、魔女かどうかは重要ではなく、精霊王に認められた人間として、大いに遇せねばならなくなった。
「おい、ナナ……。余りそういう事を……」
「私はリルの味方なの。そのリルが、貴女を針の
悪びれるつもりのないナナは、言うだけ言って姿を消してしまった。
またリルの中へと戻って、裏方に徹するつもりだろう。
私は重く息を吐き……そして、先程とは違う、熱意の籠った視線を受ける。
周囲でこちらを探っていた者達の視線だ。
話は十分、聞こえていたらしく、やはり針の筵となってしまった。
その視線を努めて無視しながら、私は額に手を当てて重く息を吐いた。