離れる獣人達と同じくして、フェリカの母もまた離れる。
「では、お肉の下処理などもあるでしょうから、手伝って参ります」
「うん、そうか……。分かった」
何くれと防波堤代わりとなってくれる彼女には、いつも近くに居てくれた方が助かる。
だが、村の中は鎮魂の祭りと、村の復興が同時に行われている状況だ。
人手は足りていないだろうし、今回、獣車を借りるという話にしろ、実は渡りに船だっのではないだろうか。
獣車だけではなく、働き手もまた借りようとしていた可能性は、大いにあった。
私がそうした考え事をしていると、リルがフェリカを連れてやって来た。
「ねっ、お母さん。フェリカが型を教えて欲しいって。私が教えても良い?」
「リルが知っている三の型は、あくまで素手でも扱えるものであって、専門の格闘術とは違う。そのまま教えると、歪な感じになってしまうよ」
そう言って、私はフェリカへと目を向ける。
暇しているところを見られると、またぞろ誰かがやって来るかもしれない。
指導めいた事をしていれば、遠巻きに見つめるだけで近付いて来ないかも、と期待を込めて立ち上がる。
「どうせ待つしかないから、少し見てあげるか」
※※※
獣人族の子どもは大変可愛がられ、また大層大事にされる。
七つまでは精霊界に身体を半分置いている、という考えを持っていて、これは小児の死亡率の高さから来るものだ。
七つまでに死んだ子どもは精霊になって生まれ変わるとも言い、その死を悼むと共に、救いがあって欲しい、という願いから生まれたものだろう。
だが、人の世界では五歳を越えると、労働力として使われるのが普通の中、村の中では母親の傍をうろちょろしていた。
しかし、私が何か教えていると分かると、興味本位で近付いて来る。
一定以上寄っては来ないが、親の許しがあれば一緒に参加しそうな雰囲気があった。
「……そう、それで肩幅まで足を開いて……違う、もう少し広く」
「こう……?」
だが、私はそれを敢えて無視して、指導を続けた。
これで呼び込んでしまうと、只でさえ修復作業の手を止める大人がいるのに、彼らにも参加する口実を与えかねない。
フェリカがその作業に参加しないのは、あくまで村外の獣人だからと言う理由が一つ。
もう一つが、リルと親しい間柄だから、お付きとして側に付きっ切りでいるのを求められた、という理由だ。
村外の誰かより、この村としては、誰か別の者にしたかったろう。
だが、他ならぬリルがフェリカを望んだので、今の形になった。
そのリルは、型を教わるフェリカの真似をして、同じ動きを取る。
基礎は出来上がっているだけに、その立ち姿はフェリカと雲泥の差だ。
リルにとっても一応初めての型だが、私との訓練に慣れている。
だから、コツを掴むのも早かった。
それを目の前で見ていたフェリカは、不満をありありと見せながら言う。
「どうして、そんなに簡単に出来るの? あたしなんて、すぐ脇を締めろとか、肩を前にとか、足の幅が違うとか、一々注意受けるのに……」
「毎日やってることに、ちょっと似てるからだよ。前はいっつも、わたしが同じ注意受けてたよ」
そう言えばそうだった、と少し昔を振り返る。
リルは別に物覚えの悪い方ではないが、こうして事は頭で覚えるのではなく、身体に染み込ませて覚えるものだ。
呼吸する様に動けるようになってからが本番なので、それまではむしろ、何度でも注意されるものだった。
「ほらほら、お喋りしない。まず、しっかり型を覚え込みなさい。私が居られる時間は少ないんだから……」
「は、はいっ!」
型を覚えたら、今度は実践的な訓練に入る。
実際に手合わせする形になるので、リルがこのとき型を覚えたのは、練習相手としても丁度良かった。
私達にとっての村内の生活は、その様にして過ぎて行く――。
時折、フェリカが手伝いで借り出される時以外、全ての時間は基礎訓練に費やされた。
そうして、叔父が獣車を連れて戻って来たのは、母親の言うとおり、五日が経ってからの事だった。
※※※
幌の付いた獣車が村の入り口から入って来て、場は一時騒然となった。
何しろ、その獣車を牽いているのは、何処でも簡単に見掛けられる獣ではない。
天を突く様に生えた一対の黒角が特徴である、長毛の角獣だった。
筋肉質で思い車体などものともせず、その上スタミナにも優れる。
睥睨する様に歩く様は、いっそ泰然とさえしていた。
木製の車体には風除けの帆布や、魔除けの護符が吊るされていて、車体の方にも、相当手間暇が掛けられていると分かる出来だ。
決して、昨日今日で用意されたものではない。
つまり、急遽用立てた物ではない、と言うことだ。
無理して取り上げた、などと言うことではないと良いのだが……。
だが今は、それよりも目の間の事を優先だ。
「さぁ、フェリカ。もう一度、リルと立ち会いなさい」
「はいっ!」
まだ手合わせを始めて三日だが、最初は優勢だったリルも、今では本気を出し掛かっている。
フェリカの戦闘センスは抜群で、将来は冒険者になりたいと言うのも、決して子どもの夢想でなかったのだと思わせる。
普段から我流で訓練していたと言うから、それが非常に非効率だったとしても、今の彼女の基礎固めとなっていた。
――これはむしろ獣人だから、というべきかな……。
大抵、獣人の身体能力は、只の人より高いとされる。
その中でも、フェリカはリルに負けず劣らずなのかも知れなかった。
だがそれも、磨き続けられる意識と、研磨してくれる環境あってのものだ。
「行くよ、リル!」
「いつでもいいよ!」
二人の少女が、互いに構えを取って向かい合う。
その姿は完全に鏡映しで、たった三日でそれだけ出来るフェリカに、やはりセンスの良さを感じさせた。
「ちゃんと考えないと、またすぐだよ、フェリカ!」
リルが挑発するように笑った。
常に次の手を考え、攻防どちらも意識して立ち回る事――。
それは私がリルと訓練している最中、よく口にすることだ。
普段は自分が言われる側だから、それを口に出来るのが嬉しいらしい。
フェリカは耳を伏せ、足の爪先をわずかに地に立てた。
尾が低く揺れ、体重が沈む。
次の瞬間、彼女は弾ける様に動いて掻き消えた。
文字通り、目にも留まらぬ速さだが、リルにとっては慣れた速さ――というより、普段の訓練より遅い動きだ。
その突進する動きに合わせてリルの拳が放たれ、フェリカの頬をかすめた。
その頬に一筋の傷が生まれ、細く血が飛んだ。
フェリカは猫のように、軽やかに飛び退き、牙を見せて笑った。
「へへっ……、やっぱ通じないか。今のあたしに出せる、全力の速度だったんだけどね」
「今の今まで隠してたの? お母さんの方がずっと速いから、あんまり意味なかったよ、それ」
それは挑発ではなく、純粋な指摘だったが、フェリカはそう受け取らなかった。
鼻の頭に皺を刻んで、顔を顰めている。
リルは地を蹴り、両腕に魔力の光輪を展開した。
淡い緑光が腕を包み、空気を押しのけるように唸る。
それは風を拳に宿した、リルが最近使うようになった精霊魔法だった。
ナナと相談して、格闘用の魔法を作ったと笑顔で報告して来たのは、つい昨日の事だ。
私に言わせれば改善の余地が幾らでもある魔法だが、一切の口出しはしていない。
そうやって試行錯誤するのが重要で、大なり小なりの失敗が、今後の糧になるからだ。
「ちょ、ちょっとタンマ!」
フェリカは明らかに顔を引き攣らせて、攻撃から逃げつつ、横へ滑り込む。
彼女の動きは低く、滑らかで、森の中の獣そのものだ。
リルの拳が空を切り、風圧がフェリカの髪を数本飛ばす。
その瞬間、フェリカの足が地を蹴った。
――狙うは腹。狙いは見え見えだが……。
直撃すると思われた寸前、リルの手が閃いた。
拳を包んでいた風が輝き、見えない壁が張られる。
フェリカの拳が衝撃と共に弾かれ、彼女は後ろへ転がった。
「くっ……!」
だが、すぐに砂を蹴り上げて立ち上がる。
頬の傷から、ひとすじの血が垂れた。
リルはその様子を見て、少しだけ申し訳なさそうにして息を呑む。
「……もうやめる?」
「冗談!」
反してフェリカは、むしろ歯を見せて笑った。
「そっちだけアリなの、絶対ズルいって……! だから、こっちだって!」
その瞬間、足元の水たまりがごく淡く光った。
フェリカの中に宿る水精霊が、彼女の意志に応えて力を使ったのだ。
彼女にとって幸いなのは、宿す精霊が下位精霊だったこと。
発揮出来る力はまだ小さいので、表出する力もまた小さい。
傍目には、フェリカが精霊魔法を使っているなど分からなかった。
霧が生まれ、彼女の足元に絡みつき形を変える。
流水を補助に滑るような加速をすると、フェリカが跳んだ。
水煙が舞い、リルの防御を越えて、拳が肩をかすめる。
今度はリルの方が距離を取って、にんまりと笑った。
「使って大丈夫? 知られたらイヤって、言ってたのに」
「使うのが一瞬なら、目立たないし良いんだよ!」
フェリカは肩で息をしながらも、やはりリルと同じように笑った。
睨み合う中で、リルは平常通りなのに対し、フェリカ息を整えるのに時間を使う。
地力の差が出た形だが、ここまでリルに食らい付ける事を、素直に褒めるべきだろう。
私はフェリカの才を認めつつ、微かな厳しさを視線に乗せて、二人の闘いの終わりを見守っていた。