二人の組み手は、結局リルの勝利で終わった。
そこはやはり経験の差から来るものであり、隠していた手札を全て使い切った時点で、フェリカに勝ち目はなくなった。
そしてそれは、これまでの訓練で何度となく見てきた光景でもあった。
後には息も絶え絶えで身体を休め、大の字に寝転がるフェリカが残される。
リルの方は汗こそ掻いているものの、呼吸はしっかりと規則正しい。
私はフェリカの息が整うまで待ち、意識を向けられるようになってから口を開いた。
「……随分、派手にやったな」
リルは声を聞くなり姿勢を正し、フェリカも尻尾を引っ込めて頭を下げる。
訓練中は母と娘ではなく、師匠と弟子だ。
だからリルは甘えて駆け寄る事もないし、フェリカはより強い敬意を込めた姿勢を取る。
「先程の組み手は、見る人が見れば、どちらも精霊魔法の遣い手だと分かってしまうよ」
「やっぱり、まずかった……ですか?」
自覚はあったのか、フェリカは気まずそうに言った。
「幸い、見ていた多くは子どもだし、大人にしても魔法の遣い手を他に知らないだろう。どうとでも言い訳出来るだろうさ」
もう一つの幸いは、リルとフェリカの組み手が、ここ数日続く日常となってい事だ。
大人顔負けの素早い攻防も、見慣れれば注目も緩くなる。
実際、先程の組み手も特別、騒ぎ立てられてはいない。
また凄い事しているな、といった視線が向けられるばかりだ。
「それに、血の通った稽古は良いものだ。白熱するのも、年齢を考えれば当然と言えるし……」
それに、本当に問題になりそうなら、それをフォローするのが、私の役目だ。
多少、派手に暴れても、私が上手く言葉を尽くせば誤魔化せるだろう。
だが今は、それより重要なことがある。
私はこれまで見てきた組み手の中で、指摘出来る部分を一度整理し、それから改めて口に出した。
「フェリカはどうやら、まだ“流れ”を掴めていない様だ」
「……流れ?」
リルにも散々、教えてきた事だ。
「リルも良く見ておきなさい。離れて見ることで、分かることもあるからね。少し、実戦で教える」
そう言ってから、私は風の魔術を使用した。
空気が僅かに渦を巻き、周囲の砂を吹き払っていく。
強い風ではない。
リルの精霊魔法を模して、それらしいものにしただけだが、違いは拳からではなく、身体の全体から発生している事だ。
その上で、私は一歩も構えない。
ただ両手を緩やかに、前に出しただけだ。
「さて、フェリカ、かかってきなさい」
そう言ってやると、フェリカは一瞬、息を呑んだ。
一拍遅れて構えを取るが、どう攻めるか困っている様子だ。
躊躇う時間は、五秒ほど続いた。
隙だらけなのに攻められない、とその顔に書いてあるが……。
しかし、いつまでも待っている訳にはいかない。
私が手首を動かして誘うと、追い立てられる様に地を蹴った。
爪先から風を裂き、低く滑るように懐へ飛び込んで来る。
「はっ!」
呼気と共に拳を放つ――が、私は腕をほんの少し傾けただけで、流すように受けた。
フェリカの拳は空を切り、その勢いのまま横に転がる。
「う……!」
「あ、わたしがいつも、やられるヤツだ……
!」
「そうだよ、リル。力は押し返すものじゃない。流して、導くのさ」
フェリカは転がる動きから立ち直ると、近付いて膝をつき、傾聴の姿勢を取る。
「風も、水も、打ち消し合わない。ぶつかれば、ただ乱れるだけ。けれど導けば、より遠くまで、より速く流れる」
フェリカは立ち上がり、眉をひそめた。
「……でも、そんなの、どうやって……」
「感じるのさ」
私は一本指を立て、フェリカの額に触れた。
「フェリカには精霊の気配が見えているはずだ。感覚的なそれをね、誰が相手でも出来るようになりなさい」
「それはつまり……、人間や獣相手でも?」
「そう。敵の動きもまた、“流れ”だ。それを読む。反応ではなく、先を感じ取るのが重要だ」
そう言って離れると、私は再び構えを取った。
フェリカは今度こそ即座に構え、集中して機を窺っている。
耳がわずかに震え、風の音をつぶさに感じ取ろうとしており、気迫も先程とは段違いだ。
私が動く――いや、“動こうとする”気配を察知して、その瞬間、フェリカは自然と身体を傾けた。
拳がすれ違い、空を切る。
今度は逆に、フェリカが手を返して押し出し、私の外套の裾が、僅かに揺れた。
――大したものだ。
私はほのかに笑みを作り、一拍置いてから尋ねる。
「……今ので、少しは分かった?」
フェリカは息を荒らげながらも、しっかりと頷く。
「……はい。風が……分かりました。動く前に、流れが……」
「それが“格闘”という形を借りた、マナとの対話でもある。見るだけではなく、感じ取り、“流れ”を導く。それが出来るようになれば、きっともっと強くなれるだろう」
「すごい……」
そう呟いたのは、フェリカではなくリルだ。
私が言ったとおり、当事者ではなく、放れたところから見たことで、何か掴めたりしたのかも知れない。
フェリカは息を整えながら、尾を揺らした。
その目の奥で、何かが確かに光りはじめている――。
どうやらあの一回だけで、“流れ”を掴む直感を手に入れたらしい。
やはり、フェリカにはセンスがある。
うかうかしていると、リルはすぐに追い付かれてしまうだろう。
とはいえ、冒険者という明確な目標を持つフェリカだからこそ、成長目覚ましいとも言えた。
今のリルにはそうした
憧れを持って何かになりたいと思っても良いのだが、生憎そうした話はリルの口から聞いたことがなかった。
リルは将来、何になるのだろうか。
楽しみに思う反面、不安になる。
僅かな思案に耽っているっと、視界の端から一人の獣人が近付いて来た。
顔を向ければ見知った相手で、それはやや緊張した面持ちの叔父――ロウランだった。
ついこの間、フェリカから名前を教えて貰ったが、我ながら遅すぎたと思う。
「紫銀の方、少し……お話よろしいでしょうか」
私が名を明かさない事は今更なのだが、それでは呼び名に困ると言うことで、大抵の場合に使用する通名を教えていた。
名前を教え合うのは信頼の第一歩だし、獣人は特に名を大事にする。
だから、名前を呼べないのは不信の証と取れ、それ故の緊張とも思ったが……どうやら、今回は違う様だ。
「何か……、トラブルでも?」
「は……、それが少々……」
獣車の付近には多くの獣人が囲んでいて、散っていく様子もない。
そして、出ていった時より明らかに人数が多いことから、やはり他村から人手を借りてきたのだと思った。
獣車を間違いなくこの村に持って行くのか、途中で売り払ったりしないか、或いは渡すところまで見届けるつもりがあるのか――。
いずれにせよ、その為の人員だとしても、その数は明らかに多かった。
……何とも、嫌な予感がする。
「隣村から獣車を借りられたのですが、その為には条件がありまして……」
「条件ね……。まぁ、
「いえ! 我れの命、我らの村を救って頂いた事に対する礼ですので、これについては我らの方で対価を支払う予定だったのです」
「しかし、対価と言っても、払うものが……」
その多くは焼けたか、損壊してしまったのではないだろうか。
払える物など、十分にはない筈だ。
その気持ちが、表情に出ていたのだろう。
ロウランは先んじて説明を始めた。
「ええ、ですから労役ですとか、狩猟した獲物の譲渡……。あるいは、猟場の一時的な使用権などを考えていたのですが……」
だが、その口振りからして、それでは交渉が決裂してしまったと見える。
では、代わりの条件は何か、と問い質そうとした時、また別の獣人が割って入って来た。
「おぉ! そなたが高名な、“あの”魔女殿か! 我が名はティガル!
ティガルと名乗った獣人は、ロウランより一回り大きい、筋骨隆々の大男だった。
虎獣族であるのは、はだけた上半身から見える、その特徴的な柄から明らかだ。
しかし、どういうつもりで来たかはさて置き、彼の発言には眉をひそめざるを得なかった。
「何の事を言ってるのか分からないが、私は“あの”でも、“その”魔女でもない。そもそも、魔女と名乗ってすらいないぞ」
「……そうなのか?」
ティガルは目を丸くして、驚く素振りを見せてから、ロウランへと顔を向ける。
「話が違うではないか」
「だから、きちんと言っておいただろう。精霊王の覚えめでたく、またその娘も精霊の愛し子なだけだと……」
「そんな異常事態、普通の人間に起こるわけないだろうが。言っている事が嘘でなければ、それはもう……他に可能性などあるのか?」
ティガルの言うことは正しい。
リルの方はともかく、精霊王に認められる事など、早々あることではなかった。
それこそ、過去一千年に渡り、その寵愛を受けたと言えるのは、人間では私の他に二人くらいだ。
獣人族となると、その自然融和の観念から精霊に愛されやすいという事もあって、もう少し数は多くなる。
それでも十人に満たない筈だから、存命な人間の魔術士という時点で、その正体が“あの”魔女だろうと考えるのは、むしろ当然だった。
とはいえ、可能性がどれだけ高かろうと、それを認める訳にはいかない。
ここは話を逸らすのが最善だろうな、と思いながら、私はロウランの方へと話し掛けた。