「結局……、これはどういう話なんだ? 強い魔術士に何か助力を頼みたいとか……、これはそういう話か?」
「え……あぁ、そう……! そうなのです」
ロウランは突然向けられた水にもかかわらず、むしろ救いの手が差し出された、と言わんばかりの表情で応ずる。
「森獣の獣車を差し出す……その見返りとして、助力を願いたいと……」
「本末転倒と言うんじゃないのか、それは……」
私は呆れを隠さず嘆息した。
そもそも、森獣などというご立派な獣車を、私は要求していないし、必要としていない。
「私は別に、野生の何かを捕獲して乗るのでも良かったんだ。でも、見つけるまでどれだけ時間が掛かるか分からないし、下手をすると捕獲してからが大変な事もある。だから、そちらの言う礼を受け取ろうとしたんじゃないか……」
「はい、えぇ……ご尤もです。あくまで、謝礼代わりと言いますか、感謝の気持ちをお伝え出来れば、と……」
「でも、獣車が欲しければ、そっちの願いを聞かないといけないって?」
つらり、とティガルへ視線を向けたのだが、恐縮するのはロウランばかりで、向けられた当人は平然としたものだ。
獣人族の――とりわけ、肉食の獣人には己の我を通すのが当然、と思っているタイプが多い。
決して思慮が浅いという意味ではないのだが、融通が利かないので結果としてそう見られがちでもあった。
ロウランが渋面を通り越した、歪んだ顔をしている所からして、この話題を止めたくとも止められなかったのだろう。
別に彼の顔を立てる必要もないのだが、既に時間的遅れは、五日にもなっている。
こうなっては、いち早く獣車が欲しいのも事実だった。
それに――。
ちらり、とリルを盗み見る。
獣車を欲する一番の理由はリルだ。
まだ長期の旅など経験した事がないし、それが徒歩の旅ともなれば尚更だ。
三日を超えた時点で足裏に豆が出来、それが潰れてしまえば痛みで歩けなくなる。
それが最低でもひと月の間、続くのだ。
道中でのトラブルは幾らでも想定出来るし、そうなったら更に、時間が掛かる事になるだろう。
あの森獣ならば間違いなく時間の短縮になるし、たったの七日で帰るのも不可能ではなかった。
何を頼まれるか……何をさせるつもりか、聞くのが恐ろしくもある。
だが、みすみす手放すのも惜しい。
こちらの急いで帰りたい、という事情を知ってあの態度だとすれば、強気の態度になるのも分かる気がする。
断られるなど、微塵にも思っていないに違いない。
だがそれも、全ては話の内容を聞いてからだ。
「まぁ……、簡単な頼み事なら、聞くのも吝かではないが……」
「おおっ、本当か! なぁに、そなたならば難しい事ではあるまい! 何しろ、得意分野だ!」
歯茎を見せて笑うティガルに、思わず訝しげな視線を向ける。
「……魔物退治でも、して欲しいのか?」
「おぉ、まさに!」
ティガルは大いに頷いて、腕を組んだ。
「公国人という、魔物にも等しい悪鬼の退治を頼みたい。得意なのだろ、敵首魁の首だけを討ち取るのは? 是非とも、それを成し遂げて欲しいのだ!」
私は本気で頭痛がして来て、額を手の平で覆った。
ティガルから視線を切る形になり、代わりにロウランを横目で見る。
「コイツは何を言ってるんだ? わたしを暗殺者か何かだと、勘違いしていないか?」
「いえ、決して……! 決して、そう言う訳では……!」
ロウランの狼狽は本気のもので、この遣り取りが不本意なものだと告げている。
そして、ティガルはと言えば、全くの悪意なく言っているのが、いっそ厄介だった。
自分が言った意味を理解していないのではなく、惜しみない賞賛を送ったつもりでいる。
裏表のない獣人族は、だからこそ私も好ましく思っているが、口にした結果を考えなさ過ぎる。
かつて、エルフ達の良い様に利用された理由も、良く分かろうというものだ。
私は視線をティガルへと戻して、ズシリと重くなった気持ちのまま尋ねる。
「なぁ……、そっちでは……。当然、私とは無関係の話だが……。魔女とは、どういう風に伝わってるんだ?」
「無論、武芸百般、魔術全能! まさに万夫不当に相応しい! 敵には一切の容赦なく、味方には広く慈悲を給う!」
熱を上げつつそこまで言って、更に興奮度を上げて続けた。
「かつて魔女は、不当な支配を許さんと、たった一人で抗い、獣人族の首に巻かれた鎖を解き放ったという。その戦いの最中、先兵とされた獣人族に一切の傷はなかった! 同じ事を、また頼みたいと言うのだ」
「あぁ、そう……」
言っている事は間違っていないものの、どうにも獣人びいきで、美化され過ぎているのは否めない。
伝聞なのか、伝承なのかは知らないが、彼らの中で理想の魔女像が出来上がっているのは確かな様だ。
そもそも、味方と言う認識からして間違っている。
ただ、“混沌の魔女”にとって、敵として見られなかった、というだけだ。
そして、当時の彼らはエルフ達の為に戦う奴隷兵でしかなく、仮にそれで全滅しようと、エルフは痛痒を感じなかった。
減ったらその分補充すれば良く、それは獣人族が絶滅するまで、続けられたに違いない。
だから、無駄に命を奪うだけでエルフに対して意味はなく、だからこそ的を絞った……と、考えたに過ぎなかった。
ともあれ、それで彼らが傷付かず、奴隷から解放されたのは事実だ。
多少の美化も、誇張も已むなしだろう。
だが、それを持ち出して頼み事をされても、私にとっては迷惑でしかなかった。
「獣人国の窮状は知っているさ。公国を悪し様に言いたい気持ちも分かる。それだけの事をしている、とも思う」
公国との軍事力差が、原因でもあった。
公国は山岳地帯を有する国で、その国土の多くが農耕に適していない。
だから平原や森林を多く有する、獣人国の土地が欲しいのだ。
だから攻め込むのは、ある意味で理解できる。
自由競争は、“混沌の魔女”が由とした事だ。
エルフ一強の完全支配と管理を、否定したからこそ反旗を翻したのだし、今の東大陸の現状がある。
しかしそれは、同時に強者が弱者に攻め込み、また別の争いの火種を生んだことを意味した。
弱肉強食は世の常で、自然界では基本的な原則だ。
それは
公国は鉄の武具を身に付け、兵士の大半が魔術を扱う。
その練度は決して高いものではなかったが、学べば身に付く一つの技能だ。
武具の差は獣人の身体能力で巻き返せるが、魔術の有無はその差を更に広げてしまう。
ならば獣人族も魔術を学べば良いと思うのだが、それを精霊信仰が邪魔していた。
魔法とは、精霊の愛し子が授かる特別なものであって、余人が気軽に扱うのは不敬に当たる、という考え方だ。
明かな劣勢と理解しても、未だに魔術を学ぼうとしないのだから、その考えは筋金入りで、種族としての根幹に根差し過ぎていた。
公国も公国で、単に土地を手に入れたいから戦争を仕掛けた、という訳でもなかった。
獣人族を劣等種と蔑み、対等に扱おうとしない。
その差別は虐待へと至るまでになり、種の根絶さえ謳う程だ。
彼らの目的は支配ではない。
だからこそ、どこまでも苛烈になれる。
それが現在の、獣人国を追い詰める理由だ。
講和が不可能な以上、抗うしかない。
だが、連敗を重ねて窮していたところ――。
起死回生を狙える救世主が現れた、と感じてしまったか。
――かつて、窮状を救ってくれた時の様に。
「だが、私にも余裕がないし、それに都合の問題もある。悪いが協力は出来ないよ」
「うぅむ、そうか……」
残念そうではあるが、それ以上食い下がる様子もなかった。
先程の熱意とは真逆の様だが、こちらにとっては好都合だ。
――そして、余裕もなければ、都合も悪いと言ったのは、決して方便ではない。
悪魔の真名は突き止めたのだ。
早々に召喚して、この身を蝕む呪いを解かせなければならない。
無論、丁寧に頼んで、どうこうなる相手ではないし、話を聞きすらしないだろう。
というより、既に交渉のテーブルに着かせるのは不可能な程、悪魔からの心象は悪い。
――戦闘になる。
そして、戦うのならば、誰も巻き込まない場所が好ましい。
帰るには公国を通らなければならないし、近づく程に
適した場所はすぐに見つかるだろう。
その戦闘の後に、また更に別に公国人との戦闘など、考えるだけで頭が痛い。
最悪なのは、戦闘に勝利しても解呪されないパターンだ。
頑なになった悪魔を頷かせるのは、至難の業だった。
「ともかく、私にその意思はない。獣車が無理なら、すぐにでも出立の準備をする」
「――あぁ、いや、お待ち下さい!」
踵を返した私の前に、ロウランが手を差し出して止めた。
そして、ティガルを睨む様にして言う。
「ほら、満足しただろう? 交渉の方法は任せるが、断られたら素直に渡す約束だ」
「そうだな!」
ティガルは鼻息荒く頷き、そうして獣車へと掌を向ける。
「口惜しいが、断られたのなら仕方あるまい! 約束は約束だ。これは譲り渡す! 同胞の救助に感謝する!」
「ありがたいが……、いいのか?」
「構わん! 俺も首長に頼まれただけだ。助力を得られれば僥倖だったろうが、最初から想定になかったものだ! 元からないものが、改めて無くなっただけだから、惜しいとも思わぬ!」
「そうか……。そういう、サッパリしたところも、やはり獣人、といった感じだな」
「それは褒めとるのか?」
「勿論だ」
薄く笑って言うと、ティガルもまた歯茎を見せて笑う。
闊達で気っ風の良い相手は、接しているだけで気持ちか良い。
私は改めて感謝を述べると、ようやく面倒が解決した安堵で息を吐いた。
それからリルを伴い、改めて出発の準備に取り掛かったのだった。