混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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村での生活と悪魔の撃退 その7

 春の森は、陽光と香気で満ちていた。

 花弁が風に散り、道の両脇には芽吹いた若葉が、淡い緑の波を立てている。

 

 獣人国は、平原と森に覆われた国だ。

 街道を進んでいても、不意に木々が姿を現し、街道も当然その中へ続いている。

 

 そうした訳だから、この森も既に二つ目となっていた。

 森獣――厚い毛並みをもつ、鹿にも似た大きな獣――が、低い唸りを上げながら、ゆったりと車輪を引く。

 

 その足取りは重くも確かで、土の匂いを踏みしめながら進む度に、春の大気が静かに揺れた。

 

 その速度は、見た目の足取り以上に速い。

 一国を七日で駆けるとされる脚力が、遺憾なく発揮されていた。

 

 森を抜け、主要街道に出た後は、更に速度が増す。

 とはいえ、しっかりと舗装された道でないから、揺れは森の中と然程変わらない。

 

 流石に我慢が出来なくなったリルが、私の腰回りに抱き着きながら不満を零した。

 

「ねぇ、お母さん。これ……、ガタガタして痛い」

 

「リルが乗った事のあるものは、卵籠しかないものな」

 

 含み笑いに言って、片手は手綱を持ったまま、リルの頭を撫でる。

 

「空を飛ぶみたいに、殆ど揺れなし、とは行かないよ。そして、どういう獣に牽かせるにしろ、このぐらいは普通なんだ」

 

「これが……、これで普通なの?」

 

「そうとも。もっと揺れる物だってある。粗悪品は車輪や車軸が歪んでいたりするから、そんなのは本当に乗っていられない。冗談じゃなく、荷台から投げ飛ばされる事だってあるんだ」

 

「えぇ~……っ!? それって、ホントに乗り物なの!?」

 

「うん、残念ながらね。上下に激しく揺れるから、気分だって悪くなるし、歯を食いしばって耐えるしかない」

 

「そこまでして乗るの? 歩いた方が良いんじゃないかなぁ?」

 

 リルの疑問は素朴だが、当然出る発想だ。

 しかし、それは長距離の歩行を知らないから、言える台詞でもあった。

 

「長く歩くのと、どちらがマシかと言う話さ。それを考えるとね、揺られていた方がまだマシ、と考えてしまうんだな」

 

「えぇ~……っ? ゼッタイおかしいよ! こんなに乗ってるの、ツラいのに……」

 

「一時間程度ならね、歩くのも良いだろうさ。でもね、歩くのは危険でもあるんだよ」

 

「どうして? 転んじゃうから?」

 

 私はその微笑ましい発想に、思わず笑顔になりながら答える。

 

「いいや、魔獣や魔物、あるいは山賊なども含めた野盗……。横合いから襲って来るものというのは、案外と多いからね」

 

「戦っちゃいけないの?」

 

「別に構わないよ。でもね、逃げた方が楽だし、怪我も少なくて済む。倒したところで実入りは少ない。何か理由がない限り、相手にする方が損なのさ」

 

「んぅ~……、そうなの? でも、逃げられない場合もあるよね? アロガみたいなのに襲われるとか……」

 

「そんな危険な道、すぐに知られて誰も通らなくなるよ。けど……まぁ、リルが何かしら理由を付けて、外を歩きたがっているのは分かった」

 

「じゃあ、いいの!?」

 

 そもそも、じっと出来る性格をしていない。

 お行儀良くしなくてはいけない場面では、勿論リルも努力してくれるが、ここはそうした場面ではなかった。

 

 そうとなれば、リルが我慢する理由もなく、駄々をこねるのは時間の問題だ。

 しかし、易々と許す理由も、またなかった。

 

「駄目だよ。アロガがいたら、考えても良かったけどね」

 

「そうだ、アロガ……」

 

 まるでそこに実際いるかの様に手を伸ばし、そして結局何も触れられずに空を切った。

 

「アロガいなくて、寂しい……」

 

「こんなに長い間、離れていた事なかったものなぁ……」

 

 互いに赤子の頃から、一緒の間柄だ。

 最近は街に行くので離れ離れな時間はあったものの、所詮は夕方まで。

 寂しいと感じる暇さえなかっただろう。

 

「アロガ、何してるかなぁ……」

 

「自分で獲物は狩れるし、腹を空かせてるって事はないと思うけどね。……多分リルと同じで、寂しがってるんじゃないかな」

 

「……ねぇ、お母さん。早く帰ろ?」

 

「そうだな。お母さんも、早く帰りたい……」

 

 私は手綱を操り揺られながら、ぼんやりと空を見上げた。

 晴れ渡る青の向こうには、幾つもの雲が流れている。

 

 その美しさが、今の私には残酷なほど穏やかに見えた。

 こうしていると平和で、長閑(のどか)そのものだが、遠く国境付近では、争い事が絶えないのだと忘れてはならない。

 

 公国は越境の後、好きに暴れているらしく、当然獣人国側もその抵抗は激しい。

 国境にある関所から、普通に出国するのはまず不可能だろう。

 

 その上、私は密入国したのと変わらないから、正規の通行証さえなかった。

 到底、問題なし、と素通りさせてくれるとは思えない。

 

 面倒事が絶え間なくやって来そうだと、今から暗澹たる気持ちになった。

 暗澹たる、と言えば、思う事はもう一つある。

 

 ――悪魔を、喚ぶのだ。

 

 その言葉を胸の奥で何度も反響する。

 この三年、あらゆる手を尽くして来た。

 

 祈祷めいた祈りで呪いを退けようとし、竜の知識を借り、精霊たちにも癒しを請うた。

 それでも、呪いは止まらなかった。

 

 脇腹の黒い紋様は日に日に形を変え、まるで意思を持つかのように、皮膚の下を這い回っている。

 

 目を閉じれば、あの日――。

 異形の奥深くから、笑った悪魔の影が浮かんだ。

 

 この身体に刻まれた印は、奴と繋がる“楔”だと、私は予想している。

 呪いの力を、次元を越えた向こうから注ぐ為、アンカーの様な役割を果たしているのだ。

 

 結果として、注がれた力の分だけ繋がりは強固になるし、時間が経つほど呪いは強くなる。

 

 ならば、それを断ち切るには――現世に喚び出すしか方法はない。

 

 喚び、願う。

 そして、支配し、撤回させる。

 

 危うい手段だが、成功すれば呪いは解ける。

 失敗すれば……、私は完全に喰われるだろう。

 

 けれど、もう迷いはなかった。

 春の陽射しが、あまりに眩しく見えるからこそ――。

 

 それが二度と届かぬ場所へ行く前に、最後の望みを掴まねばならなかった。

 

 

  ※※※

 

 

「お母さん……」

 

 リルが、揺れる車内で私の袖を握った。

 その小さな手の温もりが、現の世界へと引き戻す。

 

「お母さん……、何か危ない事しようとしてる……?」

 

 そう問われて、ハッとした。

 リルの実直な眼差しは、純粋な心配に満ちている。

 

 一瞬、誤魔化そうとも考えたが――。

 だが、リルの真っ直ぐな視線を見つめていると、ここで嘘を言うのは不誠実に思えた。

 

 リルはまだ、子どもだが……。

 それでも、既に感づいている手前、この誤魔化しは見抜かれるだろう。

 

「……うん、そうだね。危険な事をしようとしてる。フェリカ達を襲った異形のね、その大元を絶とうとしているのさ」

 

「あの……怖いヤツ? 木や森を腐らせた……」

 

「腐らせるのが目的ではないけれど……、そうだね。また悪さをしない様に、懲らしめてやるのさ」

 

「他にも、まだいるの?」

 

「今はまだいないかもね。でも、ああいうのを幾らでも作り出せてしまう。それを止めさせたい」

 

 正しい手順で作成された魔法陣、そして悪魔の真名さえ知っていれば、幾らでも召喚出来てしまう。

 

 そしてエルフは、明らかにその禁忌に手を出し、手段を選ばなくなっている。

 生贄ぐらい簡単に見繕うだろうし、敢えて異形化させる目的で、誰かに喚ばせる可能性すらあった。

 

 彼らに――同族以外に、倫理的な行動を望む方が酷だ。

 彼らは既に味を占めたかも知れないが、だからこそ召喚させない為にも、その根元から絶つ必要があった。

 

 ……流石に、二体も三体も、悪魔の名をストックしていたりしないだろう。

 その危機感さえ失っているとは、流石に思いたくなかった。

 

「お母さん……、大丈夫だよね?」

 

「勿論だとも。お母さんは、誰にも負けないよ」

 

「うん。でも……悪魔って、精霊とは違うんでしょ?」

 

「そうだね……。精霊は“光”の側にあるもの。悪魔はその裏、“影”の側にあるものだ」

 

 リルは小さく眉を寄せた。

 

「じゃあ……お母さん、影に行っちゃうの?」

 

 私はその言葉に胸を突かれ、すぐには答えられなかった。

 死者の世界は、時に影の国、と言ったりする。

 

 リルはそれを知ってて言った訳ではないだろうが、まるで私の状態を知っていて、そこを突いたかのように思えた。

 

 ――いや、本当は分かっている。

 私が負い目を感じているから、勝手にそう感じただけだ。

 

 私は感情を心の奥底へと仕舞い、無理にでも笑ってみせる。

 

「影の側には行かないよ。むしろ、光の側へ引きずり出すのさ。だから、何処かへ行くかも、って心配はしなくて良い」

 

 リルは目に見えて安堵して、それからこくりと頷いた。

 

「そっか! じゃあ、お母さんをいっぱい応援する! ――あ。いっそ、わたしも……」

 

「それは駄目。お母さんは負けないけど、リルを狙われたら、守り切れるかどうか分からない。大人しく待っていてくれた方が、ずっと安心だ」

 

「むぅ~……」

 

「むくれたって、駄目なものは駄目だ」

 

 断固として言うと、どうあっても覆らないと悟り、リルは大きな溜め息と共に肩の力を抜いた。

 

「やっぱり駄目かぁ……。でもね、どうしても助けがいる時は言ってね。わたしだって、お母さんを守れるんだから……!」

 

 その言葉は、胸の奥の最も痛む場所に優しく沁み、私は笑顔と共にリルを抱き寄せた。

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