混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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人助けの難しさ その1

「お母さん、大丈夫……!?」

 

 抱き付いて来たリルを、優しく抱き返して撫でる。

 僅かに震えていた身体が、それで少しは落ち着いた。

 

 しかし、その動揺まで取り除けるものではなく、リルは私と魔法陣のあった場所を交互に見ながら言う。

 

「あの悪魔……、もういなくなった? 倒したの?」

 

「そうだね、倒した……と言って良いものかどうか……。悪魔は実質的に不死だから、封印した様なものかな」

 

 エルフ側は悪魔召喚の成功で、少なからず味を占めた筈だ。

 しかし今は、途切れなく連続召喚されている最中だから、これに割り込んで召喚する事は出来ない。

 

 解呪されない事への意趣返しであったのは確かだが、エルフ側から切り札を一枚奪えた事にもなるので、一石二鳥だった。

 

 だから、事態は最悪という程ではない。

 悪魔召喚そのものを奪えた訳ではないものの、力ある悪魔を喚べるかは運になる。

 

 そして、数打てば当たる方法を取れないのが、悪魔召喚というものでもある。

 

「あの異形も、もう出現したりしないだろう」

 

「よかった……」

 

 リルは明らかに安堵した様子で、肩から力を抜いた。

 しかし、抗議めいた視線で上目遣いに言ってくる。

 

「でも、怖かった……。すごい叫び声で……、離れてたのに震えちゃったもん。ナナも怖かったって」

 

「ち、違うわよ!」

 

 リルの背後から現れたナナが、顔を赤くして大振りなジェスチャーで否定する。

 

「精霊と悪魔は相容れないの! 視界に入るだけで、嫌悪感に溢れるのよ! 怖いんじゃなくて、気持ち悪いだけ!」

 

「あぁ、そうだな」

 

「何よ、子どもをあやすみたいに! 本当だからね! 怖いんじゃないんだから!」

 

「分かった、分かってるから……」

 

 必死に言えば言うほど怪しく見えてしまうのだが、実際、ナナが言っている事は本当だ。

 

 存在として対極にあるようなものだから、どうあっても受け入れられない。

 そこに理解のないリルが、自分と同じように怖がった、と勘違いするのはやむを得なかった。

 

「まぁ、その辺の誤解は、勝手に解いて貰うとして……」

 

「ちょっと!」

 

「もう、ここに用はないんだ。さっさと旅路に戻ろう」

 

「そう! アロガがお家で待ってるんだった!」

 

 リルが、ガバリと顔を上げ踵を返すなり、私の手を取って引っ張る。

 

「早く帰ってあげないと! ねっ、お母さん! もうフェリカとか村とか、襲われなくなったんだもんね?」

 

「うん、それは間違いない」

 

 悪魔が根絶された訳でも、召喚技法が消失した訳でもないから、厳密には出なくなったとは言えない。

 

 しかし、現状は安全になったと判断して良く、だから全くの嘘でもなかった。

 

 懸念があるとすれば――。

 私の呪いが全身を回った時、一体どうなるか、だろう。

 

 悪魔から不興を買ったら異形化する、というのなら、私も間違いなく異形化の対象だ。

 

 そして、異形は悪魔の操り人形となり、その身体を乗っ取られる事まで判明している。

 

 魔力の強い者ほど強い異形になるのか、それとも一律な個体になるのか、そこまでは分からない。

 しかし、あの時の異形レベルでも、普通なら十分な脅威だ。

 

 そして――異形となった私自身が、リルを襲うなど考えたくもない。

 解呪が絶望的になった以上、また別の対策が必要だった。

 

「……お母さん?」

 

 リルが私の手を握りながら、不思議そうに見つめる。

 私は努めて笑顔を浮かべ、何でもない、と(かぶり)を振った。

 

「森獣も待ちくたびれているだろう。今日は野宿になるし、日が暮れる前に少しでも距離を稼がないと」

 

「うんっ!」

 

 嬉しそうに返事すると、リルは私の手を引いて駆け出す。

 自然、ナナもそれに付き従い、先程の誤解とやらを解こうと必死だ。

 

 私はされるがままに手を引かれながら、今後七日の予定を頭の中で計算していた。

 

 

  ※※※

 

 

 森獣の背は、いつ見ても頼もしい。

 大樹の葉を思わせる深緑の毛並みに、丸太のように太い脚。

 

 頭の両脇にある巻角は、光を受けて黒から琥珀色に輝く。

 その背に括りつけた荷台に、私はリルと並んで乗り込んでいた。

 

 春の陽気は柔らかく、平原を渡る風が頬をくすぐる。

 森獣は見た目にそぐわぬ速度で歩きながらも、時折空気を嗅ぎ、耳をぴくりと動かしていた。

 

 そのたびに、揺れる籠の中でリルが声を上げる。

 

「お母さん、森獣……この子、なんだか嬉しそう!」

 

「今日は風がよく通るからね。それで機嫌が良いのかもしれない」

 

 私がどうだ、と尋ねると、森獣は鼻を鳴らし、のんびりと歩調を緩めた。

 

 しばらく平原を進むと、背の高い草が風に揺れ、その向こうに森が帯のように伸びていた。

 

 私がそこに目を向けると、リルもまた身を乗り出して景色を見つめた。

 

「ねぇ、お母さん。あの森、なんだか暗いね」

 

「春でも日が届きにくい……と、そういう森だからだろう。こういう森は別に珍しくないけど、この国では“影森”と呼ぶんだよ。ここ通るときは、注意しないといけないよ」

 

「なにを? なにに気をつけるの?」

 

 リルの問いに、私は手綱から片手を離し、指で方角を示した。

 

「リルの場合なら――まず、風の流れを読むこと。風が急に止まったり、逆向きになったら、獣か魔物が近くにいる合図だ」

 

「ふぅん……。なんで? 獣か魔物が風を変えてるの?」

 

「いいや、風向きはいつだって自然に変わる。まさに、風の向くまま、気の向くまま、ってやつだけど……。時に風の小精霊が、それらを嫌がって急に方向を変えたりする。だから、もしかしてと思って注意するのさ」

 

「わたしに分かるかなぁ。森だと全然、そういうのに気付けないのに……」

 

「感じようとすれば、すぐに分かるようになるさ。それに、森には精霊が居すぎて、逆に分かり難いから……」

 

 私はリルの髪をそっと押さえ、真剣な眼差しで前方の森を見つめた。

 森の入口に近づくほど、鳥の鳴き声は減り、空気がひんやりとしてくる。

 

「そして、次に――音を聞くこと」

 

「音?」

 

「草が揺れる音、枝の折れる音。その“速さ”と“方向”で、どんな生き物か分かる事もある」

 

 リルは森のほうへ耳を澄まし、目を丸くした。

 

「……いま、右のほうでちょっと音がした!」

 

「流石に耳が良いなぁ……。でも、あれは風で揺れただけだね。獣か他の何かなら、もっと重たい音がするはずだ」

 

「そっかぁ……」

 

 リルは少し肩を落としたが、目の輝きはむしろ増していた。

 森獣が森の入口へ踏み込むと、薄暗い影が座っている御者台の上にも落ちてくる。

 

 木々の枝は高く、葉が重なりあって昼でも薄闇だ。

 それを見たリルは、少し身を縮こませた。

 

「お母さん……、ちょっと怖い……」

 

「怖がってもいいよ、リル。“怖い”って感じることは、とても大事なことだから」

 

 私はそっとリルの手を握った。

 

「恐れはね、単なる弱さじゃない。自分を守るための“合図”なんだ。怖さを感じたら、感じるだけで終わらず、よく考えるんだ。――どこに危険があるのか。そして、どうすれば避けられるのか。それができれば、旅はずっと安全になる」

 

 リルはこくりと頷いた。

 

「そっか……。“怖い”は、逃げるためじゃなくて、気付くためなんだ」

 

「そう。そして気付ければ、戦う必要なんて、ほとんど無くなる」

 

 その時、森獣が立ち止まり、鼻をひくひくと動かした。

 私は即座に前方へ視線を投げる。

 

「リル、上を見てみなさい」

 

「えっ?」

 

「いいから」

 

 更に言い聞かせると、リルは不思議そうにしながら、その通りに見上げた。

 そして前方、木陰の中に――小さな魔獣がいる。

 

 春先には森の奥からよく出てくる獣で、猫にも猿にも似た姿をし、危険は少ないが、目が合うと敵意ありと見て襲って来る事もある。

 

 本来ならば、リルには目を伏せるよう、言っておくべきだろう。

 しかし今は、少しでもリルに教えられる事は教えてやりたかった。

 

 ただ腕の中で包んで守ることだけが、リルを守ることにはならない。

 それを今後、より一層、強く意識しなければならない。

 

 私が改めて自分に言い聞かせていると、森獣が低い唸り声を上げた。

 その声に合わせて、私も前方を睨み付ける。

 

 目が合うと襲う習性を持つ魔獣だが、格上相手にも襲うほど無謀ではない。

 更なる力を視線に込めると怯み、やがて森の奥へ逃げていく。

 

「……よし。どう対処すれば良いか分かったかい、リル」

 

「うんとね……、気迫で負けないこと?」

 

 そう、と私は満足げに頷く。

 

「ヒトでも魔獣でも、自分より強い相手とは戦いたくないものさ。そしてね、最初の睨み合いで、その格差が決まる。ヒトの場合は実力差に気付けない者もいるけど……、そういう手合いなら、いなすのも簡単だ」

 

「戦うのは駄目なの?」

 

「駄目ではないよ。でもね、敢えて危険な目に、自分から遭いに行く必要はないって事さ。特に旅の間はね、何があるか分からないから、そもそも近付かせないことが大事なのさ」

 

 リルは神妙に感心しながら、じっと私の横顔を見上げた。

 

「お母さんって……、やっぱりすごい」

 

「凄いんじゃないよ。こういうのに慣れてるだけ」

 

「でも、ちゃんと全部気付くもんね。……わたし、その……」

 

 リルは言葉を選びながら、少しだけ寂しそうな声で言った。

 

「……わたしも、お母さんみたいに、分かるようになりたい」

 

 私は胸が温かくなるのを感じながら、その微笑ましい横顔を撫でた。

 

「リルはいつも、それを言うね。でも、大丈夫。その気持ちがあれば、もう半分は出来てる様なものさ。あとは実際に色々経験して、見て、感じて、覚えていくだけだ」

 

 そう言ってやるとリルは笑顔になり、春風のような声で笑った。

 

「いっぱい教えてね、お母さん!」

 

「うん、勿論だとも」

 

 森を抜けると、再び光が差し込む。

 一面の若草が広がり、遠くには雪を残した山々が顔を覗かせていた。

 

 春の匂いが風に乗り、獣車がきしむ音が心地よく響く。

 私はリルの肩を抱き、次に向かう方角を見据えた。

 

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