混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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人助けの難しさ その2

 日が傾き、森の影が長く伸びる頃……。

 私たちは森獣を止め、野営に丁度良い小さな茂みの近くへ移動した。

 

 森獣はすぐ近くの草地に寝そべり、重たい息をついて休みに入る。

 茂みの奥からは、鳥たちが巣へ戻る羽音が聞こえていた。

 

「リル。今日は実際に、“生きるための準備”をやってみよう。この前は一緒にやったけど、今回は一人きりでね」

 

 そう告げると、リルは途端に不安そうな顔付きになった。

 

「わたしに出来るかな……?」

 

「大丈夫、やるのはリルだけど、お母さんも横から、やり方を教えるから。いつか自分一人で出来るように、いま練習しよう」

 

 私がそう優しく諭すと、リルはにっこりと笑った。

 それに頷き返すと、腰の袋から短い刃のナイフを取り出す。

 

 リルは息を呑んで、その刃先を見つめた。

 

「まずは――薪集め。“落ちている木”だけを拾うこと。折って持って来てはいけないよ」

 

「なんで? どうして、折っちゃだめなの?」

 

「生木は燃え難く、煙も凄く出る。目に染みるから、煙と相まって遠方への警戒が疎かにもなってしまう」

 

 リルはこくりと頷き、森の縁へ駆け出していった。

 私は距離を保ちながら後ろからついていき、危険な音がしないか耳を澄ませる。

 

 リルは太い枝を見て、片手で持ち上げようとしたが――

 

「う、うぅ……これ、おもい……!」

 

「重い薪はね、火加減が難しい。それより――ほら、そこ」

 

 私は少し離れた所にある、小さな影を指差した。

 

「こういう、乾いた細枝を最初に集めるんだ。火とは“育てる”ものだからね」

 

 リルは真剣にその枝を何本も拾い、腕いっぱいに抱えた。

 

 そうして、リルの拾ってきた枝を並べ、火床となる地面を掃いて平らにする。

 小石を円形に並べて囲い、リルにナイフを渡した。

 

「これで木を削って、“火口(ほくち)”を作りなさい」

 

「火口って……?」

 

「火が最初につく、いちばん大事な場所。柔らかくて、薄くて、よく乾いた木の粉がね、その火口を作り易い」

 

 リルは説明を聞き終えるなり、ぎこちない手つきで木を削り始めた。

 その削り方は雑で、粉というよりささくれが飛び散る。

 

「違う。刃を押しつけるんじゃなくて、木の表面を撫でていくんだ」

 

 私はリルの手を包み、ゆっくり動かして見せる。

 すると、薄い木の粉がふわりと積もった。

 

「わぁ……、雪みたい……」

 

「そう、火のための雪だね。これがないと火は生まれない」

 

 火口ができると、火打石を取り出す。

 リルは興奮で目がきらきらしていた。

 

「リル、覚えておきなさい。火は“便利”なだけではなく、危険なものでもある。火を扱える者は強い。だけど、同時にそれだけ責任もある」

 

 リルは真剣な顔で頷いた。

 私は火打石をこすり、火花を散らしてみせる。

 

「さぁ、やってごらん」

 

 リルは真剣味を増した表情で、火打石をカンッ、と打ち合わせる。

 火花は飛んだものの、しかし火口には届かない。

 

「焦らなくて良い。この間より、ずっと上手だ。それとね、大きな音を出そうとする必要はないよ。的を狙って、火花を落とす気持ちで」

 

 再びリルが石をこすり――。

 そして小さな火花が、ふわりと火口に落ちる。

 

 その数秒後、かすかな煙がのぼった。

 

「お母さん……! やった、ついた……!」

 

 リルの頬が夕陽に照らされ、興奮と誇りで赤く染まる。

 

「よく出来ました。コツを掴めば簡単だろう?」

 

「うんっ!」

 

 私は火が広がる前に細枝をそっと乗せ、炎を育てる。

 ぱち、ぱち、と音を立て、暖かな光が徐々に広がった。

 

 火が落ち着くと、私はリルをそこから少し離れた周囲へ連れていく。

 

「野営でいちばん危険な時間は、言うまでもなく“夜”だ」

 

「魔獣が出るから?」

 

「魔獣だけじゃないけど、その通り。風の向き、虫の声、森獣の様子……。それら全て、夜の危険を教えてくれる、物差しにしなくてはならない」

 

 私は一つ一つ指差しながら、講釈を続ける。

 

「今日は風が東から吹いてて、湿気が多い。魔獣の匂いが広がりにくいから、鼻に頼りすぎないこと」

 

 そう言って、次に周囲の草むらに指を向けた。

 

「虫が一斉に黙ったら、その周囲に“何か”がいるサインだ。よく観察なさい」

 

 更に森獣へ、指を移す。

 

「森獣が鼻を上げて風を嗅ぐ時、それは警戒の合図だ。獣は気配に敏感だから、その合図は見逃さない様に」

 

 リルは一つ一つを噛みしめながら、必死に覚えようとしていた。

 

「そして――」

 

 私はリルの肩に手を置き、森の闇を見せる。

 

「暗闇は、本能的な恐怖を呼び起こす。だけど、逃げなくていい。“何がいるか分からない”ときは――自分の目で、耳で、鼻で確かめること」

 

 リルの喉が、ごくりと鳴った。

 

「できるかな……?」

 

「出来るようになりなさい。大丈夫、火口を作った時と同じだ。コツを掴めばすぐさ」

 

 そう諭してやると、リルの目が、ぐっと強い光を宿した。

 

「……うん。わたし、ちゃんとできるようになる!」

 

「その意気だ」

 

 リルの頭を撫でてから火の傍へ戻ると、森獣が眠そうにあくびをしていた。

 その大きな影の裏に、夕闇が静かに落ちていく。

 

 私はリルに荷台から取り出した毛布を渡すと、火の傍へ座らせた。

 

「今日のリルはよく頑張った。火を(おこ)せるようになったら、一人でも夜を越える力があるということだ」

 

「ほんとに……?」

 

「本当だとも」

 

 リルは小さく笑い、火を見つめながら言った。

 

「わたし、お母さんみたいになりたいな……」

 

「それはもう、何度目の台詞だか……」

 

 私は笑ってリルの頭に手を置き、次いでその耳を畳むように撫でる。

 

「不安がることはない、きっとなれる。でも、リルはリルだ。――前にも言ったろう?」

 

「うん……」

 

 炎の揺らぎがリルの瞳に映り、夜風が草を揺らした。

 納得してはいないようだが、強く言い含める事でもない。

 

 折り合いは、いずれ自分の中で自然と出来てくるものだ。

 私は火を見つめたままのリルを置いて、食事の準備を始めた。

 

 

  ※※※

 

 

 翌日――まだ朝日が、森の端に触れていない頃に、私は目覚めた。

 野営地は冷たい霧に包まれ、湿った空気が肌を刺すように感じる

 

 荷台に毛布を敷き、リルとくっ付いて寝ていたのだが、私が目覚めても未だ夢の中だ。

 

 ふと視線を逸らせば、森獣が丸くなって眠っているのが目に入り、白い息をゆっくり吐き出していた。

 

 私はリルの肩を、軽く揺すって起こす。

 

「リル、起きなさい。朝だよ」

 

 リルは逃げるように寝返りを打ち、むにゃむにゃと目を擦る。

 

「……まだ暗いよ……」

 

「暗いからいいのさ。“夜と朝の間”を扱えるようになれば、生き残る力が段違いになる」

 

 そう言うと、リルは眠気に負けつつも身を起こし、不満そうに呟いた。

 

「いき、のこる……? そんなことまで、気にしないといけないの……?」

 

 そう問われて、思わず返答に詰まる。

 最悪の事態を想定している私と、単に野営の心得を学んでいると思っているリルとでは、その認識に大きな隔たりがあった。

 

「……まぁ、知っているかどうかは、大きな違いになるんだよ」

 

 少々強引に話を中断し、私は火を熾す前にリルの手を引いて、森の縁へ連れていった。

 空は薄青く、鳥たちはまだ目覚めていない。

 

「リル。昨日教えた“音の違い”を、今日は実際に聞いてもらう」

 

「音……?」

 

「そう。この時間帯は、夜の獣と朝の獣が入れ替わる時刻だからね。普段より違いが分かりやすい」

 

 そう説明すると、私は指を立てて口元へ当てた。

 

「耳を澄ませなさい」

 

 リルはまっすぐ背筋を伸ばし、森の暗がりをじっと見つめた。

 わずかに風が吹き、葉が擦れる音がする。

 

「ね、お母さん。葉っぱの音しか聞こえないよ……?」

 

「慌てずに。よく聞いて」

 

 しばらくすると、微かな“連続した小さな振動音”が、森の奥から聞こえてきた。

 

「……虫の、羽の音……?」

 

「そう。それも群れの音だね」

 

 私はリルの頭を軽く撫でた。

 

「この音が聞こえる日は、午後に雨が降る確率が高い。湿気を嫌う虫が、早めに巣に戻るからだ」

 

「えっ……、そんなことで分かるの……?」

 

「分かるようになるんだよ、リル。世界はいつも、いつだって、色んな合図を出しているんだ」

 

 リルは神妙な顔付きで、ただ黙って頷いた。

 

 

  ※※※

 

 

 次に、私はリルを草原側へ連れていった。

 朝露に濡れた地面には、夜のうちに獣が歩いた跡が残っている。

 

「ここで、何するの……?」

 

「足跡を読む練習だ」

 

 私はしゃがみ込み、指先でその跡をなぞった。

 

「ほら、この形。足が三つに割れて見えるだろう? これは“谷鹿”の跡だ。小さいけど、蹄を落とし込む癖があるから深い」

 

「ほんとだ……、くっきりしてる……」

 

「次はこれ」

 

 少し離れた場所の、細長い足跡を指す。

 

「これは森狐。軽いから浅い。でも――」

 

 私は少し眉をひそめた。

 

「足跡の向きが違うな。普通なら森の奥へ戻るだろうに、今朝は平原側へ歩いてる」

 

「どうして?」

 

「たぶん、森の奥から逃げて来たんだろう。大型の獣に追い掛けられたかな」

 

 リルの肩がびくりと震えた。

 

「大丈夫。今はまだ、危険な距離じゃない。でも、“足跡は語る”ことを覚えておきなさい」

 

 リルは真剣に頷き、足跡と森の方を注意深く見つめた。

 

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