混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

282 / 325
人助けの難しさ その3

 そうして、日が昇りはじめ、霧が薄れていく頃――。

 朝食を食べ終えてから、二人で近くの小さな谷へ向かった。

 

「今日は水の探し方も教えよう」

 

「水かぁ……。お家なら、そんな心配いらないのに……」

 

「本来はね、水は何処でも手に入るものじゃなくて、むしろ貴重なものだと覚えておきなさい。外の世界中で欲しいなら、地形と自然を読むこと」

 

 リルは唇を結んで頷いた。

 

「まず、この谷を見てみなさい。草原と比べて、草の色が濃いだろう?」

 

「……あ、ほんとだ……」

 

「水脈が近い証拠だ。更に……、ここ」

 

 谷底の石を指さした。

 

「苔が湿っている。これはね、“下から水が染みている”証拠だ」

 

 リルはまるで、宝物を見つけたように目を輝かせる。

 

「水……ここにあるの?」

 

「掘れば少しは出るだろうね。でも、飲めるほどじゃない。そこから分かることはね、近くに水辺があり、そして“獣が集まりやすい場所”だということ」

 

 リルは一時、不思議そうに首を傾げ、それから表情を引き締めた。

 

「じゃあ……、危険?」

 

「そう。水辺は生き物を呼ぶ。生き物が来る場所は、捕食者も来る」

 

 そう言って私は周囲をぐるりと見回した。

 

「水を求めているのに、危険地帯へ踏み込んでいることもある。そういう時は、素早く離れなさい」

 

 幸い、今は周囲に獣の気配はない。

 警戒を解いてから谷を離れた。

 

 

 

 野営地に戻ると、森獣が暇そうに鼻を鳴らしながら、近くの草を食んでいるところだった。

 私はリルを火の前に座らせると、再び講釈を始める。

 

「リル、昨日今日と色々教えたけど……。これから、更に大事な事を教えよう」

 

「なに……?」

 

「いいかい? リルには戦う(すべ)を長い間、教えて来たね」

 

「はいっ! 剣と素手、どっちでも大丈夫なように、いっぱい教わってます!」

 

 リルは姿勢を整えると、改まった口調で自慢気に胸を張った。

 武術の稽古時は、母娘ではなく師弟関係となる。

 

 だから今も、リルは師匠から薫陶を受ける弟子の態度を取っていた。

 その切り替えに満足しつつ、私は話を続ける。

 

「いいかい、必要なのは“戦える力”よりも、 “戦わず済ませる知恵”の方だ。むしろそちらの方が、はるかに大事と言えるだろう」

 

「……そうなの? じゃあ、どうして……」

 

「武術を教えるか? それはね、前にも言った事があるよ」

 

「えぇ……?」

 

 リルは難しい顔付きで首を捻り、数秒頭を悩ませた後、あっと声を上げた。

 

「理不尽なボーリョクにタイコーする為だ! 何も出来ないなんて事がないようにって! お母さん、言ってた」

 

「よく覚えていたね。偉いぞ、リル」

 

 素直に褒めそやし、胸に抱いて頭を撫でる。

 リルはくすぐったそうに笑い、嬉しそうにリルの方からも抱き着いて来た。

 

 ぎゅうぎゅうと締め付け、二度と離れないと言わんばかりの様子に苦笑しながら、私は話を続けた。

 

「いいかい、リル。武力を持つのは大事だ。自分の身を守れる程度の力はね、むしろ必須だとすら思う。でも――、“戦わずに済ませ”られるなら、そっちの方がよほど大事だ」

 

 リルは胸の間から顔を出して、力強く頷いた。

 

「うん、戦わなくていいなら、そっちの方がいい!」

 

「昨日の火。今朝の音、足跡、水脈……。これら全て、戦わないための力だよ」

 

 私はリルの顔を両手で包み、その頬を優しく摩りながら言う。

 

「私が武術を教えるのはね、剣や魔法を持たせたいからじゃない。リルが無事に成長する為の、力添えをしたいからだ」

 

 リルは唇を噛み、目を潤ませた。

 

「……お母さん。わたし、ちゃんと……覚える。ちゃんと……ちゃんと、リッパに大きくなるの。お母さんも見ててね」

 

 その声は震えていたが、間違いなく、その心根には芯があった。

 

「あぁ、きっとね」

 

 私はリルを抱き寄せ、額に軽く唇を触れさせた。

 森獣が喉を鳴らし、朝日がようやく木々の間から差し込み始める。

 

 今日も旅は続く。

 リルを鍛える日々も、まだ始まったばかりだった。

 

 

  ※※※

 

 

 抱擁を終え身体を離す時、リルが回した腕を離さないという場面があったものの、私たちは野営の片付けを始めた。

 

 森獣はもう準備万端といった様子で、しきりに鼻を鳴らしながら、私たちの周りを急かす様に回っている。

 

 荷を結わえ終えると、その大きな背中に獣車を繋ぎ、私とリルはゆっくりと御者台へと乗り込んだ。

 

「お母さん、今日も……危ないのある?」

 

 リルの声は緊張よりも、むしろ期待に近い。

 昨日からの教えが、彼女の好奇心に火をつけたのだろう。

 

「危ないものは“あるかもしれない”、と思っておくぐらいが丁度良い。油断せず……そして、周囲に気を配る。移動中はね、そうした備えが大事なんだ」

 

「うん……!」

 

 森獣が歩みを始めると、春草の香りがふわりと立ち上る。

 小鳥のさえずりが森の彼方から聞こえ、昨日よりも空は澄んで見えた。

 

 だが――その穏やかさに惑わされるのが、旅の難しさでもある。

 

 

 

 

 しばらく平原を進んだ後、私はふと森の方へ視線を向けた。

 風が止む――そんな瞬間がある。

 

 自然の流れが一瞬だけ“固まる”ような、そうした違和感が。

 

「……リル。風の話、覚えてる?」

 

「え? うん……魔獣が居たり……じゃあ、いま?」

 

「今回は魔獣ではないし、前回教えたのとは、また違うケースだけどね」

 

 リルが耳を澄ませるようにした瞬間、その表情が変わる。

 

「あれ……? 風が……、無くなった……?」

 

「そう。自然に無風になるのは、そんなに多くない。特に“ヒトのいる場所”ではね」

 

 リルが首をかしげる。

 

「ヒト……?」

 

「そう、近くで火を使っているんだろう。風が熱をまとって、動きを変えたの原因かな」

 

 私は手綱で森獣を軽く叩き、歩調を落とさせた。

 

 ――この気配……その人数は四、五ほど。

 位置は……森の境界。まだ遠いが――。

 

 恐らく野盗で間違いあるまい。

 街道沿いでは、何処の国でも一定数、こうした輩が湧く。

 

 獣人国家でそうした野盗は少ない筈だが、何事にも例外はある。

 それに、やっているのが獣人だとも限らない。

 

 この国は香辛料や砂糖が採れるお陰で、人間の商人が貿易をしたくてやって来る。

 そうした手合いを狙って襲ってもおかしくなく、そして大抵の場合、そうした野盗は人間になるのだ。

 

 森獣が鼻を鳴らした。

 どうやら彼も気づいたらしい――あの“嫌な匂い”に。

 

「リル。ここからが、今日の訓練だ」

 

「……どんな?」

 

「恐らく、人間の野盗がいる。まだ距離はあるけれど、遭遇したくはない」

 

 リルはごくりと喉を鳴らした。

 

「戦うの……?」

 

「戦わない。避けるんだよ」

 

 私はリルの耳の後ろを軽く撫で、森獣に合図を送る。

 すると森とは逆方向――少し遠回りの丘陵へ向かって進み始めた。

 

「いいかい?  野盗は待ち伏せを好む。だから、こういう道の“出口が狭い場所”は避けること」

 

 私はそう言いながら、指で進行方向を示す。

 

「ほら、あの先の林。入口は狭くて、抜け道も少ないだろう?」

 

「……ほんとだ……」

 

「そういう場所に、人は隠れる」

 

 リルははっと息を呑んだ。

 

「じゃあ、丘の上から回るのは……」

 

「見晴らしが良いし、後手にも回り辛いから、ずっと安全だ」

 

 森獣がゆっくりと丘を登っていく。

 その背で、リルは眉を寄せながら景色を見回した。

 

「ねぇ、お母さん……。下のほう……あれ……」

 

 リルが指差した先――木々の影に、揺れる光。

 焚き火の赤い色だ。

 

 その周りを黒い影がうろつき、話し声らしきものが風に運ばれてくる。

 

「リル、あまり音を立てないように」

 

 リルは素早く応じ、一つ頷くと私の腕を抱いて黙った。

 私は周囲を見渡し、さらに森獣に小声で囁く。

 

「坂を下るのはやめよう。尾根沿いを……そう、そう。音を立てずに……」

 

 森獣はゆっくりと、慎重に足を運んだ。

 流石の健脚で、速度を落とした代わりに、巨体とは思えないほど足音が小さくなった。

 

 丘を越え、さらに遠回りしながら街道から離れる。

 焚き火の光も、笑い声もやがて消えた。

 

 丘を越えきった所で、私はリルの肩を叩いた。

 

「……よし。もう、大丈夫」

 

「ほんとに……?」

 

「姿も見えないし、気配も遠のいたろう?」

 

 リルは安堵のあまり、どっと肩の力を抜く。

 

「うん、もういない……」

 

「正面から戦っても、負ける事はないだろう。でもね、気付けたのなら避けるのが賢明だ。旅の道中、トラブルは少ない方がいい」

 

 リルは私の顔をじっと見た。

 

「お母さんは、なんで分かったの?」

 

「理由は幾つかある。気配、風の流れ、ヒトの匂い、火の匂い……。リルにもそのうち幾つかは分かっただろう?」

 

「うん、火の匂いはね、分かったよ」

 

 私はリルの肩に手を置いた。

 

「あんな所で自然発火なんてない。ならば、誰かが火を熾した、という事になる。そして、それが分かればね、相手の狙いも分かって来るものなんだ」

 

「……あそこで火があったら、野盗で間違いないの? ぜったい?」

 

「そうだな……、絶対ではない。でも、そう考えて良いくらいには危険な確率だ」

 

 野盗たちから大きく迂回した道は、春草が一面に広がる静かな丘陵だった。

 森獣は鼻歌のように低い声をあげながら進み、風は草をゆっくり揺らしていく。

 

「お母さん……さっきの丘、少し怖かったけど……。なんだか、わたし、ちょっと分かって来た気がする」

 

「うん、こればっかりは経験だ。リルにもその内、分かって来る様になる」

 

 私はリルの頭を撫でながら言った。

 

「旅はまだまだ続く。今日みたいなことは、これから先まだまだあるだろう。でも……」

 

「うん。大丈夫。お母さんと一緒だもん」

 

 その言葉に、呪いで重くなっていた胸が少しだけ軽くなる。

 

 ――守らなければ。呪いに呑まれる前に、なんとしても。この子が一人で生きていける様に……。

 

 私は遠くの空へ視線を向けた。

 その彼方にある我が家に向けて、森獣の背はゆっくりと進んでいった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。