混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

284 / 325
人助けの難しさ その5

 放っておくと、いつまでも拝み倒していそうな青年を引き剥がし、獣車を村の中へと進ませた。

 

 外からでも十分に臭ってきた悪臭は、中に入ると更に強烈な刺激臭として、鼻腔を直撃する。

 

「これは……、凄いな……」

 

「くじゃ~い……!」

 

 リルは風の膜を纏っている筈だが、それを貫通する程の悪臭だった。

 それも当然と言える。

 

 悪臭の原因は、家畜臭だけに留まらず、ヒトの糞尿と、そこに獣脂までが混ざり合って、ここまで酷い臭いになっているのだ。

 

 近くを通る獣人もまた、その臭いの発生源となっており、ツンとした臭いが鼻をつく。

 

「鼻が曲がるぅぅ~……!」

 

 実際に鼻を押さえて言うリルに、私は窘めながら言った。

 

「そういう態度は止めなさい。リルだって誰か他人に、そういう真似をされたら嫌だろう?」

 

「そうだけど……。でも、なんでこんなに臭いの? 街でもさっきの村でも、こんなヒドいことなかったのに……!」

 

「原因は一つじゃないからね。髪を結って整えるのに使う油や、蠟燭の材料になる油、それらに獣脂を使っているのも、大きな要因だろう」

 

 村に旅人が立ち寄るのは、相当性珍しいらしく、敢えて近寄ろうとする者はいない。

 だが、それでも刺すような視線は、そこかしこから感じていた。

 

 そして、彼らの結った髪には、油独特のテカリが見える。

 獣脂は彼らからすると、とても身近で簡単に手に入るものに違いなかった。

 

 そして、代替品となる油は植物由来で、それらはいずれも高価だ。

 たから、どうしても安価な方を使わざるを得ないのだ。

 

 道を進んで行くと、肥料作りをしている一人の女性に出会った。

 じっとりとした視線を向けつつ、背中に背負った赤子を守るように、身体の正面を向けている。

 

 素足で家畜の糞を踏み、それで発酵を促すという原始的な方法をしており、踏んで出た液体が生活用水路へと流れ込んでいた。

 

 不衛生さに眉をしかめていると、リルから呻き声が漏れる。

 

「うぅ……っ!」

 

 悪態こそ()かないものの、視線を逸らして見ないように必死だ。

 それについては、特別咎めようとほ思わない。

 

 リルからすれば、あり得ないことのオンパレードで、本当ならいますぐ回れ右したいくらいだろう。

 

 だが、野宿続きは身体に堪える。

 疲労の蓄積は馬鹿にならないものだ。

 

 せめて屋根のある場所で、リルを休ませてやりたかった。

 

「狭い村だし、宿なんてないかもな……」

 

 だが意外なことに、しっかり宿は存在していた。

 宿屋の者が獣車を見つけ、丁寧にひと

部屋を用意してくれる。

 

 藁敷きだが、綺麗に掃いた温かい部屋ではあるものの、全体としては薄汚れて見える。

 こうした農村部の宿では、特に珍しくもないのだが……リルは激しい抵抗を見せた。

 

「ここで寝るの!?」

 

「そうとも。どうやら綺麗な部屋を用意してくれたみたいだし」

 

「どこが!? こんなの……、こんなの酷いよ!」

 

「落ち着きなさい、リル。こんなのは、ごく普通のことさ」

 

 努めて穏やかに諭して言う私に、リルは藁を指差して言う。

 

「なんか、ピョンピョン跳ねてる、虫みたいのいるよ!?」

 

「それはノミだ。もっと上等な宿でもね、こうしたことは珍しくないものだよ」

 

「おかしいよ……。これが普通なの……? 外の世界、ばっちぃよ……」

 

 明らかに落ち込んだリルに苦笑しながら、私は慰めの言葉を掛ける。

 

「大丈夫、マナ溜まりの上に作られた街や都市は、もっと衛生的だから。そういう所はね、文明や文化が発展してるし……そもそも、その前提でマナ溜まりを確保しているものでもある」

 

「でも……じゃあ、この先にそういう街って幾つあるの?」

 

「獣人国に限ったら、一つくらいかな……」

 

 リルは絶望に顔を青くさせ、藁の布団を叩く。

 

「もう、ヤ! 外でした野宿の方がマシ! お家に帰りたい!」

 

「そうとも。早く帰るには、早くに寝て、早くに起きて……そして、早く移動を開始しないとね」

 

「でも、こんな所じゃ安心して寝れないよ……。ねぇ、お母さん、ホントにここじゃないとダメ?」

 

「他に宿なんてないからね。我慢するか、寝ている間も風の膜を張り続けるか、そのどちらかしかないな」

 

「お母さんが、何とかして!」

 

「駄~目。自分の事は自分で出来るよう、リルもそろそろ自覚して良い頃だ。勿論、リルの手に負えない事は、お母さんが代わりにやるけど……出来る事はやりなさいね」

 

 リルは大変不服そうにしていたが、結局それ以上、文句を言う事はなかった。

 ナナは現在、姿を消しているから、リルの内側から、何事か諭されたのかもしれない。

 

 

 

 夕食を終えて一息つき、後は休むだけとなった頃——。

 部屋の戸が、トントン、と控えめに叩かれた。

 

「……どなたかな?」

 

 開けると、小さな少女が祖母らしき女性に手を引かれて立っていた。

 少女の脚には、古い打撲痕が残っている。

 

「旅のお方……。精霊の御力を使える方だと……、村で聞きまして……。どうかこの子を診ては頂けませんか……」

 

 祖母の声は震え、必死で、切実だった。

 そして、治療を望む声は、それだけに留まらない。

 

 その後ろに続いて多くがひしめき合い、治療を望む声を発している。

 

 肩を痛めた木こり、咳に苦しむ少年、足を挫いた母親、全身が赤くかぶれた女性……。

 眼病に罹り、腫れた両目から目ヤニを溢れさせる小児もいる。

 

 リルに癒やせる者もいれば、到底手に負えない病気の者まで、実に様々だ。

 それが部屋の前に溢れていて、しかも後続が続いて止まらなかった。

 

「さっき、若者を助けたって本当ですか?」

「娘を治してやってください、どうか……!」

「お代は無理ですが、代わりに何でもしますから……!」

 

 次々と、戸の外に集まる人影。

 膝を折って懇願する者さえいる。

 

「ね、ねぇ、お母さん……。これ? お母さんが言ってたのって、これのこと?」

 

「……そう、これが“力を使うことの代償”、で、よくあるパターンの一つだ。時として、善意は善意を呼ぶけれど、それだけで済むとは限らない」

 

「逆のことも……、ある?」

 

「というより、誰かを救おうと思ったらね、目の前の一人だけでは足りない、と言う事もあるのさ。手を差し伸べるなら、全員を救う覚悟と力がないと、不十分な事がね」

 

「わたし……、余計な事しちゃった?」

 

 しゅん、と耳を垂れるリルに、私は笑って撫でてやる。

 

「そんな事あるものか。言ったろう? リルを誇らしく思うと。手に負えない事は、代わりにやるとも言ったよ。今はまだ、リルは学びの時だ。――後は、お母さんに任せなさい」

 

 戸の向こうからは、人々の声が途切れることなく届く。

 夜の冷たい空気に、それはまるで波のように押し寄せていた。

 

 その光景を見て、私はふと思う。

 村の入り口辺りで、青年一人の怪我を見た時は、まさかと疑うだけだったが……。

 

 この人数ならば呪いが原因かも知れず、決して馬鹿にしたものではなくなる。

 ――私に魔力を使わざるを得ない状況……。

 

 もしこれがそうだと言うのなら、私こそが事態を解決せねばならなかった。

 

「お母さん、どうするの? わたしも……、わたしも出来そうな事は手伝うよ。出来ることがあれば、だけど……」

 

「うん、ありがとう、リル。流石に、この人数は手に余る」

 

 優しさは、生まれつきの才能のようなものだ。

 今回は、その優しさが招いた様なものだが、だからこそ責任を取りたがっている様に見える。

 

 私の方にも、断る理由はなかった。

 そんなリルが、小首を傾げて尋ねる。

 

「お母さんでも大変なの? もっと、パッと治せない?」

 

「出来なくはない。……出来なくはないけど、それじゃあ解決とは言えないね」

 

「……どうして?」

 

 詳しく説明しても良いが、今も数を増やす治療希望者を放置する訳にもいかない。

 実際に作業をしながらの方が良さそうだ。

 

 春の夜気はまだ冷たい。

 けれど、部屋の外には人々の息が白く揺れ、その不安と期待が戸越しに伝わってきていた。

 

「口より手を動かした方が良さそうだ。……さぁ、始めるよ、リル」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。