今日は、ただ治すだけでは終わらない。
“これから先”を考えて、村の人たち自身でも作れる薬を、用意しなければならなかった。
全くの素人には難しいだろうが、どの村にも薬師はいる。
仮にいなくとも、薬草を見分けたり、磨り潰したりするくらい出来るだろう。
今はそれに期待して、魔力に頼らない治癒方法を実践するだけだ。
いざ戸を開けると、人々は一斉に私とリルに道を空けた。
怯えと敬意の混ざった沈黙が下りる。
その中で、私は静かに声を掛けた。
「怪我の者から順に、この子――リルが診る。病の方は私が見るが……、ここでは手狭だな」
そう言って周囲を見渡し、誰にともなく声を掛ける。
「対応出来る部屋を用意してくれ。今から薬を調合するから、今後あなたたち自身でも治せるよう、やり方を教える。得意な者が村にいるなら、すぐに呼んで来なさい」
人々は戸惑いながらも頷き、そうしてその中に含まれていた村長が、泡を食った様に急ぎ部屋を用意した。
私とリルが入ると、怪我の者もまた、順に部屋へ入って行く。
私の方は室内を片付け、空いたスペースで治療と調合を行うことになった。
部屋の隅に置かれた調理台を借り、私は村人たちに材料の提供を頼んだ。
近隣で採れる薬草、家畜から取れる獣脂、蜜蝋、清潔な布、お湯、臼と杵。
そして、各種薬草……。
次々運び込まれる道具を前に、私は手際よく作業に入る。
まず最初に手を付けたのは、霜降りミラ草と呼ばれる薬草だった。
春の雪解け後に芽吹く白縁の葉を持つ草で、“冷気を吸う”といわれ、打撲や炎症を沈める働きがある。
放っておくと苦みが増し、家畜も食べないため、早摘みが重要な薬草だ。
それを手早く磨り潰し、次に赤根カスラを手に取った。
土の浅い場所で育つ根菜の一種で、根の内部が赤く、煎じると血行を促す。
止血剤にもなるが、生のまま刻むと毒性が少し残るため、よく煮込む必要がある。
山ほたる苔は夜間、わずかに光る苔だ。
湿地や古木の根元に多く、傷口の化膿を防ぐ。
水の精霊が好むとされ、古くから“精霊苔”とも呼ばれる。
鋭葉リステは鋭い切れ込みのある葉を持ち、煮出すと強い殺菌作用が出る。
扱いを誤ると皮膚がかぶれるため、手を出す時は慎重になる必要がある。
私は大鍋に獣脂を溶かし、温度が上がりすぎないよう、注意しながら火力を調整する。
その合間、リルは次々と入ってくる村人の治療にあたっていた。
「ナナ、お願い! ここに集中して!」
周囲のマナが集約する事で、淡い光が少年の折れた指を、撫でるように包み込む。
骨の位置が整い、腫れが引いていくたび、周囲に驚きの声が上がった。
「おお……!」
「あぁ、精霊様……! 愛し子様……!」
「奇跡だ……! 本当にこんな事が起こるなんて……!」
感動は結構だが、治療が終わっても祈りを捧げようとして、立ち去らないから困りものだ。
リルの治療を待つ者はまだ多くいるのに、その感謝が妨げになっている。
私は注意を飛ばして、村長に流れの制御を頼むと、手元の薬作りに戻った。
獣脂が柔らかく溶けたところで、ミラ草を細かく刻んで混ぜる。
白い縁の葉が油に染み込み、淡い青の香気が立ち込め始めた。
「これで炎症は抑えられる……」
次に、すりつぶした赤根カスラを加えると、少し赤みを帯びた軟膏に変わっていく。
山ほたる苔は控えめに。
リステは香りが強いため、刻んでから熱を逃がして加える。
杵で混ぜる手つき、精緻かつ、静かに行う。
力任せにやると、折角の薬効がにげてしまうのだ。
これが分かる者は多くないが、しかし村の薬師だけは感嘆の息を吐いていた。
私の方は、リルの様に目に見えた、分かりやすい結果は出ない。
だから熱意の様なものはなく、同じ事を期待していた者からは、落胆めいた視線すらあった。
しかし、私は構わず軟膏を渡す。
「これは治療と同時に、再発防止用でもある。身体が弱っている時は、特に戻りやすいから注意する様に。これを一日二回。使い方は……ほら、こう」
そうは言っても薬の提供に村人たちは素直で、無料と聞くと目を見張り、深く頭を下げた。
※※※
リルは汗をかき、時に小さく息をつきながらも、疲れた顔を見せずに治療を続けていた。
「……リル、頑張るのは良いけど、無理し過ぎないように。リルの方が倒れたら、本末転倒だからね」
「うん。でも、もうちょっと……!」
魔力を使い過ぎれば、精霊との均衡を乱してしまう。
ここは我が家の森の中ではないので、息するように、マナの補給は出来ない。
しかし、私は心の奥でこそ案じるが、口には出さなかった。
リルが自分で限界を学ぶ機会も、また必要だ。
その一方で、部屋は治療を求める人で溢れ続けた。
老人の咳が止まり、少女の擦り傷がみるみる消え、疲労で眠れなかった母親が深く息を吸えるようになり……。
人々の表情に、徐々に安堵が戻っていく。
そして、リルの治療が一段落した頃、私は最後の軟膏をかき集め、布に包んで村長へ渡した。
「これだけあれば、しばらくは足りるだろう。私たちは明日には出発するが、薬は自分たち自身で作れるように、レシピも残していく。必要な材料は全て、この辺りの森にあるものだ」
村長は深々と頭を下げ、声を震わせた。
「旅のお方……、どう感謝して良いやら分かりません。医者も治癒術士も居ないこの村では、とにかく薬効のある何かを煎じ、治すに任せるしかなかったのです……」
そして、その薬効さえ不確かで、過去の経験則から意味があると、縋るしかなかったのだろう。
無論、多種多様の病に対応するなど不可能で、痛み止めを風邪の相手に処方する……といったことは、小さな村ほど珍しくなかった。
いずれにしても、とりあえず私の役目は終わった。
片付けも済まさなければならず、春の夜がようやく静けさを取り戻したのは、月が天頂を少し過ぎた頃だった。
リルはもう相当な
簡素な藁敷きの部屋へ戻ると、リルは治療の疲れもあって、敷布に倒れ込むように横になった。
すると、数呼吸も経たずに寝息を立て始める。
その寝顔を見守りながら、私は静かに腰を下ろし、夜の深まりと共に疼く脇腹を押さえた。
「……今夜は、魔力を使っていない筈なのに」
痛みは、鋭い棘が内部を撫でるように断続して襲ってくる。
だが、辛い表情を浮かべることすら、今は避けたかった。
たとえリルが、見ていないと分かっていても、痛みの度に顔を歪める様になれば、それが癖になっており取り繕えなくなる。
リルを安心させるためにも、自分は揺らがない柱であらねばならない。
春の夜気は冷たく、野の花の匂いがほのかに混じっていた。
外では時折、村人たちの低い囁きが聞こえる。
今夜の奇跡について、互いに口にしたくて堪らないのだ。
私は静かに目を閉じ、胸に手を当てた。
――リルの力が、誰かの救いになったこと。それは本当に、喜ばしい事だ。
だが、その力がこれから先どんな重荷を背負わせるのか。
それを案じる気持ちは、夜が深まるほど濃くなった。
――痛みは、さらに深い場所へと沈んでいく。
私はゆっくりと横になり、長い夜を、ただ一人でじっと耐えた。
※※※
鳥の囀りが近くの林から聞こえてきた頃、私はうっすらと目を開けた。
痛みは残っているが、昨夜よりは幾分ましだ。
隣ではリルが藁を抱え込んで眠っている。
ふにゃ、と小さく寝返りを打つその気配に、こわばっていた表情が少し緩んだ。
……本当に、よくやった。
リルを起こさないよう静かに身を起こし、私は外の空気を入れようと、戸を開けた。
春の朝の光が、村全体を黄金色に照らしている。
霧がまだわずかに残り、煙のように屋根の上を流れていた。
だが、何よりも驚いたのは——。
家々の前に並ぶ、村人たちの姿だった。
十数人ほどが、こちらへ向かって深々と頭を下げている。
「お、起こしてしまいましたか……」
村長がこちらを見るなり、気恥ずかしそうに頭を下げた。
私は慌てず、落ち着いた声音で尋ねる。
「一体、どうしたんだ? まだ他にも、診て欲しい者が……?」
「いえ、そうではないのです。ただお礼を……せめて、心からの感謝を捧げたかったのです。本当に……本当に、ありがとうございました」
村長はそこまで言うとゆっくり頭を上げ、昨夜とは違う、澄んだ顔を向けたのだった。