混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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人助けの難しさ その7

「村の者たちは、あのままでは春の仕事に入ることも出来ず、生活に困るところでした。あなたと、愛し子様の治療が、どれほどの恩となったか……」

 

 すると、周囲の村人たちも次々口を開く。

 

「夜、痛みが消えて眠れたのは、実に久しぶりな事で……」

 

「子供の熱が下がって、本当に……助かりました」

 

「教えて頂いた薬の作り方、しっかり覚えました!」

 

 言葉は重ならず、一人ひとりが丁寧に礼を述べてくる。

 私は胸の奥の疼きが僅かに温かく変わるのを感じながら、静かに微笑んだ。

 

「礼を言われる程のことではないさ。それに、材料を惜しみなく提供してくれたし、作業を手伝ってくれたおかげで、薬もきちんと仕上がった。私達はもう立ち寄る事もないだろうから、これからは力を合わせて病に立ち向かうことだ」

 

 説教紛いの説得をしているその時、眠そうな目をこすりながら、リルが戸口から顔を出した。

 

「……みんな、元気になった?」

 

 村人たちの表情が一斉に和らぐ。

 昨夜の驚きや畏れはそのままに、純粋な感謝も加わって、目には涙を浮かべている者までいる。

 

「ええ、愛し子様のおかげで……!」

 

 それを聞いた瞬間、リルの頬がほんのり赤くなった。

 私はその横顔を見つめながら、胸の奥で密かに思う。

 

 ――その気持ちを忘れずにいれば、きっと誰かを救う力になれる。

 ――私の(せい)は、その為に……。

 

 決意を固めていると、村長が包みを一つ差し出した。

 中には乾燥させた食材、山菜、そして村人総出で作ったらしい小さな護符が入っている。

 

「旅のご無事を願って……。僅かばかりの物ですが、受け取って頂ければと……」

 

 私は軽く頭を下げて、それを丁重に受け取った。

 

「ありがとう。私たちも、あなた方の春が良いものであるよう祈っているよ」

 

 言い終わるのに合わせて、リルも小さな手を振る。

 

「またね! 薬、ちゃんと使ってね!」

 

 村人たちは笑顔で手を振り返し、森獣の獣車がゆっくりと村を離れるまで、見送り続けてくれた。

 

 春の陽光の中、私はただ静かに空を見上げる。

 

 ……いい村だった。

 面倒事かとも思ったが、リルの優しさと

その力の使い途で、誰かを救うのは簡単ではない、と教える事も出来た。

 

「リル、これで分かったね? 目の前の誰か一人を助ける事は、もちろん尊いけれど、ああいう事態を招く事もある。力の使い方はわようよく考える事だ」

 

「じゃあ、わたしだけだったら、助けない方が良かった?」

 

「そういう場合もある。けれどそれは、これから覚えていけば良い事さ。大変だったろうに、良くやったね」

 

「んひひっ! みんな、元気になって良かったね!」

 

 リルは誇り高さを感じさせる笑顔で頷き、横から抱き着いてきた。

 この経験をさせただけでも、来た甲斐はあったかも知れない。

 

 だが、良い事があった反面、悪い発見もあった。

 脇腹より更に広い範囲では、あの“黒い紋様”が、まだ熱を帯びて蠢いている。

 

 春風は柔らかく吹いていたが、私の胸の内には緊張が宿り続けていた。

 

 

  ※※※

 

 

 獣車を曳く森獣の足音は、春の柔らかな大地を踏む度、湿った草の匂いをふわりと立ち上らせていた。

 

 吐く息は、もう白くはならない。

 それでも朝の空気はまだ冷たく、私は肩に掛けた外套を整えながら周囲に目を配る。

 

 これまでより拓けて来たが、この辺りも森と平原が入り混じる地帯だ。

 視界の開けたところでは魔獣が早めに見つかって助かるが、森に入るとそうもいかない。

 

 だからこそ、私は常に周囲の“異音”に意識を割き、耳を澄ませている。

 

「お母さん、次の丘を越えたら休憩しよ?」

 

「そうだな……。森獣もそろそろ喉が渇く頃だろう」

 

 リルの声に答えながら、私は前方の平原に目を細めた。

 その瞬間――風の流れに、ひどく濁った匂いが混じる。

 

 鉄と、唾液と、獣の怒りの匂い。

 ――魔獣だ。

 

 私は手綱を引いて、森獣の足を止める。

 そうして、ある一点に指を向けた。

 

「リル、あそこ。丘の影だ、分かるか?」

 

「……あっ。本当だ、動いてる……!」

 

 視界の果て、草むらをゆっくり縫うようにして、灰色の毛並みがのぞいていた。

 まだ距離はある……が、気付かれる前に対処したかった。

 

「気付かれる前に、仕留めてしまおう。リル、やってみるか?」

 

「うん、やってみたい!  任せて!」

 

 リルが胸に手を当て、そっと息を整える。

 風が小さく渦を巻き、栗色の髪を持ち上げた。

 

「ナナ、お願い……!」

 

 リルの掌から放たれた風の刃が、一直線に魔獣へと走った。

 しかし――。

 

 刃は魔獣のすぐ脇の地面を抉り、土煙を上げるだけに終わった。

 魔獣が驚いて跳ね、反転して一目散に逃げていく。

 

「――あっ!?  逃げちゃった!」

 

「まぁ、仕方ない。今の距離なら当てられるとも思ったが……、練習不足だな」

 

 私は森獣を落ち着かせながら、リルの肩へ手を置く。

 

「風の刃は良かった。でも、狙いが甘い。力じゃなくて、“射線”を意識しないと」

 

「……うん。どうしたら、もっと上手くなるかなぁ」

 

 悔しさに唇を噛むリルを見て、私は少し考えた。

 射出する魔術の精度を上げるには、対象を狙う感覚を、身体に覚えさせるのが一番だ。

 

 そうして、実践的な方法となれば……。

 

「リル、弓を持つ気はある?」

 

「弓……? やる、やってみたい!」

 

「なら、決まりだ。森を抜ける間、適した枝を探してみよう。本格的な物はともかく、練習用なら、それで十分だ」

 

 リルの頭を撫でながら、意識は弓作りへと向ける。

 

「弓の芯材はしなりのある木がいい。山沿いに生える“弾み楊”が手に入れば理想だけれど……、この辺りでも似たものは見つかるはずだ」

 

 解説混じりに言ってやると、リルの瞳がきらきらと輝きを帯びていく。

 

「じゃあ、矢は? 矢はどうやって作るの?」

 

「矢の方も中々難しい。真っすぐな枝を削って、尻に羽根を付ける。でも、削り方が悪いと変な反り方をして真っ直ぐ飛ばない。それから、矢じりだ。石で作るか、骨を削るか――」

 

 説明するうちに、私は自然と微笑んでいた。

 教えられることが増えるのは、嬉しいことだ。

 

 そして何より――リルが強くなることは、私の心の支えにもなる。

 

「次に魔獣を見つけたら、今度は逃がさず、仕留める心積もりでいなさい」

 

「うん!  次は絶対、当てるから! 絶対ね!」

 

 森獣が再び歩き出し、車輪が柔らかな草を分けながら進む。

 春の風が頬を撫で、逃げていった魔獣の匂いを伝えてくれる。

 

 どうやら、もう遠くに逃げたようだ。

 

 私はリルに警戒の仕方、注意点すべき点をレクチャーしながら、前方の森に視線を向けた。

 

 獣が潜んでいる気配もなく、私は獣車を森に進める。

 春先の森は、若葉が光を弾くようにきらきらしていて、その中にいるだけで心が少し軽くなった。

 

「森は良いね。心が落ち着く」

 

「そうなの? わたしも一緒! でもね、うちの森が一番だよ!」

 

「勿論だとも」

 

 私が微笑んで頷くと、リルも嬉しそうに笑って、それから身を乗り出して訊いてきた。

 

「お母さん、弓に使える木って、どれ?」

 

「まずは、しなりが良くて、まっすぐ育つ木を探してご覧。……ほら、あそこ」

 

 私は一本の細長い若木を指さした。

 “弾み楊”によく似た、淡い緑色の樹皮を持つ木だった。

 

 枝を抑え込むように軽く押すと、ぐっとしなってまた戻ってくる。

 

「これは――うん、使えそうだ」

 

 荷台に積み込まれていた短斧を取り出し、根元を丁寧に削り込んで倒す。

 小さい木とはいえ、刃を入れるのは結構な骨だ。

 

 それでも僅かな時間で倒すと、すぐ枝を払い、幹を観察する。

 リルも横に並んで同じように見ては、したり顔で頷く。

 

「あ、真っすぐだ。節も少ないね」

 

「良く見えたね。そう、弓は“木目”が命だ」

 

 私は長さを測り、大体、腕二本分――身長より少し短いくらいに切り揃える。

 そうして森獣を木陰で休ませたたまま、荷台から小刀を取り出す途中で、その大きな身体をポンポンと叩いた。

 

 豊かな毛並みを手のひら全体で楽しんでから、私は作業の方へ戻る。

 幹を膝に乗せて、手に持った小刀を構えた。

 

「リル、見てなさい。削りすぎたら折れるし、削らなければしならない。木に合わせて、力を調整するんだ」

 

 表皮を剥ぐと、白い木肌がのぞく。

 そこから慎重に片側を薄く、もう片側をやや厚めに削る。

 

 しなりの方向を決める為だ。

 木屑が春風に散り、甘い香りが漂う。

 

「お母さん、すごい……なんで分かるの?」

 

「長く生きてるとね、少しくらい木と会話できるようになるのさ」

 

 冗談めかして言ったが、リルは真剣に頷いた。

 ……素直な子だ。

 

 心の中で密かに癒やされていると、やがて、弓の形がだんだんと見えてくる。

 

「次は弦だ。これは森で採れる、“獣筋蔓”を使おうか」

 

 森の奥でよく絡まって生えている蔓植物だ。

 乾燥すると細く硬くなり、繊維を裂いて撚れば、十分な強度を持つ。

 

 私は束にした蔓を石で叩き、繊維だけを取り出した。

 それを左右の指に絡め、ゆっくり撚り合わせる。

 

「そうやって、糸にするんだぁ……」

 

「そう。強く、だけどしなやかに」

 

 何本かを重ねてさらに撚り、強度を確かめるために思い切り引っ張る。

 弦がきん、と硬く震えた。

 

「うん、これなら弓を張れる」

 

 次は矢だ。

 私たちは川沿いでまで進み、森獣に水分補給させながら、まっすぐ伸びた“風走り葦”を数十本集めた。

 

 同じ枝から削っても良いが、こちらの方が軽くてリルに向いている。

 私はその内の一本を折って、リルに渡した。

 

「まずは節を削って真っすぐにしてご覧。それから矢羽根。これは丘で拾った鳥の羽だ」

 

 羽根を三枚、一定の角度で巻き付け、糸で固定する。

 最後に矢じり。今回は簡易式で、川原の硬い石を砕いて作る。

 

「たったあれだけで、けっこう尖ってる……」

 

「刃をつけ過ぎると折れやすい。今回は軽くにしよう」

 

 リルは真剣に見つめ、私の動きを一つずつ目で追っていた。

 

 

  ※※※

 

 

 全ての作業が終わる頃、春の陽は高く中天を差していた。

 私は弓の両端に刻んだ溝へ弦を引っ掛け、ゆっくりと張っていく。

 

 ぴん、――と柔らかくも鋭い音が森に鳴った。

 

「ホントにできた……」

 

 リルが息を呑んで、呟く様に言った。

 私も無事完成出来て、ほっとした思いがある。

 

「ほら、リル。持ってみなさい」

 

 両手で大事そうに受け取ったリルは、弓を引こうとして――驚いたように目を見開いた。

 

「すごい……ちゃんと、しなる……!」

 

「リルの力なら十分扱える。矢も十本作ったから、また明日、休憩時間なんかで練習だな」

 

「うん!」

 

 リルは目を輝かせて笑った。

 まるで春の光をそのまま抱えたような笑顔だった。

 

 強くなりなさい、リル。

 そして、いつか――。

 

 心の奥で無事な未来を願いながら、私は弓を抱える娘の姿を、しばらくの間、見守り続けた。

 

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