混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

287 / 325
人助けの難しさ その8

 保存食を中心とした昼食を取ったあと、一つ森を抜け、また別の森へと入った。

 

 こちらの森は日当たりが悪い“影森”だから、未だ夜露が残る草の匂いで満ちていた。

 

 暗い森は弓矢の練習に、全く向いていない。

 日当たりの良い森と違って、厄介な魔獣が潜んでいることも多く、だから手早く脱出したかった。

 

 無論、そうした機微は森獣の方が余程、ヒトより心得ている。

 その健脚をもってすれば、“影森”を抜けるの造作もなかった。

 

 夕方前――まだ日が傾く前に森を抜け、広い平原に出た。

 見渡す限り何もなく、ただ一本の道が貫く。

 

「良かった。やっと抜けた~……!」

 

 リルが安堵の息を吐くと、私は苦笑しながら、その頭を撫でた。

 

「暗い森は怖いか?」

 

「怖くなんかないよ。ただ嫌いなだけ! ウチみたいな森じゃない森は、全部ダメな森なの!」

 

 それは暴論だが、言いたい事は分かる。

 誰だって、住み慣れた場所が一番落ち着くものだ。

 

「……でも、なぁんにもないね」

 

「この道を進めば、獣人国で唯一都会と言える街に着く。リルが望んだ、綺麗な寝床のある所だ。明日には着けるだろう」

 

「ホント!? やった!」

 

 リルは殊の外喜び、御者台の上で跳ねる様にはしゃいだ。

 それを見ていた私とナナは、何を言うでもなく目を合わせ、ただ苦笑を零した。

 

 野宿を苦にしないリルだが、藁の寝床はお気に召さないらしい。

 ……まぁ、ノミが跳ねていれば、誰でも似たような反応になる。

 

 慣れてくれないと、宿選びに苦労しそうだ、と思いながら、私は獣車を前に進ませた。

 

 

  ※※※

 

 

 まだ陽は高いが、今日の所は野営の準備をする事にした。

 リルが手にした弓を嬉しそうに抱いているからで、早く射ってみたいと、落ちつきなくしているからでもあった。

 

 即座に夕食の準備に入れるよう、粗方用意だけして、私達は少し離れた場所まで移動する。

 

「さて、リル。弓の練習をする準備は出来た?」

 

「うん! 矢も全部持ってきた!」

 

 リルは胸を張り、矢筒を背負っては自慢気に見せる。

 その顔は期待で明るくて、しかし、ほんの少し緊張の影が混じっていた。

 

 私は森獣を野原の端に座らせ、好きに食をさせる。

 そうしながら、周囲の危険がないかざっと確認して、リルを前に立たせた。

 

「まずは姿勢から。弓はね、力よりも真っ直ぐ立つことの方が大事なんだ」

 

 私は自分の姿勢を示し、リルに真似させる。

 そうして背筋、肩、腕――ひとつひとつの位置を調整していく。

 

「ナナも良く見てやってくれ。風が乱れる時は、教えてあげると捗るだろう」

 

「はいはい、了解よ」

 

 リルの後ろ付近を周遊しているナナが、気楽な調子で手を振った。

 

 そうして、いよいよ姿勢だけは及第点と言えるものが出来ると、リルは少し緊張した面持ちで矢を番える。

 私はその後ろで、姿勢を支えながら言った。

 

「胸で吸って、背中で引く……手で引かないで、背中を意識する。さぁ、射ってみて」

 

 アドバイス通りにリルは姿勢を正し、深い呼吸を繰り返す。

 そうして、集中力を高めて、最後まで引かれた矢が指から離れた。

 

 ひゅっ、と風を切る音と共に、矢は殆ど真横と言える軌道で飛んで行き、草むらへと突き刺さった。

 

「あ、あれ……?」

 

「ふふ、最初から当たる人は、早々いない。弓は失敗するところから、身に付けるものなんだ」

 

 リルはあからさまにホッとして、また構え直す。

 二射目は地面へ、三射目は高く空へ。

 

 ナナが風を送ろうとして、逆に矢の軌道を乱した時もあった。

 

「ナナっ、いま送らなくていいの!」

 

「えぇ!? でもお陰で、少しは真っ直ぐ飛んだでしょ……!?」

 

 リルは真っ赤になって抗議めいたものを口にしようとしたが、結局何も言わずに、矢を番え直す。

 

 私はリルに分からないよう、こっそりと忍び笑いを漏らした。

 

 

 

 それから――。

 ある程度失敗を重ねたあと、私はリルの背に手を添えた。

 

「リル。まず、矢を“当てよう”としてはいけない。風の音、草の揺れ、体の軸……まず、周りを感じなさい」

 

「……はいっ!」

 

 リルは大きく深呼吸を繰り返すと、ある時その肩がふっと緩んだ。

 ナナも気配を潜めて、そよ風のように静かになる。

 

「……いいぞ。放して」

 

 ヒュン、と風切り音を放って、矢は的代わりの木の幹、その横をかすめた。

 

「あぁ、惜しい!」

 

「ほんと!?」

 

 リルの顔に喜びが広がる。

 たった一度の軌道の変化だし、まだまだ命中はしていない。

 

 それでも、子どもにとってのそれは、大きな進歩に違いなかった。

 

 さらに練習を続け、十本射っては矢を回収し、回収しては矢を射って――。

 そんな事を十数度繰り返した後、リルの姿勢はかなり安定してきた。

 

 風向きをナナが優しく整え、私も息を止めて見守る。

 そうして、未だに集中力を切らさない、リルの矢が放たれた。

 

 す、と滑るような音がし――。

 次の瞬間、矢は木の幹に、ぱすっと音を立てて刺さった。

 

「やった!」

 

 リルは跳ねるように振り返る。

 

「当たった! ちゃんと当たったよ、お母さん!」

 

「うん……よくやった。よくやったね、リル」

 

 嬉しさで耳が赤くなっているリルの頭を抱き寄せ、それから指先を改めた。

 剣を握って鍛えられている手だが、何度となく射ったせいで、赤く擦り切れてしまっている。

 

「放っておくと、明日が大変だ。軟膏を塗っておこう」

 

「あたしが癒やすわよ、それくらい」

 

 ナナがリルをベタベタに褒めながら、こちらに顔を向けて言う。

 

「勿論それでも良いが、指先の艶が無くなってしまうからね。両方使えば良いんだ」

 

「うん! ありがと、お母さん! ありがと、ナナ!」

 

 この子はどこまでも優しく……、どこまでも芯のある子に育った。

 その笑顔を見ながら、胸の奥が、じんと熱くなるのを感じた。

 

 

  ※※※

 

 

「さて……。当てられたからと言って、それで終わりじゃない」

 

 リルがえっ、と目を丸くした。

 

「旅の最中にも、使える様にならないといけないからね。実戦で大事なのは、“撃つ前の判断力”だ」

 

 私は少し離れ、春草の中を歩き始めた。

 そうして、リルからは見えづらい角度を探す。

 

「リル。森で音がしたら、まずどこを見る?」

 

「えっと……足跡がつきやすい所、風の流れが変わる所……」

 

「そう。それを“感じる”んだ。目だけじゃなく、身体の全体でね……」

 

 言っている途中で、私は指を弾いた。

 その瞬間、ナナが風の揺れを作る。

 

 リルは咄嗟に反応し、そちらへ弓を向けた。

 まだまだぎこちない動きだが、感覚は悪くない。

 

「次はもっと速くいくぞ」

 

「えっ――ま、待って……!」

 

 私は石を投げ、動きを錯覚させ、森獣にも少し走らせて足音を作り、混乱した中から正しい方角を選ばせた。

 

 リルは汗をかきながらも、ひたむきに続ける。

 ――大丈夫。この子は、自分で生きる力を必ず得られる。

 

 そう、確信できた瞬間だった。

 

 日が傾きはじめた頃、リルはとうとう座り込んで、へたり込んでしまった。

 

「はぁ……っ! つかれた……。でも……やれた……」

 

「よく頑張った。今日だけで、随分上達したなぁ」

 

 私は水筒を渡し、リルの髪を優しく撫でる。

 

「明日からも、少しずつ練習を続けよう。今日みたいに、野営前の時間を使うとかね」

 

「うん…。ゼッタイ、全部当てられるようになる!」

 

 リルの瞳は強い光で満ちていた。

 これから先、どんな困難が来ても――。

 

 その度に立ち向かい、この子はきっと、乗り越えようとしてくれるだろう。

 

 だから……、私がいなくなっても――。

 

 脇腹から胸全体にかけて、呪いがずきりと疼く。

 リルの背中をそっと抱き寄せて、私はその痛みを飲み込んだ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。