翌日、日の出と共に起床した。
リルと抱き合う様に寝ていた荷台から、惜しみながら身体を起こそうとした。
平原は薄く霧掛かっていて、少々、身体が冷える。
リルから離れようとすると、少しでも温もりを得ようとしてか、寝ていると言うのに離そうとしなかった。
そこに愛おしさを感じつつ、それでも離れる。
断腸の思いではあったが、起きた時に、白湯の一杯でも飲ませてやりたい。
私自身、離れがたい温もりを必死に振り払って、朝の準備を始めた。
昨日の疲れもあったのだろう。
すっかり寝坊したリルに朝食を取らせ、朝早くから出発する。
森獣の気の向くまま、好きな速度で道を走らせ、白い道を進んだ。
蹴りの勢いで砂粒が、さらさら音を立てて後方へ流れていく。
そうして平原を抜けてしばらく、私たちの前に大きな影がゆっくりと立ち上がる。
それが、獣人国でも唯一と言える大きな街――カラム・フォルだった。
「わぁ……、すごい……!」
リルが、森獣が引く荷台の上で身を乗り出した。
遠くからでも、その威容がよく分かる。
城壁の上にひらめく紋章、動物の尾を持つ衛兵たちの姿、大通りへ吸い込まれる商人の列。
街が“生きている”気配が、地面を伝ってこちらへ流れて来ていた。
「お母さん、もう門が開いてる!」
「昼前は商いの時間だから、出入りが多い。だから早めに開放しているんだ」
私は森獣に勢いを落とすよう合図し、列の最後尾に並んだ。
門の両脇には、犬科と猫科の獣人兵士が立っている。
敵意はなく、ただ人の波を静かに見守っていた。
そこへ、私たちを見た兵士の一人が、軽く顎を上げた。
「商人には見えないな。……旅の者か。公国の人間ではないだろうな? 街の規定は知っているか?」
「十数年振りだが、きちんと覚えているさ。危険物の持ち込みは禁止、刃傷沙汰、魔術の行使は禁止、だろう? そして、公国からは逆方向から来たんだ。そんな筈ないと分かってくれると思うが……」
「……まぁ、それは調べてみれば分かることだ。素直に受け答えすれば、すぐに終わる。……ほら、そっちだ」
兵士は獣人たちが通るのとは別の入り口を指し、それから手を挙げて通す。
私は素直に従い、それから入市のチェックを受けた。
そうして向かった先で、私は早速、虎の子を切る。
ロウランが渡してくれた紹介状だ。
中で待ち構えていた二人組の衛兵は、受け取って中身を改めるなり、表情を強張らせる。
「おい……!」
「これは、つまり……そういう事なのか。本当に?」
衛兵は私とリルを交互に見つめ、それから特にリルへ期待の眼差しを送る。
紹介状の中身は知らないが、反応から推察するに――リルが何者か、記されていたに違いない。
そして敵意を払拭するのに、これ以上の免状はない、と思った。
獣人族にとって、精霊の愛し子は敬意を払うべき存在で、敵国のスパイと疑う事は不敬に当たる。
……実際は、あり得る事態として警戒すべきなのだろうが……。
彼らの精霊に対する、信仰と思慕は相当なものだ。
「リル、見せておやり」
「うん」
リルが肩越しへ振り返ると、ふわりとナナが現れる。
椅子にでも座るような格好で浮いており、腕組みした様子は不機嫌そうにも見えた。
いや、事実、不機嫌なのだ。
リルに対して、ぞんざいな態度は許さない、と暗に告げている。
「こ、これは……!」
「た、大変な失礼を……! 精霊様! 愛し子様……!」
ナナの様子も相まって、衛兵達は畏怖と感動を綯い交ぜにした態度で、拝み始めてしまった。
当然、そこに私に対する謝意はない。
すっかり興味の対象外で、この場に居ないも同然の扱いだった。
それは別に良いのだが、こうして待っていると、いつまでもこれが続いてしまいそうだ。
私もナナ同様腕を組んで、両膝を床についた衛兵達に声を放った。
「なぁ、そろそろ良いか。早く街に入ってしまいたいんだが……」
「あ、あぁ、そうか。そうだな……」
「では、愛し子様、こちらへどうぞ」
慇懃な態度で示すのは、あくまでもリルに対してのみだ。
リルが不満そうにしてこちらを見るが、大丈夫、と軽く手を振る。
先導されるまま――と言っても、部屋を一つ抜けるだけだが、扉の前に辿り着き、そこでも丁寧な礼と共に送り出される。
「言うまでもないと思うが、ここで見たことは一切、他言無用だ」
「あぁ、うん……勿論だ」
「正直、言いたい……。自慢したい。でも、ひどい騒ぎになるのも分かるしな……」
どうやら、最低限の理性はあるらしい。
そして同時に、敬う姿勢は本物なのだと分かった。
口惜しげな表情こそしているが、言っている事は本音だ。
ここは小さな村落とは違う。
一目見ようと訪れる規模は、相当なものになるだろう。
まだ何か言いたげな表情を無視して、私はリルの背を押して扉を抜ける。
そうして、その先にある門をくぐった瞬間、空気が変わった。
肉と香草の匂い、干された革の匂い、鍛冶場から響く金属音――。
行き交う人々の声が重なり、波のように押し寄せてくる。
「リル、離れないようにね。荷台から勝手に下りてはいけないよ」
「うん!」
ナナが姿を消すのと同時、運ばれてきた獣車に飛び乗った。
いつも行く街とは、違う刺激に満ちた世界に、その目を輝かせている。
そんな時だった。
「そこのお姉さんたち! 旅の途中? 宿、探してない?」
甲高い声が、足元から跳ね上がってきた。
見ると、そこにはリルより少し年上で、十二歳くらいの獣人の少女がいる。
猫科だろう、淡い茶色の耳がぴょこぴょこ動いていた。
腰には小さな鈴がついたポーチを身に付け、背筋がまっすぐに堂々と伸びている。
「私、案内できるよ! 安くて、朝食つきで、部屋がキレイなところ!」
「へぇ……、客引きしてるのか?」
「うん! うちの叔父さんの宿なの。悪いとこじゃないよ!」
ぱっと見、元気でよく動く子だが、目つきは商人のそれに近い。
獣人の子どもは逞しい、と改めて思う。
リルはその子に視線を奪われて、興味津々で覗き込んだ。
「すごいねぇ……、誰でも元気いっぱいで。獣人国の街って、こんなに賑やかなんだ……」
「でしょ! 公国とのいざこざで、景気の方は落ち込んでるけどさ。でもほら、迷ったら大変だし、良かったら私が案内するよ!」
そう言うと、少女は胸に手を当てて名乗った。
「名前はミカ! 猫獣のミカって覚えてね!」
「ミカちゃん……、よろしくね」
リルが小さく頭を下げると、ミカはにへっと笑った。
「親子二人? 森獣なんて良いの連れてるなら、相応の宿じゃないと! 旅の人も多いし、獣人じゃない人も泊まる所だから安心だよ!」
よく喋る子だ。
……だが、悪い感じはしない。
というより、そうした闊達さや、ある種の図々しさがなければ、客引きなど出来ないだろう。
私は人混みで宿を探す手間を考え、ミカに頷いて見せる。
「じゃあ、案内して貰おうか。その闊達さに免じて、礼を弾もう」
「そう来なくっちゃ! 任せて! こっち!」
ミカはしっぽを揺らしながら、すばしっこく先を歩き、リルも楽しげにその後ろ姿を目で追っている。
私たちは喧騒の中、露店と大通りを抜け、曲がり角をいくつか過ぎて――。
大きな街の中心に近い、比較的静かな区域へと入っていった。
「ここだよ! “
木の看板には、月を抱く猫の影が描かれている。
外観から見える分には清潔で、確かに良い雰囲気だ。
今日の寝床に胸を膨らませ、開いてくれた宿の扉をくぐった。