混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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獣人国の街と文化 その2

 玄関をくぐった瞬間、鼻に入ったのは干し薬草と焼きスープの香りだった。

 床は磨き込まれた木材で、長い年月に踏まれた跡が、艶となって光っている。

 

 壁には獣人国では良く見る、狩猟して得た大きな角装飾と、旅人の安全祈願の護符が飾られていた。

 

 受付の奥には帳場机があり、その前に座っていたひとりの若い女性が顔を上げ、帳簿を閉じて立ち上がった。

 

「ミカ、今度は強引に、お客さん連れて来なかったでしょうね? ……あっ、ご挨拶の前に大変な失礼を。ようこそ、いらっしゃいませ」

 

 柔らかな灰色の毛並みを持つ狼族の女性で、年は二十そこそこだろう。

 姿勢はきびきびしているが、顔立ちには微かな疲れがのぞく。

 

「こちら、わたしの従姉のララ=イルファ。今は“女将代行”なんだよ」

 

 ミカが胸を張ると、ララは困ったように眉を寄せ、しかし丁寧に頭を下げた。

 

「母が亡くなってから、私が宿を切り盛りしています。どうぞ、お疲れでしょう。お部屋へご案内しますね」

 

 その声音には、若さに似合わぬ責任と、背筋に溜まった緊張みたいなものがあった。

 部屋へ案内される途中、未だに付いて来ていたミカが、自慢気に言う。

 

「ララ姉ちゃんね、今度結婚するんだよ!」

 

「へぇ……? それはお目出度い」

 

「おめでと、ララさん!」

 

「ありがとう、ございます……」

 

 リルは純粋に、その慶事を言祝いだのだが、ララ本人の返答は、どうにもぎこちない。

 

「……だがどうにも、貴女はあまり……喜んではいないようだ」

 

「いえ、そういう訳ではないんです。私は……私達は、本当に望んで結婚したいと思っています。でも、父が……」

 

 あぁ、と不意に腑に落ちた。

 娘を思う父親としては、誰が相手でも良い、とは思わないものだ。

 

 強く愛するからこそ、娘には相応の相手を望む。

 

 頼り甲斐があるだとか、人格だけでなく財産もあるとか、細かな条件は様々だろうが……いずれにせよ、より良い相手を、と考える。

 

 その気持ちは、分からないでもなかった。

 ララはこちらの意図を理解した顔の後、苦い笑みを浮かべて続ける。

 

「私は……。人族と結婚するつもりなんです」

 

 歩みを止めず、しかし声は沈んでいく。

 

「でも父は、“血が濁る”と反対していて。仰るとおり、公国との問題もあって……いえ、あの人は公国人ではないんですけど……。でも、うちの一族は特に純血を重んじる方で……」

 

 言葉の端に、獣人社会が抱える“壁”が滲んでいた。

 獣人国で混血自体は珍しくなく、むしろ人族との子は身体が丈夫で美しい、と評判の地域すらある。

 

 だが、一部の古い家柄では、血統の誇りを守ろうとする傾向が強い。

 

 ララの指先が、無意識に胸元の小さな銀の飾りに触れた。

 きっと、恋人からの贈り物だろう。

 

「……彼のことは愛しているし、とても大切に思っています。でも、父の気持ちも分かるんです……。“人の匂いは薄くて、群れの絆が弱くなる”……なんて、古い考えだとは思うんですけど」

 

 そう語る横顔は、強く生きようとする若い娘のものだった。

 それに対し、リルはただ静かに耳を傾けている。

 

 私は、決して軽々しく言うべきでない、と分かりながらも、それでもそっと声をかける。

 

「あなた自身は、後悔のしない道を選べばいい。血より大切なものは、時として……互いを想う気持ちだから」

 

 獣人国という場所で、反対されている結婚という話を聞かされると、嫌が応にも一人の女性が思い出される。

 

 彼女は置いていくしかなかった男のことを悔い、そしてほんの少しの間、愛の結晶をその腕で抱く為に生きた。

 

 私はリルの肩を抱き寄せ、手の平からその温もりを感じ取る。

 

「結婚が全てではないし、出来なかったとしても、幸せを模索する方法はあると思う。だから変に思い詰めて、自らを追い詰めたりしないように。味方というのは、案外自分では気付けないだけで、近くにいたりするものさ」

 

 ララは驚いたように瞳を揺らし、そして小さく微笑んだ。

 

「……そうですね。ありがとうございます。旅の方にこんな話、重いですよね。すみません」

 

「いいさ。流れていく人だからこそ、後腐れなく話せる、と言うこともあるだろうから」

 

 私が笑うと、ララは深く息をつき、再び女将としての顔に戻った。

 

「その言葉に救われる思いです。――どうぞ、こちらへ。良いお部屋がありますの。この宿でも一等、上等な部屋ですわ」

 

 

  ※※※

 

 

 ララに案内されて、二階の一番奥の部屋へと通された。

 扉を開けた瞬間、清々しい木の香りが流れ込んでくる。

 

 室内は、獣人国らしく素朴でありながら、どこか温かな気遣いがあった。

 

 大きな梁がむき出しで、天井は高い。

 窓の外には白壁の街並みと、遠くに広がる草原が見え、風が通り抜けると、草の匂いがほのかに混ざる。

 

 ベッドは獣人用の広い作りで、私とリルなら余裕で二人横になれるものだ。

 毛織の敷物は分厚く、ふわりと沈む弾力が心地よかった。

 

 壁には旅人向けの注意書きが掛かっているが、そこにも獣爪の模様が刻まれていて、遊び心が垣間見える。

 

 リルは部屋に入るや否や、きらきらと目を輝かせた。

 

「お母さん! あのね、ここ見終わったら、ちょっと探検して来てい~い?」

 

「いいとも、一緒に行こう。走ってはいけないよ。他の人に迷惑かけてはいけないから」

 

「はーい!」

 

 元気よく返事し、部屋の形や装飾などを見物すると、尻尾と共に髪も揺らしながら、リルは直ぐさま駆け出していった。

 

「走るなと言ったのに……」

 

 有り余る好奇心は、どうやらリルを止めてくれないらしい。

 私は荷物を置くだけ置いて、リルの後を追って階段を降りる。

 

 すると、廊下の先で誰かと話しているのが見えた。

 

 相手は、がっしりとした体格の狼族の男で、白に近い灰色の毛並みに、深く刻まれた目尻の皺が見える。

 

 老いてなお鋭さを失わぬ、森狼の長のような風格があった。

 掃除道具を持っていなければ、どこぞの傭兵かと、勘違いしたかもしれない。

 

 リルがその逞しい腕を見上げているところに、私は近づいた。

 

「リル、どうかしたのか?」

 

「ううん、ぶつかっちゃったから、謝ってたの」

 

「あぁ……。だから、気を付けなさい、と言ったのに」

 

「いや、儂も小さなお客さんが見えておらんかった。済まなかったな、嬢ちゃん」

 

 そう言って、厳めしい顔に笑顔を貼り付け、リルの頭をぐりぐりと撫でた。

 声こそ低いが、その実、穏やかで優しいヒトらしい。

 

 もしかすると、この人がミカの言っていた叔父さんだろうか。

 つまり、ララの父親――。

 

「うちの娘が失礼した。ララさんの父親かな……?」

 

「あぁ、そうだ。ガルオ=イルファと言う。表のことは娘に任せ、儂は裏方に徹している。部屋のことで不満があれば、儂の方に言うといい。可能な限り対応しよう」

 

「あぁ、いや……。部屋について不満はないんだが……」

 

「うん! ふかふかで、キレイで、良い匂いした!」

 

 リルが満面の笑みで言うと、ガルオは嬉しそうに破顔して、またリルの頭を撫でた。

 そこで、どうせなら、と個人的な疑問を投げ掛けようとし……少々、思い留まる。

 

 他人の家庭の事情だから、深く所まで突っ込むんで訊くのは、むしろ無礼になるだろう。

 

 しかし、かつての友と似た境遇を知った手前、どうにも無視出来なかった。

 

「――ララの結婚の件、反対だと聞いているが……」

 

 この父の威圧感を前にすれば、娘が苦悩するのも無理はないだろう。

 ガルオは「ふむ」と短く唸ると、掃除道具を小脇に抱え、腕を組んでから口を開いた。

 

「反対は、しておらん」

 

「――え?」

 

 私だけでなく、話を聞いていたリルまで声を上げた。

 

「でも、聞いたよ。ララお姉ちゃんから、直接……」

 

「客人に何を話しているんだ、あいつは……」

 

 重い溜め息をついたものの、話を切り上げるつもりはないらしく、話はそのまま続く。

 

「ともかく、反対したのはあくまで、最初の頃だけだ。あの男がララに本気なのは、見ていれば分かったことだ。それに……いや、それで『嫁取り』に走られても困るからな……」

 

「あぁ……」

 

 私は言葉を返せず、押し黙る。

 そんな私を、リルは不思議そうに見ていた。

 

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