混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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獣人国の街と文化 その5

 観光がてらの時間潰しも十分堪能した後で、ミカの「見せたいもの」を見る為に、私たちは宿へ戻った。

 

 廊下を抜け、店の奥にある静かな部屋へ入ると、窓から柔らかな光が差し込んでいた。

 その中心では、ミカが少し緊張した面持ちで待っていた。

 

 近くにはミカの家族と思しき者達と、ララやガルオも参列している。

 

「……それで、今日なにするの? もう教えてくれるんでしょ?」

 

 何やら緊張した雰囲気が漂う中、リルがそっと問いかけた。

 ミカは小さく頷く。

 

「うん。今日はね、髪結いの儀。あたしが大人になる日なの」

 

 リルは驚いたように目を丸くした。

 

「十二歳って言ってたよね? それなのに……もう?」

 

「そうだよ、それが私たち獣人族じゃ普通なの」

 

 その言葉を聞いて、私は胸の奥が少し締めつけられる気がした。

 リルが十二になった時、私はきっとまだ“子ども”と思っているだろう。

 

 けれどこの国では、もう“自分の足で立つ者”と認められる。

 獣人国では、子どもはとても愛され、大事にされ――。

 

 そして恐ろしく早い時期に、大人の仲間入りになる。

 

 無論、いきなり即戦力として期待されている訳ではないが、もう子どもだからと甘やかされる事もない。

 

 だが、今日という日を、ミカが心待ちにしていたのは確かで、それは表情を見ればよく分かった。

 

 しばらくすると、髪結い師が入室してきた。

 

 落ち着いた毛並みを持つ年配の獣人女性で、節くれ立った手は年相応なものの、かくしゃくと背筋は伸び、その立ち姿は長年の経験を物語っていた。

 

「それじゃあ、ミカ。始めるよ」

 

「はい……、お願いします」

 

 ミカは椅子に腰かけ、背筋をぴんと伸ばす。

 まだあどけなさが残る肩が、興奮で震えているのが見えた。

 

 そして真っ直ぐ前を向き、期待に溢れる顔をしている。

 

 髪結い師はまず、櫛を使わずに指でミカの髪を梳きはじめる。

 その度に、ミカの息がわずかに吸い込まれ、肩が揺れた。

 

「どうして、櫛を使わないの……?」

 

 リルが私の袖を引いて、小声で尋ねた。

 私は耳元でそっと答える。

 

「髪に触れた時の“流れ”を見るため、と言われているよ。この国では、髪は血筋や未来……その子の歩む道を示すものだと言われている。だから、手で感じ取るんだとか」

 

 リルは神妙な顔で、目を瞬かせた。

 

「……何だか、不思議。お母さんも、私の髪を触ったら、何か分かる?」

 

「いやいや、お母さんにそんな事は出来ないよ。でも……、リルの未来はきっと明るいものになる筈だ」

 

「ほんと?」

 

「本当さ」

 

 頷いて言うと、リルは嬉しそうに笑った。

 そんなリルの髪を、私は指で漉く。

 

 短かった髪は、もう肩口まで伸びていて、このぐらいの年頃ならば、よく似合う髪型になっている。

 しかし、リルは私とお揃いの長さになる腰部分まで、まだ伸ばすつもりらしい。

 

 髪結い師の方に視線を戻すと、そこではじっくりと時間をかけ、髪を束ねたり、少しほどいたり、また結び直したりしていく。

 

 一本一本の動作が祈りのように静かで、私も息を潜めるほどだった。

 

「……きれい」

 

 リルが小さく呟いた。

 視線の先には、丁寧に編み込まれながら、大人びた輪郭を浮かび上がらせていく、ミカの横顔があった。

 

 ほんの少し前まで幼かったはずなのに、まるで一本、芯が通ったかのようだ。

 

 やがてミカの母親が、髪結い師へ一本の、淡い銀青の紐を捧げ渡す。

 どうやら家から受け継いだ大切なもので、それが今、手渡される……と言うことらしい。

 

 ミカの喉が、こくりと上下する。

 

「……これ、母さんの……」

 

 髪結い師は静かに言った。

 

「今日からは、あんたのものだ」

 

 その紐が、編まれた髪にそっと織り込まれ、最後の結び目がきゅ、と締まる。

 

 その瞬間、身に纏う空気が変わった。

 本当に、見えるのだ──大人になる瞬間というものが。

 

 ミカがゆっくり振り返る。

 大人びた表情を作ろうとしているのだろうが、頬が少し赤いのが可愛い。

 

「ど、どう……?」

 

リルは息を呑んだ。

 

「……すごいよミカ。さっきまでと全然違う……ほんとに、大人みたい……!」

 

 そこへ母親が近づき、ミカの肩にそっと手を添えた。

 言葉なんて幾らでも浮かぶのに、とその表情は物語っていたが……結局、ただ微笑むだけで終わった。

 

 そして、二人に取っては、それで十分だった。

 

「素敵よ、ミカ。本当に……」

 

 感極まって抱擁を交わす二人を、いつまでも見ていたかったが、そこへ髪結い師が近づき、静かに頭を下げた。

 

「これで、目出度く成人と相成った。今日からは、自分の歩く道を、自分の責任で歩いていかなければならない」

 

 ミカは深く頷き、大きく息を吸った。

 ほんの一瞬、幼い影が揺れたが……次の瞬間には、しっかりと前を向いている。

 

 リルはその姿を、きらきらとした目で見つめていた。

 

 この国では、十二年で大人になる。

 けれどそれは、あくまで“大人の始まり”に過ぎなかった。

 

 

  ※※※

 

 

 儀式が終わると、ミカは鏡の前で何度も髪を触りながら、照れくさそうに笑っていた。

 あの編み込みは確かに見事で、少女の輪郭を一つ上の段へ押し上げている。

 

 しかし、目の奥の輝きだけは、まだ子どもの面影を色濃く残したままだ。

 そんなミカの袖を、リルが遠慮がちに引く。

 

「ねえ、ミカ……」

 

 ミカは振り向き、少し大人ぶった顔を作った。

 

「なぁに? もう“子ども扱い”されないあたしに、何か用?」

 

「んひひ、凄いんだ。……じゃなくて、えっと……大人になるって、どんな感じ?」

 

 その問いに、ミカは目を瞬かせ、そしてふっと苦笑した。

 

「わかんないよ。髪を結んだくらいじゃ、急に変われないよね。でも……」

 

 編み込まれた髪にそっと触れ、ミカは言葉を続けた。

 

「責任を持たなきゃって思う。今日からは、自分で選んだことを、自分で背負わなきゃいけないんだって……。そんな感じ」

 

 リルは真剣に聞き、そして真剣なままに頷いた。

 その表情はあまりにも真っ直ぐだ。

 今リルは一体なにを考えているのだろう。

 

「ミカはきっと、大丈夫だよ。だって……優しいもん」

 

 ミカは照れたせいか、耳を忙しなく動かす。

 

「……リルは可愛いね。可愛いこと言ってくれて、嬉しいよ。……ありがとう」

 

 ミカはリルの手を、そっと握った。

 

「優しい大人になるよ。きっとね。約束」

 

 二人の間に、温かな空気が流れた。

 旅先で……それも一夜で得られる友情は、それほど多くない。

 

 旅人はただ過ぎ去るのみで、街の住人もそういうものだと、特別に友誼を結ぼうとしないものだ。

 だが時々、こういう縁を結べる事もある。

 

 だからこそ、旅は面白い。

 やがて、私は二人に声をかけた。

 

「そろそろ行こうか。昼までに、街を出るって約束だったからね」

 

 ミカは一度だけ深く息を吸い、それから笑顔を作った。

 

「うん、そうだった。行かないとね。──リル、またいつでも来て。大歓迎するから」

 

 リルもそれに、満面の笑みで返す。

 

「うん、絶対来る!」

 

 そこにあるのは、有り触れた悲しい別れではなく、ただ温かい別れがあった。

 

 

  ※※※

 

 

 宿の前まで出ると、ミカとララの二人が見送ってくれた。

 どちらの顔も晴れやかで、別れを惜しむ以上に、出会いを喜んでくれていると分かる。

 

「また来てねー!」

 

「どうか、お気をつけて」

 

 私は軽く会釈し、リルは元気いっぱいに手を振り返す。

 森獣の獣車もしっかり用意されていて、私たちの姿を見つけると、鼻を鳴らし、尻尾を振って歓迎してくれる。

 

「さて、行こうか」

 

 宿は快適で、柔らかな寝具でゆっくりと休むことも出来た。

 野宿続きで疲れた身体が、しっかりと癒やされ、リルも元気いっぱいだ。

 

 私は荷を確認し、森獣の背に手を置いた。

 

「お前も頼むぞ」 

 

 返事こそなかったが、鼻息を盛大に鳴らして意を示した。

 どうやら、こちらも十分休めたようで、問題なしと判断し、宿から出立する。

 

 獣車の御者台に乗り込むと、リルは荷台の方に乗り、離れていく宿とミカ達に、いつまでも手を振っていた。

 

 

  ※※※

 

 

 獣車はゆったりと道を進む。

 昼が近づくにつれ、街は少しずつ賑わいを増していった。

 

 広場を抜けると、子どもを背に抱いた獣人の母親たちが、互いに挨拶を交わし合っている。

 その光景に癒やされながら更に進み、街を囲む城壁を抜けた途端、空気が変わった。

 

 都会の靄が消え、森と平原の匂いが戻ってくる。

 深く吸い込むと、胸の奥にまで澄んだ気配が届いた。

 

 リルが荷台から身を乗り出しながら、ぽつりと呟く。

 

「ミカ……すごく、きれいだったね」

 

「そうだな。リルも結いたくなったか?」

 

「……別に、そう言うんじゃないけど……。わたしも、十二になったら大人の儀式、受けるのかなぁ?」

 

 私は手綱から片手を離し、振り返ってリルの肩に手を置いた。

 

「獣人国生まれじゃないから、別にそういうのはない。……ガッカリさせたかな」

 

「ううん、それは本当に別にいいの。どっちって言うと、ちゃんと大人になれるのかなぁって……。そっちの方が心配」

 

「リルはリルだ。ミカとは当然、違う道を歩くだろうけど……きっと素敵な大人になれる。お母さんが保障するよ」

 

 リルは照れくさそうに笑い、顔を背けた。

 その仕草がまだ幼くて、また愛おしい。

 

 街がだんだん遠くなり、風が私たちの髪を撫でてゆく。

 

 背後から聞こえる喧騒は少しずつ薄れていき、やがて森獣たちの足音と、草原を渡る風の音だけになった。

 

 ――また、旅は続く。

 あと三日ほど進めば、いよいよ国境、ロウランが示してくれた関所になる。

 

 主要街道から逸れた場所故に、警備や警戒も薄いと言うが、果たしてどこまで信用すべきか……。 

 

 ともかくも、森獣は軽快な足運びで道を走り、髪が風に流され後方に靡く。

 今は難しい事は抜きにして、心地よい風を感じていたかった。

 

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