混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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獣人国の街と文化 その7

 倒れた魔猪を前にして、私はその鼓動が完全に停止しているか確認した。

 獣が死んだ後の静寂というものは、時に重く、深い。

 

 ましてや魔力を宿す魔猪は、息絶えてなお、体内に微かな“余韻”を残している。

 

「リル、ここからは少し丁寧に見るところだ。ちゃんと覚えておきなさい。狩った命を、無駄にしない為にもね」

 

「はいっ!」

 

 リルは真剣な面持ちで頷いて、弓矢を荷台に置いて寄ってくる。

 その顔には幼さと、向き合う覚悟が同居していた。

 

 私もそれに応えるべく、心構えを師のものへと変える。

 ――さて、始めよう。

 

 

 

 魔猪の体は、まだ皮膚の下で淡く光っていた。

 魔力が筋肉繊維を走り、残り火のように揺らめいているのが、その理由だった。

 

「まず、これを鎮めないと、刃が跳ね返されてしまう。魔力が付与されたナイフを使う、という手段もあるけど、それは緊急用だな」

 

「どうして? 切れるなら、どっちでも良さそうなのに……」

 

「適切な処理をするとね、肉が美味しくなる。逆を言うと、無理な解体は肉を不味くさせるのさ。どうしても急いで、その場を離れたい、とか理由がない限り、正しい方法が好ましい」

 

「……はいっ!」

 

 リルが理解の色を示すのと同時、私はリルの掌を取って、死体に向けさせる。

 

「体内に残る魔力の波――それがどの方向に流れ、どの筋を走っているか、それを感じなさい」

 

「どうやって?」

 

「普段、ナナと魔法を使う時と同じだ。集中してご覧。触れずとも分かるくらい、強く感じられるだろう」

 

 リルは言われるがまま、掌を翳し……それから何度となく頷く。

 

「うん、分かる……。これが魔力の波なんだ……」

 

「そう、つまりそれが、“余韻”と言う訳だ。見ていなさい。魔力はね、ここを落ち着つかせれば、それに倣って全体が静まる」

 

 私はリルの手を取りながらゆっくりと動かし、体表の心臓付近に持って行く。

 

 そこで魔力の放出を促せば、光が吸い込まれるように揺らぎ、そして次第に収束していった。

 

 皮膚の隆起も収まり、魔猪の体がまるで深く眠ったかのように弛緩した。

 

「あ……」

 

 思わずリルが息を漏らす。

 

「生き物だった力が、抜けていくみたい……」

 

「そう、正にその通り。これをしないと、刃が魔力の逆流を受けて暴れたり、肉が硬くなったりする。――まず“鎮めること”。それが魔獣解体において、大切なことだ」

 

 リルは真摯に頷き、それから死体の体表を、慰撫する様にそっと撫でた。

 

「リル、ここを触ってごらん」

 

 私は魔猪の肩のあたりを軽く押して見せた。

 分厚い皮の下、肉との間に、わずかな空洞のような感触がある。

 

「……ちょっと、へこむね」

 

「そう、それが“境目”だ。魔猪の皮は硬くて分厚いけれど、この境目を見つければ刃は素直に通る」

 

 私は小刀を抜き、境目に沿ってそっと当てた。

 刃が触れた瞬間、リルの目の前で、皮がわずかに波打つ。

 

「魔力が完全には抜けきっていないから、皮が反応する。でも、心配いらない。これはただの名残りみたいなものだからね」

 

 軽く刃を滑らせると、皮は僅かな切り裂き音と共に開いた。

 その下には、猪魔獣特有の淡い赤紫色の繊維層が広がっている。

 

「ここがね、魔獣の特徴。魔力が流れていた道筋が、色で残る。普通の獣には見られない特徴だ」

 

 リルは真剣な表情で覗き込み、驚いたように息を呑む。

 

「怖い……。でも、ちょっとキレイ……」

 

「その両方を感じなさい。それが命を扱う感性になる」

 

 リルは顎を引く僅かな動きで首肯し、繊維層を見つめていた。

 

 私は皮の端を少しつまんで持ち上げ、小さく上下に揺らすようにしながら、ゆっくりと小刀を引いた。

 

 猪魔獣の皮は人の手の平ほどの厚みがあり、硬い鎧のような質感をしているが、境界を正しく捉えていれば、まるで縫い目をほどくように外れていく。

 

「皮を乱暴に引くと、残留魔力で崩れてしまう。こいつは魔力の質によって肉の味が変わるから、“魔力の流れ”には、特に気を付けること」

 

 皮の裏側には、淡い金色の筋――魔紋が走っている。

 魔力の通り道そのものだ。

 

「そしてこれが、魔力が特に濃く流れる場所。時に紋様みたいに見えることから、魔紋と呼ばれる」

 

「まもん……」

 

 リルが指を伸ばしかけた所で、私は制するように軽く手を添える。

 

「触るのはいいけど、逆立てないように。魔紋は毛と違って、生きていた力の記録でもある。逆向きに撫でると、体内の魔力の余燼が暴れる事さえあるからね」

 

 リルはこくりと頷き、そっと一本の紋を指でなぞった。

 

「すべすべ……。生き物の道って感じがする……」

 

「おや、なかなか良い事を言うね」

 

「んひひ……!」

 

 皮をすべて剥ぎ終えると、丸めて横に置いた。

 厚い皮は荷にすると重いが、加工すれば丈夫な革になる。

 

 幾らか路銀の足しになるだろうし、荷台にはまだスペースに余裕があるので、持って帰る事にした。

 

 

 

 次に魔猪の腹に手を当てる。

 そこにはまだ微かな温度があり、空気よりずっと温かい、生き物としての残滓が残っていた。

 

「リル、ここは少し慎重に見るところだよ。……大丈夫?」

 

「うん……、見たい。ちゃんと」

 

 私は微笑み、小刀の背を使ってお腹の線をなぞった。

 刃は使わず、まず指先で“中の気配”を探る。

 

「開く場所を間違えると、魔猪の場合は魔力袋が破裂してしまうことがある。そうすると肉がズタズタになってしまうし、内蔵が破れたら臭くてとても食べられない」

 

「んぇ~……、イヤだね」

 

「だから、――ここを避けて、こっちを通す」

 

 私は示しながら、ゆっくりと刃を当てた。

 鉄の匂いと魔力の香りが混ざったような、独特の気配が漂う。

 

 腹を静かに開くと、中には規則正しい配列で臓器が収まっていた。

 ただの動物とは違い、魔猪の臓器には淡い光の模様が浮かんでいる。

 

 リルは息を詰めこそしたが、後ずさったりなどはしない。

 

「これが……ほんとに、お腹の中……?」

 

「そうだよ。でも、怖がるばかりではいけないよ。ここはしっかり、学ぶところだ。どこにどういう命の働きがあるか、観察してみなさい」

 

 私は中を見せながら、わざと刃を入れず、指で軽く臓器を避けて空間を作る。

 実際の解体で必要な工程とは違い、あくまで“形を見せる”だけの動作だ。

 

「ここは魔力袋。ほら、鼓動は止まっているけど、魔力がゆらゆらしているだろう?」

 

「……ほんとだ。なんか、灯りが消えそうで……消えてないみたい」

 

「そう、それこそが命の名残、とも言えるだろうね。そしてここからが、旅の糧を得る時、大事な部分だ」

 

 私はそう言ってリルに強く認識させてから、肩を軽く押して見せた。

 

「魔猪はね、普通の猪と違って、“硬さの層”が幾つもある。魔力を使って走るとき、自分の魔力で傷付けるのを防ぐ為だ。……だからこうして、指で押すと層ごとに弾力が違う」

 

 丁寧に説明すると、その都度リルは真剣な目で観察した。

 

「ホントだ……。こっちは固いけど、こっちは柔らかい」

 

「その感覚を覚えておきなさい。料理に使えるのは柔らかい層、保存向きなのは固い層。旅をする時は……、必要に応じて選ばないといけない事もある」

 

 私は刃を入れ、魔力筋の流れに沿って肉を外していく。

 魔力筋はきらりと光り、まるで細い糸の束のようだ。

 

 それを避けるように切ると、肉はしっとりとした赤色を保つ。

 

「筋の流れを読むのは難しい。こればっかりは経験だ」

 

「どう食べればおいしいか考えたら、分かるようになるかな」

 

「それは面白い考え方だな。……うん、そっちの方が、リルにとっては覚えやすいかもね」

 

「……わたし、本当にお母さんみたいに、読めるようになるかなぁ?」

 

「なるとも。リルはもう、ちゃんと命を見て、感じている。そうだろう? 最初の一歩として大事なことを、ちゃんと理解しているんだ。だから、大丈夫」

 

 私は必要分だけを切り分けると、リルに顔を向けてお願いする。

 

「残りを風で冷やしておくれ。保存するのに良い具合にね」

 

「そんなこと出来るの? 風の力で?」

 

 きょとんと見返すリルに、私はしかと頷く。

 

「風の応用力の高さは、何度も教えただろう? これもその内の一つさ。どうすればいいか教えてあげるから、言うとおりにやってご覧」

 

 

  ※※※

 

 

 すべてを終えると、私は魔猪の額に手を置いた。

 草原の風が静かに吹き、ナナがふわりとリルの肩に戻った。

 

「ありがとう。ほら、リルもきちんとお礼を言うんだ」

 

「んっ! ナナ、ありがとう!」

 

「どういたしまして」

 

 自慢気に胸を張るナナに、私からも少し言い添える。

 

「ナナの力は、戦う為に使えるだけじゃなく、多方面でリルを支える力になる。それをこれから覚えていこう」

 

「はいっ!」

 

 リルが元気よく頷くのを見て、私は解体されきった死体に手を合わせた。

 それに倣って、リルもまた小さく手を合わせる。

 

「お母さん……命って、ただの“物”じゃないんだね」

 

「そうだな。狩る時も、使う時も、そして捧げる時も――。最後まで向き合うのが、命を扱う者の礼儀だよ」

 

 リルは強く頷く。

 その横顔が、少しだけ大人びて見えた。

 

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