混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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第八章
通過儀礼と砦の横暴 その1


 山道を進むにつれ、空気が変わっていくのがはっきりと分かった。

 それはただ、冷たいだけではない。

 

 重い、押し付けられるような圧が、胸の奥にじわじわと溜まっていく。

 

「……お母さん」

 

 リルが、私の袖を小さく引いた。

 

「大丈夫だよ」

 

 私は手綱を軽く引いて森獣の歩調を落とし、砦のある方角を見据えた。

 

 遠目に見ていた時よりも、砦はその威容を露わにしているように見える。

 山の稜線に溶け込んでいたはずの影は、今や輪郭を主張し、石の壁は刃のような角度でこちらに迫っていた。

 

 自然の山並みの中に、異物としての直線が増えていく。

 

 ――砦は、こちらを見ている。

 そう感じさせる、何かがあった。

 

 見張りの兵がこちらを注視しているのか、それとも結界や仕掛けが反応しているのか――。

 

 理由は分からない。

 だが確かに、敵意に似たものが、風に混じって流れていた。

 

「……歓迎は、されていないね」

 

 それも当然だろう。

 この道を使うのは、獣人国から来る者しかいないのだ。

 

 疑わしい者は通さない。

 その様に宣言しているも同然だ。

 

 砦の手前では、道は緩やかに開け、山腹に沿って作られた、小さな平坦地に差しかかる。

 

 ここから先は遮蔽物が少なく、砦からの視線を避けにくい。

 私は、そこで森獣の足を少し緩めた。

 

 ――いる。

 

 岩陰……そして、倒木の影。

 一見すれば、ただの風景の一部だ。

 

 だが、風の流れが不自然に途切れている場所があると気付いた。

 私は森獣の足を更に緩やかにさせると、囁く様にリルを呼ぶ。

 

「リル、見てなさい」

 

「え?」

 

「音を立てずに。……あそこを見てご覧」

 

 私が顎で示した先は、苔むした岩の裏側――低木が密集している場所だった。

 リルは目を凝らし、しばらくして小さく息を吸った。

 

「……ひと?」

 

「それも二人いる様だね」

 

 私は確信をもって言った。

 その二人組は、巧妙に身を隠してはいたが、一度気付けば分かるものだ。

 

 色を落とした外套に、土と灰を擦り込んだ布。

 砦の石壁と同系色になるよう、工夫された装いだ。

 

 だが、完璧ではない。

 

「あれ、何だろう? スゴく……変だよ……。何か誤魔化そうとしてる……?」

 

「そう、偽装しようてしているね。砦を避けて通過する為だろう」

 

 ゆっくりと通り過ぎざま、私は観察を続ける。

 彼らは、砦の正面を避け、脇の山道から回り込む算段なのだろう。

 

 外套の内側に、何かを縫い付けているのが見えた。

 ――通行証か、国境民を装う印か。

 

「でも……、下手だな」

 

「下手なの?」

 

「隠れること自体は悪くない。でも、“隠れようとしている意志”が見えすぎる」

 

 しかし、この言い方ではリルには難し過ぎたらしい。

 リルはただ首を傾げた。

 

「いいかい? 本当に上手い隠れ方っていうのはね、“隠れている”ことを感じさせないんだ」

 

 私はリルの顔に近く付き、声を低くして続ける。

 

「周囲の音、匂い、風――その全部を風景に溶かす。でもあの二人は、砦を怖がりすぎているね。その恐れが、動きを固くしてるんだ」

 

 実際、二人は砦の方向を何度も気にし、身を縮めていた。

 その結果、私からすると余計、目立つ格好になっている。

 

 砦の威圧感が、彼らの判断を狂わせているのだろうか。

 

「……あの砦、おっかないね。誰も通さないって、言ってるみたい」

 

「そうだね。きっと、そうなんだろう」

 

 私は森獣の歩みをもう一段階遅くさせて、状況を測る。

 放っておけば、あの二人はいずれ自滅するかもしれない。

 

 とはいえ、不用意に声をかければ、砦の注意を引くだろう。

 下手に関わるべきではない、と判断したところで、リルが小さく囁いてきた。

 

「お母さん……私たち、どうするの?」

 

 私は砦を見上げ、次に岩陰の二人を見て、静かに答えた。

 

「まずは、同じ過ちをしないことだよ。砦を恐れすぎない。でも、軽んじもしない」

 

 山風が吹き抜け、砦の方から、金属が擦れるような微かな音が届いた。

 見張りの交代か、それとも――警戒の合図か。

 

 砦は変わらず、沈黙したまま、こちらを睨んでいる。

 その威風と敵意の前で、訪れる者は否応なく“試される”のだろう。

 

 私はリルの手を取り、低く告げた。

 

「行くよ。静かに、でも堂々とね」

 

 背後で、岩陰の二人が息を殺す気配を感じながら、私たちは砦へと続く道を進んだ。

 

 そうして、進むこと暫し――。

 山道が尽き、砦の外門前に設けられた待機区画へと辿り着いた時、空気はいよいよ張り詰めたものになった。

 

「止まれ。順番に取り調べる」

 

 低く、感情を削ぎ落とした声で、衛兵が言った。

 石造りの壁に反響し、命令というより“宣告”のように耳に残る。

 

 私とリルは、獣車から降り。示された位置で立ち止まった。

 周囲は完全に、逃げ場のない場所だ。

 

 背後は切り立った岩壁、前方は厚い門と、その上に並ぶ見張り。

 視線が、こちらを測るように突き刺さってくる。

 

「……ここで待つの?」

 

「ひと組ごとの順番みたいだね。前の組が終わるまでは、しばらくここだろう」

 

 リルの声は小さかったが、過度に怯えてはいなかった。

 昨日までの旅路が、確かにその心根を変えている。

 

 私たちの前には、すでに取り調べを受けている者たちがいた。

 

 旅装に身を包んでいる男は剣士だろう。

 年は三十代後半ば。使い込まれた剣を腰に下げ、外套の裾は擦り切れている。

 

 姿勢は崩していないが、そこには砦の威圧に抗うような硬さがあった。

 その半歩後ろに、従者と思しき少年とも、少女とも思える年齢の子が立っている。

 

 装備は簡素で、剣士よりも一段階質が落ち、目深にフードを被って顔を隠していた。

 視線は彷徨い、明らかに怯えた様子を隠せておらず、周囲を常に窺っていた。

 

 その二人組に、兵士が問いを投げる。

 

「身分を証明出来る物は?」

 

「冒険者だ。依頼で山を越える」

 

 剣士は短く答えた。

 余計な言葉はない。

 この手の取り調べに、慣れている雰囲気を感じさせた。

 

 兵士が書付に何かを書き込む間、剣士の背後で、従者がわずかに身を寄せた。

 その従者に、剣士が殆ど息の音に紛れるほどの小さな声で囁く。

 

「……必ず、君を無事に連れ出す」

 

 私は、その言葉を確かに聞いた。

 空耳ではない。

 

 声の方向、空気の震え、緊張が生む僅かな間――。

 耳を澄ませていなければ、決して拾えない類の言葉だった。

 

 だが、耳の良い獣人であるリルも、その言葉は聞こえていたらしい。

 僅かに肩を強張らせ、やはり囁く様に言う。

 

「……お母さん、今の……」

 

「聞こえたね」

 

 私は目を伏せたまま答えた。

 あの囁きは、つまり本当の従者ではない証みたいなものだ。

 

 恐らく――。

 あの少年……いや少女は、獣人である可能性が高い。

 

 戦火の拡大と、その被害から逃すため、一人娘を国外に逃がす……。

 そうした依頼を受けたのかも知れない。

 

 やがて、門が軋む音を立てて開かれた。

 

「次。中へ」

 

 剣士と従者が促され、私たちも続いて歩を進める。

 私は幻術で偽装した身分証を見せ、然したる疑問も抱かせず素通りした。

 

 ――そして、砦の内側に一歩、足を踏み入れた瞬間。

 空気の質が、完全に変わったのを感じた。

 

 ――まず、広い。

 砦の中とは思えぬほど、無駄に広い石敷きの広場がそこにはあった。

 

 だが、本当に目を引いたのはその広さではない。

 ――地面だ。

 

 石畳のあちこちに、黒く、赤く、沈み込んだ染みが残っている。

 洗い流された形跡はあっても、完全には消えていない。

 

 時間を経てもなお、石に染み込んだそれは――

 

「……血」

 

 リルが、喉を震わせて呟いた。

 

「しかも新しいもの、古いもの、両方が混ざってる」

 

 ここは、広場ではない。

 用途を知る者の目には、はっきりと別の名が浮かぶ。

 

 ――処刑場。

 

 視線を上げると、広場を見下ろすように、高台が設けられていた。

 そこに、ひときわ豪奢な外套を纏った男が立っている。

 

 恐らく、ここの責任者だ。

 

 顔には品の良い笑みが浮かんでいて、まるで主賓を歓迎するかの様な出で立ちだった。

 そして、その周囲には、複数の兵士たちが侍っている。

 

 槍、弓、そして即座に命を奪える距離と配置が成されている。

 剣士が前に進むと、高台の優男は、やはり優しげな声で口を開いた。

 

「私はこの砦を任されている代官、ドレクスと言います。どうぞ、よろしく」

 

 そう言って慇懃な礼で腰を折る。

 その間も、決して笑みを絶やさなかった。

 

「良かった……。いい人みたい」

 

 リルがホッと息を吐いたが、残念ながら私は全く逆の感想だ。

 あの笑みは、ただ貼り付けただけの笑みで、本音を隠すための仮面に過ぎない。

 

 剣士は再び、名を問われる。

 

「冒険者だと言いましたか」

 

「ああ」

 

「確かに正規のギルド証で、国境をある程度、自由に通行する事は出来ますが……。しかし、制度の悪用は感心しませんね」

 

「何もやましい事などしていない。俺はただ、依頼を遂行する為に、ここを通りたいだけだ」

 

「そうでしょうとも。しかし……」

 

 代官が、足元の石畳を指先で示す。

 そこに残る血の痕を。

 

「疑わしきは留める。それがここの法であり、そして問題ありと見なせば……斬らねばならない」

 

 剣士は一瞬、唇を引き結んだが、反論はしなかった。

 冒険者――法の外に立つ者は、こういう場所で最も弱い。

 

 従者の拳が、わずかに震えていた。

 その()()が何なのか、そしてどこにあるのか、それを理解して出た震えに見えた。

 

「……君を無事に、連れ出す」

 

 先程より、さらに小さな囁きには、覚悟の色が混じっていた。

 

 私は、寄り添って来たリルの手を握り直す。

 砦の威風と敵意は、外から見たときよりも、中に入った今の方が、はるかに生々しく迫っていた。

 

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