剣士と従者の取り調べは、そのまま続けられた。
石畳に響く声は相変わらず優しげな色をしているが、周囲の兵の気配は明らかに鋭さを増している。
「ふむ、冒険者……」
代官は書付に目を落としながら、興味を失ったように言った。
「所属は無し……。拠点となる街を定めず、移動を繰り返すタイプですか。依頼による越境。記録とも齟齬はない。剣の擦れ具合も、歩き方も……なるほど、嘘ではない様です」
剣士は一礼だけで応じた。
評価に喜ぶ様子はなく、ただ当然の事として受け止めている。
「問題は――」
代官の視線が、ゆっくりと従者へと移った。
フードを深く被り、顔を伏せたままの従者は、先ほどから一言も発していない。
「そちらだ。なぜ、顔を隠したままなのです」
従者はピクリと震え、伏せていた顔を尚も伏せた。
返答のない時間が数秒過ぎた時、剣士が一歩前に出た。
「私の従者です。道中で獣に襲われ、身なりが酷くなっている。この者の身分は、私がすべて責任を持ちます」
代官は、書付を何度かめくり、それから顔を上げた。
その視線は笑みのままなのに冷たく、剣士の言葉を評価しているというより、測っている様に見えた。
「取って、顔を見せなさい」
従者ではなく、剣士に向けて告げられた声だった。
「……それは出来ません」
剣士の返答は、しかし明確な否定だった。
その瞬間。
周囲の兵士たちが、一斉に動いた。
槍の石突きが地を打ち、弓が半ば引き絞られる。
刃が光を受け、処刑場の石畳に鈍い輝きを落とした。
リルの手が、私の指をきゅっと掴む。
私は何も言わず、ただリルの手を包み返した。
「――拒否すると?」
代官は声を荒らげない。
むしろ、面白いものを見つけたかのように、口角を上げていた。
剣士は一瞬、歯を食いしばったが、やがて諦観に見える仕草で、深く息を吐いた。
「……では、少しだけ」
従者の肩に手を置き、小さく頷く。
それが合図だった。
従者は、ゆっくりと指を伸ばし、フードの縁をつまんだ。
そして――ほんのわずかに、めくる。
見えたのは、顔の一部だけだったが、それで十分だった。
土に塗れ、汗と乾いた泥が層になって固まり、髪は絡まり、葉屑や――明らかに獣の糞が混じっている。
悪臭が空気に滲み、代官は即座に鼻を押さえ、顔を背けた。
「……なるほど」
一瞬の沈黙。
兵士の何人かさえ、露骨に顔をしかめている。
従者は、すぐにフードを戻し、かすれた声で言った。
「このような有様で、御前に顔を晒すのは不敬と思ったのです。だから、隠すべきと判断しました。どうか、ご容赦ください」
その言葉には取り繕いの色がある。
だが同時に、必死な誠意も感じられた。
代官は、しばし考えるように顎に手を当て……、やがて頷いた。
「……ふむ。確かに見苦しい。その判断自体は、理解できます」
鼻を押さえたまま、もう一度顔を背けるその仕草に、場の緊張が一瞬だけ緩んだ。
――だが、それで終わりではなかった。
代官は、ふっと笑う。
口元だけで、今度は目がまったく笑っていない。
「しかし……」
勿体ぶった言い方で、ゆっくりと従者に向き直る。
「獣人の耳は、上にあるものです」
その言葉に、剣士の背筋がわずかに強張った。
「顔の一部を見せただけでは、判断がつかない。フードのすべてを取って貰わねば……」
代官は、穏やかな声のまま続ける。
「――なに。ほんの少し確認するだけのこと。そう身構える必要はないでしょう?」
周囲の兵士たちは、すでに完全な警戒態勢だった。
逃げ場はない。
処刑場の石畳に残る血の染みが、この砦で“拒否”がどう扱われるかを、雄弁に物語っていた。
私は、胸の奥で静かに息を整える。
――見捨てるべきだ、と理性が警告を訴える。
あの従者が、あくまで偽装した姿でしかなく、その正体が獣人なのは、最早明かな事だった。
フードを取れば死――。
そして、拒否しても同様だ。
冒険者の剣士は、それなりに腕の覚えがあるのだろうが、何しろ戦力の数が違う。
その上、向こうには弓兵までいる。
剣柄に手を添えた途端、矢の十数本が即座に飛んでくるだろう。
剣士は動くに動けず、従者も震えるばかりて何も出来ない。
より一層、より強くくっ付いて来るリルを、私は宥める様に撫でた。
――その瞬間だった。
剣士が突然動き、何の前触れもなく、従者の襟首を掴むと、強引に引き倒す。
従者の方は咄嗟のことで、反応すら出来ていなかった。
石畳に叩きつけられ――たように見えたが、実は違う。
……上手い。
声には出さず、感嘆の息を漏らした。
倒れる角度、手の添え方、受け身の取らせ方……それら全て、痛みを極力削いだ転ばせ方だった。
だが周囲から見れば、それは完全な暴力に見えただろう
「この、薄汚い――!」
剣士は声を荒げ、従者の腹を、背を、何度も足で蹴る。
硬い靴底が石と肉を打つ鈍い音が響く。
「お前のような者を、近くに置いたのが間違いだった!」
一言、口から声が出る度、従者に蹴りを入れた。
「そのせいで、要らぬ疑いを掛けられ!」
更に一発。
「俺の身まで危うくなったではないか!」
更にもう一発。
「どうしてくれる!!」
吐き捨てるような言葉はあまりに露骨で、あまりに酷薄だった。
しかし、従者は声を上げない。
呻きも、悲鳴も、必死に喉の奥で噛み殺している。
剣士は代官と兵士たちに背を向ける形になっていたから、私には見てしまった。
拳を握り締め、肩を震わせ、泣きそうになるのを必死で抑えている横顔を。
――芝居だ。
苦渋を飲み込んだ、命懸けの芝居。
喉の奥が、ひりつく。
(……だが、これで通れる可能性は高くないだろう。同情心を買えればあるいは、と言った所だが……)
チラリと視線を移してみれば、その光景を代官は腕を組んで眺めていた。
まるで見世物だ。
そして――。
貼り付けたような笑みのまま言った。
「それで……、いつまで続けます?」
剣士の足が、その一言で止まる。
「続けたいのであれば、どうぞ蹴り続けて下さい」
声は柔らかい。
だが、その言葉は紛れもない悪意の刃だった。
「結果は、変わりませんがね」
それで剣士は、完全に固まった。
兵士の中から忍び笑いが漏れ、別の兵は弓を引き絞り、狙いを定める。
石畳の血の染みが、夕の光に濃く浮かび上がった。
――その時。
代官は、ふっと表情を変えた。
ほんの一瞬、だが確かに。
「……ああ、そうでした」
わざとらしく、思い出したように言う。
「今、この砦には……」
高台の奥、これまで意識の外に置かれていた一角へ、視線を送る。
「公弟殿下が、監査にお越しになっている」
その一言で、場の空気が凍り付いた。
兵士たちから笑みが消え、弓を引く腕すら僅かに揺れる。
その意味を理解した剣士の背筋が、強張るのが見えた。
そうして、
この取り調べは、この暴力は、この執拗な追及は――。
誰かに見せる為のものなのだ。
権力を誇示するためか。
あるいは、もっと別の――。
悪辣な趣味に依るものか。
私は、リルの肩にそっと手を置いた。
リルは何も言わない。ただ、固唾を呑んで見つめている。
この砦で、本当に危険なものは魔物ではない。
――ヒトだ。
そして今、この場に立つ全ての人間と獣人が、公弟殿下の目に、どう映るか。
その幕が、静かに上がろうとしていた。